2009年5月6日水曜日

SSJDAを利用した英語教育の論文

寺沢拓敬さんによる「社会環境・家庭環境が日本人の英語力に与える影響-JGSS-2002・2003の2次分析を通して-」 (JGSS公募論文2008優秀論文)を読む機会を得ました。

この論文は東京大学社会科学研究所のSocial Science Japan DAta Archive (SSJDA)のデータを利用することにより、方法論的に堅実なデータを使用しています。


社会調査の類は、言うまでもなくデータ収集(サンプリング)が非常に大切ですが、現実的には個人がやる研究の多くは、知り合い(の知り合い)にデータ収集を頼んだりと、データに偏りがあるものかとも思います。

この点、SSJDAを利用することにより、しっかりとしたデータがきちんと分析される研究が増えるのではないかと思われます。

SSJDAの理念などに関しては下記のサイトをご覧ください。


ちなみにSSJDAには『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』 (文春新書)の著者としても有名な谷岡一郎教授も関与しています。ロングセラーであり、多くの良識ある人が薦めるこの本を、私は最近になってようやく読む機会を得ましたが、噂に違わずいい本でした。

このようなデータ利用に関する知識が英語教育界にも早く常識となることも願い、寺沢さんの論文をここで紹介する次第です。


この論文は以下のサイトからダウンロード可能です。


なお、私なりにこの論文を読み、疑問点を寺沢さんに送ったところ、寺沢さんからは以下のような返信をいただきました。返信に私の疑問が的確に要約されていますので、ここではその返信だけを掲載します。この返信の公開を許可してくださった寺沢さんに感謝します。



*****以下、寺沢さんからの返信*****

> (1)
> 社会環境・家庭環境の影響と、学校環境の影響の比較につい

> 私が理解(あるいは誤解)した限りでは、この論文で提示され
た最も興味深いリサーチ・クエスチョンは、112ページの「た
とえ学歴が同一であっても依然として英語力の階層差は存在す
るかもしれない」です。
> この問いに対して明確な答えは提示されたでしょうか?
> 表3のデータは非常に興味深いものですし、表7は本人学歴と
英語力の関係の強さを雄弁に語っていますが、私としては上記
の問いに対する端的な答えが知りたかったです。

私の考察が足りない部分でした。たしかに興味深い点だと思い
ますので、もう少し深く分析・考察する必要のあるテーマだと
思います。今後の参考にしたいと思います。
私の論文の範囲内で申し上げますと、(116ページの4.4の最後
の行でほんの触れる程度にしか記述していませんが)「学歴を
経由した間接的影響」が比較的小さいものが「15歳時世帯収入
」と「15歳時農村居住」だということは言えると思います。
特に、特徴的なものが「非農村居住」で、表5の非農村居住ダ
ミーの係数の変動をご覧いただければと思いますが、老年世代
では学歴をコントロールしても、それほど大きく影響力が消失
していません。このことから、上の世代においては、「農村」
的な文化それ自体が、英語学習や英語の必要性に対して負の影
響を与えていたことが推察できます。その一方で、若い世代に
おいてはこのような傾向が見られなくなることから、「農村 vs.

非農村」という対立軸は近年なくなっていったということも推
察できます(これに類する議論は、『言語政策』第5号に掲載
予定の拙稿で少しだけ展開しております)。ただ、繰り返しに
なりますが、この点の議論をきちんとしなかったのは私のミス
です。ご指摘ありがとうございました。



> (2) 「英語ができる人」の定義について
> 表2で「英語ができる人」が、英語読解力と英語読解の両方
において「1」あるいは「2」と答えた者と定義されていますが
、社会常識の範囲なら「1」、「2」もしくは「3」と答えた者
を「英語ができる人」と定義することも可能かと思います(実
際、このような感覚を持っている人は少なくないと思います)
。この後者の定義でしたら「英語ができる」人が141人よりは
るかに多い人間となり、上記(1)の問いにも答えやすくなるよ
うにも思えますが、いかがでしょう。

 こちらの指摘もおっしゃる通りです。『言語政策』第5号掲
載予定の拙稿にはこの部分の議論を行っていますが、本論文執
筆時にはその点にあまり注意が向かなかったため、そのまま刊
行されてしまいました。この点も私の認識不足だったと思いま
す。

『言語政策』論文で行った「定義の正当化」は以下のようなも
のです。ご参考までにご紹介致します。

・「1」「2」のみを「英語ができる人」と定義したのは、「
保守的な基準」を採用しようと考えたため
・つまり、主観的質問項目を元にしている関係で、「3」を含
めると一般的には「英語ができない」と見なされる人まで「英
語ができる」のカテゴリに紛れ込んでしまう危険性が高まるた

・念のため「1」「2」「3」を英語ができる人と定義した分
析を行ってみたが、結果(格差の上下関係、推移など)に大し
たちがいは見られなかった

ただし、「保守的」な基準を用いたとしても、危険性がすべて
回避できるわけでもなく、逆に「できる(と思われる)人」が
謙遜して「3」に○を付けてしまうような可能性もあります。
この点は、主観的データの限界だと思います。この点について
は、今後、英語教育研究の既存の多くの統計調査をメタ分析し
て、傍証とする必要があると思っています。ご指摘ありがとう
ございました。


> (3) 父親の職業について
> 111ページでは「大きな差があると言えそうな境界線を探し
出し」、父親の職業を「専門職・管理職」と「その他」に分け
ていますが、これまた社会常識の範囲内なら、「専門職・管理
職、およびホワイトカラー」と「その他」に分けることも可能
かと思います。実際、私の生活感覚からすれば前者の二分法は
「かなりのエリート」と「それ以外の大多数」の二分法である
ようにも思えます。この二分法が上記(2)の二分法と相まって
、この研究は「英語がかなりできる人・かなりのエリート」と
「その他大多数の英語がかなりできるとはいえない人・普通の
人」の関係についての研究であるような印象さえ得られるよう
に思えます。(2)および(3)を例えば私のような定義・区分で分
析したらどのような結果になるのか、個人的にはとても興味あ
ります。

ご指摘の点、おっしゃるとおりだと思います。
私の分析を始める前には、父職では「専門管理・ホワイトカラ
ー」vs.「ブルーカラー・農業」の対立軸が効いていると思っ
ていました。ただ分析をすすめていき、表3のような結果を得
た段階で、父職に関しての重要な対立軸は、「専門管理 vs.
その他」ではないかという感触を得たので、このようなモデル
に変更させて頂きました。
ただ、この点も、プレゼンテーションの効率化のために、強引
に2項対立にしてしまったことは反省しています。表3をご覧
いただければと思いますが、たしかに若い世代では父職ホワイ
トと父職ブルーの差はあまりありません。しかしながら、上の
世代では、その差は大きいようにも思われます。したがって、
英語力格差を生み出す対立軸が、世代間で変容している可能性
があります。こうした点も、今後より詳細な分析をするなかで
、きちんと提示する必要があるかと思われます。今後の検討課
題としたいと思います。ご指摘ありがとうございました。
なお、拙稿における「ホワイトカラー」は大ざっぱに言って「
事務職」に相当するもので、一般的に言う「ホワイトカラー=
エリート」のイメージとずれる点があります。いわゆる「肉体
労働」に従事していない場合、小企業で働いていようが臨時雇
用であろうが、「ホワイトカラー」に分類されてしまうので、
このような「粗い」職業分類の仕方が、リアリティを歪めて捉
えてしまっている恐れは大いにあります。私が用いた枠組み(
「専門管理」「ホワイト」「ブルー」「農業」「自営」...)
は、教育社会学の学歴格差研究のものを特に批判的な検討なし
で「英語力格差」に流用したものであり、この点もまずかった
なと思っております。今後は、生のデータに立ち戻り(元デー
タではもっと細かい職業分類が使われています)、英語力格差
論を組み立てる上で有効な枠組みを創出したいと考えておりま
す。

*****返信は以上で終わり*****







0 件のコメント: