2010年6月14日月曜日

田尻先生の「進化」、言語感覚、コミュニケーション観、学習観

中京大学で行われた田尻悟郎先生の講演はやはりすばらしいものでした。この講演を可能にしてくれた関係者の皆様に深く御礼申し上げます。

田尻先生のお話はいつもにまして非常に濃密で、具体的な話がどんどん出てきました。具体的な情報を書きとめようとするととてもノートが取れないので、私は田尻先生のお話をできるだけ抽象化して、その論点だけを書きとめるようにしました。以下、そのうちの四つを簡単に報告します。



■田尻先生の「進化」

私は久しぶりに田尻先生のお話を伺ったのですが、田尻先生はまたさらに「進化」していると強く感じました。実際、多くの参加者も田尻先生を形容する際に「進化」という言葉を使っていました。

ここでの「進化」とはもちろんアナロジーであり、厳密に学術的な概念ではありません。また、ここで私はこの「進化」を学術的に説明するつもりもありません。ただ素人によるこのアナロジーをもう少しだけ発展させることも無意味ではないかと思いますので、以下の記述を試みます。しつこく繰り返しますが(笑)、ここでの私の記述は厳密に学術的なものではありません(進化論が神経科学も含めた知的営みにこれだけ広範囲に影響を与えている以上、進化論についてはある程度きちんとした勉強が必要ですが、それは今後の課題といたします)。

進化(evolution)の自然選択(natuaral selection)は、(1)variation, (2)heredity, (3)differential reproduction, (4)mutationの原理で説明できるとも言われています(注)

田尻先生はこの「自然選択」の進化が頻繁です。多くの教師が十年一日のように授業スタイルを変えないのとはきわめて対照的です。

(1)のvariationに関してたとえてみますと、田尻先生は生徒の思わぬ反応(つぶやきや誤答や予期しなかった発想など)を丁寧に聞きとります。多くの教師は一方的に説明するだけで、生徒からの反応を引き出そうともしませんが、田尻先生は生徒が何かをしない限りは授業ではないとばかりに、必ず授業では生徒からの反応を引き出します。

生徒からの反応は田尻先生が今でも驚き続けるぐらい豊かで、教師の固定観念を打ち壊してくれます。さらに田尻先生がこのように生徒の反応を活かすので生徒もどんどん反応するようになっています。こうして田尻先生は、授業のvariationをどんどんと増やしてゆきます。本からよりも、カリスマ教師からよりも、生徒から授業を変えるためのヒントを得ているのが田尻先生のスタイルです。


(2)のheredityで言いますと、田尻先生は生徒からの思わぬvariationをただ聞いて面白いと思うだけでなく、それを自らの授業のなかに取り込もうとします。ですから田尻先生の授業は、誰よりも田尻先生の授業らしくなります。田尻先生の生徒と田尻先生自身に即したものになってゆきます(このあたりが、田尻先生の表面的な真似をしてはいけない--「田尻小悟郎」になろうとしてはならない(『生徒の心に火をつける―英語教師田尻悟郎の挑戦』)ことの説明になろうかと思います。


(3)のdifferential reproductionについて述べますと、田尻先生は取り込んだ生徒のアイデアを実行しても、それをやりっぱなしにせずに、うまくゆくもの、ゆかないものを明晰に観察しています。田尻先生の講演が非常に素晴らしいことは周知のことですが、この講演にしても田尻先生は聴衆の反応を事細かに観察し、何の話をどのように話せばいいのかを綿密に観察しているように思えます。講演では参加者が多くのことを学びましたが、観察力の点からすれば、ひょっとして講演で一番多くを学んでいるのは講演者自身である田尻先生かなとすら私には思えました。授業にせよ講演にせよ、うまくゆくアイデア、ゆかないアイデアがありますが、それを観察し次に活かすのが田尻先生のスタイルかとも思います。


(4)のmutationですが、田尻先生はうまくいった活動や話も、ただそれを再生産するだけでなく、巧みに修正して授業・講演をさらに変化させてゆきます。(講演の中では、ある活動を一つの授業の中で細かく修正してゆくエピソードが紹介され私などは驚いてしまいました。下手にやれば授業が崩壊しかねない授業中の授業の自己修正をやってのけられるところなどが田尻先生の底力の一端かと思います)。観察→反省→修正→観察・・・のプロセスを誰よりも深いレベルで誰よりも速く繰り返すところが田尻先生の田尻先生たるゆえんかとも思わされました。


このように田尻先生は、(1)生徒からの反応を最大限取り入れ、(2)みずからの実践に取り込み、(3)試行錯誤しながらそれを観察し、(4)さらに修正をかけて、(1)の生徒からの反応をさらに引き出すといったプロセスを徹底的に行なっています。これが田尻先生の「進化」の秘密かとも言えるかと思います。



■田尻先生の言語感覚

田尻先生のさまざまなエピソードを聞いて改めて思ったのは、「英語」が田尻先生にとっては完全に「生きたことば」になっているということです。

英語を生きたことばとして捉えるというのは当たり前のことに思われるかもしれませんが、このレベルに到達していない人は多くいます。教科書と問題集の英語にしか接していないので自然な語感がない人はもとより、自称「英語通」の人も、「ネイティブの英語」をあたかも珍しい展示品でも扱うように白手袋で丁重にガラスケースに入れて、自ら英語を使いこなしていない人は、英語に対する感覚が不自然です。その人の実際の人生や生き方から遊離している。だから生き生きと、自らの自然な表情をもって英語で生徒に語りかけることができず、どこか取り澄ましたような表情でしか英語を語れない。だから生徒がのってこない--英語を自らの生き方に融合させている人は英語教育界には少ないと私は思っています。

この点、田尻先生などは英語が自らの生き方の一部になっています。ですから英語を単なる形式として聞くこと・読むことができない。英語を聞き・読んだ瞬間、その背後にあるはずの話者・筆者の生き様・息遣いなどを--ウィトゲンシュタインの用語でいうなら「言語ゲーム」を--想起せざるをえない。だから生き様・息遣いが想起できない英語や、頓珍漢な生き様・息遣いが想起されてしまう英語を、瞬間的に察知し、はねのけてしまう。このような言語感覚が田尻先生の実践の基盤になっているように思えます。

逆に言うなら、このように自然で鋭敏な言語感覚なしに、田尻先生などの「技」の表面的な真似をしても失敗するだけでしょう。私たち英語教師は、表面的な「技」の真似ばかり行わず、長い時間はかかるけれど着実に自分の人生の一部になってゆく、英語での(深い意味での)コミュニケーション実践を地道に積み重ねるべきでしょう。



■田尻先生のコミュニケーション観

田尻先生は小学校英語については両義的でとても現実的な態度を取っておられますが、その中でひとつわかったことは、田尻先生が言語に拘泥しないコミュニケーション観をもっておられることです。

田尻先生のコミュニケーション観を、関連性理論もどきのやり方で私なりにまとめますなら、

コミュニケーションとは、限られた手段で、相手を自分が願うように動かすこと


というものになるかと思います。

小学校英語では本当に「言語材料」英語が限られています。その限られた言語材料を「会話ゴッコ」にして扱わずに、小学生が本気で考え、懸命に相手に伝えようとするようになる「動物分類クイズ」の実践は見事なものでした。こういった実践も、コミュニケーションを「言語を正しく覚えて、それを正確・高速に再生すること」とも、「典型的な決まり文句を使うこと」とも捉えずに、上記のように柔軟に捉えているからこそ可能になるのではないかと私は考えました。




■田尻先生の学習観

田尻先生は一方方向の説明だけの授業は授業の名前に値しないということをしきりに強調していました(これに関しては『(英語)授業改革論』をぜひお読みください。みなさん、ネットばかり見ないで本はきちんと買ってね(苦笑))。

「教師の一方的な説明が生徒の発想や意欲を摘みとってしまう」ということ、さらには「どういう時に人は学ぼうとするか、また学んだと言えるのか」といったことを田尻先生は豊富な実践の中を通じて訴え、問いかけてきます。


田尻先生なり、誰なりをむやみに「カリスマ化」するのではなく、優れた実践を前にして、ゆっくりと丁寧に考え、少しずつ自分の身体で試行錯誤し、その自らの実践から学ぶことが必要だと思います。




なお、いろいろな方とお会いできたのもこの講演会の大きな収穫でした。私はまたも名刺を忘れてくるという失態をおかし、失礼をしましたが、皆さんにお会いできたことは私の糧になっています。今後ともどうぞよろしくお願いします。

もちろん田尻先生への感謝も述べ忘れるわけにはいきません。田尻先生、あまり無理をなさらず、どんどん田尻先生らしくなっていってください。私たちはその生き方を、私たち自身の私たちらしさを見つける契機としますので。

この会に関係した皆様のますますのご健康とご多幸を心よりお祈りします。


追記:
今思い出しました。田尻先生は端的に「コミュニケーションとは生きること」といった趣旨のこともおっしゃていました。

要は教師自身がきちんと生きること、そして生徒にも生きることを教えること--これが田尻先生が一番おっしゃりたいことなのかもしれません。

極限すれば後はすべてついてくる。「生きること」を深く見つめ、自ら深く実践すること--これ抜きの教育なんて、教育科学なんて嘘っぱちなのかもしれません。



(注)
以下は、evolution by natural selectionのある説明です。

(1) The principle of variation: among individuals in a population there is variation in form, physiology, and behavior.

(2) The principle of heredity: offspring resemble their parents more than they resemble unrelated individuals.

(3) The principle of differential reproduction: in a given environment, some forms are more likely to survive and produce more offspring than other forms.

(4) The principle of mutation: new heritable variation is constantly occurring.


Not So Natural Selection
By Richard C. Lewontin
The New York Review of Books, May, 2010, p. 34
http://www.nybooks.com/articles/archives/2010/may/27/not-so-natural-selection/



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