2007年11月23日金曜日

田尻悟郎氏実践のルーマン的解明の試み5/8

3 ルーマンのシステム理論(個人主義的アプローチによる理解)

3.0.1 ルーマンは「私たちは他人の頭の中への直接介入や直接操作ができない」という前提をもつシステム理論を発展させた。以下、彼のシステム理論に基づく彼のコミュニケーションについての考えを簡単に述べる。ルーマン独自の用語には《 》をつけて表記する。

3.0.1.1ただしここでのルーマン解釈は、発表者が『社会システム理論』の翻訳を理解できた限りにおいてのものである。1984年の『社会システム理論』はルーマンの主著であるが、彼の理論はその後も発展しており、この発表ではその発展を捉えていない。したがって後年のルーマンが頻繁に使用しなくなった用語もこの論には含まれている。『社会システム理論』においても、発表者は解釈に彼なりの全力を尽くしたが、この解釈の正統性を確証するまでの研究は残念ながらできていない。ここでのルーマン解釈はせいぜい初歩的なものにすぎない。

3.0.1.2さらにここの解釈は、コミュニケーションをもっぱら個人の意識の観点からとらえている。これはコミュニケーションを《社会システム》としてとらえるルーマンの理論構成からすれば、全く裏側のアプローチである。だが発表者は、個人心理学に基づく言語学および応用言語学を基本的な考え方とする英語教育関係者には、この裏側からのアプローチの方が理解容易だと考え、《社会システム》からのコミュニケーションの論考は、今回は断念する。

3.1 私という意識は、一つの《心理システム》 (psychic system) である。

3.1.1 《心理システム》は「オートポイエーシスシステム」 (autopoiesis system) である。

3.1.1.1 「オートポイエーシスシステム」とは、「自己準拠」 (Selbstreferenz; self-reference) および「自己組織性」 (Selbstorganisation; self-organization) に基づくシステムである。

3.1.2 私の意識という《心理システム》は、オートポイエーシスシステムとして、自ら(=私の意識)に依拠し、自らを要素として、自己構成を自ら継続的に再生産している。つまり、私の意識は、今までの私の意識と接続している限りにおいてしか新たにならない。この意味で、私の意識という《心理システム》は自己再生産の継続という作動において《閉鎖的》である。

3.1.2.1 しかし、《心理システム》が作動的に《閉鎖的》であるということは、《心理システム》が、それ以外のものとまったく無関係に単独で存在することは意味しない。

3.1.2.2 私の意識という《心理システム》にとって、それ以外のものすべては《環境》 (Umwelt; environment) と呼ばれる。他人の意識というもう一つの《心理システム》も、私の意識という《心理システム》にとっては《環境》にすぎない。しかし《環境》は、《心理システム》に外からの影響を与えうる。

3.1.2.3ある《心理システム》と他の《心理システム》とが互いに他方の《環境》となっている場合に、ある《心理システム》が、他方の《心理システム》が新たに編成(自己準拠的に自己組織化)されるために、その《心理システム》の複合性 (Komplexität; complexity) を、《環境》の側から提供する場合、それは《浸透》 (Penetration; penetration) と呼ばれる。《浸透》において、ある《心理システム》は、それ自身以外の《環境》と《結合》(Bindung; binding)する。

3.1.2.3.1 この本来は互いに《環境》であるはずの二つの《心理システム》が、他方の複合性を契機に、それぞれに自己準拠的に自己組織化することを、本論ではコミュニケーションと定義する。誤解を怖れず単純に言いなおすなら、コミュニケーションとは、発話を外的な契機として、お互いがそれぞれに変容することである。聴者が、話者の発話によって、聴者なりに変容することはもとより、話者も、自分が発した発話を観察することにより、話者自身も変容を示す。

3.1.2.3.2 聴者という《心理システム》は、発話という自分以外の《環境》と、聴者なりに《結合》し、その《結合》により聴者という《心理システム》は自己を再生産する。だが、その際に話者という《心理システム》が発話による《結合》を通じて、全面的に聴者という《心理システム》に入り込んだわけではない。聴者という《心理システム》にとって、話者という《心理システム》は《環境》の一部であり、自己以外のものである。《心理システム》は《環境》の一部を、あくまでも外的な契機として影響を受けるだけであって、自らが自らなりに変化するだけである。

3.1.3 この《環境》との《結合》において、《心理システム》は、オートポイエーシスシステムとして作動的に《閉鎖的》であると同時に、《環境に対する開放性》を持っているといえる。

3.1.3.1 オートポイエーシスシステムの自己準拠とは、いかなる場合にでも自己を拠り所とするように指示すると同時に、自己以外のものを参照するように指示する自己準拠である。オートポイエーシスシステムは、自己の参照と自己以外の参照の差異を用いてシステムの自己再生産を可能にしている。

3.1.3.2 しかしこの《環境に対する開放性》は、《心理システム》が自らに、自らの要素として接続可能であると選択したものに限られている。《心理システム》が《環境》に対して自らを開くとき、《心理システム》は自己を観察し、新たな自己の要素を選定しそれを今までの自己要素と連動させ組織化する。《心理システム》の自己準拠は、この意味で自己観察であり、自己観察に基づく自己組織化である。

3.2《心理システム》は《環境》に対して無限に開放されているわけではない。もしそのように無限に開放されたら、《心理システム》に莫大な複合性が生じ、その《心理システム》は自己準拠も自己組織化もできず、崩壊してしまうであろう。

3.2.1 こうなると「学習」とは、《環境》からの情報が、ある《心理システム》において部分的な構造変動を促し、しかもその《心理システム》の自己同一化が壊されないことを言う。逆に言うなら、自らの自己同一化を破壊してしまうような学習を《心理システム》は通常はしない。

3.2.1.1 意識のオートポイエーシスが破壊されそうな時、《心理システム》はしばしば身体において強烈な感情を経験する。この点で感情は、《心理システム》の免疫システムになぞらえることができる。感情は、《心理システム》が《環境》との多大な《結合》によって崩壊の危機にあることを知らせる警告サインである。この意味で、感情は《心理システム》の自己同一性に関する自己解釈であると言える。

3.2.2 学習は《心理システム》というオートポイエーシスシステムの内での出来事である以上、オートポイエーシスシステムの中には、その学習を可能にするような何らかの知識が前提的に存在しておかなければならない。

3.2.2.1 言語は《心理システム》と《環境》の《結合》において決定的に重要な役割を果たす。学習の前提となる知識においても言語は重要な役割を果たす。

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