2010年12月1日水曜日

意識の再編成と原理の体得

この間、学生さんのバスケットサークル(「教英バスケ」)に混ぜてもらったのだけど、ディフェンスをしていて二度ほど転んでしまった。

元バスケ選手の学生さんが解説してくれるには、「それはよくあること」、なぜなら「意識が上半身にしかいっていないから」ということ。

人間は上半身を意識しやすく、下半身には意識を向けにくい。特にディフェンスでは相手の持っているボールに意識が向いて、さらに自分が一番意識しやすい手だけをそのボールに届かせようとしてしまう。このように上半身(特に相手のボールと自分の手)だけに意識を向けた運動をしてしまうと、それは往々にして全身のバランスを欠いた運動・姿勢になってしまい転倒するというわけ。なるほどね。

その学生さんは、そういった人間の癖(意識しやすいところだけしか意識しないこと)を取り除くため、ボールのないバスケットボールのプレーを時々練習させられたとのこと。ディフェンスの練習でも、相手がボールを持っていないと、相手のボールの動きにごまかされることなく相手の身体全体に対してこちらも身体全体で反応できるようになるとのこと。フリースローでも、ボールなしで練習すると日頃はボールに気を取られて意識できない膝のゆるみなどに意識が向けられ、スローが改善されるとのこと。なるほど、なるほど。

格闘技でも、相手がいるとついつい「勝とう」とか「負けたらどうしよう」とかばかり考えて相手の心身全体に感応することができなくなってしまう。自分の身体にしても意識しやすい腕や肩ばかり意識して、「力んだ」突き、つまりは全身が協調的に動いていない突きしか出せず、相手にはほとんど効かない。あるいは入門数ヶ月の新人がむりやり試合をすると、本当に笑えるぐらいに子供の喧嘩のように手を振り回してしまい、「突き」ができない。ある技能を習得するには、その技能に適したように意識を再編成し、技能の原理を体得させておかねばならない。

だから空手だったら、最初の練習は「三戦(サンチン)立ち」という、日常生活からすれば特殊な立ち方をさせる。身体の重心が丹田にあることを意識させ、なおかつ身体の中心が垂直な線によって天地に貫かれていることを意識させやすくして突きの練習をさせる。移動稽古でも、「前屈立ち」という立たせ方をさせる。重心(丹田)が左右はおろか上下に不必要に動かないように、かつ重心の前への移動と突きが同調するようにして突きの練習をさせる。日常生活の動きの意識や、興奮・動揺して相手にとにかく手を出そうとする動きの意識を徹底的に再編成させる。身体意識が正しく再編成されたら、それを頼りに自己鍛錬ができる。正しい自己鍛錬が続けば空手の原理が自ずから自得される。もちろん意識と運動の同調の微調整は必要だけれど、要は意識を再編成させることが訓練の最重要課題。意識を再編成させやすい課題を考案し、うまく学習者の意識を変え、原理を体得させるのが指導者の役目。

ひるがえって、英語学習はどうか。英語学習でも普通の人はすぐに「カイワ」をしたいと願い「ネイティブ」のいる会話学校に行く。だが大抵の場合、それでは英語は上達しない。それはバスケットや空手の原理を意識せず理解・体得しないままに練習試合ばかりする人が上達しないのと同じである。

無論商売としては悪くはない。原理を教えず、いわば上達を困難にする構造を作り保ったまま、「カイワ」や「試合」の楽しさを訴え続ければ、学習者はいつまでも上達せずに習い続ける。学習者が「いつかは上手くなるかも」という幻想を抱き、「カイワ」や「試合」の小手先の楽しさを感じている限り、授業料は徴収できる。やがては止めるだろうが、広告をうまく展開して幻想と楽しさを訴えれば新入生も入ってくるだろう。焼畑農業が成功する程度に、この商売は成功する。

だが学校教育がこうであってはならない。学習者にこれまでとは違う原理を理解させる。異なる心身の動きを体験させ、心身の可能性に気づかせる。原理に忠実な課題で、学習者に新たな心身の可能性を探求させ、学習者の意識を再編成させ、その心身の動きを体得させる。そうして闇雲に試行錯誤することでは決して到達できない状態にまで学習者を上達させる。再編成した意識で学習者が自律的に自己鍛錬ができるように導く。そして自ら原理を体得する喜びを感じさせる。公的な学校教育はこういった原理を大切にした教育体系を持つべきだろう。

それでは英語学習の「意識再編成と原理の体得」とは何だろうか。思いつくままにいくつか書く。

発音については母語では口舌の意識はほとんど育っていないだろうから、英語という新たな口舌運動の意識を創り上げる。構音の原理(フォーム)を理解させそれを自らの口舌で実感できるように体得させる。

文については、まず主語を明示的に意識させる。主語の後には原則として主語の動きを示す動詞をすぐに置かせ、文の基本構造をすぐに示すように文構成の意識を再編成する。具体的な新情報は、次々に継ぎ足すように追加し、情報の根幹部分は先にもってくるようにも意識を変える。そのように意識を変えた上で、その原理が意識しなくてもできるように訓練で導く(注1)。

長文を書くことにおいては、(これは実は日本語でも同じなのだが)「自分が書きたいように書く」のではなく、「相手が読みやすいように書く」ように意識を再編成する。あるいは話の流れを構造化し、その構造を適宜示すように意識を育てる(注2)。相手を意識せざるような課題を出し、書くことの原理を体得させる。

その他にもたくさんあるだろうけど、英語教師はどれだけこういった原理を理解し、明示的に指導しているだろうか。

あるいは原理の発見すらがまだまだなのかもしれない(あるいは先人の発見した原理を私たちが軽んじ忘れてしまっているのだろうか)。原理を意識して、自ら英語を学び使い、他人に丁寧に教える英語教師は十分な数だけいるだろうか。

さらにはその原理を頭の上の理屈として理解させるだけでなく、学習者が体得するように効果的に訓練方法を開発している英語教師はどれぐらいいるだろうか。「只管音読」といった一種の根性主義(注3)ではなく、知的感性を要し育み、知的意欲が思わず喚起されるような意識的上達法を英語教師はどれだけ知っているのだろうか(注4)。

優れた英語教師のもとで学ぶ学習者は、たとえ最初のうちには「カイワ」をする機会がなくとも、訓練の中で自分の意識が変容し、新しい心身の動きが獲得される成長の喜びを感じる。そして自ら進んで学ぶようになる。やがて驚くほどに英語が使えるようになる。そうすれば学習者自身が「やたらと会話ばかりしようとしても駄目だよ」と無理なく言うようになるだろう。英語教師はそのような学習者を多く育てないかぎり、世間の「カイワ」願望や「ネイティブ」信仰はなくならないだろう。もちろん末永く焼畑農業的に商売を続けたいのなら別だが、学校教師は金儲けをやっているのではない。それならば生徒が喜び、自らも楽しい探求的な英語教育をするのが理というものだろう。

英語教師自身が英語学習・英語使用の原理を探求し、自らの意識を次々に再編成して高次のものに変えてゆく。そうして自ら英語学習者として成長し、現実社会における優れた英語使用者になる。そしてその成果を学習者に伝える―こうした英語教育の内発的な喜びを感じられるように英語教育の文化を変えたい。



(注1)「主語」をめぐっては拙稿文法・機能構造に関する日英語比較のための基礎的ノート ― 「は」の文法的・機能的転移を中心に ―をお読みいただければ幸いです。

(注2)英語を書くことに関する原理的解明としては『理科系のための英文作法―文章をなめらかにつなぐ四つの法則 』(中公新書)がすばらしいです。(私の紹介記事はこちら)ぜひお読みください。

(注3)「とにかく○○さえ徹底すれば上達する」というのは、私は悪い意味での根性主義だと考える。昔の空手道場にも似たようなところがあり、「とにかく基本さえ繰り返せば強くなる」と言ったきり、原理も理解させず意識のあり方も教えないままにとにかく「繰り返せ、繰り返せ」とやってゆくと、ごく少数の才能・感性・意欲に恵まれた者は原理を自得するが、ほとんどの者は上達できずに「自分には根性がない」と挫折して止める。このような根性主義での成功者は、多くの挫折者の屍の上に立っていることを忘れてはならない。(もっとも、忙しく考える暇もない人に「○○さえ繰り返せばよい」と暗示をかけるというのは現実的な手段としてはそれなりに有効であろうが、可能ならば指導者は原理や意識変容について短時間で指導できるように自らの力量を高めておくべきであろう)。

(注4)「知的感性を要し育み、知的意欲が思わず喚起されるような意識的上達法」の実践者としては私は第一に甲野善紀先生のお名前をあげさせていただきたく思います。










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