2007年11月23日金曜日

田尻悟郎氏実践のルーマン的解明の試み8/8

6 結論

6.1 よい英語教師をつくる基本は、的確なコミュニケーション理解に基づいて行われる、英語教師の毎日の中での様々なコミュニケーションであることを田尻実践は示している。

6.1.1 よい英語教師は、日本語と英語の多彩な使い分けによって、(1)教室内外での生徒とのコミュニケーション、(2)学校内外での同僚教師とのコミュニケーション、(3)学校外での他人とのコミュニケーション、(4)一般メディア(本・新聞・テレビ・映画など)を通じてのコミュニケーション、(6)生活を通じての環境とのコミュニケーション、などの様々な場面において、自らを超える《環境》と、自己観察と自己省察を通じて接点を見い出し、新たな自分の可能性を実現している。よい英語教師は、生徒を内から変えようとし、自らの立場を柔軟に変容させ、自らの言動を常に観察している

6.1.2 よい英語教師は、それが英語指導の場面だろうと生徒指導の場面だろうと、教育内容についてだろうとそれ以外のことであろうと、日本語を使用する場合だろうと英語を使用する場合だろうと、生徒とのコミュニケーションを継続し発展させるということを最優先している。

6.1.2.1 そのコミュニケーションの持続こそが、教師と生徒をそれぞれ自分なりに変化させ成長させる。

6.2 機械通信に適用すべき情報理論であるコードモデルを、人間のコミュニケーションに適用してはならない。

6.3 私たちのコミュニケーション理解は、関連性理論、およびルーマンのシステム理論などによって、より洗練されなければならない。

6.3.1 教師は、自分は決して生徒の頭の中に直接介入・操作ができないことを自覚しなければならない。

6.3.2 教師は、自らの最善とは、生徒とのコミュニケーションを切断せずに、創造的刺激を与え続け、生徒が自律的に内から変わることを促進することであるを自覚しなければならない。

6.4 田尻実践といった優れた実践に接しても、私たちはそれを特異なものだとして、その実践とのコミュニケーションを絶ってしまうのではなく、個性的な実践の中に普遍性を見い出そうと試みなければならない。

6.4.1 田尻実践という個性的実践が「優れた英語教育実践」と普遍的に概念化された時に、田尻悟郎という特定の個人は、英語教育にとっての「救世主」であるという考えから解放される。(英語教育界は田尻悟郎に頼り過ぎてはいけない)。

6.4.2 英語教育が変わるのは、英語教育の内側からである。英語教育の改革は、それぞれの英語教師が、それぞれの《環境》と可能な限りのコミュニケーションを継続し、自らをより複合的に自己組織化することから始まる。

6.4.2.1 自己組織化を継続する英語教師が、互いにコミュニケーションを始め、英語教師の《社会システム》を密にする時、英語教育界は他の《社会システム》という《環境》とも適合的に対応できるようになる。

6.5 自らの処理能力を超えるような高い複合性をもった《環境》に出会った場合、私たちは自らの《心理システム》の崩壊を防ぐことを優先し、それがかなう限りの範囲でその《環境》と少しずつ接点を見出し、コミュニケーションを絶やすことなく、少しずつ自己をつくり変えてゆかなければならない。ここでもコミュニケーションの継続がなしうる最善のことである。

6.6 「何がよい英語教師をつくるのか」という本論の問いに、私たちは以下の普遍的な回答を与える。

6.6.1 必要なのは英語教師である自分とその《環境》、およびそれらの間の絶えざるコミュニケーションだけである。

6.6.1.1 絶えざるコミュニケーションにより自分はますます複合化し、《環境》のより大きな複合性にも対応できるようになる。

6.6.2 コミュニケーションを契機に複合化された自分は、複合的な《環境》に対しても、必ずしも自分でも予想していなかった対応ができるようになる。

6.6.2.1 この対応力は、一方的に誰かがあなたに「教え込む」ことができるものではない。

6.6.3 あなたは、あなた自身を崩壊させない限りにおいて《環境》とコミュニケーションを続けることによってしか変わらない。

6.6.3.1 コミュニケーションの継続により、あなたはあなたが知らなかったあなたに成る。それが「あなたらしさ」である。「あなたらしさ」とは潜在的可能性を秘めた顕在的現実、つまり自己同一性を失わないままに変わりうるものである。

7 本論は発表者の現時点での能力の範囲で、田尻実践といった優れた実践から学ぼうとしたものに過ぎず、数々の不備を備えている。しかし、重要なのは完璧な理論を求めてそれがかなえられず失望することでなく、どんな理論的試みからも、何らかのコミュニケーションを継続しようと試みることである。この点で、発表者は、ここまでこの論を読んだ読者の忍耐に感謝し、さらなる寛容を希いながら、全面否定も含めた読者からの何らかの反応を望むばかりである。反応というコミュニケーションこそが私たちを育てる。


主要参考文献

Sperber, D. and Wilson, D. (1995). Relevance: communication and cognition. Blackwell.
柳瀬陽介 (2006). 『第二言語コミュニケーション力に関する理論的考察』.溪水社
ルーマン、二クラス著、佐藤勉監訳. (1993). 『社会システム理論(上)』. 恒星社厚生閣
ルーマン、二クラス著、佐藤勉監訳. (1995). 『社会システム理論(下)』. 恒星社厚生閣

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