2007年7月30日月曜日

尹雄大(ユン・ウンデ)著『FLOW──韓氏意拳の哲学』冬弓舎 1/7

0 はじめに

 韓氏意拳の光岡英稔氏と、武術家の甲野善紀が共著で著された光岡英稔・甲野善紀(2006)武学探究 巻之二 ----体認する自然』(冬弓舎)を一年数か月前に読んだ時、私は本当にその本の内容に引き込まれてしまい、この本を自分なりにまとめておかないと、なんだか先に一歩も進めなくなるような気すらして、旧ホームページにまとめの記事を書きました。

 しかし「まとめの記事」として、自分なりに英語教育の事象と絡めながら書いたその文章ですが、大半は同書の紹介となったので、著作権を尊重するために、後日、その記事は自主的に撤去しました。それでも、その本のインパクトは私の中で残り続け、ある論考をまとめるにいたりました。とはいえ、この論考とて、光岡氏と甲野氏の論考とマイケル・ポラニーの論考の親近性を指摘し、そこから得られる英語教育研究への示唆を書いただけに終わってしまいました。


 自ら何のオリジナルな貢献もできない自分にほとほと嫌気がさし、私はしばらく韓氏意拳のことを考えることを拒否しました。この『FLOW』の本も発刊されたらすぐに購入はしたものの、わざと私の目の届かないところにおいておりました。深い思想を、一知半解の俗見に変えてしまった自分が嫌で嫌で仕方なかったからです。

 しかしやはり韓氏意拳の思想は気になります。先日、といっても二、三か月前のことですが、今の自分なら読めそうだと、本棚からこの本を取り出しますと、はたせるかな、一気に最後まで読み通しました。そうしてまたこりもせず、この本を自分なりに咀嚼しないと我慢できないという衝動にかられました。以下は、同書の論考の中で私に響いたところを、私なりに再構成したものです。包括的な要約などではありません。少しでも同書に興味を持った方は、ぜひお買い求めください。

 さらにお断りを付け加えておきますと、私はこれまで漫然と空手の稽古を続けたりしておりましたが、まったくものになりませんでした。ですから身体運動についてはごくごくわずか「かじった」ぐらいです。そのような人間が身体運動哲学のこの本について何か書こうとするのは、まさに一知半解以下のまことに愚かな行為です。ですが、私はその愚かなレベルから始めないと何もできないので、このように文章をまとめた次第です。

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