2011年2月24日木曜日

ゼミ活動で何をどう学ぶのか(ゼミ生のまとめから)

本日、第一回目の学部ゼミを行いました。私の講座では3年生の1月末にようやくゼミ決定が行われるので、実質的なゼミ活動はどうしても2月からになってしまいます。本当はもう一年前(せめて半年前)からゼミ活動を行いたいのですが、まあとりあえず現制度ではこれから約一年間学部ゼミ活動を充実させてゆきたいと思っています。

第一回のゼミは、大学・大学院での専門研究に関する記事を予め読んで自分なりに理解できたことを文章化しておくことを予習とし、本日の実際のゼミ活動ではその予習をもとにゼミ生にこれらの記事を説明してもらったり、その説明の内容や仕方について討議してもらいました。充実したゼミになったと思っています。

以下は二人のゼミ生の予習(自らの理解の文章化)です。それぞれに大学生活最後の年のゼミ活動で何を学ぶべきかをまとめていますので、このブログの読者の皆さんの中にも興味をもってくださる方もいらっしゃるかと思い、ここに掲載します。



ゼミでの活動を通じて学びたいこと


1 知的仕事のABC

1.1 A - Analyze

1.1.1 A - Analyzeとは

Analyzeは文字通りこれから自分が行うべきことを分析することです。そして分析結果を用いてタスクをどのようにこなすかを計画することです。

1.1.2 計画

1.1.2.1 なぜ計画が重要か

「エクセルで行うタスク管理」の記事でも計画の重要性が説かれていましたが、この項ではなぜ計画を立てることが重要なのかについて自分の経験を基に考えていきたいと思います。

1.1.2.2 タスクは無尽蔵に増えてゆく

タスクを「自分が読みたい本」に例えて論じます。

これは自分が本を読むようになってわかったことですが、本を読むと自分が読みたい本というのが数限りなく増えていきます。ある本の中で紹介されていた本、ある本の思想の基になっている本または人物、入門書を読んだ後に原書を読む等様々なパターンが考えられます。

また、上記の例は「本と自分」だけですが、実際には本屋さんをぶらついていて偶然面白そうな本を発見する、先生や友人に面白そうな本を紹介されるなどの「他者と自分」という偶有性に関わる部分もあります。が、間違いないのは読みたい本の数は増えることはあっても減ることは無いということです。

しかし、際限なく増え続ける「読みたい本」を全て読みつくすことは不可能です。なぜなら私たちには限られた時間しか与えられていません。そしてただ本を読んでおけば良いという生活は非現実的な贅沢の極みでしょう。

したがって私たちは「読みたい本」を管理する必要があります。優先順位をつけ、直接的に研究に関係するもの、直接的には関係しないが関係するかもしれないもの、個人的な趣向のために読むもの等カテゴリーに分類し、計画的に読書を行うことでより効率的に楽しく読書を進められます。

1.1.2.3 各タスクの独立性

私たちは数多くの異なるコミュニティに属して生活を送っています。それらのコミュニティは大抵の場合互いに関係がありません。そして各コミュニティはそれぞれに私たちにタスクを課します。

例えば一般的に大学生は大学(授業や研究)・サークル・アルバイトという3つのコミュニティに属しています。通常、授業の課題をこなし、サークルの活動や話し合いに参加し、アルバイトをする、という3つのタスクを同時並行でこなしています。各々が各々に重要なのでアルバイトがあるから課題ができないというのは「言い訳」として捉えられます。

このように多数のタスクを同時にこなしながら、どれもが別のタスクの事情を勘案してくれないという事態は日常的な光景です。その中でタスクを達成するために計画を立て、それらを調整するのはやはり自分しかいません。


1.2 B - Begin

1.2.1 B - Beginとは

Beginは取りも直さず「始める」ことが大事だということです。記事は、計画を立てても心理的にぐずぐずしてその仕事に取り掛かることができない場合が多いため、「始める」ことが重要であると説いていました。

しかし、私は別の視点をもってBeginが本当に重要だと感じたので以下で論じます。

1.2.2 AnalyzeをBeginする

私にとって仕事に取り掛かることよりも仕事をAnalyzeすることの方が億劫に感じられます。なぜなら分析し、計画すること自体は仕事自体の進捗には何の影響も与えないからです。計画しても仕事は始まりませんし、計画しなくてもなんとなくやっていれば仕事はその質は最低ながらも形式的には終了します。

また、恥ずかしいことながら私には計画を立てて何かを実行するという経験が圧倒的に乏しいです。今まで、あらかじめ誰かが決めた計画に沿って仕事をこなす。または計画などなくてもとりあえず納得できるレベルにはこなせるような容易な仕事しか行ってきませんでした。

しかし、卒業論文や研究などは誰かが計画を立ててくれるものではありませんし、計画無しに達成できるような容易ものではありません(容易なものにするつもりもありません)。

なので私にとって分析・計画を「始める」というのは何よりも重要なポイントです。分析・計画を「始める」ということをこの春休みの課題とします。


1.3 C - Check&Change=Control

1.3.1 C - Check&Changeとは

CにはCheckとChangeそしてControlの3つの意味があります。まず計画を立て、そしてそれを実行する。その中で私たちは計画の進捗状況をCheckする必要があります。必要があれば、チェックした結果に対して計画をChangeします。このように計画をControlするのがCです。

1.3.2 私たちは計画の奴隷になる必要はない

私たちは計画を立てる時、それが常に万全の状態の自分によって遂行されるものとして計画してしまいがちです。しかし、実際には仕事が思ったより困難であったり、自分の身体・精神の状態が芳しくなかったりと様々な要素によって干渉されます。そして計画に追われ、精神的余裕をなくしてしまいします。このような場合にはいくら頑張っても全てがうまくいきません。私にもそんな経験がたくさんあります。

したがって、計画の進捗状況や自分の状態などを冷静に見極め、計画をその状態に見合ったものに修正すべきでしょう。
私たちは計画の奴隷になる必要はない。


2  学術論文の他者志向

2.1 他者(読者)の目を意識する

今回の課題であった一連の記事の中で繰り返し述べられていたのが、「他者(読者)を意識する」ということです。そしてこれには二つの側面があります。
一つは読者にとって読みやすい、理解できる文章であるという、作文技術的な面。そしてもう一つはできるだけ多くの読者が納得できる客観性をもつ、という内容的な面です。

2.1.1 他者(読者)を意識した文章

2.1.1.1 「難しい=賢い」ではない

私たちは学術的な、一般に言う「難しい」文章を書こうとする際、ともすれば難解な語句や言い回しをしていればいいと考えてしまいがちです。なぜならそういった表現を駆使していれば、内容に関係なく「難しい」ことを書いているように見せかけることができるからです。本当はどうでもいいようなことしか言っていなくても難解で冗長な表現を駆使すれば、複雑なことを言っているように見せかけることができます。

電話帳のような分厚さで重厚な装丁の本のページをゆっくり繰っているだけでも、はたから見れば賢そうに見えます。これと同じことです。これはただの権威主義です。

2.1.1.2 「わかりやすい=簡単」ではない

そうかといって読者にとってわかりやすい、理解しやすい文章を書くことは漢字をひらがなにしたり、その文脈の中で特別な表現を簡単な表現に直したりすることではありません。

2.1.1.3.1 わかりやすい、理解しやすい文章

では、「わかりやすい、理解しやすい文章」とは何なのかというと「読者の視点を意識して執筆」されているということです。

私たちの書いた論文を「是非とも読みたい」という人は限りなくゼロに近いと思います。しかし、曲がりなりにも論文を書くのであれば、読者を獲得することを目指して書くべきです。今回の記事にもありましたが、公共の利益を意識しない研究はただの趣味です。なので私たちはどうにかして潜在的読者の皆様方に振り向いてもらえる様、努力をする必要がると思います。それが「読者の視点を意識して執筆」するということではないでしょうか。

2.1.1.3.2 内田樹の研究室 「リーダビリティについて」

このことについて内田樹先生が「リーダビリティについて」というブログ記事で論じています。ゼミの中でこの記事についても是非取り上げていただければと思います。

2.1.2 作文技術について

2.1.2.1 高度な学術言語運用能力

そして「読者の視点を意識して執筆」するためには高度な言語運用能力が必要です。そして私たちの言語運用能力は日本語においても英語においてもまだまだ十分ではありません。したがってゼミの活動を通じて言語運用能力を可能な限り引き上げる努力が必要です。

私たちがこれから扱うのは日本語・英語に限らず学術言語です。学術言語は日常の言語使用とは異なるものです。なので私たちは母語である日本語においてもその運用の仕方を学ぶ必要があると強く感じています。

2.1.2.2 日本語の訓練

私は特に日本語の訓練が必要ではないかと感じています。なぜなら私たちが日本で教職につく場合、日本語で何らかの文章を書くことが圧倒的に多いからです。また、私たちは英語に関しては分析的に注意深く書き、学習します。しかし、日本語に関しては母語ということもあり、ほとんど無自覚に直感的に書いたり、話したりしてしまいがちです。


2.2 客観性のある論文

論文を書く際にはより多くの読者に納得してもらえる内容を書く、つまり客観性のある論考をする必要があります。どんなに素晴らしい言説でも自分勝手な意見や考えをぶちまけているだけのものには誰も納得してくれません。これもただの趣味です。では、「客観性をもつ」とはどういうことなのでしょうか。

2.2.1 「客観性」とは

鯨岡峻(2005)『エピソード記述入門 実践と質的研究のために』(東京大学出版会) (2006/3/18c)で述べられているように「客観的」という言葉は多くの場合、「実証主義的」を指します。

より日常的な感覚で言い換えると「客観的」=数字ではないしょうか。そして数値化できないもの関しては「ただの主観だ」と言って排除しているように思います。

上記の記事では、「事象の客観的側面(あるがまま)に忠実であることと、事象を客観主義的=実証主義的に捉えることとは別のことである」(20 ページ)とされています。

しかし、質的研究における高次の客観性とただの主観との間には圧倒的な違いがありますが、両者を隔てているものは本当にごくわずかです。そして私たちはそのわずかな境界線をいとも簡単に見失ってしまいます。私たちは両者の違いをしっかりと学ぶ必要があります。


3 書評

このゼミにおける一年間の個人的な目標の一つとして書評をきちんと書くことができるようになるというものがあります。

3.1 なぜ「書評」なのか

ある本について評論やまとめをするためにはその本を本当に理解している必要があります。そして逆に言うと評論やまとめができないということは論文が書けないということです。なぜなら論文を書くプロセスでは数多の参考文献を読み、それらを体系的にまとめるということが絶対に必要だからです。

ですから「書評やまとめができる」=本当の意味で「本が読める」と言っても過言ではないと思います。

3.2 「本の読み方」を知らない

私も自身のブログで書評の真似事のようなことをしていますが、知性の無さを見せびらかせているようで恥ずかしいばかりです。私の「書評」には自分の主観しかありません。ただ自分勝手に思いのたけをぶちまけているだけです。本を読んだというアナウンスがなくてもブログとして成り立ちます。
私は「本の読み方」がわかっていないのでこのような状況に陥るのだと思います。なので、本の内容に依拠しながらそこで述べられている事実や自分が感じたこと・考えたことなどを言語化する術を学びたいと考えています。


4 真摯に学ぶ

4.1 最も重要なものは「真摯さ」である

大学の授業や卒業論文を書くことを通じて得るものは無限にあると思います。高等教育では学ぼうと思えば、いくらでも学べます。しかし、そこに絶対に必須なのは「真摯さ」です。ドラッカーも才能より重要なのは「真摯さ」だと言っています。

4.2 最小リソースで最大効率を

大学の授業や卒業論文は卒業するために必要だからやる、と決めてしまえば簡単です。必要最低限のリソースを持って、最大限の効率を目指して中途半端にやればいいのです。しかし、そこから学ぶものは何もありません。最低限の力で体裁を保っただけのタスクをこなすノウハウが身につくだけです。そこからは何も生まれません。なぜなら何かを学びとることや創出することは非常にパワーを使いますし、最低限の体裁を保つだけ程度の取り組みというのはそもそもそんなものを目指しませんから。

4.3 決意

私はこれまでの人生で自分で勝手に価値を決めつけ、自分に無駄だとして上記のような態度で臨んだ物事がいくつもあります。そうして失ったものは測りしれないでしょう。

なのでこのゼミまたはそれに関係するでの活動は自分の全力を尽くして真摯に取り組みたいと考えています。










第一回ゼミ課題



本課題は、柳瀬先生のブログ『英語教育の哲学的』中の記事集「大学・大学院での専門研究」に関する項目を読み、考察した内容をまとめたものです。

1. 主体的に学ぶということ
 
1.1. 「これまで」と「これから」の学習

 学部1年次から3年次までの学習と、ゼミや卒業研究を通じての4年次からの学習は、どのような点で異なり、どういった点で共通しているのでしょうか。また、「これから」の学習で求められてくること、つまり、「これまで」と「これから」の学習の決定的な差となりうるものは、一体どういったことなのでしょうか。

1.1.1. ブログ記事「知的仕事のABC」より

1.1.1.1 Analyzeするということ

 これまでの学習では、Analyzeするための一つの目安として、自分で学習、あるいは達成した成果を自主的に確認するということ以外にも、指導担当の教員から返却されるテストやレポート、そして学期末に与えられる単位などがその役割を担ってきました。しかし、一体どれだけの学部生が、それらのAnalyzeされた結果から、自分が今置かれている状況や、必要とされている力や能力を省みて、今なすべき事を認識し、これからの計画に役立てるような努力をしようとしているでしょうか。

1.1.1.2 Beginするということ

 前項「Analyzeするということ」とも関連しますが、何かを学ぼうとする際には、まず問題の意識化や、顕在化といったプロセスが必要です。自らの目に見える、あるいは意識に置かれる形で、問題に対する意識を持つことは、簡単なようで実は最も見落とされがちなことではないでしょうか。その証拠に、前項のAnalyzeに到達出来ていない人は、このBeginのプロセスが始動しにくいように思えてなりません。

1.1.1.3 Control するということ

 Analyzeとフィードバックという言葉は、常に表裏一体の関係です。達成状況を監視し、自らの活動や計画を再構成していくことは、長期的なプロジェクトや学術論文を書く際だけに求められる技能であるとは断言できません。例えば、上手いテニスプレイヤーは、技術だけに頼ることなく、自分と相手の消耗度や天候、風向き、試合時間などの情報を同時に処理し、最適な力加減、コース、ステップの踏み方をはじき出し、試合の展開を組み立てます。もちろん、更に超一流のプレイヤーともなれば、その選手人生までをも計算に入れるような、より長い設計の元に試合を組み立てているかも知れません。

1.1.2 ブログ記事「Backward Designはなぜ失敗しうるのか」より

1.1.2.1 ものごとにリンク(Link)を張るということ

 これまで、学部での講義は大きく分けて、私たち学生が呼ぶところの「教養」科目と「専門」科目の二種類に分類することが出来ました。しかしながら、いずれの種類にせよ、私たちがこれまで学んできたことは、ひとつひとつの講義、あるいは授業の中で完結してしまっているように思えてなりません。今回のブログ記事中のBackward Designにおける実践前の問題点に着眼した項目には「2.2 複数の手段をつなげる過程を構想できない。単一の手段によって目的を達成するという発想ぐらいしかないので、複数の手段を一貫して整合的に、かつ効果的に並べることができない。」という記述があります。これを私たちが受けてきた講義に焦点を当て、私自身の言葉で言い換えるとすればこうなります。「それらの講義内容は、長期的なスパンで見た場合に、教育現場や社会に出て大変有益なものであったかも知れないのに、良い評価や単位の獲得といった一時的なものに縛られた結果、内容の枠を超えて繋がるはずであったものを孤立化させてしまった。」また、更にたちが悪いのは、孤立化の中で本来の価値、すなわち、知的な収穫を得ることから外れ、単なる暗記や単位集めに走った結果、学びから得られる喜びを放棄してしまう場合があるということです。

1.1.2.2 目的と目標を混同しない

 加えて、前述した記事中の、実践後の問題点に着眼した項目では「7 小規模用・短期的・具体的な「目的」(end, objective, Zweck)の概念しか持たず、大規模用・長期的・抽象的な「目標(あるいは方針)」(goal, aim, Ziel)の点から実践を振り返ることができない。「目的」達成のためのbackward Designは実現されても、「目標」という大局観を見失ってしまう。」と、述べられています。単位が取れても、3日後に忘れているようでは元も子もありません。学習や集中的なテスト勉強で得た知識を活用させるためには、視野を広く持って、自分の目標とする論文や研究にどう適用させていくのかを、常に頭の隅で考えておく必要があります。目的が目標化してしまうと、空虚な成功への努力に溺れ、後には残るのは「頑張った」という意識と、書いた内容が思い出せないノートだけという、最悪の結果に陥ることも考えられます。

1.1.3 より良いスケジュール管理のために

 前述した項目では、問題意識の視覚化の重要性や、目標に準拠した学習内容を関連付けて学ぶことの有意義さを述べましたが、単に手帳やノートに書き並べるだけでは非効率極まりません。ブログの中ではExcelを用いたタスク管理の方法が挙げられていましたが、その他にも、Google カレンダーやEvernoteなどに代表される、ウェブ上で管理が可能な諸サービスを活用することによって、生産性は何倍にも高められるように思えます。手や頭を使って考えたことを、いつでもアクセス可能、検索可能な状態に置いておくことは、新たなアイディアを生み出すことへの大きな手助けになるでしょう。
 
1.1.4 学ぶ姿勢の違いに気付くために

 私たちの英語文化系コースでは、3年次の終わりにかけてゼミの希望を出し、配属されることになっています。その是非は置いておくにしても、いざゼミが決まり、卒業論文計画書を提出することを伝えられ、どう悩んでいいかすらも分からない、研究の仕方、テーマの決め方ひとつにつけても不安で一杯になってしまう人が多く見受けられます。私もその内の一人であり、今も悶々と悩み続けている最中です。個人的な理由付けになってしまうかもしれませんが、私たちは今いちど、「学ぶこと」を捉えなおすことが必要ではないのではないでしょうか。受動的な態度で学びに臨み続ければ、学びとることが出来たはずの内容は、きっと限定的なものになってしまいます。また、人間は、自分の知的リソースに無いもの、あるいは関連付けられないものは、自然と視野の外、思考の外に追いやろうとしてしまう傾向があります。より良く学ぶための土台は、決して知識の集約のみに端を発するものではありません。

1.1.5 学びの本来の目的を見据えるために

 良くも悪くも他者の目を気にするような「客観的」な学びは卒業する必要があります。成績や単位に縛られない、自分の興味がある分野の学習のためには、まずは自分が何をしたいのか、そのためには何が欠けているのか、欠けたものを埋めるにはどうすれば良いか、それにかかる時間はどれくらいか、現在のスケジュールに当てはめて考えることは出来るか、それを随時変えていく勇気はあるか、最低でもこれらをはっきりとさせておく必要があります。こうして並べて見ると、明らかにこれまでの学びとは異なった手順を踏むのだということが分かります。一朝一夕に完成するものではありませんが、少しでも理想と実態を近づけていく努力が求められています。


2. 学術論文を書くために意識しておくべきこと

2.1 デザインに見る他者への思いやり
 学術論文は、一見すると小難しい内容を更に小難しく書き綴った研究結果のように思えますが、実は正反対の性質を持っています。ですから、難しい内容は噛み砕いて分かりやすく、分かりやすい内容なら少しだけウィットが効いた切り口から、まったくその分野に関心が無い人でも、面白い読み物として興味を持って読んでもらえるよう、幾つか工夫をしなくてはなりません。

2.1.1 ユニバーサルデザインとの類似性

 私が学術論文を捉える上でイメージしたのは、ユニバーサルデザインと呼ばれる事物です。例えば、世界中の公共施設で見られる「ピクトグラム」はその代表例でしょう。大規模商業施設や駅、空港など、大勢の人が利用する場所では必ずと言っていいほど浸透しています。では、以下のピクトグラムを見て見ると、どのようなことが見て取れるでしょうか。




http://www.waza.jp/ud/activity/example/22.html より


 まず、車椅子のマークから、障碍者用のトイレが備え付けられていることが分かります。次に、母親であろう女性と小さな子供が手をつないでいるマークから、母子が共に使用できる(排泄の手助けが出来る)トイレ設備があることが分かります。そして、よく見慣れたピクトグラムですが、赤ん坊のオムツを交換できる設備も備え付けられています。これらの情報を口頭や文章で伝達しようと試みた場合と、以上のピクトグラムを目の前に提示されるのとでは、伝達効率に大きな差が発生するのは自明のことでしょう。さて、右上にはあまり見慣れないピクトグラムが存在しています。これは、オストメイト=人口膀胱(肛門)を装着した人でも利用可能である、といったサインなのですが、もし”オストメイト”の表示が一切無かったとしたら、このピクトグラムから得るこことの出来る情報は非常に限定的になります。解釈が難しいところは注釈を、それ以外の部分はなるべく簡潔に、簡略して、分かり易く。意外なところに共通性を見出すことが出来ました。

2.1.2 閉じられた環境であることを自覚する

 学術論文という媒体を考えてみると、話すように書くと良いのではないか、という思考に陥ったことがあります。しかし、本多勝一「日本語の作文技術」のp.11に於いて、真っ向から否定されている考えこそ、まさに「話すように書く」ことなのです。ここで本多さんは、ある例文を高等表現から文章表現へと変化させる中で9項目もの相違点について言及しています。本そのものの内容は、今後ゼミの中で扱うと思われますので省略しますが、考えを文字媒体に起こすという行為は、普段我々が無意識の内に生活しているNon-Verbalな要素がたっぷりと詰まった世界から脱却しなくてはならない、ということなのです。表情も、トーンの上下も、身振り手振りも一切無い状態で、ただ紙上の文字のみで相手に考えを伝えることは、実はそう簡単なことではないということなのです。

2.2 内容へと踏み込む前に

 今回のブログ中では「知的エンタメ」と称されていましたが、論文の大前提として、分りやすく、読みやすく、面白いものでなくてはなりません。しかしながら、分かり易い、ということは簡単な内容であるということには繋がりません。ピクトグラムの項でも述べたように、高度で複雑な内容を噛み砕いたものであるべきです。また、読みやすい(reader-friendly)ということは、読者を念頭においた構成である、という意味の他にも、読者を巻き込んで論文に没頭させる位、読み手と書き手に時間と空間を越えたコミュニケーションが発生しなくてはならないということでもあります。

2.2.1 「贈り物」を大切に

 学術論文を書こうとするならば、先行研究を行わなければなりません。テーマが決まってから、あるいは、テーマを決めるための先行研究もあるかも知れませんが、いずれにしても、これまでの先人の知識・研究の成果を読むことに他なりません。新しい知識を生み出すのに、自分だけの世界に閉じこもっていてばかりでは前に進むこともないでしょう。研究を引き継ぐということは、学士なら1年間、修士なら2年間分の、その人の情熱と時間とお金を受け継ぐことになります。そういった責任が伴う以上、先行研究は腰を据えてじっくりと行うべきことだと言えます。


2.2.2 異なる分野に学べ

 論文のテーマに関連したことばかりに接していたのでは、行き詰まった時の精神的な逃げ場が無くなってしまうこともあるでしょう。異なる分野の話題や資料、論文やデータなどに目を通すことは、そういった飽きを防ぐ以外にも多くの効力があります。たとえば、データ処理に必須の知識である統計処理も、基本的な高校数学レベルの理解力が要求されます。論文などでそういった能力を活用するかどうかは人によりけりですが、身につけておいて無駄にはならないと言えます。


3. この1年間でよりよく学ぶために

3.1 一人の時間を持つ

 研究とは基本的に一人で行うものですが、時には友人と語り合うことももちろん必要です。バランスをよく考え、どのタスクは一人で行うべきかを見極める必要があります。一人の時間を持てるということは、深く思考を咀嚼するためのエネルギーの供給に繋がるのではないでしょうか。

3.2 本気で議論をする

 私自身は、あまり議論が得意なほうではありません。事なかれ主義ではないのですが、批判されるのが実は怖かったり、人を批判することに躊躇してしまいがちになってしまうことがよくあります。しかし、意見と意見のぶつかり合いは、より洗練された言葉や思考に直結することもしばしばあります。経験上、3時間を越えるような会議より、わずか10分足らずのシャープな意見交換の方が、結果的に充実した内容をもたらしてくれる事があることを知っています。内容が伴わない議論は精神と肉体に多大な付加をかけるだけに終始してしまいます。本気で議論することは、ある意味では大変「エコ」な思考法ではないのでしょうか。

3.3 わかりませんと言う勇気

 聞かぬは一生の恥、聞くは一時の恥、という言葉があるように、分らないことは分らないと率直に言える人間でありたく思います。これから扱っていく内容は、知的に洗練されている反面、高度な背景知識や読解に必要な英語の力を求めてきます。ある議論の中で分らないタームがあったとして、見て見ぬ振りをして30分過ごすのと、5分時間を取ってもらって、解説の後に25分過ごすのとでは、大きな差があるように思えます。

3.4 謙虚に学ぶ

 学術論文に限った話ではないように思いますが、謙虚さは社会で生きてゆくために必要な要素であることには間違いありません。たとえ気に入らない事であっても、自分の糧になるように接してしまえばこちらのものですし、新たな世界が開ける事もあるかもしれません。まだ未知の物事に対して、敬意を払って接すること、まだ見ぬ未来の読者や指導教員、同級生、学費を払ってくれている家族にも感謝することが、謙虚に学ぶ姿勢を形作る第一歩ではないでしょうか。






お互いに緩やかな笑顔を保ちながら、深いレベルの学びができるゼミにしたいと思います。










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