2007年8月3日金曜日

Exploratory Practiceの特質と「理解」概念に関する理論的考察 3/5

2 [主張] EPの実践性について

EPは、英語教育研究観、研究者と実践者の関係、学習観、学習者観、教師観をより実践的なものにする研究である。このことを理解するためには、EPとは何であるかを理解しなくてはならない。

(1) EPの歴史

 EPはSRとARを受けて主としてDick Allwrightが提唱してきたものだが、その歴史は、大きくは(a)EP以前の時代(1980年代後半), (b)ブラジルでの誕生 (1980年代中頃から後半), (c)技術者的発想への後退(1990年代前半), (d)実践者研究としての認知へ(2000年代)に分けられる。

(2) EPとARの関係

 ARは、日本の英語教育界では「仮説検証型」、日本語教育界では「課題探究型」であることが多い(横溝 2004)が、その位置づけは下図のように表現できる。


Scientific Research—Action Research – Exploratory Practice

仮説検証型AR – 課題探究型AR

2.1 [理由] SRとARとの対比

EPはSRともARとも異なる。

[根拠] 応用言語学の文献の検討

Scientific Research

Action Research

Exploratory Practice

隆盛時期

1980年代

1990年代

2000年代

目的

一般法則定立

問題解決

理解の深化

方法

実験計画法

準実験デザイン

定めない

重視すること

厳密性

説明責任

Quality of Life

結果

規範提示(prescription)

記述(description)

相互の成長

世界観

一般的因果性

個別的因果性

個別的複雑性

学問的背景

個人心理学

教育工学

生態学的言語習得論

学習観

認知行動

仕事

Life

研究期間

横断的に短期

縦断的に中期

持続可能に恒常的

学習者

データ提供者

「問題」

協働実践者

研究者

三人称の中立的存在

一人称の単数

一人称の複数

研究者と実践者の関係

研究者が実践者を指導

実践者が研究者になる

実践者が探究的になる

研究の主な公表対象

学会誌

利害関係者

当事者および当事者に共感する者

デメリット

教育への介入が過剰になる

アクションの自己目的化・過剰負担化

自己満足に終わりかねない

表1 SRとARとEPの対比


2.2 [理由]  EPの「理解」概念

EPによる理解は、SRの法則定立や、ARの問題解決よりも、実践に深く根ざしている。

[根拠]  ハイデガー存在論 (ただし訳語にはオリジナルも使用)による解釈。

もしEPでいう「理解」をハイデガー的に解釈すれば、次のような議論が可能である。

《理解》(Verstehen)(後述)こそが、法則定立や問題解決に先立つ

・伝統的認識論では、デカルトのように「我思考ス、我存在ス」のように、主観を確固たる基盤として、その主観と、データとして与えられる客観が一致することが「真理」だと考えられていた。「真理」は《陳述》(Aussage)される。

・しかしハイデガーはそのような伝統的な認識論は転倒していると考えた。

・ハイデガーは、存在しているものは、《世界内存在》(In-der-Welt-sein) であることを強調した。《世界内存在》という合成語は、存在が、幾重にも構造的に結びつけられた統一的現象であることを示している。その結びつきは《関わり》 (Sorge)と呼ばれる

・《世界内存在》は、《関わり》の違いにより、《道具的存在》(Zuhandensein)と《事物的存在》(Vorhandensein)に分けられる。《関わり》の元である私たちは《現存在》(Dasein)と呼ばれる。

・《道具的存在》とは、《関わり》(正確には《対物的関わり》(Besorgen))により、私たち《現存在》とのかかわり合いが自ずと示されている存在である。ギブソンの用語を借りるなら、私たちのまわりの《道具的存在》は、「アフォーダンス」(affordance)により潜在的かつ典型的な行動が誘発される存在である。このようなかかわり合いの網の目(《道具全体性》(Zeugganzheit))の中にいるのが私たちの通常のあり方である。

《事物的存在》とは、《関わり》(《対物的関わり》)が欠損した、特殊な捉えられ方をした存在である。科学においては、「客観性」のため、このように《関わり》(《対物的関わり》を方法的に排除した認識を選ぶが、これにより私たちの《世界内存在》性は大きく損なわれてしまう

《理解》とは、この《関わり》が、「現にそこに」(Da)《開示されていること》(Erschlossenheit)である。《理解》とは、《現存在の存在の根本様態》(Grundmodus des Seins des Daseins)である。《理解》とは、私たちが諸々とのかかわりを実感して生きていることである

・この《理解》こそは、私たちの存在の基盤であり、《現存在の開示性》こそが「最も根源的な意味における《真理》(Wahrheit)」であるとハイデガーは説く。

・この《理解》を軽視した研究は、学習観、学習者観を私たちの現実感覚や実践感覚から離れた特殊なものにしてしまう。


用語名

定義

解説

《世界内存在》

《事物的存在》

《関わり》が欠けてしまった存在

自然科学により認識された対象

《道具的存在》

《道具全体性》の中で《関わり》あっている存在

私たちの日常的生活の中で出会われるもの

《現存在》

他の《世界内存在》に《関わり》をもつだけでなく、自分自身に《関わり》をもち、ある態度をもち、《実存》する

私たちのあり方が、「現にそこに」、《開示されて》、《理解》されている

表2 《世界内存在》

⇒SRは、英語の学びを、《事物的存在者》としての「言語」が、これまた《事物的存在者》に過ぎない脳にいかに獲得されるかという問題に還元してしまう。

⇒ARも、「うまくゆかない」学習者を、彼/彼女なりに、《関わり》を持とうとしている存在として捉えずに、もっぱら教師だけが《現存在》として、彼/彼女を機能不全の《道具的存在者》として「問題視」し、その「問題」を解決しようとする発想を取ることがある。

⇒研究とは、現実を非現実化することではなく、現実を、できるだけ現実に忠実に解明するものと考えれば、《理解》を目指すEPこそが実践性からすれば最も望ましい研究のあり方と考えられる。

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