2011年2月9日水曜日

和田玲先生(順天中学・高等学校)から学んだこと

順天中学・高等学校の和田玲先生が、広島大学教育学研究科(「教職高度化プログラム」)の招きに応じてくださり、2月6日(日)にワークショップを開催してくださいました。私は前日の懇親会からご一緒させていただき、大変多くのことを学ばせていただきました。ここにその一端をまとめてみます。



■一見同じようなことをしながら・・・

和田先生は、テコンドーの全日本大会で3回優勝、世界大会で個人戦3位、団体戦2位の戦績を持つ方です。私は武術ヲタですから(笑)懇親会の時から武術の話をいろいろと聞かせていただきました。もちろんこのブログでは英語教育の話をしますが、このような縁から武術メタファーを(またもや)使わせてください。 m(_ _)m

武術の「型」というのは、表面だけでしたら素人でもすぐに真似をすることができます。しかし、その型における身心の働かせ方に習熟していなければ、達人の型とは同じように見えて実はまったく違うものとなります。素人の表面だけの型は実際の技に展開できないものですが、達人の型は術理が体現されていますので実践的に展開できます。この違いは見る人が見れば一目でわかりますが、素人にはこの違いがまったくわかりません。

さて、和田先生がワークショップで配られた資料には以下のような柱がありました。


STEP 1 新出語彙の指導
STEP 2 リスニング・リーディング活動
STEP 3 ターゲットセンテンスのインテイク活動
STEP 4 ライティング・スピーキング活動
STEP 5 リーディングチェックテスト

POINT 1 「復習ノート」の作成
POINT 2 「ディクテーションテスト」の実施
POINT 3 音読テスト
POINT 4 パフォーマンステスト


愚かな私は一瞬「あっ、最近よくある活動を集めたパターンかな」とも思ってしまいました(傲慢な馬鹿は死ななければ治らないものです)。ステップやポイントの一つ一つはよく見る名前のもので、この並びにも特段の新しさは感じなかったからです。これらの名前の活動をこのような並びで次々にやりながらも、授業の焦点が定まらず学習者の力がついたとも思えないような授業を私は多く見てきましたから、和田先生の授業もその類かと愚かにも一瞬思ってしまったのです。

しかしワークショップが展開するにつれ私のその先入観はまったく外れであることがわかりました。上のステップやポイントの文言だけを見ると確かにこれはよく見られるものですが、ちょうど素人の型と達人の型が同じように見えて実はまったく別物であるように、和田先生のこの授業展開は、私たち参加者も思わず引き込まれ、熱心に英語を使ってしまう学びの理が体現された授業でした。このような思いは、ワークショップに参加していた教職高度化プログラムの他教科の先生も口々に語っていたことでした。

和田先生の授業は、一つ一つの展開の中で生徒の興味・関心をつなぎ、一つ一つの言動の中で生徒の身心を読み観察し、教室の中の学習者同士もつなげていくものでした。授業を通じて教師は何をするべきなのかという芯が一貫して通った授業でした。以下、簡単に説明します。



■個人の興味・動機をつなげる

生徒に予習をさせない和田先生の授業は、Word explanation game [=ペアの片方が指定された語を英文で説明し、相手にそれを当てさせるゲーム] で始まります。この活動は、教室の雰囲気がやわらぎ生徒が自然に英語を使うのでよくやられますが、和田先生の場合はこの指定語(今回は「マイケル・ジャクソン」、「スパイダーマン」、「インド」、「リーゼント」など)が次の新出単語につながってゆきます。しかもWord explanation gameの間にどんどんと机間巡視をして、生徒のうまいヒントを発見すると適宜それを「スーパー・ヒント」として生徒に言わせ、その生徒の達成感を充たしてやると同時に、Word explanation gameで苦労しているペアにも正解に到達させることを助けます。また指定語は次の新出単語とつながっているだけでなく、例えば、関係代名詞、if節、to不定詞を使うと説明しやすい語などでもあるように配慮し、生徒が気づかないうちに既修英文を使わせるようにしています。

和田先生はそれらのWord explanation gameの指定語から新出単語を導きだしてゆきます。指定語はこの時点で徹底的に意識されていますから、そこから導きだされる新出単語も意味的にするすると頭に入ってゆきます。さらにその新出単語も自然と連結され、"reduce the emission of toxic substances in recent years"といった教科書本文の表現も実はこの時点でかなり生徒の頭に入ってしまっています。

和田先生はここですかさずプリントを配り、ペアで新出単語の英語と日本語訳の両方の連結を確認させます。相手が数秒で答えられなかった単語には印をつけ、相手は次はその単語に集中して学習をします。

またこのプリントには先程のWord explanation game活動には出ていなかった単語も含まれています。新出語の欄にあっても実は既修語である単語や、非常に重要な新出単語などです。前者の出来不出来は机間巡視の時にすばやくチェックし生徒の日頃の学習状況を把握します。後者は生徒が一瞬わからずに戸惑いますので、そこをすかさず説明し生徒の印象に残します。



■生徒の心を読み、生徒の動きを観察して、つながりを切らない

と、このように和田先生の授業の手順を記述しましたが、この表面上のテクニックばかりに着目してはいけないと和田先生もおっしゃいます。手順を真似たら、同じように効果的な授業ができるだろうと思うのは、武術の素人が達人の型を表面的に真似したら達人のように効く技が展開できるだろうと思うのと同じように誤りです。大切な事はこういった手順の中に込められている身心の働きの原理を理解することです。

その原理を私なりに言葉にするなら、それは「生徒の心を読み、生徒の動きを観察してつながりを紡ぎ出す。かつそのつながりを切らない」となろうかと思います。和田先生は上記のような授業展開の一手一手において生徒の心理を読んでいます。さらにその読みが正しいかを授業中に細かく観察しています。観察はクラス全体を対象としたものもあれば生徒個々人を対象としたものもあります。生徒個々人をよく見ているから、fast learnerや slow learnerなどにもそれぞれにきめ細かく課題を適宜与えることもできます。和田先生は、最近流行りの活動を単に並べてやっているわけではありません。生徒の心を動かし生徒の身体が思わず英語使用をしてしまうようにすることを一貫させています。上記の一連の展開はそのための可能な手順の一つです。手順そのものが大切なのではありません。生徒の身心を動かし、その動きを断ち切らないことが大切なのです。

生徒の身心を動かすために、和田先生は時に手順に小細工を加えます。例えば、「1問3秒だから合計45秒でやりましょう」と言ってストップウォッチをスタートさせるも、机間巡視して、fast learnersたちがあと三問ぐらいで終わりそうなところで「はい、終わり」と45秒にも達していないのにストップウォッチを「ピッ」と鳴らします。このテクニックは、しばしばなされるものとはいえ、やはり効果的です。思わず「もう一回やらせてくれ」となります(ワークショップに参加していた私たちもすっかり騙されました)。

こういった仕掛けを解説する和田先生を見て、私は和田先生がテコンドーでも、がむしゃらな戦いをする方ではなく、冷静に試合運びを組み立てて時にはフェイントも使いながら勝ってゆく方かと思い、ワークショップ終了後にそのことを確認しましたら、やはりそういったタイプということでした。テコンドーでは必ずしも有利でない体格でどのようにしたら勝てるのかを常に考える理性的な選手だったそうです。生徒にいろいろと仕掛けてゆき、その仕掛けからの反応によってさらに授業を展開してゆく和田先生の姿は、テコンドー選手としての和田先生の姿に重なりました。

話を授業手順に戻しますと、和田先生は単語リストで新出単語(および重要単語)のすべてにある程度習熟させたら、そのリストから教科書のストーリーを予想させます。生徒一人ひとりがストーリーを予測しているのを机間巡視で確認し、面白い(笑える)ストーリーを考えた生徒の声も拾ったりして、英語が必ずしもできない生徒にもクラスの中での役割を与えます(もちろん、笑えるような予測ばかりを取り上げるといった固定化はせずに、柔軟に対応してゆきます)。同時に完全に教科書のストーリーを予測できた生徒の声は敢えて拾いません。完全正答だと次の授業展開に繋がりにくいからです。

そうやってストーリーを予測して互いの予測も聞きあうと、自然と生徒はストーリーを知りたくなります。ここで和田先生は本文のリスニングを導入しますから、生徒は自然にCDを聞く気になっています。



■教室の中のつながりも紡ぎ出す

リスニングの後はリーディングですが、このリーディングも「ざっくり読み」、「じっくり読み」、「もっとじっくり読み」と目的を異にしたリーディング活動を重ねることで本文を生徒の身心に染み入らせてゆきます。時には生徒同士本気で競争させたり、思いっきり褒め合わせたり、思わず笑ってしまうような罰ゲームをしたりしてゆきます。そんな中、個々人の英語力だけでなく、教室の生徒同士の関係性も深まってゆきます。この共同体づくりが学期・学年を通じてどんな大きな力となるかは、現場教師は熟知していることでしょう。和田先生は授業で個々人の興味関心をつなげるだけでなく、クラスのそれぞれの生徒の間のつながりも紡ぎ出しています。(和田先生のリーディング指導については『5STEPアクティブ・リーディング―単語・聴解・読解・音読・確認』『論理を読み解く英語リーディング』をお読みください。また和田先生は午後の特別ワークショップでは、音読の量ではなく質を高める実践を公開されましたが、綿密な解釈に基づく朗読の指導ですが、私のメモが不十分なのでこの報告は割愛させていただきます。)



■なぜ「つながる」ことはよいのか?

こうして私なりにまとめてみますと、和田先生の授業の一つの特徴として「つながり」が浮き上がってきました。和田先生は、生徒個人とクラス全体のつながりを紡ぎ出し、かすそのつながりを断ち切ることがないように細心の注意を払っているようです。

ここで愚かに「つながるとなぜいいのか?」という問いを立ててみます。もちろんこのように曖昧な問いには明晰な答えは返ってこないのですが、それでも私なりに考えますと「つながりを育てると、人間が本来もっている全体的統合性が活かせる」という仮の説が浮かび上がってきます。

例えばある活動で、前の活動でやった項目とのつながりが顕在化し、次の活動で行う項目とのつながりが潜在化します。そうなると参加者は与えられた現在の活動を受動的に行うだけでなく、現在の活動を通じてこれまでの自分とこれからの自分をすべて統合化し活性化させようとします。もちろんすべてのつながりが顕在化・潜在化するわけでなく、つながりが顕在化しない過去の項目もあれば、つながりがその後顕在化しない項目もあるでしょう。しかし「すべてはつながりうる」ということを覚知した身心は、その能力を最大限に発揮しようとします。

個人の頭の中だけでなく、クラス全体の中でも、一部の生徒だけ活躍するのではなく、どの生徒も授業の展開の中で授業とつながるかもしれないという意識あるいは期待が生徒全員に浸透すると、生徒の反応も鋭敏になってゆきます。時には教師の予想以上の反応を示すようにもなります。

考えてみれば、人間が何かを、自然に無駄なく効果的に行う時は、その人間の全体が使われています。ある特定部分だけが使われているようなことはありません。またここで武術の例を引きますと、「武術的授業?」のエッセイでも述べましたように、武術の技として物事が自然に無駄なく効果的に行われる時は、一部の使いやすい筋肉だけが使われるのでなく、全身の筋肉および骨格構造が協調的に連動します。さらに状況の変化に応じて、応じるべき部位が反応します。さらにその部位の反応が他の部位の連動を引き起こし、身体全体が本当に無駄なく動き、一部の部位を使うだけの動きでは思いも掛けないような効果を生み出します。

集団でも同じです。教師だけ、あるいは教師と一部の「できる」生徒だけの授業ですと、教師が生徒に指示をしても「はっ?」とか「えっ、オレっすか?」とかいった反応しか返ってこずに授業の流れがそこで切れてしまって、授業が生きてきません(もちろんひどい場合は教師の指示が気づかれないとか無視される場合もあります)。ところが生徒の一人ひとりをきめ細かく観察し、その生徒がクラス全体に貢献しうるタイミングをうまくとらえてその生徒に活躍させると、クラスの一人ひとりが自分もこの学習共同体の欠かせない一部であることを実感できます。ですから生徒一人ひとりが授業展開に集中し、自分のなしうることをしつつ、他の生徒が何をしているかにも注目しています。クラス全体が一つの生き物になっているからです。こうなるとクラスは教師の指示に鋭敏に反応するだけでなく、しばしば教師の指示を超えて独自の動きも示すことがあります。教師を含めて教室全体がクラスの力を感じる瞬間です。

個人にせよ、集団にせよ、つながりを育て、つながりを断ち切らないようにしていると、つながったその単位の全体的統合性が活き、ある部分の動きは他の部分の協調的連動を招き大きな力が生まれます。あるいは、ある部分が必要になった時にも、その部分が瞬時に動くようになります。

実は私は現在、ある古武術を教えていただいていて、その中に6~7段階程度の異なる動きを連動させる技があります。私はまだそれがほとんどできないのですが、そういった技で大切なことは、一つはそれぞれの動きで相手に「効いた」状態を達成すること、もう一つは「効いた」状態を次の動きに移行する時に断ち切らないことだ、ということぐらいは少しずつ分かってきました。最初の段階で「効いた」状態を感知し、その感覚を失わないように次の段階に移行することが重要です。和田先生の授業もこれに似ていて、ある活動で個人の興味・関心・意欲などを喚起させたら(=「効いた」状態にしたら)、その状態を断ち切らないように次の活動に展開し、また他の生徒にもその状態を伝播させます。和田先生も常に自らの言動が生徒に「効いている」ことを感知する感性が鋭いのだと思います。これは武術のたとえですが、優れた実践というのは、人間の営みである以上、他の優れた実践との共通性や類似性を有しているものだと考えます。私は今後もこういったメタファーを(慎重に)使いながら考察を進めてゆこうと思っています。



■本物志向

このような和田先生のスタイルも、最初からできていたものではありません。詳述は割愛しますが、和田先生も最初は授業に苦労し、「力で制する」授業の限界を痛感し、教師生活2年目には「この年で授業が改善できなかったら教師を辞めよう」と決意し、その年は実際の授業・ビデオ録画合わせて200の授業(小学校から高校まで)を見て研究したそうです。

「今年一年間全力を尽くして、駄目だったらこの仕事を辞める」というのはなかなか決意できることではありません。この言葉を自らに下した和田先生は、自分の中に「師」をもっているとも言えるのかもしれません。このような言葉は、上司も先輩も友人も親も普通は言えません。それだけの責任が取れないからです。単なる自分自身も言えません。やはり自分が可愛いからです。このような言葉が交わされるのは信頼関係を築いた師弟間だけでしょう。この言葉を自らに下し、そして実際に授業を改善させた和田先生は、自らの中にも「師」を育てたといえるでしょうか。テコンドーならテコンドーで一つの道を極めた方がもつ底力を感じます。

ワークショプ終了後、私は「和田先生はまがい物を嫌い、本物を求める感性が鋭敏なのではありませんか?」と尋ねましたところ、和田先生も「そうでしょうね」と答えられました。和田先生によれば高校時代に接したテコンドーの先輩があまりに素晴らしく(実際その先輩は世界レベルの選手だったそうです)、高校時代などはその先輩に追いつきいつかはその先輩を追い越すことばかり考えていたそうです。若い時に「本物」を見て、その「本物」にできるだけ近づこうとしたことが和田先生の底力になっているのかもしれません。

私自身大学生に接していて、大学入学以前に、スポーツや音楽を徹底的にやっていた学生さんが大学時代にぐんと伸びる例を数多く見ています。別に全国優勝したりする必要はありませんが、考え抜いて稽古して、自らやれることはすべてやりつくし、それでも敗れ、敗れたのにもかかわらず稽古を続けてついには上達した経験というのは人生の宝だと思います。

先日毎日新聞は、都教委が「進学実績」を上げようと、東大などの入試問題を分析して作る「虎の巻」を配ったり有名大の学生をアルバイトで雇って受験生に助言してもらったりなど、あの手この手を繰り出し、勉強時間の確保へ向け部活動の時間制限さえも始めていると報道しましたが(毎日新聞2011年1月19日東京夕刊)、「進学実績」の数字(あるいはその数字で圧力をかけられる自らの保身)のことばかり考え、長期的に人間を育てる営みを破壊しようとしている都教委の愚かさ・浅薄さに私などは怒りを禁じえません。というよりなぜこのように見識を欠いた人々が権力を握っているのか、情けなくてしょうがありません。(私個人の意見です。異論を歓迎しますし、私は東京都の実情についてあまり知りませんので、ご意見があれば下のコメントなどでお知らせ下さい)。



■初心を忘れない

と、このブログのいつもの癖でまた熱くなってしまいましたが(苦笑)、しかし素人でも見える目の前の現象(授業の活動、東大などへの進学者数等)だけに拘束されてしまうのではなく、実効力のある熟達者だけが見える現象の本質を見抜き、その本質に忠実な実践を日々志向し自らを改善させるべきという点では、私の上記の怒りも、和田先生の実践の素晴らしさと通底しているかと思います。

英語授業でも目の前の華やかなテクニックに囚われるのではなく、どう本質を追求してゆくかが大切ですが、この点について、和田先生はワークショップ前夜の懇親会で参加していた大学院生一人ひとりに「なぜ英語教師になろうと思ったのか」と尋ねていらっしゃいました。その質問の真意はワークショップの最後に明かされたのですが、英語教師を志した初心には真摯なもの―本物―があるだろうから、一人ひとりがその初心を忘れずに日々を過ごしてほしいとのことでした。初心という一本の芯が毎日毎月毎年の実践に通り、日々の努力を通じてその芯が少しずつ太くなっていくこと、これが実践者の成長の一側面なのかもしれません。一本の芯が通っていないと200もの授業を見ても混乱するだけということも十分考えられますから。



■時間をかけて話を聞くことの大切さ

当日にとったメモを基に、私はこうしてなんとかまとめを書いてみました。和田先生が示されたことのほんの一部も捉えきれていないという忸怩たる思いがありますが、しかし私は前日の懇親会から数えておそらくは9~10時間和田先生のそばにいさせていただいたからこそ、ある程度の理解ができたのかなと思います。達人セミナーでは一人の方に一時間以上の時間を与えてワークショップをしてくれますので、いろいろと理解できますが、やはり実践者の話を聞くには、こうして(懇親会を除くワークショップの時間だけでも)やはり5~6時間ぐらいはかけることが本当は望ましいと思わされました。あまり学会の悪口をいってもいけませんが、学会発表の20分という時間単位では実践について語るにはあまりにも短すぎると思います。



貴重な時間を割いて、深いご教示をしてくださった和田玲先生に感謝します。同時にこのワークショップを可能にしてくれた樫葉みつ子先生らの事務局の方々にも深くお礼を申し上げます。私たち英語教育関係者が、皮相で俗物的なことばかりに囚われず、少しでも本質が見抜けるようになりますように。












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