2007年12月29日土曜日

『オキナワを歩く/元白梅学徒隊員沖縄戦を語る 学生は何を見何を感じたか沖縄戦跡巡礼の3日間』

沖縄のいわゆる「集団自決」(以前の言い方なら「玉砕」。ある人々の主張では「強制集団死」)に関しては、今年、教科書検定での教科調査官による記述削除の検定意見、それに抗議しての沖縄での県民大会、その大会参加人数に関する論争、検定意見の再修正、それに関する論争などと激しい動きがありました。私の邪推に過ぎませんが、この揺れ動きの背後には、参議院選挙での自民党の敗退、安倍首相の急失速的退陣などの要因があったのかもしれません。

しかしこれらの動きや論争で、どのような立場をとろうと、どのような意見を持とうと、戦争によって、無実の人がむごたらしい生き地獄に落とされ、多くの人が命を失い、生き残った人々も深い傷を身体と心に負い続けなければならないことに反対することでは一致するはずです。

我々が生身の人間である限り、戦争というのがどれほど言語に絶する悲劇をもたらすのかということは、戦争の事実を知る限り否定のしようがありません。

戦争は起こしてはいけない。一度起こしてしまった戦争を止めることは、恐ろしく困難であることは、ベトナム戦争時の国務長官であったロバート・マクナマラもドキュメンタリー映画 “Fog of War”で証言している通りです。


歴史の事実に学ぶ限り、戦争がいかに人間を蹂躙するか、そして戦争は一度起こるとどれほど止めがたいかということは、イデオロギーや考えの違いを超えて、私たちは共通に合意できることではないでしょうか。

しかし、私たちは(私も含めて)おそろしく歴史の事実を知らない。というより知ろうとしない。目の前の仕事あるいは快楽に自分を埋没させてしまう。しかし長期的に考えれば、私たちが戦争をできうる限り引き起こさないこと、一度起きてしまった戦争はできうる限り速やかに集結させ、外交的・政治的手段での解決にもってゆくことを学ぶことほど大切なこともないのかもしれません。

このDVD付きの小冊子は、広島経済大学の岡本貞雄先生のゼミ生が沖縄戦跡を三日間歩き通し、戦争の悲劇を少しずつ学び、そして元白梅学徒退院の中山きくさんの証言を得るまでを記録したものです。メインはDVD映像と言えるかもしれません。ぜひ中山きくさんの事実だけを語る、凛とした証言と、ゼミ生の静かな変化の様子を見てください。


多くの中高生が修学旅行で沖縄を訪れます。その中で、沖縄の史実に学び、戦争と平和といった大きなレベルだけでなく、日常生活のいじめを防ぐなどの身近なレベルでも成長する中高生もいれば、戦跡の前でにやけたピースサインで「イェー」と言いながら写真に写る中高生もいます。沖縄に修学旅行に生徒を連れて行く先生方は、ぜひこの1000円あまりの小冊子つきDVDを買ってご覧ください。

もちろん教師だけでなく、私たちが沖縄を含む日本国に住む限り、いや、私たちが同じ生身の身体を持ち、むごたらしく殺されることを拒む人間である限り、ぜひぜひ機会を見つけてこのような歴史の事実に学びましょう。

私自身歴史を知らない人間として、このような小文を書く次第です。

→オンライン購入は、たとえばこちらで。

2007年12月21日金曜日

松井孝志先生のブログ 大学入試、および「教育学博士」について

敬愛する松井孝志先生のブログ「英語教育の明日はどっちだ!」を私は愛読していますが、2007/12/20の記事Anniversaryは特によかったと思いますので、このブログでも紹介させていただきます。
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20071220

(進学校での)高校教育の最終目的を大学入試問題への対策とするのではなく、

もっと得体の知れない、出口がどこにあるのか、そもそもゴールを目指しているのかも怪しいような足取りの中で藻掻き苦しむ間に入試というハードルを既にクリアーしている


ことするように取り組む、というのは至言だと思います。



また「教育学博士」について、スタイナーを引用した上で、

私の師匠は「大学で学ぶことは須く机上の空論で良い」と喝破した。「その論が何故、現場で窒息するのかを身をもって体験する」ことを私(たち弟子)に求めていたのだと思う。では、「教育学博士」は教室に何をもたらしてくれるだろうか?紋切り型ではないとはいえ「答え」を求めている時点で、すでに泥沼に嵌っているのかもしれない。問い続けることにこそ意味があるのだろう。


と述べておられます。「実践」と「学問」の安直な同一化を図って両者を駄目にしてしまうのではなく、両者の矛盾と緊張関係を我が身に引き受けながら、「実践」を行い、「学問」を行い、両者をそれぞれに進化させることが必要ということを、松井先生は師匠の(反語)表現に読み取っている、と私は解釈しました(間違っていたらごめんなさい)。

もちろん「(英語)教育学」といった分野では、この「実践」と「学問」の間の矛盾と緊張を忘れたままに、ひたすら片方だけに安住することは目指すことではないといえるでしょう。分断化でもなく、同一化でもなく、他方の存在を痛みとして感じながら一方に従事し、また次の時にはその役割を交換して、両者の間を往復し続けることが必要なのかもしれません。

上記ブログ、ぜひお読みください。

2007年12月18日火曜日

田尻科研シンポに寄せられた感想(その7)

 田尻科研シンポにさらに寄せられた感想をご紹介します。田尻科研メールアドレスのチェックを怠り、掲載が遅くなったことをお詫びします。もしまだご感想をお寄せになりたい方がありましたら、yosuke@hiroshima-u.ac.jp にお送りくだされば幸いです。
 あ、それからF先生、満月の印象ありがとうございました。また、U先生、その通りです。私たちは「めちゃくちゃ,楽しかった」です。

*****

H県のF先生のご感想

 遅くなりましたが、感想は絶対書こうと思っていたので今書いている次第です。
すでに柳瀬先生のHPで感想を数点見ているのですが、私なりの感想を脈絡なく挙げてみます。

 個人的に、田尻先生の講演はこれで3年連続になります。時期も同じ11月です。最初の2回は広島国際大学人間環境学部主催のものでした。無料でしたので、交通費だけで受講できました。

 2回目は1回目よりも時間が随分長くなっていましたが、それでもまだ聞きたかったです。

 今回の田尻先生のレジュメの最後に、"The Long and Winding Road"がありましたが、時間切れでカットとなりました。1回目か2回目だったかよく覚えていませんが、"Happy Xmas (War Is Over)"がありました。このときも時間切れでしたが、質疑応答のときに思い切って「田尻先生ならこれを使ってどう授業するんですか」と聞いたところ、わざわざ時間を割いてやってくださいました。私も授業で英語の歌を鑑賞するのですが(自分の持っているCDからなのでどうしてもハード・ロック中心ですが)、たまたま前年にこの曲を扱ったので特に興味がありました。「王様」のCDまではできそうでしたが(今年もやっています)、その後のNew Yorkの"Yes. I Want It."の映像にはたまげました。今回も聞きたかったなあ。

 ライフヒストリーでよくわかったのですが、ポプコンか何かのコンテストでグランプリを受賞するほどまで音楽を極めているのならば、あんな授業ができて当たり前です。私などは、ごく個人的にエレキギターを弾いてハード・ロックしているにすぎないので、恐れ入りましたという瞬間でした。電子ドラムも買ったので、田尻先生のごとく練習に励もうと思っています。

 大津先生の小学校英語シリーズはもちろん、『英語学習7つの誤解』をちょうど読み終えた頃だったので、直接お会いできて、お話が聞けてよかったです。MITでChomskyじきじきにPh.Dを取得された話、変形生成文法を大学院でかじった私にとっては、まさにヒーローとなりました。

 柳瀬先生は英語教員ブラッシュアップ研修の初年度に講義を受けて以来のファンです。達人セミナー、H県英語部会などことあるごとにお目にかかっています。達セミではペアワークの相手もさせていただきました。先生の集中入出力訓練は5年前から授業改革の中心になっています。今回のルーマンの理論を用いて田尻先生を切る手法、いかにも柳瀬先生らしかったです。HPで原稿をゆっくり読むつもりです。

 田尻先生がものすごいのはよくわかるのですが、私はいろんな先生の話や実践がミックスして、自分なりの解釈を加えて試行錯誤している感じです。情熱という意味では、どの先生もすばらしいので、講演を聴くたびに気合が入ります。「教育は愛だ」なんて昔はこれぽっちも思いませんでしたが、今はまさに愛だと思います。

 最後に、すばらしい教師は生徒の「心に火をつける」はドアーズですよね。昨日プロコル・ハルムの「青い影」の特集を見ていて(やっと)気づきました。

 最後まで行こうかどうしようか迷ったのですが、行ってよかったです。こんなに全国から集まっていたことを知ると貴重な一日だったんだと改めて思います。帰りに見上げた空の満月が印象的でした。



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H県のU先生のご感想

柳瀬先生はじめ,科研シンポジウムに関わった皆々様

まず,広島という場所で,あのようにすてきなシンポジウムを開いてくださったこと本当に感謝します。ありがとうございました。

 科研シンポジウムからはや3週間が経ちました。シンポジウム当日は,とにかく「楽しかった~」。いろんな話が聞けたことはもちろんですが,あの場にいただけでパワーをもらえたように思います。それは,発表された先生方が本当に楽しそうだったことも関係があるんだろうなあと思います。めちゃくちゃ,楽しそうでした。

 その後3週間,折に触れてあのときの話,実践を思い出し,最近は自分の現場にあわせてどう参考にできるか,具体的に考えているように思います。私は日本語を教えていますが,田尻先生の実践で紹介してくださったことの根底にあるものは,言語や教科を超えていると思います。田尻先生の話を思い出すたび,「学習者」ではなく教師(自分)・学校・教える内容などに起因する様々な問題点が浮かび上がり,反省しまくっております。

 が,そこはシンポジウムを聞いた者ですから,田尻先生になろうとはしていません。どこまでいっても,要は「自分」。できない猿真似をしても仕方がない。自分なりに,今の状況や今の自分の力(ちっぽけです)で何ができるか考え,その中で最大の努力をする。それしか方法はないんだろうなと思います。(「しか」と書きましたが,それ「すら」大変なことです)誰でも初めからできる人はいないし,誰でも初めから優れた教師であったわけではない。その言葉を胸に,少しずつ前に進めたらいいなあと思います。

 語学でも,教科でも,なんでもいいから,それに触れた人が少しでも「楽しい」「幸せ」と思えるような時間を作れるといいなあと思いました。田尻先生の実践をみても,シンポジウムを見ても。

 またいつかどこかで,あのような楽しい時間が持てますように。来年6月の沖縄でも田尻先生のセミナーがあるとか。行きたいです。本当にありがとうございました。

2007年12月13日木曜日

ジョークと芸術:ピーター・バラカン的作法

音楽愛好家・ブロードキャスターとして私が敬愛してやまないピーター・バラカンさんが、教会で暴行を受けたというニュースは、私をひどく憤慨させたことは私の音楽ブログ「音感」に記した通りですが、 “Every cloud has a silver lining”です。少なくとも二つのことは私に喜びを与えてくれました。



一つは上のブログでも書いたバラカンさんのジョーク。私もあのような状況でこんなジョークが言えるようになりたい。

二つ目は、ドキュメンタリー映画《Peace Bed アメリカ Vs ジョン・レノン》のことを知ることができたこと。


この事件がなければ、私は多忙な毎日の中でこの映画の存在を知ることもなかったでしょう。

まあ、これも何かの縁でしょう。私は少々無理してもこの映画を見に行きます(ハイ、こうなりゃ、意地でも見に行きます)。全国各地で(広島なら例えばサロンシネマで)上映されます。皆さんも、ぜひ見に行きましょう。


反知性的な暴力には、ジョークで、芸術で対抗しましょう。

皆さん、よいクリスマスを

2007年12月6日木曜日

田尻科研シンポに寄せられた感想(その6)

I県O先生のご感想

柳瀬陽介様

先日田尻先生のシンポジウムにI県から参加させていただいたOと申します。とても濃密で、濃い時間をすごさせていただき、ありがとうございまし た。

一番胸に残ったのは、田尻先生の「プロとしてのすごみ」とでも言うべ き厳しさです。

人を愛して、子どもを愛するからこそ、出会った子どもたちとの時間を 少しでも無駄にすまいというようなお気持ちが伝わって参りました。

それを自己犠牲的に破壊的に突き進めるのではなく、(本当の事は見え ないのですが)田尻先生ご自身が自然体で子どもたちに安心感を与える存在でありつづ けている、という事も、大きな魅力なのだと気づかされました。

私事ではありますが、以前企業で努めておりましたとき、体を壊す程無理をして要求に応えようとしていた際に、「君の働き方は趣味的だ。自己犠牲は言い訳だ。無理の無いように、楽しみながら、先を見て、頭を使ってこなして当たり前。大変だ、という事を見せびらかして、他人に心配させるのは、プロでは ない」と上司にきつく釘を刺された事を思い出しました。

「会社のためと思ってやっているのに」、と当時は反発しましたが、結果を出している人はみな自然体である事の不思議にも思いあたりまし た。

つねに努力は必要ですが、柳瀬先生のお言葉にあったように「自己同一 性が壊れない程度の部分変動」をしていく事で、プロとして安定したクオリティの教育を保証しうるの だと考えさせられました。

しかしこのような自己犠牲的でない、体育会系(しごき的な盲目の努 力)でない努力のあり方を、私たちはモデルとして見せてもらった事があるでしょうか。

田尻先生がおっしゃった、「大人の生き様を見せる」というお言葉は、「子どもたちが将来仕事をしていく時のモデルを見せる」という事でも あり、やはり、悲壮感を漂わせて仕事をしてはいけないのだと痛感いたしまし た。

現在非常勤講師として英語を教えておりますので、1つ1つのお話が、「自分には何ができるだろう」という問いとなって 残りました。

これから少しずつ、目の前の子どもたちを見ながら、答えを探していき たいと思います。小悟郎ではなく、子どもたちにとってのベストの自分自身の姿を目指し て(笑)


今回私は、「良い教師とはどのように生まれ得るのか」という問いも抱 いてこの会に参加しました。

私は現在、広島大学大学院の難波博孝先生の「国語科解体/再構築」という活動を手伝わせていただいています。

以前未熟ながら通訳兼アシスタントとしてカナダの小学校視察に同行し、そこで衝撃を受け、
転職し教師になりました。その後もカナダに行き、「良い教師が生まれ る教員養成」について考え、その追求はずっとつづいております。

「目の前の子どもを見て、必要な事を考え、すべき事をカリキュラム、 教科書内外から必要に応じて再構築できる」

「教科を通じて、人とつながる、人生を考える、人と生きる事を体験さ せる」

良い教師とは、どの教科であってもこのような視点と実践力をお持ちな のではと感じています。

教育改革は、上から与えられるものではなく、一人一人の教師が、子ど もたちと作り上げていくものではと、改めて考えさせられました。

教科の枠を超えて、目の前の子どもに必要な学びを充実させるにはどう したらいいのかを、
今後も考え続けていきたいと思っております。

長くなってしまいましたが、すばらしい時間を下さったみなさんに、お 礼申し上げます。
またこのような機会がありましたら、ぜひ参加させていただきたいと思 います。
ありがとうございました。

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HP 
国語科解体/再構築
http://kokugoka.com/
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田尻科研シンポに寄せられた感想(その5)

K県S先生のご感想

柳瀬先生

先日はシンポジウムお疲れ様でした。

本当にシンポジウムに参加してよかったです。
このような機会を与えてくれた多くの関係者の方に感謝しています。また,このような試みを全国のより多くの方が知って,日本の英語教育がもっとよいものになっていくことを心から願っています。300人だけの記憶として残すのはもったいので,シンポジウムの記録をなんらかの形で残し,発信していただければ幸いです。大変だとは思いますが・・・

自分なりの感想を書いてみました。
添付ファイルにて送ります。長いので・・・。

***以下、添付ファイル***

たまたま柳瀬先生のHPで田尻科研のシンポジウムが開催されることを知った。
参加者を見ると,大津先生,柳瀬先生,田尻先生と夢のような組み合わせ。驚いた。実は,3人の先生方には,大学4年生のときに大きな影響を受けたのだ。

田尻先生の授業を知って本気で教職を目指し,大津先生の本を参考文献に小学校英語についての卒業論文を書き,卒論のコミュニケーションの定義の部分で柳瀬先生の本を参考に・・・と思ったが,コミュニケーション論だけで,別の論文が書けそうだったので,断念。すみません,柳瀬先生。そんな出会いから1年余り,3人の名前を見たときは,勝手に運命的なものを感じてしまった。

しかし場所は広島。遠い。同じ日には地元で別の勉強会も開かれる予定。行こうかどうか悩む。メールを見て,1週間,2週間・・・悩む。このチャンスを無駄にすると一生後悔してしまう気がして,参加を決意。返事が来たのはシンポジウム前日の夕方だった。間に合ってよかった。

当日,前から3番目に座った。周りは,京都,新潟,山形,鹿児島と全国から熱心な先生方が集まっていた。熊本⇒広島間で遠いなぁ・・・と思っていた自分が恥ずかしくなる。全国から先生方が集まっていると知っただけでも,いい刺激になり,参加した意義があった。

では,このシンポジウムの参加を「あぁ~,よかった。やっぱり先生方はすごかった。」という感想だけで終わらせないためにも,自分なりにシンポジウムで得たことをまとめてみたい。


大津先生・柳瀬先生・横溝先生の発表

内容に関して
どの先生方も田尻先生の表面的な凄さではなく,田尻先生の芯の部分を捉えようとさせていると感じた。さすが。大津先生は,「田尻技を表面的に真似すると失敗する,心を読み取ろう」と言われた。まさにその通りだ。学生時代にも大学の先生から,田尻先生の技を真似するのではなく,心を真似しなさいといわれたのを思い出した。やはり教師として自分の信念に基づいて,生徒と向き合い,授業をしていかなければ意味がない。自分が「どんな生徒になってほしいのか」「どんな力をつけさせたいのか」をはっきり持っていなければ,どんなすばらしい先輩教師の技を真似しても失敗する。学生の頃は,その言葉の意味を頭では理解していたつもりだが,実際教壇に立って,授業をするようになって改めて実感している。もっと田尻実践の奥に隠された心を読み取りたい!自分はまだteacher’s beliefが確立していない。

これを書いていて…以前『ゆかいな仲間たちからの贈りもの』を読んだときに,菅先生,中嶋先生,田尻先生がアプローチは違うけれど,みんな根っこは同じと書かれていたことを思い出した。


3人の先生方に共通していたこと

人を惹きつける力をもっている。明快な論理展開(わかりやすい!)と合間に入る心地の良い「笑い」。なんて話すのがうまいんだ!と思った。勉強になることが多かった。


田尻先生の授業

やっぱり田尻先生は宇宙人かもしれない。どうして体験授業があの内容だったのかと考えてみると・・・中学生向けの授業を,うまく対先生用にアレンジできると考えられたからではないか。まさに体験させて気付かされた!という感じ。教師に必要な力,教師としての心構えのようなものを,楽しく体験させながら,伝えていたように思う。

以下教師に必要な力,教師として大切なことをまとめてみる(自分が気付いたもの)

○ 知っている知識と結びつける(学びの磁界)ことが必要。
→知っていたことに戻る→仕掛けが必要⇒廊下で予習するな!
後の春原先生との対談にも関連する話が出てた。(この活動と○月の活動を入れ替えよう)
その場その場の授業ではなく,しっかりと1年間,そして3年間,あるいはその先の目標と計画を持っていなければならない。自分はそのような長いスパンで授業ができているのか?NO!

○ comfortableな環境を。生徒同士が自然に話したくなる環境。
生徒を指名するときも一工夫。これも体験させられた。しかも自然な形で。自分の身をもって体験しないと普段の生徒のプレッシャーはわからない。生徒の立場になって考えなければ。

○ 言語感覚
誰かが(菅先生?)訳読は薬毒だと言っていた。田尻先生も日本語に訳したらもったいないとおっしゃっていた。実は,自分はなぜ日本語に訳したらだめなのかはっきりわかっていなかったのではないか。今日その意味が少しわかった気がする。いままでは,日本語に訳さなければいいと思っていた。ただ日本語に訳することを避けて満足していたのかもしれない。そんな問題ではない。問題は言葉の感覚。

○ 教師の英語力。
参加者はほとんどが英語の先生(とてもきれいな発音の先生もいた)のはずなのに,うまく桃太郎の絵を英語で表現できない。田尻先生の生徒の解答をきくと,中学生の英語の方が上だなと感じた。教師がどれだけシンプルかつわかりやすい英語を使うか。その点で田尻先生の英語はシンプルでわかりやすい。実は自分も中学レベルの英語を使いこなせていないと思った。教師としてトレーニングが必要。自分もできないのに生徒に求められるはずがない。
3文字カルタ文章版でも,前半で生徒がguessできるようにヒントを出してやることが教師の力だとおっしゃっていた。簡単なようだが,やってみるとなかなか難しかった。田尻先生の例を聞いて,驚いた。When you are walking in a forest, you have to be careful not to walk on …は挑戦したくなるような説明だった。
教師に必要な英語力と海外でばりばりに活躍するのに必要な英語力は違うのかもしれない。

○ 深い知識。
本当は自分が生徒に「おーっ」「そうだったのかー」という声を上げさせる存在でなければならないのに,田尻先生に「おーっ」と言わせられてたのでは,同じ教師として恥ずかしい。まだまだ勉強不足。「あぁ、あれね!」と思えるくらいまでもっていかなきゃ。授業の技術は追いつかなくても,知識は勉強すれば増える。

○ テンポ
授業のテンポが抜群。時間が経つのを忘れてしまう。ときどき入る心地よい笑いが,メリハリを与えていた。

○ レディネス
生徒が学びたい!と思ったときに,すっとわかりやすい説明で頭に入れてやる。
思わず知りたいと思ってしまう環境をつくられていた。これは学びの磁界,レディネスとも繋がるかもしれない。
自分でもそれを感じたことがある。一方的に教えるより,生徒からの質問があったときに教えた方が生徒の集中力,くいつきがいい。

○ 脱線を意図的に。
自分で脱線ネタをいくつかスットックしておいて,「ここだ!」と思ったときに話しているとおっしゃっていた。
自分の脱線はどうだろう?本物の脱線だ。話しているうちに本筋から離れていくこともしばしば。以前,上手く脱線が+αの知識に繋がったときは生徒も楽しそうだったのを思い出した。

○なにより先生が楽しそう。
生徒を楽しくするためにはまず自分から!

自分の未熟さを実感させられた一日だった。自分が教壇に立つのに耐えうる人物なのかわからなくなるときがある。しかし,少しずつ,日々の授業で自分を高めて生徒と共に成長していきたいと強く思った。

最後に・・・
このような機会を与えてくれた多くの関係者の方に感謝しています。会場の設営から,参加者へのメール大変な苦労があったと思います。本当にありがとうございました。

2007年12月4日火曜日

田尻科研シンポに寄せられた感想(その4)

H県のIさんのご感想

11月24日の科研シンポジウム、参加できて本当によかったです。
登壇の先生方、運営ボランティアの学生の皆様、ありがとうございました。

私の専門は日本語教育なのですが、以前に、横溝先生からのお誘いで田尻先生のご講演を拝聴したことがあったので、田尻先生の魅力はもちろんですが、私にとって、今回は、田尻先生と4人の登壇の先生方との化学反応がみどころでした。

その化学反応は、私の(勝手な)予想をはるかに超える、とんでもないものでした。

田尻先生の授業の裏・奥にある「おもい」が、登壇の先生がバトンタッチをするたび、さまざまに形を変えてオーディエンスの前に現れ、私たち自身の授業はどうなのか、と、自身を振り返るための揺さぶりとなって津波のように押し寄せてきた様子は、今も鮮明に思い出されます。

また、春原憲一郎先生との対談は、教師哲学を見つめ直す素晴らしいチャンスになりました。
学習者が「世界」に羽ばたくための羽根を創り、そして、「世界」に足をつけるための根を育てる。

言語(日本語も英語も)教育の可能性がビシビシと伝わってきて、鳥肌が立ちました。

田尻先生ご自身が大事になさっているとおっしゃっていた、「学習者の可能性を信じる」ということ。

私たちが成長し続ける教師であるためには、私たち自身も、教育を学ぶ学習者として、自分自身の可能性を信じて、成長を続けられように努力していこう!と思い、「ふぅ~」っと気合が入りました。

「素晴らしい教師は生徒の心に火をつける」

私も、火をつけられた一人です。笑

情熱は、引火していくのですね。
自分が立っている「今、ここ」から、また頑張ろうと思いました。

本当に、すごく大きなエネルギーの交換が行われたシンポジウムだったと思います。
あの場にいれたことを、本当に嬉しく思います。
本当にありがとうございました!!!

2007年12月3日月曜日

田尻科研シンポに寄せられた感想(その3)

S大学のN先生のご感想

柳瀬先生、

シンポジウムお疲れさまでした。さきほど広島より東京に戻りました。田尻先生のパフォーマンスだけでなく、企画自体もすばらしく非常に有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

○○をはじめいくつかの高校と共同研究をしていますが、現場の知見を可視化し、共有化するためのノウハウの蓄積が必要とのメッセージには非常に共感しました。言語教育文化人類学的な研究がもっと増え、田尻実践に留まらず多くのすばらしい実践が単にすばらしいだけに終わらないとよいと常に感じており、今回のシンポジウムは非常に啓発的でした。

田尻実践における教師論としてのコミュニケーションの特異性とルーマン的解釈は謎解きを見ているようでとても爽快でした。創造的刺激を与え、常に学習者自らの気づきを起こさせることを志向するだけに留まらない、具体的な仕掛け作りのうまさはまさに内省的アプローチによって常に洗練し続けられてきたのだということが実感できました。

私が関わっているCAN-DO研究も作った結果だけに意味があるのではなく、作る過程で教師が自分の内的シラバスを外に出し、スキル観を見直し、毎回の自己の授業に内省的に取り組めるようになることが重要だと考えています。そしてそれにより授業の縦糸と横糸がつながっていくことでしょうか。

田尻実践のすごさはずば抜けたコミュニケーション感覚や共感力の高さにプラスして、クラスのmixed abilityをうまく利用して、他者に教えることによる関係性欲求の充足を実現しているところにもあるように感じています。

私自身が動機づけ研究でずっとテーマとして興味を持っているのが、自律性を支える関係性であり、この科研で何かそこに光が当たる結果が得られたようでしたら、ぜひいつかの機会にお伺いできるとよいなと思っています。

あともう一つ関心があるのは、田尻実践における言語発達観であり、対談で紹介されたエピソードにあったような数ヶ月先を見通して、その時のまさに目の前の
生徒に合わせて活動を自在に組み替えることを可能とする透徹した視点です。ドリルを捨てることによって創造的な授業を作り上げているのではなく、スキル的
積み重ねを1年の最初の段階から行っており、それを可能とする言語観の一部なりともが、この科研を通して解明されるとよいなと思っています。

田尻先生の『お助けブック』も内容的に付加えられたものが、別の形で出されると聞きましたが、以前に生徒の作品を見せていただいたときに、文と文とのつなぎのうまさに驚嘆した覚えがあります。まさにこれこそが文科のめざす「ことばの力」であり、こういった言語に対する高い感受性をどのように生徒に育ませているのかの一端なりがわかるとよいなと思っています。

個人的には最近論理的思考力とともに物語る力に興味を持っており、このあたりは先生がコミュニケーション力の柱として考えられているmindreading abilityと関連してくるのかなと漠然と考えているところです。

ついついシンポジウムに刺激を受けて長文を書き散らしてしまい、失礼をいたしました。これも先生に宛てたメールを介した自己との対話ですね。

何らかの形で今回の科研の成果が出版され、目を通させていただく機会があることを楽しみにしています。

感謝と御礼まで。