2010年10月2日土曜日

ジョーゼフ・キャンベル/ビル・モイヤーズ著、飛田茂雄訳(2010)『神話の力』早川書房

これだけ科学と技術が発達しても、人は神話あるいは物語を欲している。自らの神話・物語を求め、古今東西の神話・物語に惹かれる。なぜなら私たちの「人間の条件」は本質的に変りないからだ。キャンベル(Joseph Campbell)はこう言う。


人はだれでも3万年前にクロマニョン人が持っていたのと同じ器官やエネルギーを備えた、同じ肉体を持っています。ニューヨーク市で生活を送ろうと、洞窟のなかで生活を送ろうと、同じ幼少期の諸段階を過ごし、性的な成熟期を迎え、少年期の依存から大人の責任への変身を経て、結婚し、肉体的な変調を来たし、体力が次第に衰え、死に至る。同じ肉体を持ち、同じ肉体的な経験をしますから、同じイメージに同じような反応を示すのです。(102-103ページ)


そのように古代人と同じ「人間の条件」を持つ現代人に神話や物語は何を教えてくれるというのだろう。キャンベルは彼の神話学講義を熱心に聞く若者についてこう語る。


神話学は文学や芸術の背後にあるものを教えてくれますし、自分自身の生活についても教えてくれます。それは実に興味深い、生命に栄養を与えてくれる、偉大な学問です。神話は幼少期からおとなの責任の世界に入っていくときに経験する、あるいは、独身の状態から結婚生活に入るときに経験する加入儀礼など、人生のさまざまな段階と深い関係を持っています。そういう儀礼的な行事のすべてが神話的な儀式なのです。それは、あなたがこれから引き受ける役割の自覚と―言い換えれば、古い役割を捨てて新しい役割を演じる、責任のある立場を取るという過程と―深く関わっているのです。(57ページ)


幼児は同じ絵本を何度も読んでとせがむ。子どもはお気に入りのアニメを繰り返し見る。大人もお気に入りの映画を何度も見たりする。幼児から大人にいたるまで人間は、自分にとって必要な神話・物語を無意識に察知し、それに繰り返し浸り入ることで自らの成熟を安定させようとしているのだろうか。

宗教は、無神論者からすれば荒唐無稽な科学の否定だろうが、神話や物語としては現代でも意義を失っていないだろう。「宗教的な真実」についてキャンベルはこう語る。


あらゆる宗教はなんらかの意味で真実です。隠喩として理解した場合には真実なのです。ところがそれ自体の隠喩にこだわりすぎて、隠喩を事実として解釈してしまいますと動きが取れなくなってしまいます。(136ページ)



宗教的であろうがなかろうが、神話・物語は定義上、実証的裏付けを欠く。だが神話・物語はその象徴性により私たちの心に深く何かを訴えてくる。意識的な理性では説明しがたい深い何かを私たちに示す。

私たちは神話・物語という象徴を必要とする動物なのだろう。動物と異なり言語を持ち、来し方行く末を考えざるを得ない。だからといっていまだ、来し方行く末を予測する知識は持ち得ていない(世界の複合性と人間知性の生理学的限界からしてそのような完全な知識を人間はおそらく持ち得ないだろう)。だから神話・物語による知恵を必要とする。知識ほどに明証的ではないが、この世の無限の可能性の中に有限でしかない自分を安定させてくれる知恵を。

だとしたら私たちはよい神話、よい物語を持つ必要がある。悪しき神話・物語は、宗教や「世間の常識」という名のもとに、私たちの心身を歪ませる。明確に証拠づけられた科学的命題のみを知識と呼ぶなら、私たちが語る多くの事柄は神話や物語にすぎない。科学者は科学的命題の良し悪しを見分ける訓練を私たちに提供しているが、人文学者は神話・物語の良し悪しを見極める訓練を私たちに提供しているだろうか。科学的命題ほどに明快で一義的な判断基準ではないが、神話・物語にも判断基準というものはあるだろう。音楽の良し悪しを判断する基準が、誰にも説明できないけれどあるように。

あるいは子どもが大人になる過程の最中にあるという学校という機関は、人間が人間の条件から逃れられない限り、子どもを成熟させ大人にするという機能を担わざるを得ない。知識社会で知識獲得の重要性がどんどん増していても、この基本的な機能をおろそかにするわけにはいかないだろう。人間的に成熟していない子どもが高度な知識を駆使するほど恐ろしいことはない。

私たちはどんな神話・物語をもっているのだろう(たとえそれを神話・物語として自覚していないにせよ)。私たちはどんな神話・物語を子どもに与えているのだろう。こういった人文的考察を私たちは怠ってはいけないと私は考える。


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