2010年6月7日月曜日

日本国のための日本語教育

■日本語教育への低い認識

日本語教育研究集会に参加し、廊下や休憩室や懇親会会場でいろいろな日本語教育関係者の方とお話しました(私が研究会や学会に行くおそらく最大の理由はこうした自由な話をするためです)。

その中で学んだことの一つは、日本語教育が日本国のために重要な仕事であるという認識がまだまだなされていないということです。


■80年代の「海外に出る日本語教育」

私が学生だった1980年代はおそらく日本語教育が本格的にスタートした時期かと思いますが、その頃の日本語教師のイメージは「海外に出て日本語を教える」でした。当時の日本の経済力は眩いばかりのものでしたから、世界各地で日本語ブームが生じていました。

この場合の日本語教育の第一の受益者は、日本語が教えられる外国です ?X国と呼ぶことにしましょう--。X国での日本語教育は、X国が(経済力の高い)日本との貿易などを促進することに役立ちます。もちろんそれはX国だけでなく、日本の国益にもつながるのですが、第一の利益享受者はX国と言えるでしょう。

しかし90年代にはバブルが弾け、2000年代になると明らかに日本の経済力は中国の経済力の前に霞んでしまうようになりました。加えて日本は他国にもまして人口が減ってゆく国となりました。私は別に経済が社会のすべてだとは思いませんが、なにぶん国に仕事がないなら、国民は幸せに暮らせません。ですから日本は、このままでは必然ともいえる人口減=経済衰退のシナリオをどうするのか --書き換えるのか受け入れるのか-- を今真剣に議論しなければならないと私は考えます。

人口減をくい止める古典的な方法は、他地域からの移住者を積極的に(しかし賢明に)受け入れる方法です。しかし日本は、明治以来の「国民国家」認識形成がうまく行き過ぎたせいか、「日本人」ではない移住者に対して障壁を高くしています。あるいは法的に日本国籍を取得した移住者を、社会的に「日本人」として認めないという思考法も根強く残っています。

とはいえグローバリゼーションという大波での移住者の増加は世界的傾向です。今きちんとした統計は手元にありませんが、日本での移住者も増加傾向にあるはずです。


■現代の「国内での日本語教育」

そうなると日本語教育も「海外で日本語を教える」から「移住者に対して日本国内で日本語を教える」というのが典型になってくるかと思います。アメリカ合衆国などでのESLモデルの言語教育に近づいてきたと言えるかと思います。

「移住者に対して日本国内で日本語を教える」日本語教育の第一の受益者は、移住者の母国であるX国ではありません。第一の受益者は、日本に住む移住者自身であり、その移住者の隣人であり、彼・彼女らが所属する地域共同体であり、ひいては日本国です。移住者が幸せでなければ、隣人も幸せになりません。人々が幸せでないと地域共同体は住みにくくなります。地域共同体が住みにくければ日本国は魅力ある国とはなりません。日本国が魅力ある国でなければ、経済的教競争力や文化的素養をもった移住者は日本には来ません。

これからの日本国が、移住者を(政策転換して)積極的に受け入れるにせよ、(現状のように)消極的にしか受け入れないにせよ、移住者に対する日本での日本語教育の充実は、これからの日本という国を創り上げる上に非常に重要であると考えます。

それなのに、日本語教育という営みが十分な社会的認知を得ていないのではないか・・・これが私が日本語教育関係者から異口同音に聞いた言葉です。

異文化理解・国際理解教育、ひいてはこれからの日本の国づくりに責任をもつ私たち英語教育関係者は、もっともっと国内の日本語教育に関心をもつべきと考えました。



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