2017年4月25日火曜日

When Borders Closeの解説記事




以下は、学部4年生用の授業「現代社会の英語使用」の題材の一つとして使う英文を読むための補助資料です。以下をまず読んでから英文を読むと理解が容易になるかと思います。ただ、正確な翻訳・抄訳ではありませんのでご注意ください。

題材は、現時点では誰でも自由に読めるインターネット上の記事です。ただしアクセス回数に制限がありますので気をつけて下さい。

 ■の次にある数字は、受講者にBb9で配布する資料の行番号です。受講者の参照の便のためにつけました。


When Borders Close
by Ruchir Sharma
Nov. 12, 2016.
Sunday Review, The New York Times


この記事は、大方のメディアの予想に反してドナルド・トランプ氏が大統領に選出された直後に書かれたものです。この頃に書かれた記事としてはめずらしく、冷静で長期的な視点をもった論考だと思い、私はEvernoteに保存していました。


日本の英語教育界では、およそ単純すぎるグローバリズム観がしばしば表明されます。「グローバリズムだから英語を使わなければならない」、「英語を使えばグローバリズムに対応できる」などです。これらのスローガンの前提としては「グローバリズムは疑いなく受け入れるべき」、「グローバリズムは今後も続く」といったものもあるかと思います。

これらが勇ましい与太話で終わっていればいいのですが、これらの考えは中高の現場での英語教育に大きな影響を与えていますし、大学においても英語だけで卒業・修了できる学部・大学院が無批判的に厚遇されるといった形でさまざまな影響を与えています。

この記事を読んだだけでグローバリスムがわかるとか、世界の未来が予測できるといったことがあるはずもありませんが、スローガンに煽られて思考停止状態になることに楔を打ち込むことはできるでしょう(もっとも権力側にいてオコボレをもらえる限りにおいて思考停止状態になることは存外に快適なもののようです。ですが、それは弱者を蹂躙し社会を歪ませる頑強となることを私たちは忘れてはいけません)。

以下の分析を通じて、日頃から各種報道を批判的に読み比べながら考える習慣を身につけましょう。きわめて個人的な意見ですが、世界の動きや社会の情勢には無関心なまま、資格試験の得点向上だけを考えている英語オタクには公教育の英語教師になってほしくはありません。





*****



■ 6-7
確かにグローバリゼーションの時代には繁栄があったが、その受益者はもっぱらエリート層だった。


■ 8-9
経済危機が訪れると、不満をもった層はナショナリズムを唱え、自由貿易やグローバル金融や移民に制限を加えようとする扇動者を支持した。グローバリゼーションは停滞し、反グローバリゼーション (deglobalization) が始まった。


■ 11-12
この経済危機は第一次世界大戦と共に1914年に始まり、40年間にわたる移住と貿易の増加に終わりを告げた。


■ 12-14
これは、1980年台に始まり2008年のリーマンショックで停滞するまで続いたグローバリゼーションのブームと似ている。今日、グローバリゼーションはまたもや後退している。


■ 19-20
新たな反グローバリゼーションの時代が始まった。この時代はしばらく続きそうである。


■ 23-27
チンギス・カン以来、国境 (border) を越えたヒト・モノ・カネの流れは数十年周期の波で前進と後退を繰り返している。1914年に始まった後退は30年間続き、世界経済を弱体化し人々の不平感をつのらせ、やがてはそれは第二次世界大戦という形で暴発した。2008年に始まった後退はまだその力を増している。経済成長の鈍化やインフレや勃発する(国際的)衝突などの影響を自覚するべきだ。


■ 29-33
1914年と2008年の類似性は驚くばかりである。1914年以前の蒸気船と世界貿易への英国の参入は、2008年以前のコンテナ輸送・インターネットと世界貿易への中国の参入と似ている。


■ 37-41
グローバリゼーションによって引き起こされた20世紀初頭の社会的緊張 (social tensions) も現代と似ている。もっとも裕福な1%のアメリカ人の収入は1870年からどんどん上がり始め1920年代にはピークに達し、「金ぴか時代」の金権政治 ("gilded age" plutocracy) に至った。民衆の不満は広がり、1929年の世界大恐慌以降は特に政治家が国境を閉ざしがちになった。


■ 43
20世紀前半にアメリカは内向きになった。


■ 49
1930年代の最初の頃、アメリカは移民の受け入れを事実上中止したともいえる。


■ 54
国境を閉ざすことで競争と商業活動が停滞し、大恐慌 (the Depression) は長引いた。


■ 54-56
この時期のアメリカでは「アメリカが第一」 ("America First") と唱える 大衆主義者 (populist) は非主流派にすぎなかったが、ヨーロッパやアジアでは大衆主義者が軍事的独裁 (militarist autocracies) の権力を奪取し第二次世界大戦につながった。


■ 59-62
世界貿易が1914年のピークに戻るのはようやく1970年代になってからであった。資本の流れが戻ったのはそれよりも遅い1990年代である。しかしこれらの貿易と資本の流れが速くなると、それは金融危機につながることとなった。


■ 64
現在から見ると、(リーマンショックの)2008年は、(第一次世界大戦の)1914年と同じような転換点であったように思える。


■ 65-67
貿易の国内総生産(Gross Domestic Product)  に占める割合を世界的に考えるなら、1973年の割合は30%だったが、それが2008年には60%にまで上がっている。しかしリーマンショック以降は55%にまで落ちている。


■ 69-71
資本の流れについても同じように国内総生産に占める割合で考えるなら、2007年は16%であったが今ではそれが2%にまで落ちている。


■ 73-75
人の流れも少なくなっている。たしかにヨーロッパへの難民は引きも切らないが、世界全体で考えるなら貧しい国から豊かな国への人の移住は、2011-2015年ではその前の5年間から400万人減った1200万人となっている。


■ 78-81
1930年代と同じように、世界的な貿易や投資や移住の減少によって、世界経済は弱体化している。この新たな反グローバリゼーションの時代は長く続くかもしれない。その理由の一つとして、第二次大戦後のグローバリゼーションの秩序が、ロシアや中国と言った新興国での独裁者と西側民主主義諸国での大衆主義的な政治家によって攻撃を受けていることがある。


■ 84-87
2008年以来、インド、ロシア、中国、アメリカといった国々で保護主義的な政策が取られてきた。保護主義的障壁が一つの産業でできあがってしまうと、それは他の産業にも波及してゆく傾向があるので注意が必要である。


■ 89-93
1980年代に中国が世界貿易に参入して以来、中国の人口爆発によって世界貿易は加速した。原材料を、中国、後にはポーランドやメキシコといった国々に作られた工場へと運ぶことにより世界は繁栄した。2008年以前の世界貿易ブームはこれらのサプライチェーン (supply chain) の中での商品移動によるものが多かった。


■ 93-95
しかしこの流れは変わった。特に、中国が貿易への依存度を低め、中国の工場が国内での生産に乗り出したことが大きい。


■ 97-99
このグローバリゼーションの停滞の理由をオートメーションや中間層の仕事が少なくなっていることに求める者もいる。


■ 99-101
しかしテクノロジーを重視する者たちは、政治的現実 (political reality) を見失っている。今の政治的な流れは、移民と貿易に反対する立場をとっている。反グローバリゼーションの意味合いを認めなければならない。


■ 103-105
二つの世界大戦の間の時代に、反グローバル的な綱領によって国際競争が少なくなり、インフレも手伝って経済成長は弱まった。今日、大衆主義者 (populist) は国内産業を保護して富を共有することを訴えているが、これは前例の繰り返しとなるかもしれない。


■ 107-110
国内での富の再分配は、人々の収入格差を狭める健全な効果をもつかもしれない。だが保護主義が強くなれば、国々の間での富の格差は大きくなるだろう。第二次世界大戦以来、貧しい国が輸出抜きに経済発展した例はほとんどない。


■ 114-117
もっと心配なのは、国境を閉ざすことの地政学的な影響である。2008年以来、開かれたグローバル秩序がよろめき始め、民主主義国家の増加も止まった。Freedom Houseの調査では、2008年以来、自由が高まった国は60あるものの、100以上の国々で自由は後退した。民主主義国家では外国人嫌い (xenophobic) が増加し、独裁国家はより抑圧的になった。


■ 121
自由が後退している国々の政府は国境を閉ざし、軍事力を強化している。


■ 126-127
20-10年前までの軍事費は世界的にほぼ横ばいであったが、ここ10年間の軍事費は東アジアで75%、東ヨーロッパで90%、サウジアラビアで97%上昇している。


■ 129-130
第一次世界大戦で粉々に砕けた希望は、ますます相互につながった世界 (increasingly interconnected world) により、軍事衝突は過去のものになるだろうという希望だった。この希望はここ数十年間再浮上していたが、国々のつながりはほころびかけているし、緊張は広がり、「我が国こそ第一」という大衆主義 (populism) は、アメリカも含めた国々で強くなってきている。


■ 135-137
ヒト・モノ・カネのグローバルな動きはこれから停滞し続けるだろう。過去から学べることは、昼の後に夜が来るように、グローバリゼーションの後には反グローバリゼーションが来るということである。反グローバリゼーションの時代は、グローバリゼーションの時代と同じぐらい続くかもしれない。





2017年4月19日水曜日

今年の昼読はさらに多言語空間になりそうです。



今週から始まった「昼読」ですが、二回目の本日は特にさまざまな言語での読書会となりました。

参加者は院生5名、留学生1名、教員2名の合計8名。

読んだ本の言語は英語とロシア語がそれぞれ2名。あとはフランス語、ドイツ語、中国語、日本語の6ヶ国語となりました。








読書、とりわけ外国語の読書を継続することはそれほど容易ではありません。次から次に来る細々した仕事に追われて後回しにされがちだからです。

「昼読」で(外国語でのものも含めた)読書の習慣が形成されればと思います。

加えて、最後の10分間での意見交換は本当に面白いです。

世界が広がり深まります。

「昼読」は緩やかな集まりですから、ご興味をお持ちの方はお気軽に月・水・金の昼休みに教育学研究科A210室にお立ち寄りください(誰もいなくてもどうぞ勝手に入って下さい)。







留学生も含む学部生による「対話」についての振り返り



ここ最近、私はさまざまな機会を通じて「対話」の実践を促進しています。

以下は、学生間の対話を導入した学部4年生の授業(「現代社会の英語使用」)の第一回目の授業での感想の一部です。一人は留学生ですので、日本語の慣用法からは少し逸脱した書き方もしていますが、意味理解にはまったく支障がありませんでしたので、敢えて修正などはしませんでした。「慣用から少し逸脱しているとしても、これだけ深い内容を伝えられるのなら、この日本語は一つの個性として認められるべきではないか」と考えたからです。

このように母国語話者による修正を最小限に抑える方針(=意味理解に支障がでる場合や意図していない誤解を生んでしまっている場合以外は基本的に修正しない方針)については、アメリカの大学の多くのライティングセンターでは採択されていると聞いたことがありますが、自分自身でその方針についてそれほど共感していたわけではありません。ですが、今回は実際の留学生の日本語を読んで上のように感じた次第です。

もちろん修正についてはいろいろな意見があるでしょうし、文章執筆の目的によっても方針が異なるだろうことは承知していますが、今回は敢えて修正なしの方針を取りました。

ともあれ、以下の「対話」についての学部4年生の意見をお読みいただけたら幸いです。





*****


■ 個々それぞれが物事の一面しか見えていなくても、真理と連動性を全員が目指して対話をしていくと、個々の誰の考えであったものでもない、あらたな考えを創造できる。相手の言っていることが一見話題とは関係ないように思われるかもしれないけれど、連動性が頭にあれば、「それはどのように関係するの?」と質問をして議論を深めていくことができる。「相手を変えてやろう」と思っていると相手の意見を聞くことができない。

 けんかにならないように、などと思って反論しないでいると、対話にならない。傷つけない言い方ができれば、相手を思いやりつつ相手とは異なる意見を言い合えて、対話が進んでいく。

  対話ができた経験があるか、という問いに対し、私は授業や実習で授業を作るための話し合いがそれに該当するだろうと始め思った。しかし、講義中の対話で指摘してもらった通り、授業を作る話し合いは決められた時までに終わって授業を作りきらないといけないという点では、私たちが講義中に捉えた対話の在り方とは少し異なる。具体的に授業を作る話し合いの際は、時間的な制限によって妥協せざるをえない時もあるだろう。他に、わたしはサークルの運営についてサークルのメンバーと話し合うときも対話であったのではないかと思っていたが、その中にも、何月何日までに決めないといけない、など時間的な制限がついていたものがあり、それらも少し違うのだと思った。

そこで後々、対話をした経験は本当になかったのだろか、とさらに考えてみた。ずっと部活やサークルの話になるが、大学の吹奏楽団のみならず、中高の部活についても、母や運営上の関係が強い相手と部活の課題やその解決について話すことがあった。大体、そのときは明確な答えが出るわけではなくてむしろ「難しいね」などとひとまずは話を終えるのだった。そしてまたしばらくして同じ話をする。少しずつしか進展はしなかった。なかなか解決できない、という思いはあるが、いつか答えが見つかるのではないかという前向きな思いは常にあって、辛いとか悲しいといった否定的な思いにはさほどならなかった。対話ができた関係というのは、相手を信頼して安心して発言ができるし、相手も自分の意見を聞いてくれると思って発言できる関係であるから、そのような関係を持てたことはありがたいと思った。

 上司など上下関係がはっきりある相手には、反対の意見を言い出すのも難しく思われる。そういう関係でも対話を意義あるものとして成り立たせるには、上司の側に工夫が必要だろうと思う。あるいは、講義中の意見でも出たように、お互いを知らない時も、反対意見を出すことに抵抗を覚えることがあるだろう。このような時に、対話をうながす態度や話し方ができるようでありたいと思った。それらがどのようであるかということを考える際に一つ思い当たったのは、講義中の対話を見てもらって「間と話しだしの捉え方が人によりけり」と言われたことだった。間の感じ方、これだけ空いたら話せる、という感じ方は違うことを、特に他の国の方と話す時に感じたことがあったが、それは実際には国籍に関係なく生じる個人差である。発言権をバランス良く回す必要があるし、それだけでなく、質問をしたりして議論に巻き込んでいかなければより良い対話にはたどりつけないと思った。


■ 人の呼吸を感じる、という言葉が印象的だった。思い返してみると、高校の部活の試合では「よく相手の動きを見ろ」と言われた。しかし「相手が動いていないのに自分から動いていた」と試合後には同じ助言を何度ももらった。大学のサークルでは「周りの音をよく聞いて」、「口の形を見て」、と言われていたが、いつもずれてしまった。今回の授業で、人の呼吸を感じるということ、表情からその人の感情や動きを読み取る、ということはとても大切なことだと改めて思った。

アイコンタクトを取っているつもりで、何も見ていないのと一緒の時がある。人が目の前にいるのに、ただ浮かんだ言葉をそのまま口から吐き出すだけの時がある。それは討論どころかコミュニケーションですらない。話していて心地よいと感じる人の特徴は表情や言葉の表現など多くあるのだが、そのうちの一つに、自分が「しゃべりたい」と思ったときにそれを察して、すっと話してから聞き手へと自然にうつるということも挙げられるのではないかと思う。

先日教英の友達と、コミュニケーション能力が高いというのは、ただ笑って話ができるというだけではないのではないか、内容も含めて言えるものではないのか、という話をした。コミュニケーション能力の定義は様々であるが、相手意識は不可欠であるのではないか。こう言ったら、相手はどう思うか、どう返すか、話の流れはどう変わるか、そこまで少しでも見通しをもって話ができれば、相手を大切にしたやり取りが可能になるのではないかと感じた。


■ 
 対話によって、話し手と聞き手の間、意味の完全な一致は前提とされず、意味は差異があることを認めており、むしろ差異があるからこそ、新しいものを作り出すことが出来るという解釈によって、対話の本当の目指すことを考え直した。対話の中に、聞き手は普通に話し手が思っていたこととまったく同じ意味での反応をしないのは、人はそれぞれの背景と価値観を持っており、その価値観によって、自分しか持っていないスクリーンを通じで対話をしているからであろう。そして、対話の中で、自分が言おうとしたことと相手が理解したことの間の差異、本当は対話者それぞれ思考方式の差異だと考えた。その差異から生み出した同じ言葉に対して違うの理解、つまり同じ言葉について考え方の他の可能性そのものは、対話の参加者たちが創造した「共通な新たな内容」ではいかと思った。 

 理想的な対話を作るため、原則的には、対話の議題は定めないことだが、実際に対話をする時に、たとえテーマを決まっていなくても、その対話の最初の発話者によってある話題が提出したら、後の発話者もその人が言ったことあるいは議題に関わる内容しか言えないようになるのは普通だと思う。また、完全に自分の偏見を見捨てて他人に傾聴することも、あるいは自分の思うことをすべて自由に述べることも対話にとっては大切だが、そういった対話をするのがやはり実際の生活でいろいろな場面でも難しいことだなと意識思った。

 対話の参加者の間での意味に差異から何かあたらしいものが生まれてくるのように、私達が言葉にしたことと自分の本当の思考やぼんやりとしか意識できない思考過程の間にきっと何らかの差異があるのだろう。その差異によって、自分の思いに対して新しい認識を得られるかもしれない。それが、私達が言語から自分について学べることなのではないかと考えた。


■ 後半の「対話」というものについて実際に対話をして見るときには,これほど日本語で対話をすることが難しいのかと驚きました。私たちのグループの対話の進め方は,提示されている質問に対して一人一人が意見を述べていくという形でしたが,後から振り返って見れば,これは対話とは到底言えないものであったのではないかと考えてしまいます。対話とは,異なる意見・異なる背景を持った人と話し合う中でなんとなくこれが真実なんだろうね,というものへと近づこうとする試みであると考えますが,私たちが行っていた話し合いではただひたすらに自分の意見を述べるだけで,人の意見を受けて自分の考えを変えたり反論して見たりすることが一切なかったように思います。母国語で対話をすることは造作ないだろうという考えは,私たちが日本語そのものに関する知識は十分なのでしょうが,対話をする経験や意義などを持っていないことに気づいていなかったからこそ持ってしまうのでしょう。


■ 対話についてですが、自分がこれまで思っていたものよりはるかに創造的で高度な営みであるということがわかりました。今回の対話体験を通して一番心に残ったのは聞き手の「受容力」です。特に、聞き手は話し手とまったく同じ意味での反応をするわけではない、という点が印象的でした。自分がとにかく伝えているだけでは相手に伝わらない、したがって相手の理解を踏まえて(受け入れて)少しずつお互いが良いと思う方向にすり合わせていかなければならないことになります。ここで自分を押し付けたりせずに、傾聴する姿勢を持たなければ対話は成立し得ません。




追記 (2017/04/25)

母国語話者以外が書く言語について、 ある学生さんがさらにコメントを書いてくれましたので、ここに転載しておきます。

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 その言語の慣用から多少逸脱していても、それは一つの「個性」として捉えられるのではないか、というお話が印象的だった。自分自身、母国ですら完全に使いこなせているわけではないだ、ということを大学に入ってやっと痛感した。「正しい」言語とは何か、ということを母語である日本語を例に考えたとき、「詩」が浮かんだ。詩において、違和感すら与える形容詞と名詞の組み合わせや、倒置法などの不規則な語順こそが、読み手の感情を動かす個性として生きるということが多々ある。

(中略)

 言語において、母語話者が権力を持つ、ということはない。母語としない人からこそ気づかされること、学ぶことも多い。そして、外国語を通して母語への認識を深める、ということはこのようなことからも言えるのではないかと考えた。

 つまり、文化や概念の異なる国の言語を取り扱う際、それぞれの単語や語順などに対する認識には、多少ずれが生じるものであるようだ。それならば、まったく違和感のない文章よりも、むしろ、その人の持つ文化や概念をそのままに、思考を飾ることなく言葉にした文章こそが、その人の言いたかったことを最も身近に感じられる表現へとつながるのではないかと感じた。加えて、他の言語を学習する際、その言語のみでなく、それを使用する人々のもつ概念や文化についても、私たちは学んでいく必要があるようだ。