2010年1月3日日曜日

C.G.ユング著、小川捷之訳 (1968/1976) 『分析心理学』 みすず書房

1930年に当時60歳であったユングがロンドンでおよそ200人の医師たちを前にして行なった講義と討論を記録した本書は、ユング自身による最良のユング心理学入門書とも呼ばれています。

ここでは私がその本を読んでのまとめを書きます。著作権保護のため、できるだけ私の言葉に翻訳したまとめにしておりますので、ユング心理学に興味を持ち始めた方は必ずご自身で本書を読んでください。心理学の専門家でもない私の以下のまとめをユング心理学の知見として引用することは ― そんな人はいないと信じますが ― まったくお勧めできません。なおウィキペディアには既に分析心理学に関するページがありますので、ご興味がある方はそちらもご覧下さい。

■無意識を私たちは扱えるのか: 無意識とは臨床経験から仮定せざるを得ないものであり、しかも私たちはそこから出現するとさらに仮定されている意識的なものしか扱えない。 (19ページ)

■意識と無意識の関係: 意識から無意識が生じるのではなく、無意識から意識から生じる。意識だけを働かせ無意識を抑圧することは不自然な努力であり心的疲労を招く。(22ページ)

■意識と自我: 自我が無ければ何も意識されない。意識とは、心的諸事実と自我の関係である。(25ページ)

■自我とは何か: 自我の構成要素は、第一に自分の身体に対する認識であり、第二に自己の記憶データである。自我はこれら心的諸事実の複合 (complex) と呼ぶことができる。 (25ページ)

■自我と無意識、意識: 複合体としての自我は独特の誘引力をもち、無意識や外界から様々な内容を引き出し、それが意識となる。 (25ページ)

■外的な心的諸機能: 感覚・思考・感情・直観がある。 (26ページ)

■感覚 (sensation): 外的な物事の「存在」を教えてくれる機能。 (26-28ページ)

■思考 (thinking): 物事が「何」であるかを教えてくれる機能。 (27-28ページ)

■感情 (feeling): 物事の「価値」を教えてくれる機能。 (27-28ページ)

■直観 (intuition): 「時間を超えて」物事の全体像を教えてくれる機能。 (28-29ページ)

■四機能の構造: 以上の四機能は十字形の配置で捉えることができる。上に思考、下に感情、右に直観、左に感覚、上下左右の線が交差する中央に自我を考えよ。 (35ページ)

■優越機能と劣等機能: 人は上下のどちらかを優越機能、もう片方を劣等機能としてもち、左右についても一方を優越機能として、他方を劣等機能としてもつ。優越機能はより「分化されて」おり、劣等機能は「未分化」であると表現される。 通常、二つの優越機能ではどちらかの方がより優越であり、二つの劣等機能ではどちらかがより劣等である。(36ページ)

■未分化な劣等機能: 感情が劣等機能、すなわち未分化な人は、情動の塊のようなものに捉えられ翻弄される。(思考が未分化だと単純な考えに振り回されると言えるだろう)。劣等機能において私たちは太古の性格に連なっている。劣等機能には開いた傷口があり、そこからあらゆるものが侵入してくる可能性がある。 (36-40ページ)

■分化された優越機能: 優越機能において人間は比較的文明化された自由意志を持っているとされる。 (40ページ)

■内的な心的諸要素: 記憶・主観的構成要素・興奮・侵入がある。 (41ページ)

■記憶: 無意識的内容を再生する能力。 (42ページ)

■(意識の諸機能の) 主観的構成要素: 意識を働かせる際に伴う不正確か不適当な主観的反応。 (42-43ページ)

■興奮: これはもはや (主観的構成要素以上に) 機能とは呼べない。興奮とは情動 (emotion) と興奮 (affect) が入ってくるところであり、機能ではなく出来事である。 (44ページ)

■侵入 (invasion): 無意識(「影」)が意識に押し入ってくるほどの支配的な力をもっている領域。 (45ページ)

■二種類の無意識: 個人的無意識と普遍的無意識。 (63-65ページ)

■個人的無意識 (personal unconsciousness): 個人的起源をもつ意識下の精神 (subconscious mind)。 (63ページ)

■普遍的無意識 [しばしば「集合的無意識」とも訳される] (collective unconsciousness): 特定の人に由来しない (impersonal)、人類一般 (mankind in genral) に固有な型 (元型 archetypes)。 (64-65ページ)

■普遍的無意識の生物学的根拠の可能性: 人類が身体においては解剖学的構造を共有しているのなら、心においてもある普遍的な内容を共有していると考えることもできるだろう。 (70ページ)

■球体としての心: 心を球体として考える。その中央最深部には普遍的無意識があり、それを個人的無意識が囲む。個人的無意識の外部には内的な心の領域である侵入・興奮・主観的構成要素・記憶がその順番に内から外へと層になっている。さらにその外部には外的な心の領域があるが、そのもっとも内側には最も劣等な機能が来る。その最も劣等な機能の反対の機能が最も優越した機能として心の最外部に来る。最も劣等な機能と最も優越した機能の間にあるのが、二番目に劣等・優越である機能である (上下左右で説明した四機能のうち、例えば上下が最も優越・劣等となれば左右が二番目に優越・劣等となる)。 (73-74ページ)

■コンプレックス: 連想が凝縮したコンプレックスは自我のような意志力を持ち、統合失調症においては幻覚として、小説の創造では作者から離れた生命をもったキャラクターとして登場したりする。 (114-117ページ)

■ユングの夢分析: 夢分析において、ユングはコンプレックスの正体を解明したいのではなくて、夢 (無意識) がコンプレックス (自分自身) に何をしようとしているのかを解明したいと考えている。 (129ページ)

■夢分析の方法: 一部しか知らない言語で書かれたテクストを解釈する文献学者の方法と同じ。わかる一部との相似性を見つけて注意深く解釈する (「拡充」 (amplification))。 129-130ページ)

■「自然」としての夢: 自然はどのような過ちも犯さない。正誤は人間のカテゴリーであり、自然に馬鹿げたことはない。人間がただ理解できないだけである。夢に対する態度も、自然に対する態度と同じであるべきである。 (134ページ)

■人間は完全を期せないがそれを目指すべきである: 心の四機能(思考・感情・直観・感覚)がどれも等しく優れているということはありえない。私たちは優越機能によって人間として独立することが可能になるが、劣等機能によって無意識や本能あるいは人類と強く結びついている。ユングの原則は「完全を期そうなどと考えては駄目です。しかし、それがどんなことであっても、まっとうしようとは努めなさい」というもの。 (152ページ)

■古代の治療の意味: 古代の医学では、個人の病気を非個人的 (impersonal)な水準に高めれば治療効果が得られることが知られていた。神話や伝説で、ある人の病気が普遍性のある病気、さらには神の病気であることが示されると、その人は孤立しておらず人間・世界・神と結びつけられているという認識を得て、その認識が治療効果を生む。 (159-160ページ)

■古代の治療の現代的意義: 現代においても、精神的苦悩を個人的な失敗のせいにしてしまわず、人間共通の苦悩、時代の問題と了解することは、苦しむ者に人間性を取り戻す可能性を与える。 (161ページ)

■神話や元型の適用について: 夢分析を機械的に行なうことは危険である。夢はその人個人の心的組織が自己統御をしようとして示す自然な反応であるから、夢のイメージについてはまずその人自身がどのように感じるかを常に尋ねなければならない。 (172ページ)

■心理学的方法: 心理学においては、心が観察の対象 (object) であると同時に観察の主体 (subject)であり、手段 (means)でもあるという悪循環にあることを忘れてはならない。心理学において絶対に正しい人は一人もいない。私たちにできることは自らの方法・認識を謙虚に開示して、お互いの特徴を比較することである。 (18、206ページ)

■転移と投影: 転移とはもともとフロイトの造語であるが、転移をより一般的な投影の特殊形態と認識することは重要である。 (221ページ)

■投影: 投影とは対象に主観的な内容を付与することである。葉っぱを緑とするのも一種の投影である。なぜなら葉っぱと私たちが称しているものが発しているのは波動に過ぎず、私たちがそれに緑色という内容を付与しているからである。 (だがこの投影は人類でほぼ一致している投影である)。 (222ページ)

■転移: 転移とは、投影の中でも通常、特定の二人の人間の間で生じるものである。転移は概して情動的で強迫的であり、身体的でもある。 (223-224ページ)

■自体愛的な人間の転移の事例: 自体愛的 (auto-erotic) な人間は、自体愛的な孤立により自己を閉ざしているが、反面、人間的なふれあいを絶望的なまでに求めている。しかし自らは何一つしようとしないし、近づいてくるどんな人間も認めようとしない。ある優秀なアメリカ人女性精神分析家は、「非常に有能」であったが、ある男性患者が彼女に対して転移を起こし、「彼女は彼を愛しているが、それを決して認めようとしないだけだ」という投影をされて困り果てていた。ユングがその女性精神分析家に接すると、彼女は女性としての感情生活がほとんど未発達であることがわかった。ユングは、男性患者の転移は女性精神分析家が招いたとも考えられると解釈する。つまり、女性精神分析家の未発達な感情的側面が、同じように感情的に未発達な男性患者を引きつけ、女性精神分析家が女性であることをわからせようとすることが男性患者の使命だとその男性患者に本能的に思わせる「罠」として働いたとユングは見立てた。この転移はお互いに感情的に未発達な男女の無意識の間に起こったことだと解釈できる。 (238-239ページ)

■自らの未発達領域を引き受けること: ユングはその女性精神分析家を結局夢分析で治療したのだが、夢分析を通じて自分自身の無意識に少しずつ向かい合い始めた女性精神分析家は、自体愛的な防御の時期を経て感情の爆発的な発露を経験した。彼女は、ある日泣き崩れ、ユングに対してひざまずきユングに対する強烈な愛情を告白する。しかしこれは転移に過ぎず、それを予期していたユングの冷静な対応により彼女は時間をかけて自分を見出す。「あなたは自分の中に閉じこもっていて私に何も示してくれません。ですから、あなたが何かを表現しないかぎり、私には何もできないのです」という一般原則は彼女の場合も当てはまった。 (237-241ページ)

■治療者・分析家が自分自身を知ることの重要性: 女性精神分析家と男性患者、後にユング(治療者)とその女性精神分析家 (患者) の関係に見られるように、転移は相互無意識 (mutual unconsciousness) と混交 (contamination)によってしばしば生じるので、治療者・分析家が可能な限り自分自身について知ることが非常に重要である。 (242ページ)

■転移の治療の第一段階: 転移を扱う場合、患者に転移という投影を行なっていることを知らせること (客観的側面) だけでなく、この転移を引き起こしていると思われるイメージの主観的な価値 (subjective value) を認識させ、そのイメージを患者の心理に同化させなければならない。 (259ページ)

■転移の治療の第二段階: 転移という投影のうち、意識化によって解消されるべき個人的内容と、心の構成要素に属しているので削除することができない非個人的内容を識別させる。非個人的内容は人間が人間であるための重要な要素である。非個人的イメージを転移・投影する行為を解消させることは可能だが、その内容まで解消させるべきではないし、また内容を解消することは不可能である。 (260ページ)

■転移の治療の第三段階: 転移の対象への個人的な関係と、根源的な非個人的要因をはっきりと区別させる。非個人的要因を転移から抽出し、かつその重要性を理解した患者はしばしば宗教的・非宗教的イメージを受け入れ始める。 (266-267ページ)

■転移の治療の第四段階: 非個人的イメージを、転移の相手から引き離なさせ、それを何か他の形で対象化させ、かつその形象化された非個人的イメージを自らの中に取り込ませる。実は自分が切望していた非個人的要因は元々自分の中にあったことを認識させる。このイメージを「非自我の中心」 (non-ego centre) とすることにより、患者は何かへの依存状態から脱することができる。東西の宗教はどれもこの状態を目指しているといえる。 (269-270ページ)





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