2008年3月31日月曜日

Steve Jobbs on iTunes U

iTunes Uは凄いですね。無料で多くの講義などが聞けます。

そしてSteve Jobsのスピーチは本当に感動的です。現代の古典となるのではないでしょうか。終わった時に私は思わず拍手してしまいました。

これを保持するだけのためでもiPod touchが欲しくなりました。(←単純。バカ)

知的仕事のABC / Backward Designはなぜ失敗しうるのか

中嶋洋一さん(関西外国語大学)と今井裕之さん・吉田達弘さん(兵庫教育大学)と一緒にやっている「地球市民を育てる英語教員のための研修会」の第7回目を昨日行いました。その際に考えたことを文章化してみましたのでここにお知らせします。


前者は学生さんに、後者は現職教員の方々に特に繰返し読んでいただきたいと考えましたので、通覧性の高い旧ホームページに掲載した次第です。

2008年3月28日金曜日

エディタWZ Editorの導入

私は最近、どうもMicrosoft Wordが嫌いになっていました。Word 2007になってから、「リボン」などの操作性などは良くなったと思うのですが、中途半端に賢い自動機能のおかげで、逆にスタイルが妙に乱れたりして、フラストレーションが高まっておりました。いろいろWordをカスタマイズしたのですが、どうもWordの自動機能に悩まされ続けました。

それでも本日、来月予定している90分の講演をする準備のために、Wordの「アウトライン機能」を使っていました。階層構造を考えながら長い論考を構築する必要があったからです。ですが、やはりここでもWordの小賢しさが私をイライラさせて仕事がはかどりません。

先日購入した「秀丸」は優れたテキスト・エディタなのですが、アウトライン機能は、やや力不足です。

そこでちょこちょこググった結果、WZ Editorを試してみました。

凄い。これはいい。

まずアウトライン機能は、行頭に「.」を入れるだけで、自動作成されるものです。「.」の数を増やせば、それだけで自動的に下の階層ができます。さらにその階層的なアウトライン構造は横に自動表示されますから、テキストを入力しながら、アウトライン構造を常にチェックすることができます。この快適で高度なアウトライン機能は感動的です。

ワープロでなくテキスト・エディタですから、様々なスタイルの異動を意識することなく、テキストだけをサクサク入力できます。それでいてフォントやサイズや画面の設定などもカスタマイズできますから、自分が作業しやすい環境を適切に作り出すことができます。私は画面の背景を灰色にするなどの色設定をして、フォント(MSゴシック/Arialに全角/半角固定)のサイズを20にまで拡大することによって、自分にとってはとても快適な環境ができました。(Wordでは設定したはずの半角フォントがいつの間にか全角フォントに変わったりして、私はとてもイライラします。私が神経質なだけかもしれませんが、明朝体の英文テキストをいつのまにか自分が作成しているのに気づいたりすることは非常にフラストレーションが溜まることです)。正規表現やマクロを覚えたら、さらにさらに使いやすくなるでしょう。

秀丸にあるタブや、文字コードの任意設定などの機能がWZ Editorにはないようですが、まあそのくらいは仕方ないでしょう。

Wordが過剰な機能を持つワープロ・ソフトだとしたら、WZ Editorは必要にして十分な機能だけを持った快適なテキスト・エディタだと言えるでしょう。ダウンロードして機能を確認し、慣れるまでに少し時間はかかりましたが、その金銭・時間の投資は、本日の仕事だけで報われたような気すらします。

「文章をたくさん書くのなら、ワープロでなくテキスト・エディタ!」とは、昔から言い古されてきたアドバイスですが、WZ Editorでその正しさを実感することができました。

http://www.wzsoft.jp/index.html

2008年3月26日水曜日

高橋一幸・田尻悟郎『チャンツで楽習!決定版』NHK CDブック

外国語を徹底的に音楽としてとらえてみるというアプローチは採択する価値のあるものだと思います。もちろん人にはいろいろなタイプがあり、文法的アプローチで静かにゆっくり外国語を考えるのが好きな人もいるでしょう。あるいは「音痴だから」と音楽的なアプローチには尻込みしてしまう人もいるかもしれません。

しかし別段、音楽的アプローチが唯一無二のものだとも、万全で万能なものだとも言っているのではありません。ですが、あるタイプの学習者には、あるいは学習のある段階では、外国語の「音の楽しさ」を徹底的に身体に染みこませることが快感であり、また後々の学習の揺るぎない基盤になることはあるはずです。クラスで使う場合にも、日頃は食いつかない学習者が俄然ノリノリになって外国語学習に関する自己認識ががらりと変わったり、またそのように変容する友人を見て、他のタイプの学習者も彼/彼女らなりに動機づけられるということもありうることでしょう。

きわめて一般的に言うなら、教師が取り得るアプローチは多様である方がよく、教師の仕事はそれらを適切に選択し、組み合わせ、様々な生徒を、彼/彼女らなりに伸ばしてゆくことと言えるでしょう。

音楽から、身体から外国語習得にアプローチするという方法は、多様な外国語教育アプローチの一つとして尊重されるべきです。チャンツ(注)のリズム(作曲は安藤禎央(よしひろ)氏)に英語をのせるCD付きのこの本は、そのアプローチの最良のものの一つと言えるかもしれません。(国際的に有名なのは、もちろんCarolyn GrahamさんのJazz Chantsです)。


まあ、そのような堅い理屈を言わずとも、まあこのCDを聞いてみて下さい。少なくとも私はこの英語チャンツを聞くことをずいぶん楽しみました。中学生などと一緒に、「カミカミ」(=舌足らず)になった自分を笑い飛ばしながら、私もこれらの英語チャンツにチャレンジしてみれば面白いのではないかと思いました。あるいは優等生ではないけれど、こういったチャンツがめちゃくちゃ上手い生徒がいたら楽しいだろうとも想像しました。あるいは田尻悟郎先生がワークショップやこのCDの中でやるように、このような英語チャンツを楽しく滑らかに披露できたら、生徒が教師を見る目もずいぶん変わるでしょう。

英文本体も、田尻悟郎先生がよくワークショップで紹介される、中学生のために練りに練られた英文もたくさん使われており、それらのねらいは76ページからの「チャンツ ワンポイント楽習!」にわかりやすくまとめられています。文法のポイントが、凡庸さとは無縁のセンスのある表現で英語に実現されています。

チャンツの楽しい音楽と精選された英語教育内容が高度に融合したのがこの教材と言えるでしょう。

この本は実はロングセラーの第二弾で、中学2-3年生の文法・表現の習得のために作られたものです。中学1年生の基礎的な--しかしそれだけ徹底的に重要な--英語の力を楽しく身体に叩き込むなら、第一弾『チャンツでノリノリ英語楽習!』をお買い求め下さい。

第一弾、第二弾ともにお薦めします。

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(注)
chant (n) に関してはCODの次の定義が的確かとも思います。
1 a a spoken sing-song phrase, esp. one performed in unison by a crowd etc. b a repetitious sing-song way of speaking.
2 Mus. a a short musical passage in two or more phrases used for singing unmetrical words

もっと勉強しよう!

ともすれば閉塞感が漂い、他人の足を引っ張ることに陰湿な喜びを感じてしまうような倒錯さえはびこる現代日本文化(特にネット文化)の中で、確信犯的にポジティブな言動を続けている梅田望夫さんを私は尊敬しています。

以下の文章はとても好きですので、ここでリンクで紹介させていただきます。

梅田望夫「日本を体質改善するための5つの提言」
http://www.president.co.jp/pre/special/umeda/

梅田望夫「僕はこんな言葉に未来を見てきた」
http://www.bunshun.co.jp/umeda_web/umeda_lecture01.htm


私の友人はこれらを読んで、「本質を追究する精神と、そのための方法を身につけるための勉強は重要だし、そういった勉強は、通常の場合、学校教育抜きでは不可能だ」というコメントを寄せてくれました。それなのに「すべてを記憶するのが勉強、という誤解が解消していない」とも彼は言います。私も賛同します。

日本の学校は、本質追求的で、方法論的意識の高い勉強を、もっともっともっと若者に課すべきだと思います。現在多くの学校で行われている、短期的成果主義で記憶・操作中心の勉強ではありません。シンドイけれど、ワクワクするような勉強を日本の学校はきちんと若者に課さなければなりません。言い古された常套句ですが「鉄は熱いうちに打て」というのは真実だと思います。

若い人々に、頭と身体に関する質の高い鍛練を課すのは、古今東西を問わず社会と大人の責任です。

その責任を怠った社会がどのようになるかについては歴史書をひもとくまでもないでしょう。

2008年3月25日火曜日

外国語の精読

ルーマンの『システム理論入門』を、気になるところは原著(Einführung in die Systemtheorie)でチェックしながら読もうとしたら、ほんのわずかを読むだけで、予想以上の多くの時間がかかってしまいました。

もちろんこれにはルーマン理論の難しさがありますが、端的に私のドイツ語力が不足しているのが大きな原因です。まず基本的な語彙を知らない(あるいは忘れている)。だから翻訳書があっても、いちいち辞書をひかねばならず、とにかく時間がかかる。次に、文法の活用と名詞の性がきちんと頭に入っていないので、正確な文法関係がなかなか理解できない。大学生と大学院生の時代にもっときちんとドイツ語を頭に叩き込んでおけばよかったと40台半ばになって後悔しています。

人文系は、数学ができないのでしたら、せめて外国語ぐらいは精確に読解できる学力をつけておくべきでしょう。

この駄文は、将来人文系の研究者になることを目指している人のために書いています。人文系は、せめてきちんと複数の外国語が読めるべきでしょう。理系の学生が、ゴリゴリ実験や計算をやるぐらいの時間をかけて、綿密に外国語文献を頭から脂汗がでるぐらい精読しておくべきだと私は考えます。みっちり机について、尻が痛くなるぐらいまで時間をかけて外国語をそれこそ「勉強」する(勉め強いる)ことが必要かと思います。

現在日本の大学では、「えっ、この大学も!」と驚くぐらいに第二外国語が軽視されています。大学院入試で第二外国語の学力をきちんと問う大学院の方が珍しいぐらいです。世界的に高等教育機関というものを考えたときに、これは異常なことではないでしょうか(あ、でも英国でドイツ語を読めずにニーチェで博士論文を書く人の話も聞いたことがあるなぁ)。1990年代からの「大学設置基準大綱化」などの流れ、あるいは端的に院生確保から、第二外国語を軽視(というより放棄)してきた日本の人文系の力は、将来取り返しがつかないぐらいに損なわれてしまっているのではないでしょうか。英語さえ読めればいいというのは、少なくとも人文系では、危険すぎる短絡ではないでしょうか。

ましてや英語ですら精読ができないというのは致命傷かと思います。大学教育での外国語の精読の伝統が廃れつつある現状を私は怖く思います。人文系の衰退など、すぐには目につかないかもしれませんが、長期的に見れば国を深く損なうのではないかと思います。

2008年3月24日月曜日

岡崎勝世『世界史とヨーロッパ』講談社現代新書

 歴史とはもちろん事実に関する学問ですが、事実以上のものでもあります。数ある「事実」の中から何を選択的に発見し、それをどう解釈するかという側面があるからです。その意味で、私たちは単に歴史的事実を観察するだけでなく、その観察を行った歴史家という観察者を観察する(第二次観察)ということも行います。まあ、「観察者の観察」などというルーマンかぶれの世迷い言を出すまでもなく、各時代でどのように歴史は書かれてきたのかという問題は、歴史の事実的な問題同様、重要なことでしょう。

 私は高校時代に数学と世界史をきちんと勉強しなかったことを後悔していますが、「遅くともないよりはまし」ということで、恥を忍んでこのように読んだ本を、高校生よろしく自分の勉強のためにまとめておく次第です。以下、キーワード風に私なりに同書から学んだことをまとめます。ただまとめる際に思わぬ間違いが混入してしまっているかもしれませんので、このまとめを読む方はくれぐれもご注意下さい。

・ヨーロッパとアジアの区別
ヨーロッパとアジアを明確に区別しはじめたのは「歴史の祖」ヘロドトス(前484-前425)といえる。彼はペルシャ戦争に関する挿話の中で、ポリスの中で自ら定めた法に基づいて自由人たるスパルタ人のあり方を、なかなか理解できないペルシャ君主の姿を描き出している。(18-19ページ)

・歴史動因の古代的限界
ヘロドトスによると、ペルシャ戦争の原因であり敗因であるのは、ペルシャ王(クセルクセス)の人間性(「野蛮不遜」「傲慢」)であり、ヘロドトスはそれ以上に歴史の動因を探究しようとはしなかった(49-51ページ)

・「世界史家」と「世界史の父」
ヘロドトスは、ギリシャ人と戦ったペルシャ人について調べる過程で、征服地であるエジプトからインドにまたがる地域を描いたから、単一民族の歴史を描いた歴史家でない、はじめての「世界史家」となった。しかしローマで人質となっていたギリシャ人ポリュビオス(前201-120)がヘレニズム文化を背景にしつつ、ある特定の民族ではなく、諸民族を包含する「世界」の側から地中海という「ローマという世界」(ローマ的世界史)を描いたときにはじめて「世界史」は誕生したともいえる(33-36ページ)。

・政体循環論
ポリュビオスはアリストテレスの分類を基にして、君主政→僭主政→貴族政→寡頭政→民主政→衆愚政→君主制・・・という「円環的時間」でギリシャ人とローマ人の政治を説明した。また、彼によると完成期のローマ共和政が地中海を統合できたのは、これらの政体のうちの理想型である君主政(執政官)、貴族政(元老院)、民主政(平民会)をうまく「混合」できたからである。(37-40ページ)

・古代的な三重構造の世界
ローマ時代には「自由な市民=真の人間が住む地域(ローマ世界)/一段と劣った人間が住み、隷属を特徴とする地域(アジアおよびアフリカ)/怪物たちの住む地域」という三重構造で世界が考えられていた。(31ページ)

・「古代普遍史」の誕生
アウグスチヌス(354-430)は、人間の歴史を神による人類教育の過程として直線的かつ発展的に描こうとした。ここに「普遍史」が誕生した。(62-63ページ)

・中世的な三重構造の世界
カール大帝は西ローマ帝国を再興し、イスラム教徒に対抗できる権力を打ち立てたが、この頃から「キリスト教徒=選民の住む地域/異教徒の住む地域/怪物的人間の住む地域」という中世的な三重構造で世界が考えられるようになった。(71ページ)

・歴史的分析の萌芽
アウグスチヌスが『神の国』を書いた動機は、なぜローマ帝国がキリスト教化したのに滅びてしまったのかということを説明することであった。彼はその理由として「ローマ人の罪」(「自己愛」、「支配欲」、「名誉欲」、「傲慢」など)と、「理性の不完全さ」(限られた人知では計り知れない神の意図)に求めている。ここで歴史的原因探求は、古典的ヒューマニズムの限界を超えたといえる。(82-83ページ)

・近世的な三重構造の世界
大航海時代で世界は広がったが、探検者たちは怪物を見つけることはできなかった(しかしこのあたりはポストコロニアニズムの観点からの詳しい記述が必要.
例、本橋哲也『ポストコロニアリズム』岩波新書、第二章))。ここで「キリスト教徒/異教徒/野蛮人」という近世的な三重構造の世界ができあがった。(102ページ)

・「科学革命の世紀」としての17世紀
17世紀は、ケプラーによる惑星の法則の発見、ガリレオによる天体望遠鏡の発明(1609)、デカルトによる『方法序説』(1637)、ライプニッツによる微積分学の完成(1675)、ニュートンによる『ピリンキピア』(1687)などに代表される科学革命の世紀であった。これは18世紀の「進歩」の観念につながった。(120-128ページ)

・啓蒙主義的歴史観
コンドルセ(1743-1794)の『人間精神進歩史』(1793-4)は啓蒙主義的な「進歩史観」を代表する書の一つといえる。そこでは人間は、その固有の能力である理性によって進歩する存在としてとらえられ、歴史も個体の能力の発達と同じように、普遍的法則に従って進歩すると考えられた。この啓蒙主義的進歩史観は、普遍史観と対立しつつ、科学革命の法則観を取り入れた。(129-131ページ)

・18世紀のヨーロッパ人にとって、はるか遠いところにある中国にも見事な統治制度や豊かな産物があることは驚異であった。それに関してヴォルテール(1694-1778)は、中国は道徳や治安では発達の最終段階にあるが、哲学や文学、ましてや学問(科学)の点では劣っていると主張した。モンテスキュー(1689-1755)は『法の精神』(1748)で、この中国(アジア)の「停滞」を、三政体(専制政体、君主政体、共和政体)のうち、専制政体しかなく、社会が「隷属」を基礎としていることにより説明しようとした。(150-153ページ)

・近代的な三重構造の世界
19世紀のヨーロッパ人は「近代的なヨーロッパ/古代的なアジア/未開・野蛮なアフリカ(暗黒大陸)という三重構造で世界を考え、植民地支配で「文明化」を図ることが自分たちの使命だと考えた。

・国民国家意識の誕生
啓蒙主義の反動から19世紀にはロマン主義が台頭した。ロマン主義は初期は個人を対象としたものであったが、次第に「民族」を「有機体」としてとらえはじめ、ナショナリズムが誕生した。(168-173ページ)

・歴史主義
19世紀の歴史観は「歴史主義」と呼ばれる。歴史主義では、「過去の歴史的事象を有機体としてとらえ、その生成・発展・死滅の運動を、個性に注目しつつ認識しよう」とした。ここでは量的拡大としての「進歩」ではなく、質的な「発展」という言葉が好まれた。(178ページ)

・マルクスの唯物史観
マルクス(1818-1883)とエンゲルス(1820-1895)は、自らの唯物史観を「科学的社会主義」として規定して、資本主義的段階を通じて人間の普遍的解放への道が歴史法則的な必然であると主張した。彼らはヨーロッパ以外の地域についてはモンテスキューやヘーゲルらと同じような考えを有していた。(198-211ページ)

と、以上は、同書から私が恣意的にまとめたものです。ご興味のある方は、歴史記述における「世界」の構造、「時代」の区分についてわかりやすくまとめたこの本をぜひお読み下さい。

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この世の中にとどまり、複数形で考える

ハンナ・アレントの思想を考える時には、彼女が、ハイデガーが西洋哲学の伝統からするならば本当に優れた哲学者であったということを一方で実感しながら、他方で、彼がナチスに入党したりと政治的にはおよそ愚かなことしかしえなかったことを落胆の思いで見なければならなかったこと、および、彼女が一方でヨーロッパの教養を肌身で感じ自らの血肉としていながら、他方で彼女がユダヤ人であるという理由だけで迫害され国を追われ、同胞ユダヤ人が600万人の規模で合理的に殺戮されたということを戦慄の思いで見なければならなかったこと、などを考慮に入れる必要があるのかもしれません。

優れた西洋哲学は、一人の立場から世界を統御してしまおうという発想に行き着いてしまいました。西洋哲学的な発想は、複数の立場が並立できるし、またそうであるべき人間の世界を、単数形で考えられた人の理想に無理矢理に変えてしまおうとして、これまでの人間が想像もできなかった人災を起こしてしまいました。これらがアレントが感じていた同時代的問題ではなかったでしょうか。

理想の中に入り込み、理想から世界を操ろうとするのではなく、人間の世界というこの世にとどまり、人間を単数形でなく複数形で考え続けることを徹底しようとしたのがアレントなのかと私は愚考します。この意味でアレントこそは、従来の意味での「哲学者」として認識されることを徹底的に拒み続けた、現実世界での哲学者の一人と言えるかもしれません。

以前のブログの記事でも取り上げたアレントの『政治の約束』は、次の引用から始められています。前の記事で取り上げたエピローグと同様に、彼女の思想を代表する重要な言葉かと思いましたので、前と同じように、拙訳を掲載します。きちんとした翻訳は高橋勇夫先生のもの(筑摩書房)でご確認下さい(注)。拙訳はかなり補い、また文構造も単純化したりした意訳となっています(Traduttore traditore “The translator is a traitor.”)。

[語り合うことなどに代表される、複数の人々の間ではじめて可能になる]活動を行うならば、まず最初に、[これまでの西洋哲学の発想からするなら]まことに遺憾ながら、「絶対的なるもの」、つまり私たちの感覚を「超えた」もの -- 真理、正義、美 -- を、私たちは把握しえないということが判明する。なぜならばどんな人も「絶対的なるもの」が具体的には何であるかを知らないからである。確かに、誰も「絶対的なるもの」をそれなりに概念化している。しかしながら、一人一人は「絶対的なるもの」を具体的には全く異なるものとして想像している。活動が、人間は[単数形で存在するのではなく]複数形で存在するということに依存したものである、ということから考えるなら、西洋哲学の最初の破局とは、思考する者たちが活動を[そんなことはできるわけもないのに]究極的には統制することを望み、原理的に考えるならば、専制政治の下でしか可能にならない統一を西洋哲学において求めてしまったことにある。二番目に[判明することは]、活動の最終目的[というものを捏造してしまい、それ]に奉仕しようとするならば、どんなものでも絶対的なるものとして成り立ってしまうということである。例をあげるなら、[ナチスが奉仕しようとした]民族や[共産主義者が奉仕しようとした]無階級社会などが、絶対的なるものととして成立してしまう。すべてのものがどれも同じように目的を達成する[正当化された]手段となってしまい、まさに「何でもあり」になってしまう。[絶対的なるものへの奉仕が行われるようになってしまった]現実[世界]は、[本来なら、人間の複数性を前提とするはずの]活動に対して、ほとんど何も提供することができなくなってしまう。現実[世界]は、ペテン師が思いつきそうな最もばかげた理屈程度にしか、活動に対して提供するものがなくなってしまう。[そうなるとおそろしく不正なことも含めて]すべてが許されてしまう。第三に[判明することは]、絶対的なるもの、例えば正義、あるいは(ニーチェのように)一般的な意味での「理想」を、最終目的のために適用することによって、人はまず、不正で残酷な活動を可能にしてしまう。なぜなら「理想」、正義自体が、もはや[それらの絶対的概念がそうであるべき、判断のための]基準ではなくなってしまい、この世界の中で達成可能で、作り出すことが可能な最終目的になってしまうからである。別の言い方をしてみるなら、哲学を現実のものにしてしまえば哲学は破壊されてしまい、「絶対的なるもの」を現実のものにしてしまえば、絶対的なるものが破壊されてしまう。そして最後に「単数形で考えられた人」を表向きの現実としてしまえば、「複数形で考えられる人間」[という人間本来のあり方]が破壊されてしまう。

In the moment of action, annoyingly enough, it truns out, first, that the "absolute," that which is "above" the senses -- the true, good, beautiful -- is not graspable, because no one knows concretely what it is. To be sure, everyone has a conception of it, but, each concretely imagines it as something entirely different. Insofar as action is dependent on the plurality of men, the first catastrophe of Western philosophy, which in [in whichの誤りか?] its last thinkers ultimately wants to take control of action, is the requirement of a unity that on principle proves impossible except under tyranny. Second, that to serve the ends of action anyting will do as the absolute -- race, for instance, or a classless society, and so forth. All things are equally expedient, "anything goes." Reality appears to offer action as little resistance as it would the craziest theory some charlatan might come up with. Everything is possible. Third, that by applying the absolute -- justice, for example, or the "ideal" in general (as in Nietzsche) -- to an end, one first makes unjust, bestial actions possible, because the "ideal," justice itself, no longer exists as a yardstick, but has become an achievable, producible end within the world. In other words, the realization of philosophy abolishes philosophy, the realization of the "absolute" indeed abolishes the absolute. And so finally the ostensible realization of man simply abolishes men.
Hannah Arendt from Denktagebuch, September 1951


(注)ドイツ語からの翻訳は青木隆嘉先生の『ハンナ・アーレント思索日記I 1950-1953』の173-174ページにあります。ですが、私はドイツ語原文を現時点で参照できていませんので、ここで青木先生の翻訳に対するコメントは差し控えます。


追記(2008/04/07)
原書が手に入ったので、Hannah Arendt Denktagebuch 1950-1973 Erster Bandの132-133ページから以下の部分を引用します。ドイツ語を読むと、日本語訳まで微妙に変わってしまうところが面白いところです。特に"innerweltlich"はどのように訳すべきか、きちんと考える必要があるかと思います。


Im Moment des Handelns stellt sich fatalerweise heraus:
1. Dass das »Ablolute« und das »Übersinnliche«, das Wahre, Gute, Shöne nicht fassbar sind, weil niemand konkret weiss, was es ist. Jeder hat zwar einen Begriff davon, aber stellt sich konkret etwas ganz anderes darunter vor. Sofern Handeln auf die Pluralität der Menschen angewiesen ist, ist die erste Katastrophe der abendländischen Philosophie, die schliesslich in ihren letzten Denkern sich des Handelns bemächtigen will, dass Einigung prinzipiell unmöglich und Tyrannei prinzipiell notwendig wird.
2. Dass zum Zwecke des Handelns jegliches als das Absolutge gelten kann -- Rasse, klassenlose Gesellschaft, etc. Alles ist gleich zweckmässig, »everything goes«. Die Wirklichkeit scheint dem Handeln so wenig Widerstand entgegenzusetzen wie den verrücktesten Theorien, die ein Scharlatan sich ausdenken mag. Alles ist möglich.
3. Darduruch, dass man Absolutes -- Gerechtigikeit z.B. oder das »Ideal« überhaupt wie bei Nietzsche -- zum Zweck ansetzt, ermöglicht man vorest ungerechte, bestialische Handlungen, weil das »Ideal«, die Gerechtighkeit ja als Masstäbe nicht mehr existieren, sondern zu innerweltlich erreichbaren, herstellbaren Zwecken geworden sind.
Mit anderen Worten, die Realisierung der Philosophie schafft die Philosophie, die Realisierung des »Absoluten« schafft das Absolute wirklich tatächlich aus der Welt. So schafft schliesslich die vorgebliche Realisierung des Menschen die Menschen einfach ab.
Hannah Arendt Denktagebuch 1950-1973 Erster Band132-133

活動を行う際に、以下の致命的な点が明らかになる。
1. 「絶対的なるもの」、「感覚を超えたもの」、真、善、美とは把握不可能であること。なぜならば、誰もそれが何であるかを具体的には知らないから。一人一人の人間はそれについてのある概念を確かにもっている。しかしそれに関して、各自は具体的に全く異なるものを想像している。活動が人間の複数性に依拠している限りにおいて、西洋哲学の最初の破局とは、西洋哲学が、[西洋哲学]最後の哲学者において活動を強奪することを欲し、合意が原則として不可能なものとなり、暴君が原則として必要になってしまうことである。
2. 活動の目的のためには、どんなものでも絶対的なるものとして通用してしまうこと。人種、無階級社会、等。全てが等しく目的にかなったものである(everything goes)。現実は、活動にとって、非常わずかの抵抗しか対置できないように見える。その抵抗は、イカサマ師がでっち上げることを好みそうなとんでもない理論のように弱いものである。全てが可能なのである。
3. 絶対的なるもの--例えば正義、あるいはニーチェのように「理想」を一般的に--「目的」として設置することによって、人は不正義で、けだもののような行為もとりあえず可能にしてしまう。なぜならば「理想」、正義はもう基準としては存在せず、内面世界的に達成できるものとして設定される目的となってしまったからである。
言い換えるなら、哲学を現実のものにしてしまうことは、哲学を終わらせてしまうことであり、「絶対的なるもの」を現実のものにしてしまうことは、絶対的なるものを、世界から実際本当に終わらせてしまうことである。かくして[単数形の]を現実のものにしてしまうことは、[複数形の]人間をあっさりと終わらせてしまう。

2008年3月23日日曜日

ネグリ氏来日中止という日本の事実

アントニオ・ネグリ氏の来日が、日本国法務省の突然の膨大な書類請求により拒まれました。法務省の意図がどこにあるのかはわかりませんが、この五年間にネグリ氏が訪れた、中国や韓国を含めた22カ国のどこの国でもこのような扱いは受けたことはないそうです。

日本国法務省の意図をどう解釈するにせよ、国際的に自由に活動している政治哲学者が来日することすらできない。これが日本の事実です。

YouTubeにあがった姜尚中さんの見解に私は賛成し、私は「マルチチュード」の一人として、ここにそのインタビューにリンクを貼り、国際文化会館に寄せられた来日中止にあたりネグリ氏及びパートナーのルヴェル氏から届いたメッセージを転載する行動をとります。

http://jp.youtube.com/watch?v=g9bLAa41OE0

日本の友人たちへの手紙

皆さん、

まったく予期せぬ一連の事態が出来し、私たちは訪日をあきらめざるを得なくなりました。この訪日にどれほどの喜びを覚えていたことか! 活発な討論、知的な出会い、さまざまな交流と協働に、すでに思いをめぐらせていました。

およそ半年前、私たちは国際文化会館の多大な助力を得て、次のように知りました。EU加盟国市民は日本への入国に際し、賃金が発生しないかぎり査証を申請する必要はない、と。用心のため、私たちは在仏日本大使館にも問い合わせましたが、なんら問題はありませんでしたし、完璧でした。
ところが2日前の3月17日(月)、私たちは予期に反して査証申請を求められたのです。査証に関する規則変更があったわけではないにもかかわらずです。私たちはパリの日本大使館に急行し、書類に必要事項をすべて記入し、一式書類(招聘状、イベントプログラム、飛行機チケット)も提示しました。すると翌18日、私たちは1970年代以降のトニの政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔に遡る膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。

飛行機は、今朝パリを飛び立ち、私たちはパリに残りました。

大きな失望をもって私たちは訪日を断念します。
数カ月にわたり訪日を準備してくださったすべての皆さん(木幡教授、市田教授、園田氏――彼は日々の貴重な助力者でした――、翻訳者の方々、諸大学の関係者の方々、そして学生の皆さん)に対し、私たちは申し上げたい。あなたたちの友情に、遠くからですが、ずっと感謝してきました。私たちはこの友情がこれからも大きくなり続けることを強く願っています。皆さんの仕事がどれほど大変だったかよく分かります。そして皆さんがどれほど私たちに賛辞を送ってくださっているかも。
パーティは延期されただけで、まもなく皆さんの元へ伺う機会があるだろう、と信じたい気持ちです。

友情の念と残念な思いを込めて……

2008年3月19日 パリにて
ジュディット・ルヴェル
アントニオ・ネグリ

(訳 市田良彦神戸大学教授)


[3/23にhttp://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/ushiba/index.htmより転載



追記(2008/03/25)
http://www.negritokyo.org/geidai/negri-at-geidai/joint-statement/
で得た以下の情報を転載します。

2008年3月24日 東京大学においてネグリ氏来日阻止に関する記者会見が行われ、以下の共同声明文が発表されました。

アントニオ・ネグリ氏とジュディット・ルヴェル氏の来日中止に関する共同声明

私たちは、哲学者アントニオ・ネグリ氏と彼のパートナーであるパリ第一大学准教授ジュディット・ルヴェル氏の来日を、ネグリ氏の招聘元である国際文化会館とともに準備し、それぞれの大学において両氏が参加する公開あるいは非公開での講演と討論を企画してきた者である。2008年3月20日から4月4 日の日本滞在中、両氏は私たちをはじめ、さまざまな人々と思想的・学問的・文化的交流を行う予定であった。しかし両氏は、現在にいたるまで日本に入国していない。

私たちはその責任がひとえに日本政府にあると考える。外務省は入国予定の3日前、3月17日になって、それまで数ヶ月来国際文化会館とネグリ・ルヴェル両氏に伝えていた「入国査証は必要ない」との言を翻し、査証申請を行うよう要求してきた。そして、出発直前の極めて慌しいスケジュールの合間をぬって両氏から申請が行われるや、今度はネグリ氏に対し、自分が「政治犯」であった「書類上の根拠」を示せと要求したのである。入国管理法第5条4項「上陸の拒否」(「1年以上の懲役もしくは禁固またはこれらに相当する刑に処せられたことのある者」は「本邦に上陸することができない」)の但し書き(「政治犯罪により刑に処せられた者は、この限りではない」)による「特別上陸許可」を認めるためである。

アントニオ・ネグリ氏が「政治犯」であることはすでに国際的に承認されている事実である。彼は欠席裁判により有罪を宣告された——これは刑事裁判にかんしては「国際人権規約」上無効である——うえ、「国家転覆罪」というまさに「政治犯罪」の廉により、実行行為をともなわない思想上の影響という「道義的責任」を問われて、有罪とされた。だからこそ、フランス政府は1983年から1997年の14年間にわたり、イタリア政府からの身柄引き渡し要求にもかかわらず、ネグリ氏を保護したのである。その際、ネグリ氏に対して「政治亡命者」の法的身分が与えられていなかったとしても、それはフランス政府独自の外交的判断にもとづくものであって、ネグリ氏が「政治犯罪により刑に処せられた」事実をいささかも揺るがすものではない。ネグリ氏は1997年7月、現在もなおイタリアに存在する近過去の「政治犯」問題に一石を投じるべく、フランスからイタリアに自発的に帰国し、服役するが、これは彼が「良心の囚人」となったことを示しているのであり、すべての刑期を終えて完全自由の身となった2003年10月以降は、現在まで22カ国を歴訪し、そのどこからも日本政府からのような要求を受けたことはない。

さらに私たちにとっては、もう一つ看過しえないことがある。ジュディット・ルヴェル氏は短期滞在の場合には査証を免除されるフランス人であり、かつ「上陸の拒否」を云々できるような前歴はないにもかかわらず、その彼女にまで、外務省が査証申請を要求したという事実である。

ネグリ・ルヴェル両氏の来日をめぐる以上のような経緯に鑑みれば、今回の日本政府の対応は、両氏に対する事実上の入国拒否を企図するものであったと判断せざるをえない。かくして私たちとネグリ、ルヴェル両氏は、世界の22カ国ですでに行われ、これからも増えていくにちがいない国境を越えた思想的・学問的・文化的交流の機会を奪われた。両氏の移動の自由が侵害され、関係者すべての思想信条・学問の自由が侵された。私たちは強く抗議するとともに以下の点を日本政府に求めるものである。

(1) 入国3日前に前言を翻して査証申請を求め、アントニオ・ネグリ氏とジュディット・ルヴェル氏に甚大なる精神的苦痛を与えた点について、外務省は彼らに謝罪せよ。

(2) 法務大臣は今回の事実上の入国拒否の非を認め、責任を持ってアントニオ・ネグリ氏の過去の罪状を入管法上の「政治犯罪」と認定し、すみやかに「特別上陸許可」を与えよ。

(3) 日本政府は署名各大学の事業当事者、学生、聴衆の研究・学習・知的 交流の機会を奪ったことを認め、謝罪せよ。

2008年3月24日

京都大学人文科学研究所・人文研アカデミー「アントニオ・ネグリ講演『大都市とマルチチュード』」(3月25日) 
実行委員会:大浦康介、岡田暁生、小関隆、王寺賢太、久保昭博、藤原辰史、市田良彦(神戸大学)、廣瀬純(龍谷大学) 

大阪大学GCOE「〈ジェンダーとコンフリクト〉プロジェクト」+大阪府立大学女性学研究センター「女性学コロキウム」(3月26日)
牟田和恵(大阪大学)、伊田久美子(大阪府立大学)

東京大学ネグリ講演会「新たなるコモンウェルスを求めて」(3月29日)
準備委員会:姜尚中、吉見俊哉、上野千鶴子

東京藝術大学「ネグリさんとデングリ対話」(3月29日/30日)
実行者会議:木幡和枝、坂口寛敏、毛利嘉孝、桂英史

お茶の水女子大学「ルヴェル・コロキュアム」(3月31日) 
戒能民江、竹村和子

ノルベルト・ボルツ著、村上淳一訳『世界コミュニケーション』東京大学出版会

この本を読むにはルーマンやハーバマスについてある程度の知識を持っておいた方がよいでしょう。しかしそういった固有名を知らなくとも、社会や組織や他人との相互作用の中で、未来を作り上げようとしながらも、未来は私たちが単純に計画したようにはならないことを痛感されている方、現実世界の「複合性」(complexity)を無視できない方ならこの本を面白く読めるかもしれません。

以下、何カ所か引用しながら、私なりに考えたことを連ねてみます。

***

一つの理想を定め、その達成のためにひたすら努力するという発想はしばしば美談として語られますが、実際の世界では、理想の唯一性が私たちを壊してしまうこともあります。私たちは、単一の理想のために固定された目的合理性を警戒する必要があります。ユートピアは私たちを憂鬱にしてしまうか、頑なで迷惑な善人にしてしまうのかもしれません。

人が憂鬱になるのは、ユートピア的な目標を設定しておいて、それが達成されないのは自分の力不足のためだと考える場合である。はっきり言えば、問題を解決できると思うこと自体が問題であり、治療薬としてのユートピアとは、それ自体が病気なのだ。(148-149ページ)

「ユートピアは、経済学者の言葉に従えば<確実性の世界>である。それは<見つかったパラダイス>である。ユートピアの住人はあらゆる答えを知っている。しかし、われわれが住んでいるのは、不確実性の世界なのだ」。いつものことながら、ユーモアのセンスのない人々、思い上がった人々は、倫理という武器庫から武具を取る。(149ページ)


私たちの未来は、おそらく確実にといっていいほど、私たちが計画した通りにはなりません。それではその不確実性に対して、私たちは情報を増やすことで対応できるのでしょうか。情報を多くすれば、私たちは誤った未来予測から解放されるのでしょうか。ボルツは、情報化はかえって私たちを迷わせてしまうかもしれないことを指摘します。

われわれにとって重大な諸問題は、知識がないために生ずるのではなく、針路どり(オリエンテーション)がないために生ずるのだ。われわれは混乱しているだけで、無知であるわけではない。しかし、まさにそのことが、「情報時代」の熱狂と、その<事実、事実、また事実>の事実一点張りによって、見えなくなってしまっている。新しい情報テクノロジーの圧力の下で、あらゆる問題を無知の問題と解する傾向が出てきている。しかし、意味を求める問いに情報をもって答えることはできない。「問題は混乱にあるのであって、無知にあるのではない」。理解したいと欲する者は、いろいろな情報を破棄しなければならない。こうして、われわれは、パラドクシカルな結論に達する。マルチメディア社会の情報氾濫のただかかで、「付加価値」と言えるのは、情報を減らすこと以外にない。(116-117ページ)


理想一筋でもいけないし、情報を増やすだけでもいけないとするなら、私たちはどうすればいいのでしょうか。相互作用や組織や社会といった複合性(complexity)の高い問題に対応するにはどうすればいいのでしょうか。一つのことをやり始めることでしかない、とボルツは言います。しかしそのストラテジーは、最終目的の達成ために直線的に連結された一連の手段の最初に手をつけることではありません。一つのことをやっては振り返り、その時点で改めて自分には何ができるか、何をなしうるか、何をなすべきかを考え直し、次の可能性につなげてゆくことが、物事の複合性の中で「限定的な合理性」(bounded rationality ハーバート・サイモン)しか持ち得ない私たちの最善手でしょう。

社会的な問題は、いちどきに解決できるものではなく、細分して対処するしかない。(中略)いちどきに解決することのできないそれらの問題は、問題解決のための触媒にはなるが、その解決から別の問題が派生する。つまり、問題の解決とは、実は問題を定義しなおすことである。「われわれは、<われわれの外に>[解決すべき]問題を発見するのではない。われわれは、問題をどのように定義するかを選択するのだ。(12ページ)


私たちの未来は、ある時点で設計された計画通りに到来するのではありません。私たちの一歩は、新たな展開を招来し、さらに多くの可能性を生み出して、私たちは私たち自身の行為によって、私たちが予期していなかった行為をなすようにも導かれるのです。私たちは、私たちの範囲を超えたものに翻弄されながら、私たちがなしうることをなしうるのみです。

進化は、それ自体が進化する。したがって、「進化概念自体が、<見立て>を不可能にする」。社会進化は、未来を先取りすることなしに、複雑性に反応する。(中略)進化は時間に期限をつけず、目標のない開かれた時間にする。われわれが未来をもつということ、そして未来についての知識をもたないということは、同じ自由の表と裏である。われわれは、動いている目標に向けて動いているのだ。だから、未来は予測できるものではなく、われわれの動きによって未来を誘発する可能性があるにすぎないといえる。(155-156ページ)


もちろん新たな展開の中で、ある針路を取ることは、必ずしも正しい選択ではない可能性があります。しかし誰も「正しい」選択を知り得ないのです。私たちは、それぞれがそれぞれの時点でなしうることを冷静的かつ現実的に判断している限りにおいて、それぞれがそれぞれに異なる複数の未来像を描くことを許し合うべきでしょう。

いまユートピアに代わるのが、複雑性に対する高い感度と、リスク意識である。現代的なのは、もはや目標を追求することではなく、リスクを冒すことなのだ。リスクの問題において確実なのはただ一つ、他の人々も確実性を手にしていないということである。未来とは、リスクである。こうした未定の未来が、互いに排除しあうさまざまの<未来における現在>を、現在の時点で許容する。だから、人々はいま、未来を予言する代わりに、さまざまの<可能な未来>を比較しようとする。さまざまの可能な未来を計画してみるしかないのだ。ユートピアに代えてわれわれが手にするのは、機能主義的な「さまざまの可能性」である。(159ページ)


正答は誰も、いかなる時にも知り得ないものだとしたら、私たちにとって大切なのは、どれが「本当の正答」かを現時点で決定しようとするのではなくて、現時点で誤りのように思えそうなことがあれば、そこから自己修正を図ることでしょう。いやそれ以前に、私たちが自己修正、つまりは計画変更をすることを許すことでしょう。

予見できなかった事態に対応する能力は、弾力性をもつこと、そして抵抗に対処していけることを、前提とする。それは、衝撃の吸収と、突発自体への対処[危機管理]がうまくできるかどうかということであり、そのかぎりで、<立ち直る力>をもつという美徳は、効率性の要請と交錯する。たとえば持続性追求のような<先取り戦略>が安定性に賭けるのに対して、<立ち直り戦略>は可変性に賭ける。柔軟に対応できるためには、余剰性(リダンダンシー)[余裕、あそび]と、緩やかな結合が必要である。(162ページ)


ここで「無用の用」、つまり、直接的な目的-手段構造はもたないものの、どこか私たちを豊かにしてくれる、いわゆる「教養」の重要性が再浮上してきます。

職業上の未来が不確実であればあるほど、「実務重点」教育はリスキーになる。これは「人文学」(ヒューマニティーズ)にとっての慰めであろう。(127ページ)


しかし人文・社会系であるはずの教育界においても、ますます私たちは、測定可能・実証可能な「事実」をエビデンスとして提示しながら、過去に定められた計画に自分を合わせることを強いられているような気がします。「アカウンタビリティー」や「数値目標」といった流行語によって、私たちは「複雑性に対する高い感度と、リスク意識」を失いつつあるのではないでしょうか。

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2008年3月21日金曜日

広島市小学校への英語科導入という「大規模・長期計画」について

以下の記事は、「英語教育セミナー」で柳瀬が行うプレゼンテーション用の資料です。

「英語教育セミナーは」(1)日時 平成20年3月22日(土)開場 13時00 開会 13時15分から17時00分(2)会場 広島女学院大学 ヒノハラホール5階 広島市東区牛田東4-13-1(3)主催 (財)日本英語検定協会(4)後援 広島市、広島市教育委員会(予定)㈱中国放送(5)協賛(予定)中国新聞社、朝日新聞社(6)協力 広島女学院大学、で開催されます。



広島市小学校への英語科導入という「大規模・長期計画」について

柳瀬陽介
広島大学大学院教育学研究科英語文化教育学講座
yosuke@hiroshima-u.ac.jp
http://yanaseyosuke.blogspot.com/
http://yosukeyanase.blogspot.com/


0 はじめに

広島市内八区の141校の小学校すべてに「英語科」を新設するというのは、言うまでもなく、大規模で長期的な計画です。この場合の「大規模」とは関係者が全員お互いに直接対面できない規模の大きさを言います。「小規模」とは関係者全員が直接対面していることが常態の規模、「中規模」とはその中間規模と定義します。
http://www.school.edu.city.hiroshima.jp/school/shou.html
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/1171357708361/html/common/45d2978f006.html

大規模で長期的な計画は、小規模で短期的な試みの延長で考えられてはいけません。前者には、後者では発生しないような問題が生じるからです。端的には直接的な相互作用(コミュニケーション)があまり期待できないので、きちんとした理念と計画を明確に言語化し、それを共有しておく必要があります。しかし日常生活で小規模な短期的な試みばかりに慣れている私たちは、大規模で長期的な計画の発想に慣れていません。

ここでは広島市小学校への英語科導入を大規模・長期計画として考えるために、少々大げさな回り道に見えるかもしれませんが、20世紀の日本が経験した最大にして最悪の大規模・長期計画であった「戦争」(日中戦争・太平洋戦争・大東亜戦争)を振り返り、改めて「戦略・戦術・兵站」の区別をして、小学校への英語科導入を考えたいと思います。



1 昭和史の反省から

以下、私が読んだいくつかの本からの引用・要約を行います。
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/review2006.html#060828
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/review2004-5.html#051223

1.1 「日本的思考」?

半藤一利(2004)『昭和史1926-1945』平凡社

 第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてはいけない。ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。熱狂というのは理性的なものではなく、感情的な産物ですが、昭和史全体をみてきますと、なんと日本人は熱狂したことか。マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威をもちはじめ、不動のもののように人びとを引っ張ってゆき、流してきました。(499-500ページ)

 二番目は、最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしないということです。自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意なんですね。物事は自分の希望するように動くと考えるのです。(500-501 ページ)。

 三番目に、日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害があるかと思います。陸軍大学校優等卒の集まった参謀本部作戦課が絶対的な権力をもち、そのほかの部署でどんな貴重な情報を得てこようが、一切認めないのです。(502ページ)。

 そして四番目に・・・・国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった、これまた常に主観的志向による独善に陥っていたのです。(502ページ)。

 さらに五番目として、何かことが起こったときに、対処療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想です。これが昭和史のなかで次から次へと展開されたと思います。その場その場のごまかし的な方策で処理する。時間的空間的な広い意味での大局観がまったくない、複眼的な考え方がほとんど不在であったというのが、昭和史を通しての日本人のありかたでした。(502ページ)


1.2 「和をもって貴しとなす」?

保阪正康(2004)『父が子に語る昭和史』PHP文庫

 日本人は、討論や議論を好む民族ではないといわれてきたが、それは対立点をだしあってじっくりと話し合い、そこから調整点をさがしだす習慣をもっていなかったということでもある。和をもって貴しとするというのは、いかにも日本的発想だが、しかしこれがひとたび政治の領域にはいればひとつの考えだけが幅をきかし、それ以外は認めないとの独善になる。

 この時代をいまこうしてふり返ってみると、あまりにも「国論一本化」に狂奔した時代があったと驚かされるだろう。こういう時代には良質の個人主義など育つわけはない。そこからは大胆な発想などもでてこないとわかるはずだ。
 国民は上からいわれたことをそのまま諾々と受け入れてしまう。他人と異なっているのは怖いという感情をもつ。(119ページ)



1.3 戦術はあっても戦略はない

保阪正康(2005)『あの戦争は何だったのか』新潮新書

 
私は、この戦争が決定的に愚かだったと思う、大きな一つの理由がある。それは「この戦争はいつ終わりにするのか」をまるで考えていなかったことだ。
当たり前のことであるが、戦争を始めるからには「勝利」という目標を前提にしなければならない。その「勝利」が何なのか想定していないのだ。(105ページ)

 私はこれまで、太平洋戦争中に戦争指導者たちが行ってきた「大本営政府連絡会議」を初め、様々な会議の資料をずいぶん当たってきた。しかし、一度として「この戦争は何のために続けているのか」という素朴な疑問に答えた資料、あるいは疑問を発する資料さえ目にしたことがない。彼らが専ら会議で論じているのは、「アメリカがA地点を攻めてきたから、今度は日本の師団をこちらのB地点に動かし戦わせよう」といった、まるで将棋の駒を動かすようなことばかりであった。それで二言目には、「日本人は皇国の精神に則り・・・」と精神論に逃げ込んでいってしまう。(2005: 121ページ)

「戦術」はあっても「戦略」はない。これこそ太平洋戦争での日本の致命的な欠陥であった。(166ページ)


1.4 戦術はあっても兵站がない

山本七平(2004)『日本はなぜ敗れるのか』 角川oneテーマ21

日本軍は、制海権のないバシー海峡(台湾とフィリピン領パタン諸島(バシー諸島)との間にある海峡)に、兵員を満載したボロ船を送り続けた。船は多くが米軍潜水艦の魚雷攻撃を受け、数分から15秒程度で沈没し、ほとんどは助からなかった。船には船倉1坪(畳二帖)あたり14人(カイコ棚二段で7人ずつ)の日本兵が入れられ、便所も満足なものはなかった。この「押し込み率」はナチ収容所最悪の狂人房と同じである。日本軍は日本の船舶が実質上ゼロになるまで機械的にこの愚行を行い続けた。「やるだけのことはやった、思い残すことはない」というのが軍の首脳の言い訳であろう。(35-70ページの記述を柳瀬が要約)




2 戦略・戦術・兵站の区別

 周知のことかと思いますが、ここで「戦略・戦術・兵站」の常識的な意味を再確認しておきましょう。

2.1 戦略 (strategy)

長期的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法。戦略の具体的遂行である戦術とは区別される。三省堂「大辞林 第二版」
もともとは軍事用語であり、国家や同盟が長期的な目標の達成のためにとる大規模で総合的な計画と実施方法をいう。Microsoft(R) Encarta(R) 2007.


2.2 戦術 (tactics)

(1)個々の具体的な戦闘における戦闘力の使用法。普通、長期・広範の展望をもつ戦略の下位に属する。(2)一定の目的を達成するためにとられる手段・方法。三省堂「大辞林 第二版」

2.3 兵站 (logistics)

戦場の後方にあって、作戦に必要な物資の補給や整備・連絡などにあたる機関。三省堂「大辞林 第二版」



3 英語教育の戦略とは?

3.1 世界史的変動への対応


 小学校英語教育のことを考える前に、英語教育一般のことについて、ここではその戦略について考えておきましょう。私は大津由紀雄(2006)『日本の英語教育に必要なこと』慶應義塾大学出版会の中の「英語教育の原理について」で述べたように、日本の英語教育は「世界史的変動への対応」を根本原理として機能していると考えています。
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/review2006.html#060711

幕末から明治期においては世界的な「国民国家・植民地経済体制への対応」として英語教育が画策されました。第二次世界大戦後は、「全体主義の克服と経済復興」のために英語教育が使われたと考えています。そしてその課題がほぼ達成した頃に生じたのが1990年代の冷戦終結と情報革命によるグローバリゼーションです。

3.2 グローバリゼーションとは

3.2.1 グローバリゼーションの認識(ネグリとハートの論考から)


http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/review2006.html#060425

私はグローバリゼーションをネグリとハートの論考などから、以下のように規定します。

インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジーによって「私たち」が、加速的に多様に、緊密に結びつけられ、経済はおろか政治、社会、学術、文化や環境、あるいは人権や戦争においてすらさまざまな度合いで連結されており、その連結はグローバルな規模に及ぼうとしている。このグローバルな結びつきは、脱中心的・脱領土的に私たちのあり方を強く規定している。

この時代において「私たち」は、それぞれ様々に異なる様態で存在しながら、誰も現在のグローバルな結びつきから逃れることができない。「私たち」は、実態の生活においては実に様々に異なりつつ、グローバルにつながっている。「私たち」は、「多にして一、一にして多」なる「マルチチュード」(multitude)である。



3.2.2 グローバリゼーションへの誤解


したがって、以下のような考えは私は誤解だと考えます。

3.2.2.1 誤解その1:グローバリゼーションとは一部の人々の問題である。

→グローバリゼーションは、様々な様態と度合いですべての市民に影響している。異なる言語と文化を持つ人々との交流、および「私たち」の言語と文化の再検討は重要

3.2.2.2 誤解その2:グローバリゼーションとはアメリカ化と英語の問題である。

→アメリカ国民あるいはアメリカ語を話している人々がそれだけの理由で世界を支配しているというのは単純化が過ぎる議論である。米国と英語だけでは現在のグローバル規模のネットワークは形成・維持できない。

→排他的二言語主義ではなく、複言語主義が必要である。

排他的二言語主義(exclusive bilingualism)とは、英語と日本語の習得だけを言語教育の範囲と考え、かつ文化植民地的発想から、英語は母国語のように話せるまで学習しなければならないという考え。

複言語主義(plurilingualism)とは、一人の人間が母語と二つ以上の外国語に親しみ、それらを自分なりの必要性に応じて複合的に使いこなし、多様なコミュニケーションを促進する考え方。欧州評議会により提唱された考え。詳しくは
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/plurilingualism.html


3.3 他教科の学力と連動した社会で使える言語力

 現代日本の英語教育も、できるだけ客観的な時代認識に基づいて遂行されるべきです。上の考察から、私は日本の英語教育は、経済・政治・社会・学術・文化・環境・人権・戦争などの様々な結びつきの一手段として、市民がそれぞれの立場から英語を使いこなせるようにすることが主目的であると考えます。

 そうしますと、今まで日本人に関しては、仮に英語の成績がよくとも、実際に英語を社会的な状況で使うとなると「意見をもたない、論証ができない、議論ができない」とも、会議では「ニコニコ笑っているか眠っている」、まれに「ペラペラとわかりきったことばかりしゃべる」とも言われてきましたが、そういった状況は打開されなければなりません。

 広島市の試みで言いますなら、「言語・数理運用科」などを筆頭とした他教科との学力との連動を英語教育関係者は常に念頭におく必要があります。自分は「英語」だけ教えていればいいというのは狭い考え方だと私は考えます。
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/1171357708361/html/common/45d2978f006.html




4 小学校英語教育の戦略・戦術・兵站とは?

 ここでようやく小学校英語教育の戦略・戦術・兵站について考えます。

4.1 小学校英語教育の「戦略」とは?

 小学校英語教育(初等英語教育)の戦略とは、当たり前のようですが、中等・高等英語教育と合理的に連携することです。しかし、この「当たり前のこと」の認識はきちんとしているでしょうか。私はこの認識があやふやだと、中学校英語教育は大混乱し、大学での英語教育も混迷したままだと考えます。

4.1.1 小学校英語教育と中学校英語教育の連携

小学校と中学校の連携を説明するには「心・耳・口・目・手・頭」というメタファー(正確にはmetonymy)を使うと便利だと私は考えています。

小学校英語活動:(関心・意欲・態度など)
小学校英語科:耳・口(リスニングとスピーキングの基礎・定型的なもの)
中学校:目・手・頭(リーディング、ライティングが正確に素早くできる。文法で創造的に言語使用ができる)



4.1.2 初等・中等・高等英語教育の連携


初等から高等教育までの英語教育の連携を理解するためには、話し言葉(相互作用での言語使用)と書き言葉(脱-相互作用的言語使用)の区別を導入するべきだと考えます。


小学校:(定型的な)話し言葉を聞き始める・話し始める
中学校:(文法的な)話し言葉を聞く・話す・読む・書く
高校:(一般的な)書き言葉を読み始める・書き始める、聞き始める・話し始める
大学:(専門的な)書き言葉を読む・書く・聞く・話す


例えば理系の大学生には専門学術誌の論文を読みこなし、曲がりなりにも英語で学会発表ができるような英語力が求められています。それなのに大学の英語教育が「英会話」やTOEICなどばかりに奔走するのはどこかおかしいと私は考えています。

4.2 小学校英語教育の「戦術」とは?

研究開発校での創造的な授業実践と小学校教員の対応力・柔軟性・創造力には私は正直感嘆していますし、頭の下がる思いです。しかし少数の例を多数に拡大適用することには注意が必要です。大規模で長期的に戦術を遂行しようとすればきちんとした兵站が必要です。


4.3 小学校英語教育の「兵站」とは?

4.3.1 小学校教員への英語研修


新たな試みを行おうとする英語教員への研修は十分かと考えるとき、次のような例を知ると日本の試みは不十分ではないかとも思えてきます。

Kwon(2000)のまとめによると韓国文部省は2001年から本格的に導入される小学校英語教育のために、1996年から小学校教師に120時間の現職教育 (in-service training programs)を実施している。
この基本プログラムを終えたものに対しては、さらに120時間の上級プログラム (advanced program)が企画され、実行された。1996年度においては25,000人の小学校教師が現職教育プログラムを受けた(18,800人が基本プログラムで、6,600人が上級プログラム)。さらには700人の小学校教師が、四週間の海外トレーニングを受けた。
Kwon, Oryang. (2000). Korea's English education policy changes in the 1990s: Innovations to gear the nation for the 21st century. English Teaching, 55 (1), 47-91.


4.3.2 ALTなどとの打ち合わせの時間の確保

 経験のない教科をティームティーチングで教えるのに、打ち合わせの時間すら確保されていないのが現状である。この問題は必ず合法的に解決されなければならない。

4.3.3 教案・教材・教具などの電子的共有

 すべての小学校英語教師が一から教案を考え、教材、教具を準備するのは不合理である。著作権に気をつけながら、せめて広島市内の小学校教員の間で、教案・教材・教具などを電子的に共有するインフラが必要ではないか。

5 まとめ

小学校英語教育を、戦術といった授業案レベルだけでなく、戦略といった徹底的に抽象的なレベルでも、兵站といった徹底的に即物的なレベルでもよく考えることが必要だと思います。

以上

2008年3月12日水曜日

田中茂範『文法がわかれば英語はわかる!』NHK出版

体系性と具体性とわかりやすさに優れた本です。「新しい英文法のパラダイムとなるような学習文法書をいつか執筆したい」という田中先生の長年の思いは、NHKテレビ『新感覚☆わかる使える英文法』の講師を経験することにより、1200ページもの放送テキストになり、そしてその結晶がこの本となりました。

田中先生は認知言語学の立場から、「主体が世界をいかに表現するかという観点」で「使える文法」の記述を、「文法においても意味的な動機づけ(semantic motivation)がある」という観点で「わかる文法」の説明を目指しました。

この基本的な考え方から田中先生が提示するのは、英文法を、(1)コトの世界を扱う動詞の文法、(2)モノの世界を扱う名詞の文法、(3)出来事を取り巻く状況を状況を扱う副詞の文法、(4)チャンクの作り方とつなげ方(チャンキング)という枠組み、で体系的に説明します。この体系が終始一貫しているので、読者は英文法を統一的に理解することができます。従来の文法書がとかく様々な記述の連なりだけになりがちだったのとは対照的です。

さらにこの本の例文は非常に具体的で、なおかつその例文が使われる時の状況、使う人間の認識などが丁寧に描かれているので、読者は英語を使うということはどういうことなのかということをよく理解することができます。

加えてそのわかりやすさは、読者に親切なデザインとレイアウトでさらにパワーアップしています。本全体としてはPart/Overview/Chapters/Summing-upという構成で、読者は今自分が何を学んでいるかの流れがわかるようになっています。ページ毎のレイアウトも直感的にわかりやすいもので、文字のフォントや色合いも読者の理解を助けるための工夫に満ちています。出版物というのは著者とデザイナーの共同作品だということを強く感じます。

この本を読み通すことで、英語教師の卵は英文法についてこれまで得られなかった深い認識に到達することができるでしょう。ベテラン英語教師も「なるほど!」「その通り!」といった知的満足を随所で味わうことができるでしょう。私もこの本を通読することによって、人間がいかに英語という形式を使いこなし、また英語という形式でいかに人間の認識が作られていくかという言語と思考の双方向の関係を具体的に実感することができました。

これだけの本が1100円というのは驚きです。出版社としては売れることを目指しているのでしょうし、私自身もこのような良書は多くの人の手に届いて欲しいと思います。

この本がねらうように、この本の記述と説明が、読者の英語使用の実践的感覚と結びつけば、この本の記述と説明は、読者が英文法がわかりそして英語がより的確に使えるようになるためのすばらしい「格率」(maxim)(=「各人の採用する主観的な行為の規則」『大辞林 第二版』)となることでしょう。

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参考記事:「格率」や、技能と技能を記述・説明する言語の関係についてもしご興味があれば、次の記事もお読み下されば幸いです。
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/zenkoku2006.html#070517

2008年3月5日水曜日

アレントによる根源的な「個人心理学」批判

現代では人々のつながりが失われつつあると人々は嘆きます。企業人も家庭人も教育者も「コミュニケーション能力」が大切だと口々に訴えます。

しかしその「コミュニケーション能力」も少なくとも言語学や応用言語学の主流では、個人の枠組みの中でしか考えられていません。コミュニケーションとは「心」(mind/brain)の作用であり、それを可能にする能力は個人の「心」の中に求められるべきだと考えます。Chomsky (1986, p. 3) はこのような発想を「個人心理学」 (individual psychology) と呼び、この枠組みを自らの研究の立場としています。

ですが、コミュニケーションとは本来、人と人の間にあるものであり、一人の人間の心の中の働きだけには還元できないはずです。コミュニケーションは、いわば定義上、個人心理学のテーマではなく、社会的次元を考慮した学問のテーマであると言えましょう。

私はこの「社会」という概念の重要性をルーマンの著作に教えられましたが、先日たまたま読んだアレント『政治の約束』(筑摩書房、翻訳は高橋勇夫)の一節も、この社会性の重要性と、個人心理学的発想の危険性を、見事に表現しているように思えました。

もちろん個人心理学の発想がまったく不要だとか間違いだという極端なことを私は言おうとしているのではありません。ただ、コミュニケーションとか教育とかいうことは、本来社会的次元で考えられるべきではないのか、それらを個人心理学の枠組みだけで考えるのは偏った思考法ではないのかという危惧だけは表明したく思います。

アレントは人間を、単独的存在 (Man)ではなく、複数的存在(men)として捉えます(これが性差別的表現かどうかということはひとまずおかせてください)。彼女は人間の「複数性」(plurality)を、人間が人間であるための大切な条件として考えます。人々が共に行動し、語り合い、差異を認め合う空間こそが、人間の住む世界だと彼女は考えます。この意味で「世界」とは物理的空間として考えるよりは、社会的空間として考えられるべきです。そしてその社会的空間はコミュニケーションによって構成されるとはルーマンの主張です。

コミュニケーションや教育が、人間の住む「世界」のためのものだとしたら、私たちはアレントの以下の「個人心理学批判」を看過できないと私は思います。きちんとした翻訳は前述の高橋先生の翻訳書に示されていますので、ここではかなり意訳した拙訳と原文を示します。拙訳の[ ]は私が補った部分です。 “Judge”は『精神の生活』、 “suffer”は『人間の条件』で扱われている用語、 “condemn”は『イェルサレムのアイヒマン』で扱われているテーマに関した言葉かと推測し、かなり補った訳をしています。

まあ拙訳の出来具合はともかく、私たちは「個人心理学」の発想に慣れ親しむあまり、社会的次元で考え行動することにいつのまにか疎くなってしまっているのではないかという疑いは、このアレントの引用とともに表明したいと思います。

各々が心を閉ざし自足していると信じている個々人の物理的な集まりは社会でも世界でもありません。

私たちはもっと社会的に、つまりは多元的に考え、社会的に、つまりは他人とのコミュニケーションを前提として発言し、社会的に、つまりは自らの正義を不問の前提とせずに行動すべきではないでしょうか。社会という、誰もがその結末を予想できない複雑な流れに身をゆだねる勇気こそが、「私」という人間の人間らしさを、他人との差異の中で教えてくれるのではないでしょうか。そして人間らしい人間が増えてこそ私たちの世界は豊かになるのではないでしょうか。

現代において、世界が喪失しつつあること、つまり、人々の「間(あいだ)」にあるものすべてが衰弱しつつあることを喩えて、砂漠が拡がっている、と表現することができるだろう。私たちは砂漠化した世界に暮らしている、という認識は、ニーチェによって最初にもたらされた。だがニーチェは、その状況診断において最初の決定的な間違いもした。ニーチェ以降の人間もたいていがそう思い込んでしまったのだが、ニーチェは、砂漠は私たち[の心の中]にあると信じていた。そうして自らを砂漠の住人と自覚した最初の人間だと公言した。さらにはその間違った思い込みによって、自らをその[砂漠の心という]痛ましい幻想に痛めつけられている犠牲者だと世に触れ回ったのだ。[このようなイメージが近代の心理学の底にある:ドイツ語のみにある文]現代心理学は砂漠の心理学である。私たちが判断する能力を失い、[自ら世界の中で活動し、その予期せぬ結末を]受難することもなく、[私たちが罰することも許すこともできない「根源悪」を見極め、それを] 糾弾することもなくなってしまった時、私たちは砂漠の人生の条件下で生きることができないとしたら、それは自分たちに問題があるのだと考えてしまう。[だが] 心理学が私たちを「助ける」のは、私たちがその砂漠の人生の条件に「適応」することを助けるだけである。[しかし] そのことによって心理学は私たちの唯一の希望を捨て去ってしまっている。つまり心理学は、私たちは砂漠に住んでいるにしても、本来は砂漠の民ではなく、私たちは砂漠を人間の世界に変えることができるのだという希望を打ち捨ててしまうのだ。心理学はすべてを転倒させてしまう。私たちが砂漠の条件の受難に耐え [ながらも生き続け、世界を創り出そうとす] るからこそ、私たちは依然として人間であり続け、まだ蝕まれていないと言えるのだ。[人間にとっての真の] 危機とは、本当の砂漠の住人になってしまい、砂漠に慣れきってしまうことである。


The modern growth of worldlessness, the withering away of everything between us, can also be described as the spread of the desert. That we live and move in a desert-world was first recognized by Nietzsche, and it was also Nietzsche who made the first decisive mistake in diagnosing it. Like almost all who came after himself, he believed that the desert is in ourselves, thereby revealing himself not only as one of the earliest conscious inhabitants of the desert but also, by the same token, as the victim of its most terrible illusion. Modern psychology is desert psychology: when we lose the faculty to judge – to suffer and condemn – we begin to think that there is something wrong with us if we cannot live under the conditions of desert life. Insofar as psychology tries to “help” us, it helps us “adjust” to those conditions, taking away our only hope, namely that we, who are not of the desert though we live in it, are able to transform it into a human world. Psychology turns everything topsy-turvy: precisely because we suffer under desert conditions we are still human and still intact; the danger lies in becoming true inhabitants of the desert and feeling at home in it. (p. 201)


Was wir beobachtet haben, kann auch als das Anwachsen von Weltlosigkeit, das Verdorren des Zwisschen beschireben werden. Dies ist die Ausbreitung der Wüste, und die Wüste ist die Welt, unter deren Bedingungen wir uns bewegen.
Diese Wüste ist zuerst von Nietzsche erkannt worden, und er war es auch, der bei der Diagnose und Beschreibeung den ersten entscheidenden Fehler machte: In uns selbst befände sich der Wüste, glaubte er – hierin so gut wie allen gleich, die nach ihm kamen. Mit eben dieser Diagnose enthülte er sich seinerseits als einer der ersten bewußten Bewohner der Wüste.
Diese Vorstellung liegt der modernen Psychologie zugrunde. Sie ist die Psychlogie der Wüste und gleichermaßen das Opfer der schrecklichstern Illusion in der Wüste, daß wir nämlich zu denken beginnen, mit uns stimme etwas nicht – und dies, weil wir unter den Bedingungen des Wüstenlebens nicht leben können und deshalb die Fähigkeit zu urteilen, zu leiden und zu verdammen verlieren. Insofern Psychologie versucht, Menschen zu »helfen«, hilft sie ihnen, sich den Bedingungen des Wüstenlebens »anzupassen«. Dies nimmt uns unsere einzige Hoffnung, und zwar die Hoffnung, daß wir, die wir nicht der Wüste entstammen, aber in ihr leben, in der Lage sind, die Wüste in eine menschliche Welt zu verwandeln. Die Psychologie stellt die Dinge auf den Kopf; denn genau deshalb, weil wir unter den Wüstenbedingungen leiden, sind wir noch menschlich, sind wir noch intakt. Die Gefahr liegt darin, daß wir wirkliche Bewohner der Wüste werden und uns in ihr zu Hause fühlen. (181)


私たちが観察してきたことは、世界喪失の進行、[人と人の]間が干からびてきたこととしても記述できる。これは砂漠の拡大であり、私たちは砂漠の条件の下で動き回っている。

この砂漠は最初にニーチェによって認識された。彼はまた、その診断と記述によって最初に明らかな誤りを犯した者でもあった。私たち自身の中に砂漠は見つけられると彼は信じた。ここにおいてニーチェは、彼の後に来た者たち全てと同じであった。まさにその診断で、彼としては彼が、最初の意識的な砂漠の住人の一人として姿を現した。

この考えが近代の心理学の底にある。近代の心理学は砂漠の心理学であり、それと同じ程度に、砂漠の中のもっとも怖ろしい幻想の犠牲者である。つまり幻想の中で私たちは、私たちの何かがおかしいと考え始めた。そして、それは私たちが砂漠の生活の条件の下では生きてゆけないからであり、それゆえに私たちは判断する能力、苦しむ能力、非難する能力を失ってしまったのだと思い込んだ。心理学が人間を「助けよう」とするのは、心理学は人間が砂漠の条件に「順応する」ことを助けているのである。これは私たちの唯一の希望を取り去ってしまう。その希望とは、私たちは砂漠から生まれた存在ではなく、砂漠に住んでいるだけであり、砂漠を人間的な世界に変えてしまう状況にあるという希望である。近代の心理学は物事を逆さまにしてしまう。私たちが砂漠の条件の下で苦しむという理由ゆえにこそ、私たちはまだ人間的であるのであり、私たちはまだ損なわれていないのだ。危険なのは、私たちが本当に砂漠の住人となってしまい、砂漠を自分たちの住まいのように感じてしまうことだ。


Arendt, H. (2005). The promise of politics. New York: Schocken Books.
Hannah Arendt (1993) Was ist Politik? Piper Verlag GmbH, München
Chomsky, N. (1986). Knowledge of Language. New York: Praeger
アレント著、高橋勇夫訳 (2008) 『政治の約束』 筑摩書房
アレント著、佐藤和夫訳 (2004) 『政治とは何か』 岩波書店


追記1
アレントは「社会」という言葉を常に肯定的には使っていませんので注意が必要です。

追記2
この小文を書いていて思い出したのですが、数年前に読んだ小沢牧子(2002)『「心の専門家」はいらない』(洋泉社新書)は面白い本でした。以下、数カ所引用します。

「ほんとうの自分さがし」の流行には、人間が相互の関係のなかで生きているという観点が欠落している。カウンセリングが「ほんとうの自分」を発見させてくれるという幻想的な自分観は根強い。もっともその種の考え方にイラついて、「ほんとうの自分?あなたはそこにいるじゃない、それ以上でも以下でもないよ」と、その場で突っかかった学生もいたけれども。(41ページ)

必要に迫られ考えることで、わたしたちは自分たちの暮らしの足場、つまり現実を作っていく。生きていくための力を手にすると言い換えてもよい。さまざまな課題・問題を日々考えることの積み重ねをとおして人は「手持ちのやり方」をしだいに身につけ、ようやく自信と呼ばれる感覚を得ていく。(144ページ)

しかし進行する消費・情報社会は、次のようなメッセージを絶えず送ってくる。「考えなくてもいい、そんな面倒なことは。代わりに売ってあげる、教えてあげる、解決してあげる」。さらに「自分でやろうとするな、依存せよ、購入せよ」と。金銭・メディア情報、専門家への依存が奨励される。(145ページ)



追記3 (2008/03/06)

上の記事に関してある方から私信をいただきました。ここに許可を得て、その文章を転載します。


チョムスキー自身は「言語機能」の生得性・領域固有性とその発現系の多様性を見極めることに関心があり、コミュニケーションについてはその見極めに必要な限りで関心があります。したがって、彼の「発想」そのものに問題があるわけではないという点を明確にしておきたいと思います。

また、これは釈迦に説法ですが、「コミュニケーション」という曖昧模糊とした概念を多少とも明示化しようとすると、個の中での情報のやりとり(「思考」)もその中に含まれる、というか、むしろ、その本質的な部分を占めると考えるのがチョムスキー流です。


趣旨は、(1)チョムスキーの発想は、コミュニケーションを考察するためのものでなく、彼の発想自体に問題があるわけではない、(2)コミュニケーションには「思考」といったやっかいな主題が含まれる、といったところかと私は理解しました。両方共に賛同します。

しかし、私としてはその賛同に以下のようなコメントを付け加えたく思います。

(1)' 英語教育を「個人心理学」の発想だけで研究しようとすることには構造的といってもいいぐらいの限界・問題点がある。英語教育界は社会的な考察の発想ももっと導入しなければならない。

(2)' コミュニケーションは(少なくとも現時点では)自然科学として研究することはできないが、英語教育を研究する者が忠誠を誓うべきは自然科学ではなく、英語教育の現場である。したがって自然科学としては耐えられない「曖昧模糊」さも考察の対象としなければならない。つまり英語教育研究といった臨床的・応用的・現実的な探究では、方法より対象に忠誠を誓うべきである。

いずれにせよコメントを下さった方には感謝します。ありがとうございました。

追記4  (2008/03/27)
ドイツ語原文を補いました。なおこの部分の翻訳は上記『政治とは何か』の152-153ページにあります。

追記5 (2008/04/07)
ドイツ語原文からの訳出を試み、訳文をドイツ語の後に追加しました。