2011年2月17日木曜日

谷岡一郎(2000)『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』文春新書

「英語教師のためのコンピュータ入門」の授業で『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』が面白いと述べたら、学部生のKR君が読んで簡単な感想を寄せてくれましたので紹介します。


授業内で先生が紹介されていた、『社会調査のウソ』を購入し、読んでみました。なかなかの過激な物言いだったためか、最後まで楽しく読むことができました。望まれた調査結果のために工作することはいとも簡単にできてしまう。また、人間は調査というものを信じやすいためか、そのゴミのような結果からたくさんのゴミのようなことが生み出されてしまっているという内容は、すごく衝撃的でした。あまり良くない発想だとは思うのですが、この本を読むことで、将来アンケートや調査を作るときに、欲しい結果が出るように仕組むことは造作も無いことであると思いました。(もちろんそれを見破る社会ができていることが一番望ましいことなのですが、現在の社会で、一般の人がその社会調査などの穴を見破ることはなかなか難しいことだと思います。)「ゴミ調査からはゴミしか生まれない」という文章を頭に焼き付けて、もし卒業論文の参考資料として、アンケートを取るようなことがあれば、しっかりその母集団や選択肢項目、そのアンケートを取るときの環境などをしっかり熟考し、正しい調査をできるようになっておきたいものです。KR



また、別の学生であるUYさんは統計に関する講義について次のような全般的な感想を寄せてくれました。


統計について学んでいく中で、数字の怖さというものを知った。統計は数字を操ることには優等生であるが、それ以外においては何も考慮してくれず、それは統計を操る者に委ねられている。自分自身、授業で学ぶ前は何も知らなかった、というより何の疑いも持っていなかったこともあり、教師には、教育において数字を求められた際に、きちんと説明できる責任があると大きく感じた。また統計、いわゆる数学から今までできる限りの距離を置いてきたことを実感した。自分自身にとって、数学は受験科目のひとつでしかなく、初めからそのおもしろさを知ろうとしていなかった。数学を遠ざけ始めた中学時代の数学教師を非難するつもりは全くもってないが、教師には担当教科だけでなく、いろいろなことへの興味を生徒に持たせるという役割を担い、そのためには教師自身が広い視野でさまざまなことに興味を持ち、学ばないといけないと感じた。UY



英語教育研究に限らず、世の中はずいぶんいいかげんな数字(数値化)が横行しています。数字(数値化)が意味することを理解しないまま、数字ばかりを振りかざし「実証」や「説明責任」と騒ぎ立てる方も少なくありません。そんな人達に騙されない・ごまかされないために、統計に対する理解力を身につける必要があります。

私にたとえ基礎的な事柄とはいえ統計を教える資格はあるのかということを棚に上げて厚かましく物言いをさせていただければ、私は教育学部英語講座の学部生に統計を教える時に、コンピュータソフトの手順を教示するよりも統計の考え方そのものを理解させることを重視しています。世の中は「統計データ」の誤用・誤解が多いからです(私もそれをしていないことを切に祈るばかりです)。

この点、『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』は圧倒的に面白い本です。自ら統計データを産出しない人も、日々統計データに接し、時にそれを根拠にさまざまな要求を出されます。統計データを理解しないまま・誤解したまま数字を振りかざす人の理不尽に屈しない護身術としてもこの本を読まれたらいいのではないでしょうか。切り口は痛快です。読んだら統計調査の多くが実は「ゴミ」であることに唖然とするでしょう。


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