2008年10月4日土曜日

ある工場の話

ある工場があったとする。

小さな工場である。そこで働く者は、そこで作る製品に誇りを持っており、納入先との話し合いも熱心に行っている。すべてが完璧というわけではもちろんないが、懸命に毎日の仕事に励んでいる。

そこが工場見学・研究発表会を行うことになった。工場での仕事ぶりを公開し、なおかつ研究発表を行い、その会合でその工場が現在目指している課題を示す。

工場見学が終わり、日頃その工場から納品を受けている関係者は体育館のような会場で研究発表会が始まるのを待っていた。すると工場長が「ただ今より、来賓の方々がご入場なさいます。皆様、拍手でお迎え下さい」と指示をする。工場の人間は全員その瞬間から直立不動である。

先頭を切って入ってきたのは、明らかに日頃スーツを着慣れていないと思われる人物であった(後にこれは、技術顧問として外部から時々工場に来ている大学の研究者だということが判明したが、彼はこの報告ではまったく重要ではない。以後、彼の記述は省く)。続いて入ってきた集団は、きっちりとスーツを着こなした本社管理部門の一行であった。彼/彼女らの胸には紅白のリボンがつけられている。加えて彼/彼女は工場の規則でスリッパをはかさされているのは、彼/彼女らのスーツの立派さと対比すると滑稽でもあるのだが、彼/彼女らにはそのリボンやスリッパを問題にさせないぐらいの威厳をもって入場してきた。

彼/彼女らが着席すると、工場長が一層緊張した面持ちで彼/彼女らを紹介する。「ご来賓の方々をご紹介させていただきます。本社管理部門○○部○○長、○○○○様、○○部△△長、△△△△様、○○部□□代理□□□□様・・・」。フルネームでの紹介は厳かに続く。紹介された本社管理部門の面々は紹介される度に深々と礼をするが、その礼は会合に集まった人間への敬意を表すためというよりは、自らの威厳を示すためのように思えた(紹介が後になり、本社での階層が下がるにつれ、威厳の表現が少しずつ減ってゆくのを見るのも面白い光景であった)。

やがて工場研究開発チーム主任の発表が始まる。現場を知り尽くした者による興味深い発表であった。

やがて「ご来賓の方からのご講評をいただきたく存じます」と工場長が述べる。来賓席の末席にいる本社管理部門の人間が国旗と社旗に深々と礼をし--彼はお辞儀のやり方の模範を示しにきたのだろうか--講評を始める。

講評は「無難なスピーチ」の見本であった。短い講評であったが、そのポイントを後で尋ねられた者の多くは、「いや、そういえば何だったのだろう」と困ってしまうほど、人の心に届かないスピーチであった。(その後、大学の研究者が間抜けな講演をするが、彼については述べないことは先ほど言ったとおりである)。

会が終わり、工場長が工場関係者を一斉に立たせて声をまた少し張り上げる。「ご来賓の方々がご退場なさいます。皆様、拍手でお送り下さい」。先頭の大学人を除いての本社管理部門の態度が威厳あるものであったのは言うまでもなかろう。

こうして工場見学・研究発表会は終わった。

日頃からその工場で作られる製品を受け取り使用する関係者(いわば工場のカスタマー)は誰も一言も発言しなかった。というより発言する機会は与えられなかった。


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このような会が定期的に行われる工場の未来について、あなたはどう考えるだろうか。私には、このように本社管理部門がカスタマーよりも崇められるような工場に明るい未来はないと思う。工場員はカスタマーの声より本社管理部門の声を気にするようになる。やがて工場の製品は劣化し、カスタマーの期待に応えられなくなるかもしれない。そうなれば本社管理部門は一層の威厳を持って工場訪問をし、管理強化を行なうだろう。だが、カスタマーや現場よりも、本社管理部門の面々の表情を読む文化をしつけられた工場が簡単に再生できるとは私はあまり思えない。

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「そんな工場があるなら大変だ。ぜひ私がそこに行き、またその本社の管理部門にかけあって・・・」とご心配された方があれば、無駄をさせてしまった。実は上の話は工場での話ではない。実話を語ると差し障りがありそうなので、状況を工場に変えただけだ。

我が国の行く末を懸念されるなら、工場以外の場所で進行していることに目を向けていただきたい。

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