2009年11月20日金曜日

山田雄一郎『モジュール式英語の基礎』 "Build up your English! 1&2" 金星堂

「英語教育学」なるものが制度化された後に英語教育に携わるようになった人間 ―私もその1人だ― の特徴の一つは、英語そのものについての素養と実力に欠けるようになったことである。

一因は英文学や英語学からの離脱にあるかもしれない。「英語教育学」が制度化される以前の英語教育関係者は英文学や英語学をそれらを専攻する者と変わらぬぐらいに勉強した上で英語教育についての考察や研究をしていたように思う。だから英語に関する素養と実力は英文学者や英語学者にひけを取らない者も多かった。ところが「英語教育学」が制度化されると、同時代の関連諸科学の発展もあって、「英語教育学」の枠組み内で学ぶことが多くなり、英文学や英語学を勉強する割合が低下した。英語に対するこだわりも低下した。

別の要因として日本語文献が増加したこともあるかもしれない。私が学部生・大学院生であった頃はまだ英語教育に関する日本語文献は少なく英語文献を読むことが当たり前であった。参考文献に日本語文献をあげることなどほとんどなかった。ところが日本語で英語教育に関して論じた書き物が多くなった。それ自体は喜ばしいことなのだが、副作用は学生などが日本語を優先的に読み、英語を読まなくなったことである。必然的に英語力は落ちる。(その反面日本語で深く考えられるようになっていればいいのだが、これについてはどうあっても楽観できない)。

もちろん最近の若い研究者は海外学界の動向に敏感だから、彼/彼女らは凡庸な学部生と違って英語論文をどんどん読む。だが論文というのは存外に限られた文体しか使わないものだから、英文学・英語学を縦横に勉強していた世代と比べ英語力の間口が狭い。

悪口ばかり言っているようだが、これは第一に自分に対する悪口だ。いくらごたくを述べたとしても、英語教師は英語ができなければならない。さらに、広く深い理解をもって、浅薄な知識の者ではとてもできないように鮮やかに初学者に英語を教えることができなければならない。しかもその理解とは地に足のつかない舶来の知識披露ではなく、日本の風土と日本語の思考枠から考え抜いた自前の知恵になっていなければならない。そうでないと初学者にも納得できる説明などできない。

要は、英語教育関係者は英語ができて当たり前、英語をきちんと教えることができてナンボのものという、ごくごく当たり前のこと。英語学習の技能的側面の重要性を認識することにおいて私は人後に落ちないが、ストップウォッチを持って「英語に理屈はない」とトレーニングをさせるだけが英語教師の仕事ではない。自らの豊かな英語力を背景に、英語の勘所をずばりと説明できる能力が英語教師には不可欠だ。

だが現在の「英語教育学」制度はその能力開発に十分な力を注いでいるだろうか。心理学化か脳科学化か知らないが、どんどん英語そのものから離れていっていないか。さらに昨今の学会事情を聞くと、英文学や英語学関係の学会に英語教育のセッションや分室を設けることが流行っているようだが、必要なのは英文学や英語学の英語教育学化ではなく、むしろ英語教育学の英文学化・英語学化ではないのか。



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話が長くなりましたが、「英語教育学」が本格的に制度化される前に学生時代を過ごされ、その後も「英語教育学」という制度からいい距離を取って独自の研究と実践を進められてきた山田雄一郎先生(広島修道大学)が、英語を基礎からやりなおしたいと思っている人のために参考書と問題集を刊行されました。『モジュール式英語の基礎』と"Build up your English 1 & 2" です(金星堂:教科書扱い)。ご興味のある方はどうぞご覧下さい。私はまだ入手しただけで所用に追われゆっくり読んでいませんが、英語教育関係者は英語教材に関する具体的で地味な考察と実践にもっと時間を割くべきかとも反省しています。


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