2010年3月30日火曜日

情報から知識へ ― 論文のまとめ方についてのパワーポイントファイルと音声ファイル

■ 情報の凝縮による知識の創造

本日、学部ゼミ生に "How to organize and streamline information to produce knowledge"というタイトルで、大量の情報を凝縮して論文という知識の物語を創る方法を私なりに説明しました。

その際のパワーポイントがこれです。ご興味のある方はダウンロードしてください。






■ 音声ファイルの公開

なお、本日はどうしても仕方がない理由で欠席したゼミ生が2名いましたので、そのゼミ生のために、私が上のパワーポイントスライドを説明した際の音声を録音しました。

MP3ファイルで約10分です。初めて録音したため、ICレコーダーを胸ポケットに突っ込んだままという雑な録音をしていますので、服がこすれる雑音が入っています。それよりなにより、即興の説明ですから、まともな日本語になっていないところもあります。

この4月からは、私の多くの授業をこのように録音し、パスワードをかけて受講生だけにその音声ファイルをダウンロード可能にするつもりです。

私の学会発表や講演などはパスワードをかけずに音声ファイルをダウンロード可能にしてみようと今のところ考えてみます。


というわけで、本日の音声ファイルも思い切って公開してみます。

ただしどのくらいの方々がダウンロードするのかを知るために、パスワードを設定します (パスワードを設定しますと、Boxというstorage siteは利用者である私にダウンロードが行なわれる度ごとにそのことを知らせてくれます。ただしダウンロードした方の個人情報はわかりません)。

パスワードは、"peace_on_earth"です。




ダウンロードされた方は、上のパワーポイントスライドを見ながら説明を聞いてみてください。(一カ所クリックするところがありますが、それもパワーポイントスライドのハイパーリンクをクリックしてみてください)。

これは実験的な試みです。

この音声ファイルの公開が吉と出るか、凶と出るか、しばらく様子を見てみたいと思います。

もしよければ、感想などをお聞かせいただければ嬉しく思います。このブログのコメント欄か、私のメールアドレスまで感想をお寄せ下さい。(私のメールアドレスは、 "@"の左が"yosuke"で、右が"hiroshima-u.ac.jp"です)。





■ ゼミ生の皆さんへ

休んだ二人、および参加してくれた四人のために、本日のセッションの一部を録音した音声ファイルを下記にダウンロード可能状態にしておきます。パスワードはお話ししたものです (このパスワードは秘密にしておいてください)。この実験的試みの率直な感想をまた教えてください。











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2010年3月26日金曜日

英語教育界と日本語教育界の交流をもっと促進しましょう!

■ 日本語教育の学会で英語教育の中嶋洋一先生が連続講演

6月5日(土)と6日(日)に佐賀大学を会場として開催される、2010年度日本語教育学会研究集会で関西外国語大学の中嶋洋一先生が連続講演をしますので、このブログでもご紹介します。

「子どもたちの『知りたい!』『伝えたい!』を引き出す授業
-どの生徒も英語が好きになる中嶋マジックの秘密-」

テーマ:ことばは「場面」の中で意味を持つ
-教師ができること、しなければならないこと、してはいけないこと-

 講師:中嶋 洋一氏(関西外国語大学 国際言語学部 教授)
2010年度日本語教育学会研究集会案内ブログへ





この企画は、友人の横溝紳一郎さん(佐賀大学)が熱心に進めたものです。

横溝さんは日本語教育界の研究者ですが、「田尻科研」の主要メンバーとして英語教育の研究も積極的に行い、その結果の一部はこの4月か5月に教育出版から書籍として出版されます。

横溝さんはさらに最近、地元の小学校での英語教育にも積極的に関与し、この研究集会でも

小学校の英語活動で、日本語教師は何ができるのか
-コーディネーター兼ALTとしての3年間の実践を通して見えてきたもの-

の発表をします。



■ 日本語教育界と英語教育界がもっと研究交流をするべき理由

日本語教育界と英語教育界はもっともっと研究交流を進めるべきと考えます。

理由1:互いに「第二言語教育」として、かなり同じ文献を読み、同じような問題意識をもっている。

理由2:互いに日本を主なフィールドとするから、異文化コミュニケーションなどで、同じフィールドで異なる角度からの研究ができる。

理由3:英語教育界にとっては、「日本語」という当然視している言語を新たな視点から見つめ直すことができる。

理由4:日本語教育界にとっては、英語という「外国語」を学び・教えることの苦労などを改めて学ぶことができる。



実際、私が先日参加したRod Ellis先生の講演会は、日本語教育の研究者が開催したものです。講演会から懇親会まで、私は多くの日本語教育の研究者・大学院生と有意義な交流をすることができました。


この佐賀大学での講演を機会に、日本語教育界と英語教育界の有意義な研究交流が一層促進すればと思います。




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Miyoko Kobayashi "Hitting the Mark: How Can Text Organisation and Response Format Affect Reading Test Performance?" Peter Lang

熊本大学の小林美代子先生が、Peter LangのContemporary Studies in Descriptive Linguisticsシリーズの一冊として


Hitting the Mark: How Can Text Organisation and Response Format Affect Reading Test Performance?


を発刊されましたので、お知らせします。

この本は、テスティング研究で最高の評価(the 2002 International Language Testing Association (ILTA) Best Paper Award for research findings)を受けた研究です。

小林先生の『聞ける! 話せる! 英語力3カ月トレーニング』(研究社)の紹介でも書かせていただきましたが、私は小林先生に英国でお会いして以来、会う度にいつも啓発されています。


一度は、あるシンポジウムでご一緒させていただきましたが、このシンポジウムも小林先生が最初に、チャーミングな笑顔で、論点を明確かつ率直に提示してくださいましたので、シンポジウムは気持ちよく議論を建設的に行う楽しい話になりました。


テストにおけるテクスト構成、フォーマット、評価者の役割などにご興味があれば、ぜひお読みください。


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2010年3月25日木曜日

Oxford University Pressが応用言語学の古典を無料でダウンロード

オックスフォード大学出版局が、応用言語学の古典と言える書籍を無料でダウンロードしています。

現在入手できる書籍は以下の通りです。

An Applied Linguistic Approach To Discourse Analysis by Professor Henry Widdowson

Conditions for Second Language Learning by Professor Bernard Spolsky

Explorations in Applied Linguistics by Professor Henry Widdowson

Explorations in Applied Linguistics 2 by Professor Henry Widdowson

Learning Purpose and Language Use by Professor Henry Widdowson

Second Language Pedagogy by Dr N S Prabhu





これからますます、

「デジタル化できるものはとりあえずすべてデジタル化する」

ことと、

「ウェブ/クラウドにアップロードできるものはとりあえずすべてアップロードする」

ことが、私たちの行動の前提となるかと思います。



もちろん情報と知識の急激なデジタル化とクラウド化はさまざまな軋轢を生むでしょうが、私たちはその軋轢の中からしか未来を切り開けないように思います。

この世界史的潮流はもはや誰にも止められないと私は考えます。






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2010年3月24日水曜日

「複雑性(複合性)」と「社会文化的アプローチ」の新刊案内

あるメールマガジンからの情報転載です。

「複雑性(複合性)」と「社会文化的アプローチ」は、日本の英語教育界でも、安直な紹介や誤解に流れることなく、根付けばいいと思います。


New in the Best of Language Learning Series!

Language as a Complex Adaptive System

Edited by Nick C. Ellis and Diane Larsen-Freeman

The articles in this volume, written by leading researchers in linguistics, psychology, and complex systems, summarize this new approach to language and illustrate its application across a variety of subfields, including language usage, language evolution, language structure, and first and second language acquisition.

"What a breath of fresh air! As interesting a collection of papers as you are likely to find on the evolution, learning, and use of language from the point of view of both cognitive underpinnings and communicative functions."
Michael Tomasello, Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology





New in the Language Learning Monograph Series!

Discursive Practice in Language Learning and Teaching

Richard F. Young

"Richard Young's book provides a wonderfully comprehensive account of discursive practices and social context in second language acquisition that synthesizes important theoretical and empirical insights from sociolinguistics, sociocultural theory, systemic functional grammar, and conversation analysis. This is a must read!"
Numa Markee, University of Illinois at Urbana-Champaign







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思考ツールとしてのプレゼンテーションソフト





■ パワーポイントは思考の過程でも使える。

時々自分の馬鹿さ加減が嫌になるけど、パワーポイントって思考ツールとして使えるのね。今日までそのことに気づかなかった。

今までパワーポイントをプレゼンテーションソフトとしか考えていなかった。思考の「結果」をきれいに示すツールとしてしか考えていなかった。

だから、いろんな情報をまとめて考える「過程」の作業に便利に使える思考ツールとして捉えていなかった。(馬鹿だね、オイラって)。



■ 「図形」ではなく「テキストボックス」を使う

さっきまで、ジュリアン・ジェインズの本についてのノートを作っていたのだけれど、書き留めた情報がたくさんあって、どうアイデアを整理すればいいかちょっと戸惑った。


手早く白紙にペンでマインドマップみたいにアイデアの関係を図式化しようかと思ったけど、ふと思いついたら、パワーポイントを使えば早いよね(それにデジタルファイルだから転用が自由だし)。

今までパワーポイントで作図するのは面倒と思い込んでいたけど、「図形」を挿入するのではなく「テキストボックス」を挿入すれば文字を書きこむのは(当然だけど)簡単だった。(「図形」に文字を入れると、どうも作業が滞るのよね)。



■ 複数のテキストボックスを(色をつけて)並び替えて思考を整理

というわけで、パワーポイントの白紙画面に、どんどんテキストボックスに文字を入れて、複数のテキストボックスを作り、それらを並び替える。

テキストボックスが多くなると、それぞれのテキストボックスを目立たせて作業しやすくするために、テキストボックスを適当な色で塗りつぶす。もちろんアイデアの種類ごとに色分けするのも簡単。



■ 必要に応じて図形も追加

図ももちろん自由に挿入可能。なんだ、パワーポイントの方が、OneNoteよりも使い勝手のいい思考ツールでした(ここで自分の馬鹿さ加減に落胆)。



■ 複数のテキストボクス・図形を「グループ化」する

もちろん、ある程度のコツ(というほどでもないけど)は必要で、その一つは複数のテキストボクス・図形を一つの複合体として扱うこと。

これをやらないと、いちいちテキストボックスや図形を並べ直さなければならない。逆に複数のテキストボックス・図形を「グループ化」しておくと、一つのカーソル操作で複数のテキストボックス・図形からなる複合体が相互位置関係がそのままに一括して動くから作業しやすい。


操作はアホみたいに簡単で、

(1) Ctrlを押したままテキストボックス・図形を複数選択(カーソルに+印が出てきた時にクリック
(パワーポイントに限らず、CtrlあるいはShiftを押したままクリック選択をすると、連続選択や一括選択ができるので便利よね)。

(2) 「配置」⇒「オブジェクトのグループ化」で複数のテキストボックス・図形を、その位置関係で結合 (※下の「追記」のリンクと比較してください)
(あと、ちょっとテキストボックス・図形の位置を揃えたいときは、(2b) 「配置」⇒「オブジェクトの配置」が便利よね)。(※下の「追記」のリンクと比較してください)


すればいいだけ。



■ 論文構想の段階でパワーポイントを使おう

なんだ、パワーポイントでスイスイ考えをまとめられるじゃない。手書きで紙に図を書き込むことに遜色がないぐらい操作は簡単だし、できあがったらそれをそのままどんどんデジタル複製も加工もできるから、便利なことこの上ない。OneNoteより便利。図形でなくテキストボックスを使うことを原則にすればよかったのね。

というわけで、たくさんの情報に困惑して論文構想がまとまらないゼミ生の皆さん、パワーポイントを使って自分の考えをまとめてね。


あ、ちなみに上の作業でまとめたノートはこれです。





追記



音声ファイルを掲載し始めることにしました

Cloud computingcrowdsourcingなどの体制変動

iPhoneDropBoxなどの画期的なソフトの登場

QuestiaKindle for PCHathiTrust Digital Libraryなどのネット知識基盤、

またはOneLook Dictionary SearchkeyboadrLife Science Projectなどの検索技術、

そしてTotal Recallなどの文化的実験、


などと情報革命がどんどん加速してきたので、私のようなエンドユーザーの意識もどんどん変わってゆきます。



その一貫として、私のブログでも音声ファイルを掲載することにしました。


第一弾は、先日掲載した胡子先生のDVDの紹介記事につけました。胡子先生ご自身に、DVDについての説明をしていただきました。



胡子美由紀「授業を活性化させるためのマネージメント」




を御覧下さい。



今後は私の授業や学会発表などの音声も掲載しようと考えています(ただし当面授業の音声ファイルにはパスワードを設定します)。


しばらくは実験的に、デジタル化できるものはできるだけデジタル化し、ウェブの可能性にはできるだけ開拓してみたいと思います。試行錯誤するうちに何とかいいスタイルができあがればと思っています。








2010年3月23日火曜日

卒業生に贈る言葉 ― Glory in heaven, peace on earth

以下は本日、講座の学位授与式で行なった挨拶の原稿です。改めて読んでみますと、ずいぶん格好をつけていますし、なにより自分が果たし得ていないことを人に説くという最悪の教師言説パターンに陥っていますが (笑)、ここに掲載します。

この春に社会に出る皆さんの人生が幸福なものでありますように。




みなさん、本日は卒業・修了おめでとうございます。

お別れの機会ですので、本日は私の好きな言葉を一つお贈りいたします。

それは
"Glory in heaven, peace on earth" (「栄光は天に、地には平安を」)
です。

もともとは新約聖書 (ルカによる福音書2章14節) の言葉ですが、聖書も翻訳によってはいろいろな違いがありますから、ここで私が紹介するのは私個人の解釈です。


若い皆さんは、これからさまざまな「栄光」を求めるかもしれません。それは力であったり、地位であったり、名声であったり、高価な持ち物であったり、美貌やかっこよさであったりするかもしれません。

私も若い頃は大いに「栄光」を求めました。いやそれは求めたというよりも、渇望したというべきでしょう。自らの不全や不安をごまかすために、ひたすらに野心をたぎらせていたというべきでしょう。


そのうちにこの言葉 ― "Glory in heaven, peace on earth" ― に出会いました。

栄光とは大いなる天に属すべきものです。地の人々に属すべきでもありません。地にある人は、愚かでやがては死すべき存在に過ぎません。"Glory in heaven, peace on earth." ― 人が求めるべきものはglory (栄光) ではなく、peace (平安) ではないでしょうか。

人間が自らの栄光をひたすらに求めたなら、そこにはしばしば大きな不調和が到来するというのが、私が直接・間接の体験や読書経験から少しずつ学んだことです。


それでも世間はしばしば栄光で人を判断しようとします。しかし私は、仮りそめに過ぎない栄光を得た人より、地に平和と平安をもたらした人こそを讃えるべきかと思います。

平安をもたらす人とは、柔和な笑顔や寛容な態度で人々に接する人です。怒りに対して怒りを返さず、憎しみに対して憎しみを返さない人です。自らの栄光より、周りの人の幸福を大切にする人です。それは皆さんの家族であり、友人かもしれません。

近代社会には様々な欲望や野望が渦巻いています。また所詮、人は欲望、野望、栄光への渇望から自由になれない存在なのかもしれません。しかし、選択をする機会、自らを振り返る機会があれば、栄光でなく平安を求められた方がいいのではないかと私は考えています。

皆さんが平安をもって、周りの人々を幸福にし、自らも幸福になりますように。そしてその幸福を次々に人々に伝えてゆきますように。

本日はおめでとうございました。



追記

ルカによる福音書2章14節の各種翻訳は以下のとおりです。

新共同訳「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ」

口語訳「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」

King James Version "Glory to God in the highest, and on earth peace, good will toward men."

Young's Literal translation "Glory in the highest to God, and upon earth peace, among men -- good will."

New Living Translation“Glory to God in highest heaven, and peace on earth to those with whom God is pleased.”

New International Version "Glory to God in the highest, and on earth peace to men on whom his favor rests."

2010年3月22日月曜日

池谷裕二 (2009) 『単純な脳、複雑な「私」』朝日出版社

現役の脳研究者が、母校の高校生に行った連続講義を書き起こした本書は抜群に面白い啓蒙書となっています。

「この三日間で、僕が気をつけたことは脳のしくみの説明そのものよりも、「脳」を考えるプロセスに主眼を置いたことだ」(385ページ)という池谷先生の言葉に従って、ここでは

「物語」、「複雑系(および創発)」「リカージョン」

について、私なりに理解した(誤解した)ことを書き連ねてみます。詳しくは本書ならびに本書に示されている参考文献を直接読んでください。


■ なぜ人間は「物語」を創るのか

なぜ人間には意識があるのか、なぜ痛覚があってもその痛覚だけで終わらせないのかという問題に対して、池谷先生は、痛覚にただ反応するだけでなく、「なぜ痛いのか」という理由を探索することが生存に有利だからではないかと説きます。ヒトは、理由を探し求める生物として進化してきたのではないかというわけです。

しかしこの理由探求欲求は「当面の状況がうまく説明できればよい」(161ページ)という程度のものですから、「作話」のような現象も生じると池谷先生は解説します。ヒトはとりあえず自分の身体状態を説明するための根拠を過去の「記憶」に求めて、現状に納得のいく説明をつけるなどといった「身体と脳の相互作用、無意識と意識の相互作用のプロセスの全体」を「心」と考えていいのではないかとも言います(188ページ)



■ 人間は「設計図」により作られるのではなく、「創発」する

複雑性(複合性 complexity)の科学は、構造に単純なルールを与えるだけで、システムは思いもよらない複雑な(複合的な)挙動を示すこと、つまりは高度な行動が「創発」することを明らかにしました。

私たちは「設計図」に基づいて物を作るということを根源的なメタファーとして使っていますので、この「創発」で物事を考える事をまだ増えてとしています。しかし「人間を作り出す」ために遺伝子にすべての必要な情報を組み込むことは、その莫大な情報量から不可能と考えられるわけですから、遺伝子も「設計図」ではなく、システムの「ルール」(の一部)として考えるべきではないかと池谷先生は説きます(353ページ)

この創発の働きは、朝日出版社のホームページにある動画(注)で直感的に理解することができます。


●鹿威しモデル(単一細胞)・ノイズなし
●鹿威しモデル(単一細胞)・ノイズあり
 →328ページ: 図52 鹿威しモデル(単一細胞)
●フィードフォワード回路・ノイズなし
●フィードフォワード回路・ノイズあり
 →330ページ: 図53 鹿威しモデル(フィードフォワード)
●フィードバック回路
 →340ページ: 図55 鹿威しモデル(フィードバック)
●ラングトンの蟻
●ラングトンの蟻・早回し
 →348ページ: 図57 素子と環境の相互作用 その2
●自己組織化マップ
 →403ページ: 図65 コホーネンの自己組織化マップ
http://www.asahipress.com/brain/


さらに池谷先生は、無料で無尽蔵ともいえる「ノイズ」をシステムが上手く利用することの重要性を説きます(上の動画でも確認できます)。(368ページ)

加えて、生命といったシステムは構造から機能を生み出すだけに留まらず、「機能する」ことによって、「構造を書き換える」ことも行うこと、つまりは「構造→機能だけでなく、機能→構造でもある」「機能と構造の相互作用を通じて生物は環境に適応していく」ことを強調します。(368ページ)

複雑性(複合性)やシステム理論の理解は人間の理解においても非常に重要だと言えるのでしょう。


■ リカージョン

池谷先生は、さらにリカージョン(recursion)あるいは自己言及のトリックについて注意を喚起します。また、Hauser, Chomsky & Fitchの 'The Faculty of Language: What Is It, Who Has It, and How Did It Evolve?' Science 22 November 2002:Vol. 298. no. 5598, pp. 1569 - 1579を参考文献にあげながら、リカージョンが可能になったことを言語に求めています。


恥をしのんで告白しますと、私は自己言及のパラドクスをまだまだ表面的にしか理解していなくて、身体的にもイメージ的にも理解していませんので、リカージョンについてはこれからもう少しきちんと考えて、頭を柔らかくしたいと思います。




■ 圧倒的に面白い啓蒙書です

池谷先生のホームページの「研究者のメディア活動について」を見ますと、科学者が啓蒙書を書くことについては賛否両論あるようですが、私としては一流の科学者にこそ、時折でいいですから啓蒙書を書いてほしいと思います。いずれにせよ、噂にたがわずとにかく面白い本でした。迷っているならぜひ購入して読んでみてください。



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このページの動画はどれも面白いですが、私は特に「ニューロン・ミュージック」を面白く思いました。20世紀の西洋音楽が到達したことは、私たちの脳が行っていること(の表現)にとても近いのかもしれません。







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池谷裕二・木村俊介 (2008) 『ゆらぐ脳』文藝春秋

池谷裕二という研究者の発想法を木村俊介というインタビューが明るみに出そうとした、読みやすくて深い本です。


■ 「物語」の重要性と難しさ

私は「物語」を自分のキーワードの一つにしていますので、まずは池谷先生の物語についての発言を引用します。

論文の論旨展開にはストーリーを作らなければなりません。ストーリーの展開次第で、同じ発見であってもインパクトがまるで異なりますから。
ストーリーテラーになれなければ実験屋のままですから、私はこの単著論文を執筆する過程でようやくサイエンティストに近付けた。つまり、やはり、サイエンティストにはなんといってもプレゼンテーション能力が問われているのです。(166-167ページ)


目の前の「スゴい」を整理整頓し、「従来の理解の範囲」という容器にパッケージングしなければならない・・・・・論文化や言語化のプロセスは苦しいものですけれど「どのように見せてゆけばいいのかなぁ」と試行錯誤することは楽しいことでもあるのです。
私の場合、「伝える」プロセスでは、たいてい、論文執筆前にあちこちの学会で発表するようにしています。発表したら「こうしたら伝えられるのか」「これでは伝えられないのか」のアタリがつかめます。「伝わる発表方法」が見つかるプロセスにもサイエンスの醍醐味があるのではないでしょうか。
ちなみに「発見(分かる)」から「発表(伝える)」までは、ものすごく時間がかかるものです。だいたい、どのような発見でも、それを発表するまでには2年間はかかるものではないでしょうか。(224-225ページ)



■ 大局観をもち、目先の「正誤」にばかりとらわれず、好奇心を走らせる

もちろん「物語」以外にも面白く深い言葉がたくさんあります。詳しいことはこの本を実際に読んで、池谷先生と木村氏の二人によるストーリーテリングを楽しんでください。

私としては、特に以下の論点を面白く思いました。以下の表現は、私が適当に変えていますので、正確な理解のためには本書を参照してください。

(1) サイエンスの世界の中での自分の研究の位置を確認せよ。大局観や俯瞰のないところにはミスが出やすい。(86ページ)

(2) 正誤を云々いうよりも、そういった議論を繰り返すプロセスの中で、何がより重要な論点であるかを明確にすることが重要。(150ページ)

(3) 好奇心を先に走らせることにより、決定的な差異を見いだすことができる。(194ページ)




勉強に疲れた時に読むと、研究の面白さがわかり、また勉強しようと思える本です。ぜひご一読を。



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胡子美由紀「授業を活性化させるためのマネージメント」



【新企画: 音声ファイルダウンロード】

胡子美由紀先生がご自身でこのDVDについて語っています
2分弱の音声ファイルです。


*****



■ DVD版・英語教育遺産


DVD版・英語教育遺産 広島プロジェクトが、谷口幸夫先生の監修でジャパンライム社より発刊されました。このプロジェクトの理念は以下のように説明されています。


過去、日本の英語教育を支えてきたもしくは牽引してきた先生方の20年、30年、40年前の映像というのはほとんど残っていません。今回の企画は、今から20年、30年、40年後そして100年後の若い先生方や先生を目指す学生のために、今の時代でがんばっている先生方の姿を映像に記録していこうというものです。

ここでご紹介する指導方法や指導のアイディアなどが将来に継承されて、地域のひいては全国の英語教育の発展につなげていくことができればと願っています。
その記念すべきシリーズ第1弾は「広島」です。広島において日夜頑張っている先生方の日々の取り組みをご紹介します。



■ 広島プロジェクト

この広島プロジェクトは5枚のDVDにより構成されています。

監修者およびこの授業者の考えでは、、胡子先生による「授業マネージメントを軸にした中1からの指導」→道面先生による「文法指導を軸にした指導」→上山先生による「授業での指導を家庭学習につなげる指導」という中学校での指導の一連の流れをもち、さらにそれを受けて森川先生の「入試に対応する自己表現力を育成する英語Ⅱの組み立て」と西先生の「『受験』に役立つ! 高校生のためのスピーキング活動例」という高校での指導につながります。

このブログでは、この順番でこの広島プロジェクトを紹介してゆこうと思います。なおこのDVDは5枚組セットでも、1枚ごとの分売でも購入できます。


■胡子美由紀先生の実践


胡子美由紀(広島市立早稲田中学校)
「授業を活性化させるためのマネージメント イキイキと活動させる10rules~」


胡子先生のこのDVDは、英語の学習習慣が身についていない学習者に対してどのように4月から授業開きをして、授業の規律を確立しながらかつ楽しく英語を使った活動に従事させるか、という観点から作成されているようです。

主な対象は中学校1年生ですが、中学の2年や3年でも、あるいはそれ以外の校種でも役立つ知見が盛り込まれています。4月最初に学級づくりがうまくゆけば一年間の授業もなんとかうまくゆくが、そこで教師が確たる方針なく右往左往していれば一年間を通じて授業運営が困難になることは多くの教師が痛感していることだと思います。4月からの新しい授業スタートに不安を覚えている人はこのDVDから多くを学べるのではないでしょうか。

本や雑誌記事などの活字と違ってDVDを見ることの長所は、活字では伝えられない視覚情報、音声のニュアンスや間合いなどを観察することができることです。


■ 教師の「役割」

私が観察した限り胡子先生は、教師としての「役割」をうまく果たしています。

「役割」といいますと、時にそれは「本物」でない「偽物」であり駄目なものだと断じられますが、そいういった即断は「本当の自分」といったものを無思考的に信じることからくる俗見とはいえませんでしょうか。

私たちは職業・性別・家族関係などから様々な社会的役割を持ち合わせており、それぞれの役割期待を与えられています。もちろん私たちは期待される社会的役割通りの行動ばかりを行うわけでなく、時に期待される役割行動から逸脱したり、役割行動への期待自身を相手に変えさせようとしたり努力したりします。その中で社会的役割にはとどまらない「個性」というものが生じてきますが、その「個性」も社会的役割期待という背景があってのことだと思います。

少なくとも「教室」という空間で、ある人間が「教師」として、ある人間集団に「生徒」として接する時には、「教師」そして「生徒」という社会的役割期待をうまく活用するべきです。「教室」という空間で、「教師」としての行動を期待されている人間が「本当の私」を出そうとすることなどは、私に取って賢明な方針には思えません。(注)


■ 中学生に「英語授業」という行動様式を教える。

しかし問題は、昨今は社会的役割期待が変化あるいは多様化していることです。以前の「中学生・高校生はかくあるべし」という役割意識は必ずしも維持されていません。「英語の授業はこんなものだろう」という期待も、各人の様々な経験や見聞から異なっていたりします。ですから「私の『英語授業』とはこんなものです」ということを、教師は学年の最初に明示しなければなりません。学習者に「○○先生の英語授業」での行動様式を教えなければなりません。

もちろんこの行動様式の教示は、一方的な強制ではなく、お互いにとって幸せな場所を創るためであるということをはっきりと自他共に示さなければならないことは、鷲田清一先生もおっしゃるとおりです。



■ しつけ、あるいは「文化的な調教」

とはいえ、この行動様式教示は、一種のしつけであり、誤解を恐れず言えば「文化的な調教」であることは言うまでもありません。さらにその行動様式は、少し強調されたものであることもしばしばです。

例として空手道場をあげましょう。空手道場に入る人の中には、外の世界でやんちゃをしている人もいます(もちろん大半は社会的常識をわきまえた人なのですが)。道場の中では殴り蹴る技術を教えます。下手をすれば人を大怪我させる技術も教えます。そういった場所で、お互いが幸せに、共に強くなる文化を創るためには、一定の規律や原則が必要です。そういった規律や原則を、外からイライラした気持ちをひきずって道場に入った時にも、練習試合などで興奮してしまった時にも堅持するためには、徹底したしつけ、あるいは「文化的な調教」が必要です。

空手道場の「文化的調教」とは、あいさつの仕方、お辞儀の仕方、口の聞き方、道場への入り方、遅れて入った時の練習への参加の仕方、練習試合の始め方・終わり方、人が怪我をした時の対処法、掃除の仕方、道衣のたたみ方、などです。入門者は最初はこういった文化的慣習を習得しなければなりません。私の通っていた空手道場では、ほとんどが成人でこのような規律獲得には何の問題もありませんでしたが、もし「やんちゃ」な人が入ってきたら、様々な方法でこのような規律を道場主(および先輩)は「調教」することでしょう。

この「調教」された規律は、道場以外の空間では少し大げさに感じられるものかもしれません。しかしその規律は世間一般で「礼儀正しい」と言われている習慣を少し誇張しただけのもので、文化的におかしなことを教えこんでいるわけではありません(実際、私は少し礼儀が求められる空間の中では空手道場で学んだ文化的習慣をアナロジー的に発揮して「礼儀正しさ」を示しています)。

「しつけ」とは、ある実践を維持するために必要な文化的習慣を教え込むことです。それは一種の「文化的調教」といってもいいぐらいの身体的訓練です。そうして獲得した行動様式は、外の世界からすればすこし大げさなようなところもあるかもしれませんが、その実践が目指すことを学ぶためには経ておくべき学習過程であるといえましょう。


■ 胡子先生の「授業規律」訓練

そういった学習者への「しつけ」という点で胡子先生の授業をDVDで見ますと、中1の4月の授業開きから、適切なタイミングで授業のルール確認を行っています。時にステッカーを与えるなど「子供だまし」に思えるようなことも行いますが、現代の中学生(あるいは高校生!)に新たな規律を教えようとするならさまざまな方法が必要なことは、多くの先生方が熟知されていることでしょう。

胡子先生は、「授業のルール」として、

1 Help each other
2 be Original
3 Learn from your friends
4 Express your ideas


のHOLE in oneをあげておられますが、DVDのよさは、このルールの徹底を具体的にどのように行うか、その実践のタイミングや雰囲気がわかることです。もちろんそういった微妙なところは、実践者の個性によってさまざまに異なりますが、ある一人の実践を見ることによって、私たちはそれを自分なりに解釈し自らの身体に流しこむことができることは私たちも知るところです。


4月最初は「黄金の三日間」と呼ばれるぐらいに大切な時期です。この「黄金の三日間」で自分の授業哲学を具体的に示すことができれば、授業は年間を通じてかなりうまくゆきます。教師としては、4月当初への準備を改めて考え直したいものです。


⇒胡子美由紀「授業を活性化させるためのマネージメント」へ




(注)社会的役割を演じきることについての考察に関しては精神科医の名越康文先生が面白いエッセイを書かれています。ぜひお読みください。





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2010年3月20日土曜日

幸福が原点

子どもに共同生活のルールを教えるのが学校という場所である。が、ルールを教えるためにまず伝えなければならないのは、ルールがなりたつための前提である。つまり相互の信頼感。それはともに幸福を分かち合うという経験から生まれてくる。教育においてもその原点を忘れてはならない。


鷲田清一「都市の微熱」 (毎日新聞2010年3月4日)より

二つの言語文化

どちらが良いとか悪いとか、即断・独断することなしに、下記の二つの言語文化について考えてみたい。


われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまいて、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するというのがわれわれにかせられた従来の慣習であり、また尊重せられる行き方であります。

(「東京裁判」で、なぜ個人的に反対していた国策に従い続けてきたのかと検察官に問われた小磯国昭元首相の発言)
丸山真男 (1964) 「超国家主義の論理と心理」『現代政治の思想と行動』未来社 20ページより。



Fear of serious injury cannot alone justify supression of free speech and assembly. Men feared witches and burnt women. It is the function of speech to free men from the bondage of irrational fears. ... Those who won our independence by revolution were not cowards. They did not fear political change. They did not exalt order at the cost of liberty. To courageous, self-reliant men, with confidence in the power of free and fearless reasoning applied through the process of popular government, no danger flowing from speech can be deemed clear and present unless the icidence of the evil apprehended is so imminent that it may befall before there is opportunity for full discussion. If there be time to expose through discussion the falsehood and fallacies, to avert the evil by the processes of education, the remedy to be applied is more speech, not enforced silence.

Louis Brandeis, in the Whitney v. California case in 1927. This opinion is sometimes regarded as the most eloquent American rhetoric of freedom.
Quoted from A hero of American Justice. By Anthony Lewis. The New York Review of Books. February 11, 2010. P. 32







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2010年3月17日水曜日

卒論・修論のテーマが絞りきれずに苦しんでいる学生さんへ

■ よい論文の構造

よく書かれた論文は、水が高いところから低いところに流れるようにスラスラと論証が進んでゆきます。その構造を説明したのが、下のパワーポイントスライドです。ダウンロードしてみてください。




■ 舞台と舞台裏は大違い。

 しかし、完成品の論文に騙されてはいけません。論文は舞台だけを見せていますから、きれいに見えますが、舞台裏はしばしばしっちゃかめっちゃかです。多くの著者において、論文を書く過程、特に序論が書けるようになるまでの過程は、本当に五里霧中の状態です。しかし、ここを考え抜くことこそが訓練です。みんなこの過程を苦しんで通り抜けることにより思考力をつけてきました。悲観せずにがんばってね。



■ 頭で考えるのではなく、手で考える。

 がんばってね、と言いましたが、頭だけで考えようとしては逆効果です。手で考えてください。この言葉に通じるところもありますが、手でどんどん自分の考えを書き出して、自分の考えをオブジェクト化(物体化・対象化)して、考えましょう。
 
古い記事ですが、次の二つの記事を読み直してください。私はコンピュータを勧めるのに人後に落ちませんが、手書きの良さも知っています。しばしば人間の手は、コンピュータ(キーボード入力)では不可能なことをやってのけます。特に思いつきをとにかくなぐり書きすることはお勧めです。

卒業論文を書く皆さんへのアドバイス (1998/11/01)


卒業論文執筆のための合理的なアプローチ(2001/1/13)



■ よい友人に話を聞いてもらう

 可能ならば友人に論文のテーマを聞いてもらいましょう。その際にもできるだけわかりやすく話をまとめるのは当然のことです。

 しかしできれば「よい友人」を選びましょう。ここでいう「よい友人」とは、話を建設的に聞いてくれる人です。肯定的な雰囲気で「えっ、つまりどういうこと?」、「それは○○と理解していい?」、「それはなぜ?」、「それは○○も意味すると言っていいの?」ととあなたの思考を紡ぎ出してくれる人です。そのような建設的な相互作用からは思いも掛けない発想がわいたりします。

 逆にあまり否定的な人を選ぶと、孵化したかしていないかの段階のあなたの考えは回復不可能なまでに潰されてしまいます(さらにそのように否定的な人は、自分のことを頭がよいと信じきっているのでタチが悪いです 笑)。

 よい友人をもち、なにより自分自身が他人にとってのよい友人であるようにつとめましょう。



■ コンピュータを使って、知的生産力を飛躍的に向上させる

 そうして手で考え、友人の頭と言葉もも借りて考えたら、今度はあなたの知性をコンピュータと合体させた複合体にして、あなたの思考を育ててください。次の記事を読んでください。
 
コンピュータと人間知性の共進化について

コンピュータ上で「思考」をするために


ちなみに次のファイルは、現在、私が目指している知識生産プロセスです。ご興味があればどうぞ。








星川啓慈・松田真理子 (2010) 『統合失調症と宗教 医療心理学とウィトゲンシュタイン』創元社

■ リアリティとは何か

本書全体を貫く主題は「生きている人間にとってリアルなもの/リアリティとは何か」である(1ページ)。かくして著者は「普通」のリアリティだけでなく、統合失調症患者や宗教者が感じるリアリティも「普通」のリアリティと「陸続き」のものとして理解しようとする。結論は「さまざまな視点からアプローチしたつもりだが、率直にいうと、明確な結論は得られなかった」(299ページ)である。

だが私などからすればむしろ一冊の本で「明確な結論」が出る方が怖い。こういった問題は、単純明快な図式的解答で満足するより、奥深さと底知れなさを実感しながら少しずつ探究していく方が妥当だと思う。私はこの本の読書を楽しんだ。



 物語論

「さまざまな視点からアプローチ」の一つが物語論である。ここでは本書で引用された箇所をいくつかそのまま紹介する。

物語は、人間が時間や個人的な行為の経験に意味を与えようとする企てである。物語の意味は、人生の目的を理解する際に形を与え、毎日の行動や出来事をエピソードの組み合わせへと結びつける働きをする。[そして物語の意味は、]自分の人生の過去の出来事を理解し、未来の行動を計画するための枠組みを提供する。それは人間の存在を意味あるものとする重要な企てなのである。
D.E. ポーキンホーン(Polkinghorne, D.E.)「物語的に知ることと人間科学」(1988年)。(Donald E. Polkinghorne (1988) Narrative Knowing and the Human Sciences. State University of New York Press.


人がそれに向かって行為し、そうなろうと求める解釈学的目標は、人生を意味ある全体として見る方法であり、それによって自分の人生における種々の出来事が一つの独自な物語として作り上げられ始める。行為の目標となる人生のヴィジョンは、無関係な出来事の無意味な連続ではなく、人生の相互連関した行為を意味ある全体として見ること ―すなわち、さまざまな行為を一つの特定の物語へと解釈的に織り込んでいくこと― を可能にする。

P.ブロックルマン『インサイド・ストーリー ― 宗教の再生』小松加代子訳、玉川出版部、126ページ (P.T. Brockelman (1992) The Inside Story: A Narrative Approach to Religion: Understanding and Truth. New York: State University of New York Press.)



それらがストーリーとなって他者に語りうる経験となるとき、つまり<始まりがあり、中間があり、終わりがあるような、意味のある一貫した一連の行為>として表現されるとき、それはすでにそれ以前の混沌とした状態から、新たな経験へ向かって出来事を整序する治療的意義をもつ

江口重幸 (2003) 「病の自然経過とその物語的構成 ―精神科臨床における民族誌的アプローチ」『新世紀の精神科治療8』中山書店、62ページ。




■ ウィトゲンシュタインについて

この本のもう一つの柱はウィトゲンシュタインである。星川啓慈先生については、私も昔『言語ゲームとしての宗教』を大変面白く読んでいたが、この本の論考も面白く説得力あるものであった。

第三章「自己嫌悪する自分から「あるがまま」の自分へ ―ウィトゲンシュタインのキリスト教信仰」は、
ウィトゲンシュタイン著、鬼界彰夫訳(2005)『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』講談社を読んでいた私としては、得心することばかりだった。

第六章「ウィトゲンシュタインの「確実性」の追求 ―『確実性について』にうかがえる「基本的信頼感」の再獲得」で星川先生が非常に慎重に提示している、書き手としてのウィトゲンシュタインの心理と彼が実際に書いたものの間の関係(表面的な矛盾)についての解釈なども、私にとってはまったくその通りと思えるものだ(「原典を大切にする」態度は時に教条主義に陥るのだろうか?)



統合失調症と宗教、さらにはウィトゲンシュタインといえば、特異的な話題で一般性に欠けるとも思われるかもしれないが、私にとっては人間にとっての現実を考えるいい契機になった。



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2010年3月16日火曜日

寺島隆吉 (2002) 『英語にとって「評価」とは何か?』あすなろ社


■ 「評価」を根源的に考え直す


英語教育において「評価」はしばばしば矮小化されている。

世間ではしばしばTOEICの点数だけが話題にされる。学校関係者の中には文部科学省の評価の方針ばかりを金科玉条のように考える人も多い。いずれもそれらだけで思考停止し、「評価」とはそもそも何で、何のために行うのかを考えない。

テスティングに関しては良心的な研究者が多い。だが研究の多くは以前として数量的なものが多く、テストの社会的な影響力に関しては近年ようやく研究が本格化したばかりである。

テストや評価の心理的次元をきちんと考察している人はまだ少ない。学習者個人の心理だけでなく、学習集団の相互作用的心理までも捉えて「評価」を考え直し、テストや評価を再設計している人はさらに少ない。

この点で最近有名なのが田尻悟郎先生だろう。著書『(英語)授業改革論』にまとめられている実践は、評価を根源的に考え直し、授業を根源的に改革したものである。素晴らしい本だが、私はある媒体に既に書評を寄稿したので、ここには書かない。




■ 15年前からの寺島隆吉先生の「評価」実践

だが英語教育で「評価」を根本的に考え直し実践を再設計したのは、もちろん田尻先生が初めてというわけではない。この本は2002年の刊行だが、元々の原稿は寺島隆吉先生が1995-6年に研究社『現代英語教育』に連載していたものである(津田正さんが編集者だった時代だ!)。

寺島先生は、自らの実践を振り返り再構築しながら、「両端を掴み、両端を絡み合わせる」という原則(27ページ)などで学習集団を作り上げる。

そういった試みの中で寺島先生は、「評価」を捉え直す。以下は、その論点のいくつかである。

・評価とは実は「生徒に対する評価」ではなく、「教師が自分自身の力量に対してくだすもの」(35ページ)

・「関心・意欲・態度」で評価されるべきなのはまず教師自身(47ページ)

・教師の仕事は点数化し生徒を序列化することではなく、学習意欲を引き出し、さらにそれを発展させること(117ページ)

・もっと言えば、教育とは「自己と他者の発見」を用意してやることであって序列化ではない。(118ページ)

・「ここで確認しておきたいのは「本来、評価は他者にしてもらうものではなく自分でするものである」という点である。すなわち他者と比較しながら、何が自分の美点であり、何が自分の弱点なのかを知り、今後の到達目標を設定していくこと、言い換えれば「自己評価」こそが本来の評価であるべきだということである。」(119ページ)

もちろんこういったことを言うだけの人なら他にもいる。しかし寺島先生は、一つ一つの実践を、学習者の声を丁寧に(システマティックに)拾い上げながら、徹底的に考え直して作り上げていった。この実践報告から学べることは実に多い。




■ 「実践報告」とは何か

上に「実践報告」と書いたが、この本の第三部はまさに「実践報告」をどう書くかについてである。

寺島先生が論証しているのは、


・実践報告が教師を育てること
・「失敗した実践」こそ分析して報告すべきこと
・「生徒による授業の成果」「実物」をできるだけ添えること
・実践報告でも文献情報はページ情報も含めて正確に記載すること
・可能な限り生徒の「顔」が見えるようにすること、


などである。私は曲がりなりにも教師の語り(ナラティブ)を研究しようとしているが、啓発されること大であった。




■ もっと「古典」を大切に

この本のよいところの一つは、板倉聖宣先生や大西忠治先生といった教育実践の「古典」を大切にすべきことを痛感させてくれることである。

「板倉聖宣」や「大西忠治」などといった名前を聞くと、「古い」とか「英語教育でない」と否定的な反応が返ってくることもしばしばであるが、そのように「新しい」「専門的」なものばかり求め続けることによって、英語教育界は井の中の蛙が驚嘆すべき忘却力でもって流行り廃りばかりに一喜一憂している状況に陥っているのではないか。


英語教育実践で評価をきちんと考えたいのなら、ぜひとも読んでおくべき一冊だろう。


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携帯型汎用D/A Converter(デジタル-アナログ変換器)としてのiPhone


■ 革命的機器の登場?

iPhoneは本当に革命的な機器だと思う。衝撃はパソコン登場に似ている。パソコンが出てきた時、利用し始めた者は「とにかく何でもできるから」と興奮して語ったため、未使用者を戸惑わせた。しかしパソコンの汎用性を整理して説明するのは難しかった。だから未使用者はしばらく「まあ、ワープロが便利になったんでしょう」と言ってパソコンに手を伸ばさなかった。

iPhoneも愛用者を「とにかく何でもできるから」と興奮させるぐらいの衝撃をもっていると思う。興奮してばかりもいけないから、ここでは携帯型汎用D/A Converter(デジタル-アナログ変換器)としてのiPhoneの素晴らしさを書く。(iPhoneで紙の手帳が要らなくなり、かついつでもどこでもGmailとGoogle Calendarが使えるようになったことは以前にも書いた)。



■ デジタル化されていない情報は扱いにくい

パソコンとウェブが普及して、情報はいったんデジタル化されたらおそろしく便利に処理できるようになった。だがアナログ情報は本当に扱いにくい。紙の書類、ファックス、音声、画像、映像などはデジタル化されない限り情報の処理に困る。場所をとるし、再利用や編集が難しい。

もちろんこれらのアナログ情報をデジタル化する方法は昔からあった。だがそういったデジタル化は不便だった。デジタル化するための機器が設置されている場所まで行かなければいけなかった。いきおい、デジタル化をするのが億劫になった。



■ iPhoneでいつでも・どこでも・何でも情報をデジタル化

しかしiPhoneは実は、携帯型汎用デジタル-アナログ変換器(D/A converter)だ。JotNotといったアプリを使えば紙の書類をいつでも・どこでも、綺麗にスキャンできる。補正機能があるので、名刺や書類がきちんとスキャンできるのがありがたい。

もちろんiPhoneのカメラやビデオを使えば画像や映像がいつでもデジタル化し処理しやすいようになるのは言うまでもない。

ちょっとした思いつき ―書き出すと面倒だし時間もかかるようなアイデア― はiPhoneで録音して、それをメールで送れば後でそのデジタル化された音声をいかようにも使える。(私はまだ使っていないが音声認識ソフトを使えばかなりの精度で文字化できるはずだ)。

もちろん画像・映像・音声ののデジタル化は携帯電話でもできたのだが、iPhoneは携帯電話よりもはるかにコンピュータに対する親和性が高いので、デジタル化への意欲が高まる。

画像や映像やをいつでもどこでも簡単にデジタル化できるメリットは大きい。これまでコンピュータにのらなかったアナログ情報をどんどんデジタル化できるようになったことで、コンピュータの有用性がさらに高まった。

私にとってのiPhoneとは、このような情報のデジタル変換器としての意味合いが大きい。もちろんiPhoneを使って、Web情報や、私の全ファイル(DropBoxでクラウド保存)といった膨大なデジタル情報をいつでも私の目の前に示すというデジタル情報のアナログ変換器としての機能も重要であることはいうまでもない。だから私はiPhoneを、携帯型汎用D/A Converterとして考えることにしている。




■ Evernoteとの組み合わせでiPhoneは、はるかに強力になる

この携帯型汎用D/A ConverterとしてのiPhoneは、Evernoteと組み合わせると、さらに強力な道具になる。生活様式が変るぐらいだ。Total Recall (ライフログ) が夢物語ではなくなってくる。


かつて数々の道具は私たちの生活を変えた。ビデオデッキ、ウォークマン、携帯電話、パソコン、Email等々。私たちはこれらがない生活を今更想像することは難しい。それと同じぐらいの、いやそれ以上の変化をiPhone + Evernoteはもたらすかもしれない。Evernoteを私は今月始めから使い始めたが、もう少し使いこなしてから、その便利さをまとめてみたい。



■ でもまずはiPhoneの基本的な使いこなしが大切だった

これだけ便利な機器だから、さらに使いこなそうと本屋で目にしたガイドブックを買った。類書がいくつかあったが、田中裕子 (2009年11月初版)『iPhone x BUSINESS PERFECT BIBLE』翔泳社は、情報の有用性が高く、レイアウトなどもよくてわかりやすく使いやすそうだったので購入した。

購入してよかった。知っておくべき基本操作(画像保存や高速日本語入力の方法など)や便利なアプリなどを簡単に学ぶことができた。この本にかけた値段と時間は、これからの生活に大きな違いをもたらすだろう。iPhoneの操作は直感的にも学べるが、このようなガイドブックで組織的に学べば、時間を買える。このような本への投資は惜しむべきではないだろう。


⇒田中裕子 (2009年11月初版)『iPhone×BUSINESS PERFECT BIBLE for iPhone 3GS&3G+iPod touch』翔泳社






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2010年3月15日月曜日

高校教員7年目を終えて:ある卒業生からの手紙

新人教員というのは、しばしば「自ら直接見聞した教員行動の模倣」か「教え込まれた行動」しかできません。なぜそのように教えるのかと問われても、模倣をしている場合でしたら口ごもるだけですし、教え込まれた行動をしているだけでしたら「教え込まれた語り」(例、「だって指導要領では・・・」「○○先生がおっしゃるように・・・」等)をするだけです。

私は、新人教員が職場に適応できたかどうかの指標として、自らの語りを紡ぎ出せるかどうかが重要ではないかと仮説的に思っています。いや、「指標」といいましたが、ひょっとしたら「契機」 ―教員の適応・成長を促す一つの要因― ですらあるのかもしれません。このあたりはゆっくり考え、観察を続けたいと思います。「自らの語り」といいましても、それを紡ぎ出す「場」「人間関係」「ことば」「状況認識」などなどたくさんの要因があるので、拙速は避けなければなりません。


下に掲載したのは、ある卒業生からいただいた手紙です。この卒業生は教員生活を7年間送ったのですが「新人」とは言えないでしょうが、この人なりの自発的な語りとして非常に興味深く読みました。このような語りを共有し、教員一人ひとりが自らの語りを紡ぎ出して、それをさらに共有できるようになればと思っています。

以下、手具体的な情報を消して、本人の承諾を得た上でその手紙を掲載します。手紙をくれた卒業生に心から感謝します。本当にありがとう。




拝啓 柳瀬陽介先生

先生、お元気でいらっしゃいますか。大変ご無沙汰しております。■■です。先生には、学部のときから大学院まで、大変お世話になりました。

 このたびは、近況報告をしたく、一筆申し上げることにいたしました。

私は■■県■■高校に5年勤務したのち、現在は■■県立■■高校に勤務しております。早いもので、高校教員7年目を終えようとしており、この3月1日には、私にとって2度目の卒業生を送り出すことができました。

教員3年目からは連続して学級担任をしており、■■高校の1・2・3年担任(3年間持ち上がり)、そして転勤後、■■高校2・3年担任(2年間持ち上がり)を務めました。学級担任として卒業生を送り出すことは、教員として何物にも代えがたい喜びでした。7年間で2度もその喜びを味わえたことは、幸運としか言いようがありません。

 この2つの学級は、ともに大好きな学級ですが、ある意味で対照的です。かたや「クラスのほぼ全員が、海外に数週間の語学研修に行くことができた豊かな」学級、かたや「家庭状況が苦しく、昼食はカップ麺しか食べない生徒が1人や2人ではない」学級、でした。ちなみにカップ麺というのは、嗜好ではなく、安いからです。昼休みになると、職員室に「お湯をください」と生徒が入ってきます。これは一例で、書き尽くせない、あるいは書くべきでない状況を抱えた生徒の方が多かったです。

 前者の学級には、教科指導と進学指導に力を注ぐことで、充実していました。私が担任した学級の生徒の英語力は、前年までの生徒に決して引けをとらないまでに成長しました。進学指導でも予想以上の実績があがり、ある程度自信をもって進学指導ができるようになりました。

 後者の学級には、生活指導と進路指導に力を注ぐことで、これも充実していました。授業は「力をつける授業」というよりは「わかる授業」を前面に出して行いました。今、私の授業に、特別なことは何もありません。生徒が(授業妨害などに困らずに)安心して・(グレーゾーンの生徒であっても)安定して授業を受けられる状態を、継続しているだけです。

 こうして書くと、教科指導も、生活指導も、進路指導も、少しはできるようになったのかと思います。もちろん、それにもたくさんの失敗と勉強と周囲の方々の支えが必要でした。しかし、教科指導に、生活指導に、進路指導にかまけて(というのも変な言い方ですが)、大切なことから逃げてきたように私は思っています。

家庭状況が苦しい生徒達を(形はさまざまですが)愛情でもって支え、たくましく育てる同僚が周りにいました。それに比べ、私は何と「(上っ面だけ)優しい」「(生徒はきっと望まないであろう)同情心をもった」「生徒のことを何にも分かってない」教員であったことかと、たびたび痛感したのです。一番のベースになるものが決定的に欠けている。

 一番のベースになるもの、それは――陳腐すぎる言葉ですみません、でも別段新しい言葉もいらないと思うのです――「人間としての幅の広さ」です。「厳しさが本当の優しさ」「同情などいらない。たくましく生きていけるよう指導する」これらを実践していかなくてはなりません。というよりも、これらを基盤とした教科指導を、生活指導を、進路指導を(結局のところはこれらを基盤とした生き方を私自身が)していきたいと思うのです。

一番厳しさを向けるのは自分に対してでなくてはならないし、一番たくましいのも自分でなくてはならない。生徒への指導がすべて自分に返って来る――この生活を楽しんで生きていきたいと思います。

 「授業がわかる」「生活指導に筋が通っている」「進路指導がためになる」も嬉しいです。ですが、「頼れる」「相談に行きたい」「厳しいけど伸ばしてくれる」教員になりたいと思っています。これが今の私の目指すところです。



 Appendix
 この3月の私の学級の卒業生は、■道(全国高校生■位の賞をはじめとする)、■■、■■コンテスト、■検定など、教科学習以外の分野で、目覚ましい成績をあげました。(英検受験者はゼロ・・・もっと担任を立てなさい!・・・涙)
その大活躍に、私も大いに触発されまして、ある決心をしました。

それは、「英検1級をもう1度。ただし今度は満点で通る」ことです。

動機は単純です。
今の学校の生徒が教えてくれた「努力の積み重ね」を、自分で実践してみようという、ただそれだけのことです。

できると思っています。


 長文大変失礼いたしました。
 先生も心身の健康に気をつけられてください。

敬具

■■■■





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2010年3月12日金曜日

Kindle for PCの登場による英語情報の一層のユビキタス(偏在)化

PCに無料でインストールできるソフトの登場でKindleの機器を買わなくても、PCで電子書籍Kindleが読めるようになった!
iPhoneでもKindleは読めるけれど、さすがに画面は小さくて快適な読書はできなかった)。


PCの大きな画面で本が読めるのは私にとってはありがたい。

さらにAmazon.comのKindle Storeで私が購入した本は、職場PCでも自宅PCでも出張用ラップトップでもiPhoneでもどこでも読める。これはありがたい。iPhone, Dropbox, (最近導入した)Evernoteなどでどんどん情報のユビキタス(偏在)化は進行している。最近情報革命は急激に加速しているような気がする(Kindle for iPhoneの登場が2009年12月14日、iPadの発表が2010年1月27日、そしてiPadへの購買意欲を(少なくとも私のような人間にとっては)少し削ぐこのKindle for PCの登場が本日である。なんと目覚しい変化!)


これで私の英語での情報入手方法は、無料のGoogle, Google Books, Google Scholar, Hathi Trustに加えて、有料での






があるので、非常に強力になった。ひょっとしたら私の読書習慣(言語選択・書籍購入)は大きく変るかもしれない。なにせ英語なら日本語よりも、格段に良質の情報がはるかに大量にしかも廉価で入手できるのだから。

インターネット以前の時代の私に取って書籍とは大型書店でのみ出会えるものであった。田舎に住む人間にとって都会の大型書店は憧れの空間であった。

インターネットとAmazon.co.jpにより書籍は、ネット上で高度な検索サービスとcrowd sourcingにより供給された関連情報によって出会うものになった(大型書店に行くのは、思いもかけない偶然の本との出会いを楽しむたまの気晴らしだけになった)。

今回のKindle for PCで書籍とはネット上での英語空間でまず出会うものというように購買習慣が変るかもしれない。書籍は持ち運ぶものでなく、ネット空間(cloud)に常在するものというように認識も変るかもしれない。

もちろん私の場合は英語で読書するには、日本語読書よりも時間がかかる。しかし、これだけ英語情報の流通が快適になり、なおかつ良質な情報は英語空間にあるとしたら、私の読書での英語の比重はどんどん高まってゆくだろう。

水村美苗の『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』での懸念は一層現実味を帯びてきたといえる。





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身体から始めて、それから考える

久田浩司 「日本をつなぐ 食と住は自分で賄う 独立独歩の人づくり」『Wedge 2010年3月号』51ページより

清水さんが大切にしている言葉がある。「お手は宝や!」。昔、近所のおばあさんが、日常会話の中で何気なく口にした言葉だそうだ。自分の手を動かせば、家も建つし、米もつくれる。何とか食っていける。それなにの今の日本人は、やる前に考えすぎてしまう。何か決め事がないと動けない。「(大工道具は)頭で握ろうと思っても掴めない。逆に、手で握ってはじめて理解できるものもある」のだ。



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2010年3月6日土曜日

Ann m. Körner著、瀬野悍二 (2005) 『日本人研究者が間違えやすい英語科学論文の正しい書き方』 羊土社

[この記事は『英語教育ニュース』に掲載したものです。『英語教育ニュース』編集部との合意のもとに、私のこのブログでもこの記事は公開します。]

この本の最後の"valedictory"(「免許皆伝!」)は、「(1) 常に投稿規定に目を通してその要項に従うべし。(2) 常に明確さと整合性を目指すべし」となっている。(2)はともかくも、なぜ(1)のように「些細な」ことをこのような本が力説しなければならないのかといぶかしく思う人もいるかもしれない。

しかし著者であるKorner博士は、1985年以来、延べ7000編の英語投稿論文の査読修正に携わってきた科学者 (生物科学) である。概算で日に平均1編の査読修正を20年にわたって続けた人 (序文)の言う事には謙虚に耳を傾ける方がいい。

彼女は「目標は常に1つ、投稿先雑誌の編集長 (editor) と審査員 (reviewer) が好感をもって受理する論文を書くこと」と序文で言い切る。というのも競争の激しいScience誌なら投稿論文の65%が審査に回されることもなく1週間か10日以内に却下され著者に返送され、審査過程に残ってもその10%しか採択されないからだ (22ページ)。


たくさんの原稿を毎日受け取る編集長はスーパーマーケットで買い物をする客とそんなに変わりません。買い物客はすべての陳列棚の品を瞬間的に目に入れながら通路を歩き進み、目をとめた商品は手にとって見て、その内のいくつかだけをかごに入れるわけです。 (113ページ)


だから論文はもとより、編集長への手紙にも細心の注意を払わなければならない。論文もTitle, Abstract, Introduction, Materials and Methods, Results, Discussion, Acknowledgements, Rererences and Notesなどそれぞれに内容を明確に伝えつつ、細かな投稿規定にそって書き進めなければならない。大量の書類を読んだ者なら誰も知ることだが、書式の間違った文書というのは本当にイラつくものだからだ。


投稿規定にこんなに細心の注意をはらうのは時間の無駄だと思うかも知れませんが、要項の細部に従わなかったためにどれだけ発表が遅れる羽目になるかを知って驚くことになります。さらに踏み込んで強調したいのは、投稿規定に従って適正に書式を整えた原稿は、そうでない原稿に比べて受理されやすいことです。 (26ページ)



些細に見えて実は大切なのは投稿規定だけではない。文法もそうだ。


正しい文法で書かれた文は情報を伝える明確な手段として有効です。研究者同士は今や国を越えて結ばれ、共通言語は英語です。もしあなたの論文がはっきりと正確に書かれたものなら、世界中の研究者が理解できます。もしあなたの英語が文法的にミスを冒し、口語調だったりいい加減だったりすると、相手はあなたの言わんとすることを理解するのに大変苦労します。 (27ページ)


かくして著者は英語教師でも言語学者でもない自然科学者なのだが、これまでの査読経験で多く見られた文法に好ましくない英語を丁寧に解説する。

例えば、修飾関係から生じる

× The cells were grown in ABC medium containing glycine.
○ The cells were grown in ABC medium, which contained glycine. (29ページ)


× Based on our results, we shall present a model of the detailed dynamics of the complex photochemical reaction.
○ In the Discussion, we shall present a model of the detailed dynamics of the complex photochemical reaction that is based on our results. (69ページ)

× Briefly, the data were subjected to statistical analysis, as described by Gifted et al. 82002), and statistically siginificant correlation coefficients were recorded.
○ In brief, the data were subjected to statistical analysis ... (77ページ)

の正誤や、同格関係から生じる

× Due to the presence of an enzyme, we saw blue colonies.
○ The formation of blue colonies was due to the presence of an enzyme in the cells. (35ページ)

の正誤に気をつけるよう著者は忠告する。こういった「なんとか意味は伝わる」ような英文も、複雑な内容を高速に処理しなければならない科学論文では、読解の障害につながるからだ。

また、曖昧さを生じさせる

This is an important point.

といった「"this"の単独使用」(33ページ)は可能な限り避けることも重要だし、単純だが


two year-old horses

two-year-old horses

の違いなどもきちんと使い分けておかねばならない。

理系には文章力は必要ないというのは明らかな間違いである。むしろ理系こそ文章力 ―伝えなければならないことを正確かつ快適に伝える文章力― が必要なのだ。

著者はこうすらも言う。


数年前、私は科学論文の書き方についての学部学生向け講座を頼まれました。私は、理系学生にとっては講座よりもJane Austen全集を読ませた方が有益でしょうと、依頼をお断りしたことがあります。本書の読者に同じことを提案するつもりはありませんが、文学作品の古典をできるだけお勧めします。それほどに努力を要しない読書によって、あなたの作文力と語彙は向上します。 (43ページ)


本書はこのような観点から編まれた本で、科学論文を書く際の具体的指針と助言に充ちている。読みやすいレイアウトの比較的薄い本だから一気に読める。しかも訳・編者の瀬野悍二博士 (国立遺伝学研究所名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授)が、親切な注や補記をつけてくれてるので日本人読者のための情報も詳しく追加されている。

理系はもとより、文系でも英語論文を投稿するなら、この易しく具体的な本書は有益なレファレンスとなるだろう。



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2010年3月5日金曜日

高等学校学習指導要領(外国語) 「解説」: 「必要に応じて,日本語を交えて授業を行うことも考えられる」

Tom Gally先生のブログ記事

クラスルームの言葉」

を今頃になって読んで知ったのだけれど、


「原則授業オール英語」はなし 高校指導要領解説、必要なら日本語OK
2009.12.25 11:19

 文部科学省は [2009年12月] 25日、平成25年に実施する高校新学習指導要領の英語解説書も公表した。新指導要領は「授業は英語で行うことを基本とする」としたが、解説書は「必要に応じて日本語で授業することも考えられる」と記述。文科省は必ずしも授業全部で英語を使うという意味ではないと説明した。
(後略)
http://sankei.jp.msn.com/life/education/091225/edc0912251121006-n1.htm


そうですね。

ちっとも知らなかった(汗)。



新しい学習指導要領の高等学校学習指導要領解説は、




からダウンロードできます。

外国語は2010 (平成22) 年1月29日に更新されていますが、今それにざっと目を通したら、確かにその解説43ページには次のようにあります。


「授業は英語で行うことを基本とする」こととは,教師が授業を英語で行うとともに,生徒も授業の中でできるだけ多く英語を使用することにより,英語による言語活動を行うことを授業の中心とすることである。これは,生徒が,授業の中で,英語に触れたり英語でコミュニケーションを行ったりする機会を充実するとともに,生徒が,英語を英語のまま理解したり表現したりすることに慣れるような指導の充実を図ることを目的としている。

英語に関する各科目の「特質」は,言語に関する技能そのものの習得を目的としていることである。しかし,このような技能の習得のために必要となる,英語を使用する機会は,我が国の生徒の日常生活において非常に限られている。これらのことを踏まえれば,英語に関する各科目の授業においては,訳読や和文英訳,文法指導が中心とならないよう留意し,生徒が英語に触れるとともに,英語でコミュニケーションを行う機会を充実することが必要である。

授業においては,教師は,指導内容の説明,生徒が行う言語活動の指示や手本の提示を行い,生徒の理解や活動が円滑に進むように手助けをした上で,生徒の活動を励ましたり講評を行ったりしている。授業を英語で行う際は,これらの
指導を英語で行うことになる。簡単な指示のみを英語で行うのではなく,例えば,説明や生徒の理解の手助けを行う際も,英文の内容を簡単な英文で言い換えるなどすることにより,授業を英語で行うよう努めることが重要である。

英語による言語活動を行うことを授業の中心とするためには,読む活動においては,生徒が,生徒の理解の程度に応じた英語で書かれた文章を多く読み,訳読によらず,概要や要点をとらえるような言語活動をできるだけ多く取り入れて
いくことが重要である。また,書く活動においては,読んだ英文を英語で要約したり,推敲を繰り返しながら主題に沿って文章を書いたりする言語活動をできるだけ多く取り入れていくことが重要である。和文英訳を行う場合も,伝えたい内容を十分整理し,知っている語や表現を用いて,工夫して書くような活動として行うことが重要である。さらに,外国語科や各科目の指導計画全体の中においては,読む活動や書く活動に加え,聞く活動や話す活動もバランスよく取り入れることが必要である。


この文章に引き続いて、43ページの最後の一行から44ページには次のようにあります。


英語に関する各科目を指導するに当たって,文法について説明することに偏っていた場合は,その在り方を改め,授業において,コミュニケーションを体験する言語活動を多く取り入れていく必要がある。そもそも文法は,3のイに示しているとおり,英語で行う言語活動と効果的に関連付けて指導するよう配慮することとなっている。これらのことを踏まえ,言語活動を行うことが授業の中心となっていれば,文法の説明などは日本語を交えて行うことも考えられる。

「生徒の理解の程度に応じた英語」で授業を行うためには,語句の選択,発話の速さなどについて,十分配慮することが必要である。特に,生徒の英語によるコミュニケーション能力に懸念がある場合は,教師は,生徒の理解の状況を把握するように努めながら,簡単な英語を用いてゆっくり話すこと等に十分配慮することとなる。教師の説明や指示を理解できていない生徒がいて,日本語を交えた指導を行う場合であっても,授業を英語で行うことを基本とするという本規定の趣旨を踏まえ,生徒が英語の使用に慣れるような指導の充実を図ることが重要である。

このように,本規定は,生徒が英語に触れる機会を充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場面とするため,授業を英語で行うことの重要性を強調するものである。しかし,授業のすべてを必ず英語で行わなければならないということを意味するものではない。英語による言語活動を行うことが授業の中心となっていれば,必要に応じて,日本語を交えて授業を行うことも考えられるものである。



なるほど、

しかし,授業のすべてを必ず英語で行わなければならないということを意味するものではない。英語による言語活動を行うことが授業の中心となっていれば,必要に応じて,日本語を交えて授業を行うことも考えられるものである。

というのが、「授業は英語で行うことを基本とする」の真意なわけですね。


かくして世の中は円滑にまわるのね (笑)。

ああ、美しい。



上記に続き、解説の44ページには以下の文章があります。

なお,音声で行うコミュニケーションと文字を用いて行うコミュニケーションでは,指導の重点も変わりうる。音声で行うコミュニケーションにおいては,限られた時間の中で,意味の伝達を行うことが重要であり,生徒が,流れを大切にして発話したり会話したりするよう指導する必要がある。このため,教師は,生徒がコミュニケーションを積極的に行おうとする態度を損なわないよう配慮しつつ,意味が伝わらないおそれがあるものは正しく言い換えるといった指導を行うことが考えられる。一方,文字で行うコミュニケーションでは,正確さや適切さが一層重要となる。このため,生徒が書いた英語に誤りや曖昧さがあった場合は,それを正確で適切なものとするよう,文法や語彙を運用する能力を高めながら,きめ細かな指導を行うことが考えられる。


追記2

ちなみにTom Gally先生の『Web英語青年』ブログ 「ことばのくも」には、上の他にも面白い記事がたくさんあります。


英語教育というか、外国語教育は、肝心なことはきっちり議論せずに百年一日のように同じ議論を繰り返しているのね。新しいことばかり追いかけるのではなくて、良質の古いものをきっちりと読んだ方が学問的なんでしょうね、きっと。




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2010年3月4日木曜日

中学校英語教育での「翻訳」の活用

広島大学附属東雲中学校の山崎学肖先生が、現在、以下の論文でご自身の実践をまとめようとされています。

英語科における表現力を高めるための
音読指導の在り方についてⅡ
-「マインドマップ」と「創造的日本語表現」を用いた音読指導の工夫-

山崎学肖・松村健・深澤清治・柳瀬陽介


現在は草稿段階ですが、その中での「創造的日本語表現の作成」は一つの事例として興味深いので、山崎先生の許可を得て、ここで紹介させていただきます。

山崎先生のいう「創造的日本語表現の作成」とは、英語を読んで、生徒に「もし君がこの状況にいるとしたら、日本語ならどう表現するだろう」と指示を出し、日本語で英語理解を表現させるものです。いわゆる「英文和訳」の学校式直訳ではなく、意訳の要素が少し入った「翻訳」をさせる指導と考えることができます。




(4)創造的日本語表現の作成
 物語文の細かな内容理解が終わると,さらに理解を深めるために「創造的日本語表現」を作成する。この活動は,昨年度の課題に「生徒の理解が薄い」ということがあげられたことから,生徒の理解をしっかり深めさせるために行う活動である。創造的日本語表現の定義は,直訳ではない状況や心情を踏まえた日本語表現である。つまり物語の著者が日本語を使って描くとしたらどのような訳を使うのかを求めることである。これは,各生徒の自由な発想を期待する活動であるが,基本として物語の内容を踏まえた日本語表現であることを確認した。自由な発想を求めるのであるが,文章の内容と明らかに違っていればそれは想像や空想の域になってしまい,原文を創造的に作りあげることとは異なるからである。
 具体的な生徒の創造的日本語表現の例としては,"Mommy," the boy was still crying.という英文を「少女があやしても,少年は一向に泣きやみませんでした」や「お母さん,お母さん,男の子は泣くばかりです」と表現する生徒もいた。この日本語表現は物語に入って読み込まないと出来ない表現であり,生徒の内容理解はさらに深まっていったと考えられる。


<生徒の感想例>
・ドラマチックジャパニーズでは,英語の意味を理解できるし,それに伴って,日本語訳したものを英語の音読の時に活用できる。
・本文を自分の言葉で表現すると,主人公の気持ちが見えてくると思う。主人公の気持ちが分かると音読の工夫にもつながりやすいと思う。
・セリフのところとかは,誰がどういう状況で言ったセリフかとか,色々考えられる。そこで考えたことを読むときに意識できる。
・誰を基準に訳すかによって,物語が変わったりセリフの部分の読みも変わってくるから,自分の読みについて決めるのに良い参考になった。
・音読練習の時に,どんな感じで読んだらいいのか分かりやすかった。
・内容を理解し,状況なども理解することで棒読みになることを防ぎ,音読練習でつまらないように読めた。
・創造的日本語に直すことによって,感情移入しやすくなったと思うし,意識して表現できるようになった。


 これらの感想から,創造的日本語表現は生徒の音読の際にかなり参考になることが分かる。物語に自分が入り込むことが容易にでき,日本語と同じ感覚で英語を読んだりすることができるからではないかと考える。
 最後にこのアンケートから分かることで,創造的日本語表現が有効な理由として,⑤表現力(コミュニケーション能力)の向上につながると回答した生徒が多かった。この表現力ということに関して,さらに細かく生徒のアンケート記述を取り上げてみる。


<生徒の感想例>
・会話文みたいに書いていると,普段どんな時に使えばいいか分かる。
・そのセリフの意味を考えることができた。
・感情をじっくり感じ取ることができた。
・直訳しない,より日本語に近い表現で訳すことによって,登場人物の心情などよりリアルに創造することができたから。
・自分で表現してみることで内容が理解できているかどうか分かるし,登場人物になって考えるので状況・心情が分かるから。また,自分で新しく表現することによって表現力の向上にもつながったから。
・本文を意訳することによって,自分が思ったことを表現しやすくなったと思います。また,直訳しにくい文も,表現をうまくすることができたと思います。
・何が書かれているかが分かった上で書くので,さまざまな表現の仕方ができると思ったから。あと,表現の仕方を色々考えるので,その場の状況・心情をさらに突き詰めていくことができると思います。
・日本語にすることで感情をとらえやすくなるから,表現力をつけることができる。
・同じ意味の表現・行動でも少しニュアンスを変えると,やさしくなったり,きつくなったり,不安になったりといって登場人物の気持ちを変えることができると思います。オリジナルの表現は難しいけど,英語と日本語の違いを知るのにはもってこいだと思います。

これらの感想から分かることは,創造的日本語表現は自分の言葉で表現を考える1つのきっかけとなり,その表現をどのようにして伝えていくのかを,物語の状況や心情などによりリアルに想像できる良い機会となったと考える。しかし,日本語の表現力がアップして,英語の表現力とのつながりが分かりにくいという指摘もでるが,蒔田(2009)は,「母語との比較で英語の特徴を際立たせることができる。(中略)日本語と比較し英語の特徴を理解することは,文法説明だけでなく,よりよいアウトプットを引き出すためにも欠かせない」と日本語使用の重要性を述べている。つまり,日本語の表現力を向上させることは,日本語と英語を比較し考える力を伸長することにつながり,英語表現と日本語表現の双方向で考えることができると推測できる。





山崎先生がこの実践を報告した際の研究会にも私は出席していましたが、その時に寄せられたコメントが印象的でした。コメントをした教師は「あとわずかで定年」という英語教師でしたが、ご自身も似たような実践をして生徒にも好評だったそうです。しかし当時の指導主事からは「直訳をさせないと入試に通らないから」と言われてその実践を断念されたそうです。「私の遺言と思って聞いてください。こういった実践は大切にしてください」とはその先生の弁でした。

将来、英語を必要とするかどうかわからない生徒および大学進学もしないかもしれない生徒が多い、公立の中学校ではどういった「英語教育」を行なうことが望ましいのか。

日本国民である限り受けることが「義務」とされる教育では、どのような「英語教育」が必要なのか。

必要とされる英語教育に適した評価とはどうあるべきか (評価に適した英語教育とは何かでなしに!)。

小学校だけでなく、中学校の英語教育も、きちんと地に足をつけて考える必要があると私は考えます。




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2010年3月3日水曜日

iPhoneですべてのフロー情報とストック情報をユビキタスに管理する

DropboxとiPhoneの導入による全情報のユビキタス(偏在)化によって、私の知的生活は大きく変わりました。今やDropboxとiPhoneがなかった時代が想像し難くなったほどです。

フロー情報(流動情報:どんどん変動するスケジュールやメール交信などの情報)については、20年間続いた紙の手帳を捨てましたが、まったく不便は感じず、Google calenderとGmailに統合して逆に便利になったと思えるばかりです。

ストック情報(集積情報:きちんと保存・整理しておくべき情報)については、残業のためにUSBにファイルをコピーしたり、どっちのファイルが新しいのか悩んだりすることもまったくなくなりました。オフィス・自宅・出張先のどこでも、seamlessに知的活動ができます。

ここではその後に行ったことを追記します。



(1) ちょっとした思いつきやメモをiPhone→Gmailで統合的に管理

※2010/04/10追記

この用途は、Evernoteではるかに簡単にできますので、Evernoteの使用をお勧めします。

詳しくは、「Information/Knowledge ManagementのためのEvernote」の記事を御覧下さい。

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/04/informationknowledge-managementevernote.html

私は大学院生時代に、ちょっとした研究上の思いつきやメモしておきたい情報があれば、手元の手帳に必ず書きつけておく習慣をつけていました。背広のポケットに入るサイズの安い紙ノートにどんどん書きつけて、それは最後には50冊近くになりました。私が買っていたノートは確か48枚の紙から構成されていましたので、1冊で100近いアイデアや情報を書けましたから、50冊では約5000のアイデアや情報を書きつけたことになります。折にふれて自分が書いたそのノートを見返すことは、アイデアや情報をもっと大きなものに結晶させることにも役立ちましたし、さらなる発想を生み出すことにもつながりました。

しかしその紙のメモの習慣も、いつしかパソコンでのメモ習慣に変わっていきましたが、パソコンでは思いついた時にその場所ですぐにメモすることが困難です(なにしろ発想というのは、歩いている時や公共機関で移動中にしばしば浮かぶものですから)。また、パソコンはファイル形式で保管することが普通ですから、大量の情報を集中的に保存するには適していますが、細切れのアイデアや情報を保管するには存外に不便です。私は興味あるテーマや著者については専用のファイル(Word)を作り、そこに片っ端から情報を入力し、そういったファイルは "Notes"というフォルダにまとめていますが、細切れの情報を保管するいいソフトが見出せませんでした。

そういった細切れの情報を、どこからでも入力し、一括管理して、かつ検索・再利用しやすいようにするのがiPhone→Gmailの併用です。

この方法は「iPhoneのNotes→Gmailへ送信→Gmailのフィルターで自動振り分け」とまとめられます。

iPhoneにはNotesという優れたテキストエディタが入っています(入力も快適です)。このNotesの利点の一つは、そのテキストをすぐにメール送信できることです。ですから私はアイデアを思いついたりすれば、それをその場でiPhoneのNotesに入力します。そしてNotesのメールのアイコンをタッチすればすぐにメール送信モードに入ります。そこでyと入力すれば、yで始まる頻用メールアドレスである私のGmailアドレスがすぐに出てきますから、それですぐに送信ができます。送信する際は、Notesの1行目が自動的にSubject名になりますから、いちいち題名を考える必要はありません。

ここで一つだけ工夫したのは、Notesに書くメモの中に「呪文」を入れておくことです。「呪文」、つまり自分が適当に設定した文字列を入れることにより、Gmailではその「呪文」が入ったメールが来ると、自動的にそのメールをこれまた使用者が設定したラベルに自動的に振り分けしてくれるフィルター機能を働かせることができます。

私の場合はキーボードの左端の"zxcv"という文字列をiPhoneのNotesに入力しておくと、そのテキストは私のGmailが自動的に"Ideas"というラベルに振り分け、かつArchiveに収納してくれます(収納することによりGmail画面は他人からの他のメールだけに集中することができます)。

「呪文」はもう一つあって、今度はキーボード右端の"lkjh"という文字列を入力しておくと、それはGmailの"To Do!"ラベルに振り分けられます。

"zxcv"や"lkjh"といった「呪文」は何でもいいのですが、(1)普段使われない文字列であること(使われる文字列だと、その文字列を含んだメールが自動的に振り分けされてしまう)、(2)覚えやすく入力しやすい文字列であること、といった条件は必要かと思います。


これによりGmailの"Ideas"というラベルをクリックすれば、私の思いつきやメモがすべて参照できます。Gmailを一種のデータベースとして使うわけです。"Ideas"のラベルのメールが多くなりすぎても、"Ideas"ラベルで検索をかければ、すぐに望むメールを探し当てることができます。"To Do!"のラベルのメールは、その仕事をすぐにすませてしまったりしてすぐに削除するようにします。

「iPhoneのNotes→Gmailへ送信→Gmailのフィルターで自動振り分け」で、情報がどこでも記録でき、一括して保存し、すぐに検索できるという情報システムが簡単に構築できたわけです。



(2) Dropboxアプリで、iPhoneでも自分の全ファイルを閲覧可能にする

新たに始めたもう一つのことは、iPhoneにDropboxにアプリを入れて、自分の全ファイルをiPhoneでどこででも閲覧できるようにしたことです。Dropboxにアプリを入れたことによって、私のiPhoneは、機体の16GBに加えて、オンラインのDropboxの50GBの容量を持つことになりました。iPhone上で、私のほぼすべてのファイルが、いつでもどこでも閲覧できることになったわけです。

「あ、あれはどうだっただろう」と思う情報も、私が自らのパソコンに入力している限り、iPhoneでどこででも見ることができるようになったわけです。これは便利です。全情報のユビキタス化がまた進行しました。



以上の工夫で、私の知的生活はさらに便利で快適になりました。ゴードン・ベル&ジム・ゲメル著、飯泉恵美子訳 (2010) 『ライフログのすすめ』 (ハヤカワ新書juice)の発想に触発されながら、どんどん全情報のユビキタス(偏在)化を進めてゆきたいと思います(もっともセキュリティには注意しなければいけませんが)。






関連記事
DropboxとiPhoneの導入による全情報のユビキタス(偏在)化
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/01/dropboxiphone.html





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