2017年9月22日金曜日

On Qualitative and Quantitative Reasoning in Validity (質的研究と量的研究における妥当性の考え方)




以下は、ある読書会に参加した際に作成したお勉強ノートです。

心理測定学の背景をもつRobert Mislevyと談話分析を得意とするJames Geeと統計的アプローチと解釈的 (interpretative) アプローチの両者を視野に入れようとするPamela Mossの間の対話に基づくこの章は非常に生産的で、私としては質的研究のあり方を確認すると同時に、(単に数字を出すだけではない)きちんとした量的研究の良さを再認識することもできました。







On Qualitative and Quantitative Reasoning in Validity

Robert J. Mislevy, Pamela A. Moss, and James P. Gee

Generalizing from Educational Research: Beyond Qualitative and Quantitative Polarization (pp.67-100). Taylor and Francis.






■ 一般化は推測である

要約:一般化とは推測である。特定の状況と時間における特定の研究対象を超えて、その他の状況や時間や対象についての解釈や決定や行為を支援する場合、そこには一般化がある。 (p.68)


■ 通時的な分析

要約:共時的な見方 (synchronic view) ではなく通時的な見方 (diachronic view) で研究をすることができる。ある時点での観察に基いて特徴を抽出し、それが研究対象の「本質」 (nature) の「真」 (true) を捉えているかという研究ではなく、特徴をさまざまな時間と空間を経て (through times and spaces) 生じた軌跡 (trajectories) としてとらえる研究である。軌跡は、観察時における研究対象が存在した時間と空間によって生み出された特徴、および、研究対象がそれまでくぐり抜けてきた時間と空間に応じて変化してきた特徴の両方を有するものである。 (p.75)


■ 「研究対象のような・・・」という一般化

要約:たとえばJanieという児童対象とした研究の結果を一般化する際には、「Janieのような」人々について推測するわけであるが、この「Janieのような」という表現が曲者 (tricky) である。それが意味するのは「女の子」「四年生の女の子」「四年生」「アフリカ系アメリカ人」「中産階級の子ども」のどれなのだろうか?妥当な一般化のためには模型的理解 (model) が必要である。(p.76)


■ 模型的理解が役立つかどうかでその妥当性が決まる。

要約:ある模型的理解(モデル)に妥当性 (validity) があるかどうかは、それが役立つか (it "works") かどうかできまる。教育理論の場合、その模型的理解を用いることによって、多くの学習者の支援ができればそれには妥当性がある。しかし、実践者は常に新しくよりよい模型的理解 (new and better models) を求めているものである。 (p.77)


■ 典型的な行動記述の文法

翻訳: 私たちの言語の文法の基盤は、「行為者(主語)が何か(目的語)に対して行為する(動詞)」である。たとえば「ジャニーがリーディングの試験を落とした」である。 (The grammar of our language is built on a pattern of ACTOR (Subject) ACTS (VERB) on SOMETHING (Object) as in "Janie failed the reading test.") (p.77)


■ 社会文化状況的な見解の文法

翻訳:社会文化状況的な見解によれば、上記の文法は誤っている。結果や成果は、複数の行為者の間での相互作用および相互作用の歴史の中から生じてくるのだ (flows from)。行為者が存在している状況。従事している活動。状況や活動およびそれらに含まれているすべての事柄についての解釈。その他の行為者による相互作用や参加。状況で利用された媒介的な手立て(対象物、道具、テクノロジー)。相互作用が生じた時間と空間。これらの混沌は「システム」と呼ぶことができる。「活動システム」 (activity system) や「行為者-行為体ネットワーク」 (actor-actant network) と呼ぶ者もいる。したがって私たちの教育研究と教育評価の文法は「行為者(主語)が何か(目的語)に対して行為する(動詞)」 (ACTOR ACTS on SOMETHING) ではなく、「結果XがシステムYから生じる」 (RESULT x FLOWED from SYSTEM) といったものであるべきだ。 (pp.77-78).
※ "actor-actant network" はある理論の一派の名称のようですが、残念ながら私はこの理論をきちんと理解していません。


■ リーディングに関する二つの見解

要約:リーディングに関する以下の二つの異なる見解がある。
(1) 「活字を解読して辞書的意味を与える。だが、この意味だけでは実際の理解をする不十分」こと。
(2) 「テクストを自分の世界理解と関連付けること」 ("relate the texts to your understanding of the world")
現状のテストはたいてい (1) のリーディングをもって「活字から意味を引き出す」(to draw meaning from print) こととしているが、現実世界でのリーディングとは (2)  を意味する。(p.78)


■ リーディングテストは、読書生活の軌跡の一点に過ぎない。

翻訳:こんなシステムを想像してほしい。リーディングテストの得点をジャニーに付けて終わりとするのではなく、ジャニーがある特定の日に特定のテストでどうだったかということが、ジャニーの読書生活・読み書き能力・学習の軌跡の(模型的理解の)多次元的な空間の単なる一点としてどのように位置づけられるかを示し、さらに、「ジャニーのような」子どもおよび他の種類の子どものそのような軌跡の(模型的理解の)多次元的な空間においてもどのように位置づけられるかを示すシステムである。そのような視点を取れば、ジェニーが受けたリーディングテストも、それ自身が彼女の軌跡における一つの出来事(読み書き能力に関する一つの出来事)に過ぎないということを実感しなくてはならない。テストが軌跡のすべての上に超越し、軌跡全体に対して「判定」を下す (judge) ことなどできないのだ。(pp.78-79).


■ 推論の三つの水準

翻訳:(a) 生徒の生きてきた時空の「軌跡」の模型的理解 (models of students' "trajectories" through time and space)。だが、生徒に関してある時点で推論をした場合、その推論はその生徒のそれまでの経験に関する知識の観点から解釈されなければならないということを認識している。(b) これらの模型的理解の模型的理解 (models of these models)。それによって、調査した生徒と似た生徒に関して推論すること -- 一般化や予測 (predictions) をすること -- が可能になる。そして究極的には、(c) 調査した生徒をその一部として含む複合的で動態的な活動システムの理論 (theories of the complex and dynamic activity systems of which students are a part.) (p.80)


■ 「偉大な」統計学者は四つの水準の相互作用を理解する

翻訳:「偉大な」統計学者は、この問題 [ある学習者のある状況での学びの様子の文化誌的 (ethnographic) 記述をどう一般化するか] に、以下に区分されている四つの水準の相互作用 (interplay) を理解することで対応しようとするだろう。
1 調査されたすべての教室でのすべての時間に生じた独自の相互作用 (unique interactions)
2 上記の場所 (location) で私たちが識別し特徴づける (discern and characterize) ことができたパターンや定常性 (patterns or regularities)。これらは質的なものでも量的なものでもあるいは両者の混交でもよい。
3 上記の第二水準の要約を含む一連のデータ (Data sets containing the summaries from Level 2)
4 確率論に基づき、上記の第三水準のデータのパターンを特徴づける模型的理解 (Probability models that models that characterize patterns in the Level 3 data) (p.87).
※ ちなみに、著者が「偉大な」統計学者として例に挙げているのは、John Turkey Edwards Demingである。


■ 「悪い」統計学者は第三水準でしか仕事をしない。

翻訳:「悪い」統計学者 (a “bad” statistician) は、第三水準のデータに模型的理解を当てはめる。そのデータを吟味することなく、模型的理解を設定し (with the data taken as is, models plunked onto them)、その模型的理解から機械的に解釈を導き出し、データに含まれていたさまざまな変数に関する総括的記述 (summary description) を行う。このような研究は、学術誌や教科書や政策決定過程 (policy deliberations) のいたるところにみられる。 (p.87)


■ 「良い」統計学者は第四水準の手法を用いて第三水準のデータに対して一種の解釈学的な分析を行う。

翻訳:「良い」統計学者 (a “good” statistician) は、第四水準の手法 (techniques) を用いて、第三水準のデータに対して解釈学的分析に相当する分析 (what amount to a hermeneutic analysis) を遂行する。研究者が知っている実質的な状況 (substantive situation) に基づいているパターンを発見し特徴づけることに確率論を用いる。さらに、そのパターンで説明できない残りの部分の中に見られるパターン、つまり私たちの理解を豊かにしてくれる実質的で意味深い新しいパターンを示唆するパターンに光をあてることに確率論を用いる。(p.87)


■ テスト得点の意味ではなく、受験者がテストで行ったことの意味およびテストが受験者に対してもつ意味

翻訳:パムとボブの二人の発言を読んだ時、私は「生徒が何を知っているのか」 ("what students know" ) (NRC, 2001) という表現(本の題名でもある)に驚いてしまった。教育における評価テストとはたいていの場合、人が -- 生徒や教師や他の人が -- 何を知っているかについて探ることである。言語と学習に関する社会文化的アプローチを取る者は、言説分析を行う者は特にそうだが、そのような問いを立てない。彼ら・彼女らが立てる問いはそれとは似ているが異なる問い、つまり「人は何を意味しているのか」 (What do people mean?) ある。いかなる人がいかなる反応をいかなる種類の評価テストでおこなったとしても、評価テストの心理学者は、「その反応が何を意味するか」 (what the response means) を問うだろう。しかし私たち、社会文化的言語の人間は、まず最初に最大の関心をもって、「その人はその反応によって何を意味したのか」 (what did the person mean by the response) を問う。同時に私たちは、「その評価テスト自体(設問や課題)はその人にとって何を意味するのか?」 (p.91)


■ 評価テストが悪影響を与える場合についても考える。

翻訳:しかし、評価テストがどのような働きをしているのか、どのような目的を果たすことになっているのか、そしてどのような目的を意図せずに果たしてしまっているのかについて問うことは重要である。評価テストは学習者自身が自分自身の学習について判断をすることの役にしばしば立っている。他の人が学ぶこと、そしてよりよくより深く学ぶことを支援しようとしている人の役に立つこともしばしばある。しかし、しばしば評価テストは、学習者と教師が必要としていることに応える以上に直接的に制度が必要としていること (the needs of institutions) に応えている。時にいい意味で、時に悪い意味で。これまで論じてきたように、推論や一般化がテスト得点だけに基いて、より詳しい視点を取って初めて明らかになる詳しいプロセスとパターンとの関連を失ってしまった時、推論や一般化に関する誤りが生じてしまう。望ましい学習とそれを支援する実践の全体像は、たとえば大規模テストの得点集計からは十分に見えることがない。それゆえ、学習活動と評価テストシステムが食い違い、個々人にとっても制度にとっても間違った解釈と意図しない不公正な結末が生じてしまうのだ。 (p.98)


■ 制度により成立している実在性によって人々の考え方が決められてしまう。

翻訳:さらに、いかなる社会政策や社会科学の研究においても起こりうることだが、人々は制度化された政策、実践、そして信条 (institutional policies, practices, and beliefs) によって直接・間接に影響を受け、それらを内在化し、自分自身や他人そして社会をそれらによって判定してしまう。 かくして、社会全体が、学習や能力や知性や価値とは何かということに関する社会的な模型的理解を、制度により成立している実在性 )institutional realities) から採択するようになってしまう。そして、制度により成立している実在性は専門家の影響を社会に伝える素材となるため (thanks to the way institutional realities mediate these professionals' influence on society) 、「普通の」人々 (people "on the ground") の人生は、評価テストの専門家と彼・彼女らが開発するテストによって大きく影響される。ジャニーの学習を支援する人々がメシック (Messik) やヴィゴツキーやガダマーが評価テストに関してもつだろう洞察について探求する時間がないからこそ、私たちが行動し行為することが倫理的な義務となるのである。(p.99)











関連記事
Generalization from Qualitative Inquiry by M. Eisenhart (質的研究からの一般化について)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/09/generalization-from-qualitative-inquiry.html


2017年9月14日木曜日

山口周 (2017) 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』 光文社新書



この本は「世界のエリート」という表現にひっかかりながらも、何となく気になって購入して電車の中で読み始めたら「当たり」でした。以来、親しい人には事あるごとに薦めていますし、この本に共感できるような人とできるだけ一緒に仕事をしたいと個人的には願っています。

非常に面白く、説得力があり、かつ引用も多いので値段以上の価値がある本だと思います。その主張のほとんどに私は賛成ですが、ただ一つ、この本では「感性」と「理性」を対立概念として扱っているところが気になります。私でしたら、「感性」(Sinnlichkeit, sensibility) の対立概念は「知性」(Verstehen, understanding) だと思うのですが、まあ、それは細かなこととして、以下に私のお勉強ノートを掲載します。※印は私の蛇足です。なおこの本はキンドルで読んだので、参照した箇所の紙の本でのページ番号がわからず、キンドル独自の位置番号を掲載しています)。



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■ VUCA

要約: Volatality, Uncertainty, Complexity, Ambiguity(変転性、不確定性、複合性、多義性)を表すVUCAが、今日の世界の状況を表している。(Kindle の位置No.142)

※ ここで私は、著者が使っているのとは異なる訳語を使っている。


■ KPIの限界

要約: 現在、企業活動の「良さ」はさまざまな評価指数=KPI (Key Performance Indicator ) で計量されているが、これは企業活動のごく一部の「計測可能な側面」に限定されている。しかし複合的な全体的システムのパフォーマンスは計測可能な側面だけで測れない。(Kindle の位置No.222) また、VUCA的な状況で合理性を過剰に求めると「分析麻痺」に陥る。 (Kindle の位置No.152) さらにいうなら、昨今、コンプライアンス違反を犯す企業の共通項は、KPIで現場の尻を叩く「科学的マネジメント」に傾斜していたという共通項をもっている。 (Kindle の位置No.890)

※ 残念ながら私が勤務している広島大学でも、今、しきりにKPIによる管理を推進している。以前、私は蟷螂の斧を承知で下のような小文を書いたが、もちろんこれだけで流れが変わるわけではない。
関連記事:「研究力強化に向けた教員活動評価項目」への回答前文
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html


■ 直感の効用と限界

要約: 論理で考えても決着がつかない問題については、美意識的な直感を頼った方がいい。(Kindle の位置No.371) だがこれは論理が不要というわけではない。論理を踏み外していていくら直感や感性を働かせてもダメである。(Kindle の位置No.392)

引用: 「高度に複雑で抽象的な問題を扱う際、「解」は、論理的に導くものではなく、むしろ美意識に従って直感的に把握される。そして、それは結果的に正しく、しかも効率的である」。(羽生善治氏のことばのまとめとして)(Kindle の位置No.946-947)

※ これは将棋指しだけでなく、数学者や実践者もしばしば言っていることである(デザイナーにいたっては言うまでもない)。もちろんこの場合の「美」とは、抽象的な理念であり、それは必要十分条件として言語化できずに、感受性でもって感知されるだけである(詳しくは別項で述べるが、ボームのいう感受性 (sensitivity) は、カントのいう感性、知性、理性のどの水準でも働くものである)。


■ アート、サイエンス、クラフト

要約: サイエンスとクラフトは非常にわかりやすいアカウンタビリティをもっている一方、アートはアカウンタビリティをもてない。 (Kindle の位置No.555) だがアカウンタビリティを過剰に重視すれば、誰でも出せるような答えしか出せないようになる。(Kindle の位置No.677) 一番いいのは、アートをトップに据え、左右をサイエンスとクラフトで固めることだ。(Kindle の位置No.684) 

※ だが日本の英語教育界も含めて、現在は、サイエンスをトップに置き、クラフトを軽んじ、アートにいたってはその存在すら忘れているような人々が権力的な立場に立ち英語教育の「改革」をしている。その一方で、学習者に慕われ、教員集団と保護者に頼られる優れた実践者は、独自の美意識に基づきアートとして実践を開拓し、それをクラフトとして熟成させ、サイエンスとして得られるデータで時折チェックもしている。私は実践は、「サイエンス > クラフト >アート」という順序意識から「アート > クラフト > サイエンス」という順序意識に変わるべきだと考えている。


■ 経営とデザイン

要約: 最近、デザイナーを重用する経営陣が増えてきたが、経営とデザインは「エッセンスをすくいとって、後は切り捨てる」という本質において共通している。(Kindle の位置No.831)

※ 経営とデザインは、さまざまな現実的制約(サイエンス的な物理的制約やクラフト的な技術的制約)の中でいかに美(アート)を追求するかという点でも似ているだろう。企業も最終的に残るのは、人々に美的な感動を与え続けている企業であろう。デザインでも、最終的に残るのは、物理的特性や使い心地で一定水準を超えているだけでなく、美しさを感じさせるものであろう。


■ ビジョンと目標・命令は異なる。

要約: 「アジアで売上トップ」などはビジョンではなく、単なる目標や命令でしかない。そこには人を共感させるような「真・善・美」がない。(Kindle の位置No.996) 

 この「真・善・美」とは「客観的な外部のモノサシ」で測られるもの以上に「主観的な内部のモノサシ」で測られるものである。その一例として、前田育男氏のリーダーシップでデザイン面で躍進し業績を回復しているマツダがある。前田氏は、マツダのデザインのキーワードを「動」「 凛」「 艶」の三つとし (Kindle の位置No.2102) それをさらに「魂動: Soul of Motion」という理念にまとめている  (Kindle の位置No.2106)。前田氏の判断基準は、「歴史に残るデザインなのか」「魂動デザイン哲学を実現できているか」 (Kindle の位置No.2174-2175) というきわめて抽象度の高い審美眼によるものである。

※ これまたきわめて残念ながら、私が勤務する大学でしばしば繰り返されているのは「世界の大学トップ100に入る」ということばである。このスローガンを聞いて鼓舞される人もいるのかもしれないが、私のような人間はそんなことばではいっこうに心が踊らない。


■ マッキンゼーの変遷

要約: 戦略系コンサルティング会社のマッキンゼーは、それまでクラフトに偏重していた企業組織の意思決定(グレイヘアコンサルティングアプローチ )  (Kindle の位置No.1135-1136) に、サイエンスによる事実と論理に基づく意思決定 (ファクトベースコンサルティングアプローチ)を導入して発展した。 (Kindle の位置No.1135)。しかしこのアプローチは、ある程度の知能をもつ人には誰でもコピーできるため、「正解のコモディティ化」 (Kindle の位置No.1154-1155) という事態が到来し、コンサルティングは過当競争にさらされるようになった。そんな中、マッキンゼーは2015年にデザイン会社のLUNARを買収したがこれは示唆的である。(Kindle の位置No.1122) コンサルティングの世界にアートを盛り込もうとしていると解釈できるからである。 (Kindle の位置No.1202)

※ この変遷は、日本の英語教育界にもあてはまる(というか、当てはまってほしい)。英語教育方法論については、当初は経験豊かな人(たいていは中高教員から指導主事などを経て大学に職を得た人)が指導するというものだったが(舶来の教授法を伝えるいわば輸入代理店的な人は除く)、1980年代から比較実験でのデータに基づく推測統計の結果を教えるやり方が普及し、少なくとも学会誌ではそのやり方が標準的なものとなった。このやり方は一定の知能があれば(最近は一定のソフトがあれば)誰でもできるものでありますます普及した。

  その中で一部の人は差別化を図り、(ざっくりとした言い方だが)1990年代は多変量解析、2000年代は構造方程式モデリング、2010年代はメタ分析などの手法で研究を始めた。だが、私の主観的な見立てに過ぎないが、多くの研究者はそういった手法の高度化に限界を感じ(あるいは単についてゆけず)、そういった「科学的」アプローチは停滞している。実践者の殆どはそんなアプローチに相変わらず無関心である(というか興味がもてない)。

 本書の趣旨からすれば、英語教育方法論についても、独自の美意識に基づくアート的な実践を重視し、それをクラフト的に整備・洗練させ、サイエンス的データでも検証するという方向に進むべきだろうが、私なりに公正を期すなら、その方向にきちんと進んでいるのかについては安心できない。

 美意識を獲得するには、幅広い教養と深い専門的献身が必要で、人間としても専門家としても長年の修養が必要である。また、アート的な成長だけではだめで、そのビジョンをクラフトの技巧とサイエンスの論理で補強するための勉強が必要である。私はそのような稀有な存在を何人か直接に知っているので、まったくの悲観はしていないが、そのような人のことを語り始めると「あの人は特別だから」などと、そんな人を目標とすることを頑なに拒む人が少なくないことには閉口している。

 ここでは「美」という理念について十分な説明はしていないし、実際、それは非常に困難だが ーこれは理念の特徴であるー、それが単なる表面的な華美さではないことはわかってもらえると思う。理想論を言うようだが、自然や芸術作品だけでなく、身の回りの道具や、日常の立ち居振る舞いや、日頃の人間関係から、抽象的な論証などのいたるところで「美」を感じるように人間的に成長しながら、英語教師という専門家としても美的な基準を求めるべきなのだろう。

 簡単なことではないが、方向性がはっきりしていることは私たちに希望を与えてくれる。









Generalization from Qualitative Inquiry by M. Eisenhart (質的研究からの一般化について)




以下は、ある読書会に参加した際に作成したお勉強ノートです。質的研究でも「一般化」はできるのだが、その際の「一般化」は、ランダムサンプリングで得られたデータで統計的に推測された「一般化」とは異なるというのが、その趣旨の一つです。

Chapter 4 (pp.51-66)
Generalization from Qualitative Inquiry
Margaret Eisenhart

From
Generalizing from Educational Research: Beyond Qualitative and Quantitative Polarization
Edited by Kadriye Erickan and Wolf-Michael Roth
Routledge



■ 「質的研究は一般化できない」という通説
要約:「質的研究は一般化できない (not generalizable)」というのが現在は主流になっているが(後に見るように (p.64)、たとえば1990年にJanet Schofieldは本章の議論を先取りするような提言をしていた)、筆者はこの通説が質的研究の規範 (norm) であってはならないと本章で主張する。(p.51)

■ 筆者が取る一般化の定義
翻訳:Ercikan and Roth (2006) は「一般化は数学的処理の特性 (a feature of mathematization)ではなく、研究された文脈と参加者を超えて推論する際の傾向性を記述する用語 (a descriptor for the tendency of inferences) である」と主張したが、私もこれと同じ見解を取り、質的研究からの一般化は可能であるしまた重要でもあると主張する。(p.52).


■ 質的研究で一般化はできないと考える人は、確率論的一般化のことばかりを考えている。
翻訳:質的研究は一般化できないと言う人の多くは、一般化の概念を確率論的用語で定義しているようである。つまり、統計的確率に基いて、標本から母集団についての一般的な主張を導き出す手続きという定義である。 (p.52)


■ 法則的一般化を考えても、質的研究では一般化は不可能と考える。
要約:Abraham Kaplan (1964) に倣い、一般化は「真に普遍的で、時間にも空間にも制約されないもの。適切な条件が充たされるならば、常にどこでも事実となることを定式化するもの」"must be truly universal, unrestricted as to time and space. It must formulate what is always and everywhere the case, provided only that the appropriate conditions are satisfied" (p. 91) と考える法則的一般化 (nomological generalization) という考え方がある (p.56)
この考えを取るとしても、質的研究での一般化は不可能となる。


■ 漸進的一般化
要約:漸進的一般化 (approaching generalization) では、確率論に基いて標本から母集団についての推論を導くのではなく、観察あるいは報告された類似性 (observed or reported similarities) に基いて、ある研究対象から他の研究対象への推論を導く。 この一般化の根拠は類似性である。研究を読む者は、この類似性について判断し、その判断に応じて一般化が適切かどうかを判断する。 (p.53)


 転用可能性
翻訳:Lincoln and Gubaは、法則的一般化 (nomological generalization) の考え方を退け、Lee Cronbach (1975) の考え方、すなわち、社会科学研究の結果は、それ以降の調査のための「作業仮説」 ("working hypotheses") に過ぎないという考え方に依拠して、「転用可能性」 ("transferability") という考え方を提唱した。これは二つの文脈の類似性 (similarity) の程度を示すものであり、一般化に代わる考え方である。質的研究者を含む社会科学者はこの考え方を追求することができるし、またそうするべきであると彼らは考えた。もし二つの文脈が十分に類似しているならば、ある文脈での知見や結果を別の文脈に転用する転用可能性は可能であると彼らは論じた。類似性の程度が転用可能性の見込み (likelihood) ということになる。 (p.56)


■ 利用者にとっての一般化可能性
要約:Merriam (1998, p. 211) は、「利用者にとっての一般化可能性」 (user generalizability) を提唱したが、これはある研究の結論が、その結論を自分が関わりその詳細を熟知している文脈においても適用しようと考える利用者が見い出すものである。(p.57)


■ 事例に基づく一般化(グラウンデッド・セオリー)

翻訳:The Discovery of Grounded Theoryという著作で、Barney GlaserAnselm Strauss (1967) は、質的研究が引き出せる別の種類の一般化を提唱した。「事例に基づく一般化」(もしくは理論) ("grounded generalizations" (or theories)) とは、絶えず比較する方法 (constant comparative method) を踏襲するものであり、次のようにして形成される。研究者は、特定の状況 (local situation) から別の特定の状況へと研究対象を移し、さまざまな時空で観察される興味ある現象を直に追いかけてゆく。研究者は、その現象が「作用している」ものすべて (everything the phenomena "touches") を調べ、新しい状況でその現象に出会う度にそれを以前の現象の観点から記述し解釈する。こうして研究者は、これまでの情報すべてに適うとりあえずの仮説を形成し、さらに新しい状況では何が明らかになるかを予想する。この過程において、研究者は意図的に否定的な事例、すなわち今、出現しつつある仮説の変更や拒否を迫るような状況を意識的に探し出す。現象の新たな例、特に仮説が間違いであることを示すかもしれないような例ですらも、これまでに形成してきた仮説で説明できない情報を生み出さないようになるまで研究者はこの過程を続ける。こうして得られた最終仮説が、事例に基づく一般化もしくは理論の命題となる。 (p.57) 
※「グラウンデッド・セオリー」という用語が日本では定着していることは知っているが、私は「カタカナ語の乱用は適切な理解を阻害する可能性が高い」と信じているので、ここではあえて「事例に基づく理論」「事例に基づく一般化」と訳した。ただ、「○○に基づく」を「事例」とするか「データ」とするかについては若干迷った。


■ 理論的一般化がもっとも重要
要約:筆者は理論的もしくは分析的一般化 (theoretical or analytical generalization) がもっとも質的研究や教育研究にとって重要だと考えている。(p.59)


■ 理論的一般化
要約:質的研究の結論は、結論をより大きな集団に拡張的に一般化されるというよりは、ある特定の理論的論争の文脈の中で一般化される (generalizable in the context of a particular theoretical debate)(p.59)


■ 理論的一般化は、新しい事例でその理論を洗練させる
翻訳:理論的一般化 (theoretical generalization) を追求するために、新しい集団や場所を選んで研究を行われるが、その選択はその新しい事例が何か新しく異なることを明らかにしてくれる見込みに応じて行われる。この新しい現象が理論化されたら、さらなる差異や変異をもたらす事例が追加されて一般化可能性 (generalizability) が試される。一般化の基盤になる事例の選択はランダムなやり方でも母集団をうまく代表するようにサンプルを取るやり方でもない。選択は、選ばれた事例が理論を確固たるものにする、洗練させる、もしくは反駁する見込みの度合いによってなされる。 (p.60).


■ 理論的一般化と事例に基づく一般化の違い
要約:理論的一般化と事例に基づく一般化の過程は確かに似ているが、両者は求めていることにおいて異なる。理論的一般化が求めていることは既存の理論をより洗練させ鋭敏なものにすることであり、事例に基づく一般化がもとめているものは新しい理論や説明である。(p.60)