2011年4月29日金曜日

アイラ・ヘルファンド(Ira Helfand)医学博士、文部科学省の学校放射線量限度を批判(YouTube動画)

本日、小佐古敏荘・東大大学院教授(放射線安全学)が、福島の学校の放射線量限度を含む政府の原発対応を批判して、内閣官房参与を辞任したニュース(詳しくはこの記事の追記をご参照ください)と共に、アイラ・ヘルファンド(Ira Helfand)医学博士の発言が一気に注目されてきました。

テレビ朝日は4月27日の時点で以下のように報道していました(私は先ほどまで知りませんでした)。


 
ノーベル賞も受賞した国際的な医師の団体がワシントンで会見し、文部科学省が子供の1年間の許容被ばく線量の目安を「20ミリシーベルト」に設定したことに疑問を呈しました。

 アイラ・ヘルファンド医学博士:「衝撃的だったのは、日本政府が福島の子供たちの許容被ばく線量の基準を高く設定したことだ」
 
 ヘルファンド博士は、「子供の場合、がんになるリスクが成人よりも2倍から3倍高くなる」と指摘して、許容される被ばく線量の基準を引き下げるよう求めました。アメリカでは、原子力関連施設で働く人の1年間の許容量の平均的な上限が年間20ミリシーベルトとされています。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210427018.html



この発言は、以下の動画で見ることができます。




Physicians for Social Responsibility Press Conference 4/26/11




http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=MkYCWTpUuLU


On Tuesday April 26, 2011, Physicians for Social Responsibility (PSR) held a joint press conference with Rep. Edward J. Markey (D-Massachusetts) and the Institute for Policy Studies' Robert Alvarez on the ongoing impact of the Chernobyl nuclear disaster to public health 25 years after the accident, the continuing nuclear catastrophe in Fukushima, Japan, and the lessons from both for U.S. public health and safety.

The speakers are:

Rep. Edward J. Markey (D-Mass), Ranking Member, Natural Resources Committe

PSR Immediate Past President Jeff Patterson, DO

Robert Alvarez, Senior Scholar, Institute for Policy Studies

PSR President-Elect Andrew S. Kanter, MD, MPH

PSR Member of the Board Ira Helfand, MD


アイラ・ヘルファンド(Ira Helfand)氏の登場は、この動画の27分からです。テレビ朝日が報道したのはこの動画の29分からの部分です。



***












国会で次々に明らかになる福島の子どもたちへの放射線被曝限度量の杜撰さ ―活躍する国会議員たちを応援しよう―

現在政府が福島の子どもたちのために設定している放射線被曝限度量について、以下の国会議員らが質問をすることによって次のような事実が分かってきました。

以下に、私なりに要点をまとめます。




(1) 現在の20ミリシーベルト/年は、子ども向けの国際基準・国際標準(1~20ミリシーベルト/年)の最大値である。

(2) その甘い(危険な)日本政府基準の3.6マイクロシーベルト/時 (年ではありません)を超える放射線量が測定された中学校に対して、文部科学省は屋外制限をかけていない理由は「その測定値は地上50センチのものであり、中学生は背が高いので1m時点の値で決めているから」。

(3) この(2)の文部科学省答弁には、さすがの原子力安全委員会でさえ、「そのような話は聞いていない」としたので委員会は紛糾。

(4) 空間線量ばかりを問題にしている文部科学省は、文部科学大臣が「土壌放射能の吸引による体内被曝の影響は軽微」と答弁

(5) この(4)の文部科学大臣答弁に対しても、原子力安全委員会は「決して軽微とは考えていない」とし、文部科学大臣は答弁不能になった



以下に、上記の論点の基となる資料(国会議員ブログ)の文章を引用します。ただし、太字強調は私が加えたものです。




馳浩議員は、今回の福島の放射線量限度量が、子どもにとっては国際基準・国際標準であると最大値であることを明らかにしました。


「子どもたちを、安全な環境で遊ばせてやりたい!」という飯舘町の広瀬教育長の声をもとに、

 「では、子どもの年間安全被ばく限度量は、どの程度に設定したか?」

と質問。

 すると、こたえは、

「緊急時には、大人も子供も20~100ミリシーベルトの間」だった。
 
国際基準と国際標準はどうなのか?」と、再質問すると、
 
1~20ミリシーベルトの間」と、答弁された合田局長。
 
ん?
 
だったら1ミリシーベルトに設定するのが、政治じゃないのか?

http://www.hasenet.org/の4/27日記





宮本たけし議員は、この「20ミリシーベルト/年」を子どもに適用していいのかという論点を踏まえた上で、文部科学省の調査が極めてずさんで、原子力安全委員会も反論せざるを得なかったことを報告しています。


ところがその4月14日時点の調査結果を見ていると極めて不審な点があるのです。例えばこの調査で「福島市立福島第三小学校」は高さ1m地点で3.6マイクロシーベルト/時、高さ50cm時点で3.9マイクロシーベルト/時で「屋外活動の制限」を受けています。

 ところが、その表の一つ上にある「福島市立福島第一中学校」は、1mで3.7マイクロシーベルト/時、50cmで4.1マイクロシーベルト/時と、いずれも第三小学校を上回っているにもかかわらず「屋外活動の制限」を受けていないのです。

 なぜかと問えば、小学生と中学生では身長差があるためだというのです。つまり中学生は背が高いので1m時点の値で決める、そこが3.8以下なら、高さ50cmのところで基準を大きく超える4.1マイクロシーベルト/時の放射線が検出されていてもお構いなしということです。

 「これ以上は絶対に被ばくしてはいけない」という線量限度を基準にしておきながら、こんなずさんなやり方は許されません。私の問いに、文科省の基準に了承を与えたはずの原子力安全委員会でさえ、「そのような話は聞いていない」と答弁したものですから委員会は紛糾

 しかも文科省が空間線量ばかりを問題にして、土壌放射能を無視していることを取り上げ、たとえば半減期が30年と非常に長いセシウム137でも19の学校・園で土壌放射能が5000ベクレルを超えていることを示し、これをなぜ考慮しないのかと迫りました。

 文科大臣の答弁は、「土壌放射能の吸引による体内被曝の影響は軽微」などというもの。ところが、これも原子力安全委員会は「決して軽微とは考えていない」と答弁し、大臣は答弁不能に陥りました。結果として委員会は、たびたび中断。こと子どもたちの健康に関して、こんなでたらめは絶対に許されません。

http://www.miyamoto-net.net/column2/diary/1303894341.html





下村博文議員も、基準値の設定に対しての政府側の「根拠なき楽観的答弁」を戒めています。


児童生徒の年間被ばく許容量が20ミリシーベルトを下回る、例えば10ミリシーベルトともし変更し基準を変えたら、超える地域は大幅に増加するだろう。

危険か危険でないかは、基準値の設定しだいだ。だからこそ文科省は国民から恣意的と不信感を持たれない説明が必要だが、残念ながら明確な答弁でなかった

政務三役はもっと勉強してほしい。根拠なき楽観的答弁が多すぎる。国民にいらぬ不安感をあおらないためにも、科学的客観的数字に基づいた説明が必要なのだ。

http://hakubun.jp/2011/04/%E6%96%87%E9%83%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E3%81%AE%E8%B3%AA%E7%96%91%EF%BC%8D%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E9%87%8F%E3%81%AE%E6%B8%AC%E5%AE%9A%E5%9F%BA%E6%BA%96%E3%81%AB%E3%81%A4/





河井克行議員は、被爆地広島の経験を踏まえ、厚生労働委員会で鋭い質問を重ねています(議事録はこちら)。ブログでは以下のように見解を述べています。


 外国政府やメディアから福島第一原発事故に関する日本政府の情報公開と取るべき対策についての不安が募っています。今回の事故は、もはや日本だけでなく、世界の問題になりつつあるのに、正確な情報が発信されていないという不安は不信に変わりつつあります。
 
(中略)

自国民すら納得させることができない菅内閣が、外国の人々や政府を「日本は安全だ」と説得できるはずがない。いまのままでは、日本の農林水産物や訪日観光だけでなく、工業製品、サービス、いや日本という国そのものに対する「信頼」を毀損してしまいます。先人が長い年月をかけ、汗と涙を流して営々と積み重ねてきた日本への信用が壊されてしまうのです。

 こうしている毎日も絶えず放射能が漏れ続けている福島第一原発事故。“収束へ向かっている”などとはとても言えない厳しい状況が続きます。現場の関係者の犠牲的・献身的な努力に為政者たちは報いているのでしょうか。

http://ameblo.jp/katsuyuki-kawai/entry-10840772633.html





原口一博議員はTwitterで以下のように訴えています。


子どもや妊婦を放射能の被害から守るために枝野さんと話しをしました。片山さんや細野さんにも同趣旨の話しをしました。政府が20msvの基準を変えるよう強く要請しました。

http://twitter.com/#!/kharaguchi/status/63755384434855936


命をまもるために皆様にRTのお願いがあります。20msvなどの放射能防護基準を即刻、見直すよう皆様の地域から選ばれた国会議員に働きかけてください。

http://twitter.com/#!/kharaguchi/status/63757528248483840




以上の国会議員への連絡先は以下の通りです。


福島の子どもを放射線から守るために活躍している馳浩議員(石川県選挙区)の国会事務所電話は03-3581-5111 内線5081、金沢事務所電話は076-239-1919 http://www.hasenet.org/

福島の子どもを放射線から守るために活躍している宮本たけし議員(大阪選挙区)の大阪事務所電話は06-6768-7371  http://www.miyamoto-net.net/index.html


福島の子どもを放射線から守るために活躍している下村博文議員(東京11区)の国会事務所電話は03-3508-7084、板橋事務所電話は03-5995-4491 http://hakubun.jp/


福島の子どもを放射線から守るために活躍している河井克行議員(広島三区)@katsukawaiの国会事務所電話は03-3581-5111(内線71208)、広島事務所電話は082-832-7301  http://kawai.fine.to/katsu/

福島の子どもを放射線から守るために活躍している原口一博議員(佐賀一区)@kharaguchi の東京事務所電話は03-3508-7238、佐賀事務所電話は0952‐32‐2321  http://www.haraguti.com/


この他にも福島の子どもを守り、日本という国の尊厳を守るために活躍している議員もいらっしゃると思います。もしご存知でしたら私にお知らせください。


※2011/05/01の国会で、森ゆうこ議員が、鋭い追及をしていました。





追記 (2011/04/29)

この記事を書いた直後に以下のニュースが飛び込んできました(太字強調は私がつけました)。

小佐古・内閣参与が辞任 政権の原発対応遅れ批判

 内閣官房参与の小佐古敏荘・東大大学院教授(放射線安全学)は29日、福島第1原発事故をめぐり「政府はその場限りの対応で事態収束を遅らせた」と批判し、菅直人首相に参与を辞任する意向を伝えた。小佐古氏は3月16日に就任。原発施設と放射線をめぐり首相への助言を求められていた。

 政府の原発事故対応への不満が顕在化した。首相が「知恵袋」として活用するため起用した参与が抗議の辞任をするのは、極めて異例だ。
 小佐古氏は29日夕、国会内で記者会見し、放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による測定結果の公表遅れを批判した。

 同時に、福島県内の小学校校庭などに累積した放射性物質に関し、文部科学省が示した被ばく線量基準は「国際的にも非常識で受け入れがたい」と見直しを求めた。

2011/04/29 19:39 【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011042901000682.html





追記 2 (2011/04/29)

武田邦彦氏はブログで以下の見解を表明しています。ぜひ下のURLをクリックして全文をお読みください。


郡山市は市長の決断で、市内の小学校の校庭の表土を除き、子供達がすこしでも被ばくしないようにと努力した。

その結果、表土を除く前には1時間あたり3ミリシーベルトもあったのに、それが0.6ミリシーベルトに減った.

子供達にとっては素晴らしいことだ.

これが小学校ばかりではなく福島県の全部に行き渡れば、

「汚れた福島」

から

「綺麗な福島」

への転換ができる。素晴らしいことだ。

・・・・・・・・・

でも、これに対して文科省の大臣が、

「3ミリシーベルトで安全なのだから、余計なことをするな」

と言った。

http://news.livedoor.com/article/detail/5527031/




追記 3 (2011/04/29)

新聞各紙が、小佐古氏が、福島の学校での放射線量限度について、どのように伝えたか(あるいは伝えなかったか)を以下に掲載します。


毎日新聞

[小佐古敏荘・東京大教授(放射線安全学)は、]特に小中学校などの屋外活動を制限する限界放射線量を年間20ミリシーベルトに決めたことに「容認すれば学者生命は終わり。自分の子どもをそういう目に遭わせたくない」と異論を唱えた。

http://mainichi.jp/select/today/news/20110430k0000m010073000c.html



読売新聞

小佐古氏はまた、学校の放射線基準を、年間1ミリシーベルトとするよう主張したのに採用されなかったことを明かし、「年間20ミリシーベルト近い被ばくをする人は放射線業務従事者でも極めて少ない。この数値を小学生らに求めることは、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と述べた。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110429-OYT1T00571.htm?from=tw



共同通信は、学校の放射線量限度についてはふれず、


小佐古氏は29日夕、国会内で記者会見し、放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による測定結果の公表遅れを問題視。原発作業員の緊急時被ばく線量限度を年100ミリシーベルトから年250ミリシーベルトに急きょ引き上げたことに触れ「もぐらたたき的、場当たり的な政策決定を官邸と行政機関が取り、手続きを無視している」と指摘した。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2011042901000681/1.htm

と述べているだけですが、他紙には掲載されていない小佐古氏の写真を「首相官邸に参与を辞任する意向を伝え、記者会見で涙ぐむ小佐古敏荘・内閣官房参与=29日夕、衆院第1議員会館」というキャプション入りで掲載しています。

※申し訳ありません、毎日新聞も写真を掲載し「辞任会見で、涙ぐみ絶句する小佐古敏荘氏」というキャプションをつけていました! (2011/04/29 23:47)


ちなみに朝日新聞は以下だけです。全文掲載します。福島の学校についての小佐古氏の発言を一つも取り上げていません。


 内閣官房参与の小佐古敏荘・東大大学院教授(放射線安全学)が29日、東京・永田町で記者会見を開き、内閣官房参与を辞任する意向を表明した。理由について小佐古氏は、原発事故対応への提言について「いろいろと官邸に申し入れてきたが、受け入れられなかった」などと語った。

 小佐古氏は会見に先立ち、首相官邸を訪ねて辞表を提出した。同氏は東日本大震災発生後の3月16日、原発事故について菅政権から助言を求められて参与に就任。首相は3月末までに小佐古氏ら計6人の原子力専門家らを次々に内閣官房参与に任命した。

http://www.asahi.com/politics/update/0429/TKY201104290314.html


正直、私は今回の原発人災で朝日新聞の報道体制にかなり疑問を抱くようになりました(上のような報道姿勢はこれまで何度も見られました)。

私は子ども時代は、親が朝日新聞を購読していたので、無自覚にしばらくは朝日新聞を購読していましたが、20歳代後半頃に、朝日新聞の独善性というか上から目線が嫌になり、購読を止めました。今回感じているのは、朝日新聞は体制べったりでありながら、体制批判的なポーズを取ろうとする偽善的で狡猾なところがあるのではないかということです。体制べったりであるなら、堂々とそのように振舞えば、それはそれで一つの姿勢だと私は思うのですが・・・

よく朝日新聞を、「本の広告が充実しているから」という理由で購読し続けている人がいますが、最近は各出版社がメールマガジンなどを出していますから、別段、朝日新聞を購読せずとも、出版情報は潤沢に得られます。

※今(2011/04/29 23:52)上記の朝日新聞ホームページを見たら、以下の部分が付け加えられていました。私がさきほどこの記事を書いた時には、記事の全文引用をしましたから、書き加えられたのは明らかです(さすがに証拠画像までは取っていませんでしたが)。

新聞というのは、こうして横並びになってゆくのかなぁ。

(ちなみに産経新聞は記事はそのままです。他紙は都合の悪いウェブ記事はすぐに削除するが、産経はきちんとそのまま掲載し続けると聞いたことがありますが、やはりそうなのかもしれません。そのあたりの筋の通し方については、産経新聞を高く評価します。)



会見では特に、小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した放射線の年間被曝(ひばく)量20ミリシーベルトという屋外活動制限基準を強く批判。「とんでもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ」と訴えた。「通常の放射線防護基準に近い年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」とも述べた。




また産経新聞も以下の通りです。(私は産経新聞の主張には少し違和感を覚えることも多いのですが、気骨ある新聞と思っていたので、残念です)。


小佐古敏荘(こさことしそう)内閣官房参与(東京大大学院教授)が29日、官邸を訪ね菅直人首相宛に辞表を提出した。小佐古氏は29日夕記者会見し、菅政権の福島第1原発事故への取り組みについて「その場限りの対応で、事態の収束を遅らせた」と批判した。

 小佐古氏は「(自らの)提言の一部は実現したが対策が講じられていないのもある。正しい対策の実施がなされるよう望む。国際常識のある原子力安全行政の復活を強く求める」との見解を報道陣に配布した。

 小佐古氏は放射線安全学の専門家で、3月16日、参与に起用された。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110429/plc11042919200015-n1.htm





追記4 (2011/05/02)

既報ですが、記録のためNHK科学文化部が、小佐古氏の会見の全文書き起こしを公開しておりますので、ここでもお知らせしておきます。

NHK科学文化部には感謝しますが、結局各紙報道よりも、会見の忠実な書き起こしのほうがありがたい、というのは複雑な思いです。公共放送は主要会見の動画と書き起こしをウェブで公開し、一次情報を国民に知らせつつ、各種メディアはそれぞれに要約と分析を競いあうというのが健全なやり方だと私は考えます。(独立動画メディアはNHKが追わないような各種会見などを動画公開し報道することに独自性を見いだせると考えます。



2011年04月29日 (金)
官房参与が辞任・記者会見資料を全文掲載します

http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html





追記5 (2011/05/02)

江川紹子氏が、放射線防護学の本間俊充氏も、20mSv/年案に反対していたことを明らかにしています。これが事実だとすると原子力安全委員会は相当にひどいことをやっていることになります。


4月28日の午後、私は前夜の記者会見で、廣瀬研吉内閣府参与(原子力安全委員会担当)から、この値を支持した人の1人として名前が挙がった本間俊充氏((独)日本原子力研究開発機構安全研究センター研究主席・放射線防護学)に確認の電話を入れてみた。すると、本間氏の答えは意外なものだった。
「私は(緊急事態応急対策調査委員として)原子力安全委員会に詰めていたんですが、(子どもについても)20mSv/年が適切か、ということに関しては、私は『適切でない』と申し上げたんです」
http://fpaj.jp/news/archives/2749




追記 6 (2011/05/02)

朝日新聞の批判を続けましたので、公平を期すために、きちんとジャーナリズムを貫徹しようとしているように思える朝日新聞記者の一例を紹介します。

神田大介氏は個人でもTwitterを使用し(@kanda_daisuke )、所属する名古屋報道センター調査報道班としても自身の名前と同僚の渡辺周氏の名前を掲載した上でTwitterを使用しています(@asahi_chousa )。

私は神田氏のtweetを読んで、5月2日の朝日新聞はコンビニで買い、当該記事を読みました。この記事はネット公開されていませんので、内容紹介は控えますが、きちんと取材した記事だったように思います。

私も上記2アカウントにtweetしたら、きちんと返事もしていただけました。

たかだだ一部150円の新聞を買っただけで、偉そうにするつもりもありませんが(笑)、マスメディアとは「第四の権力」(Fourth Estate)とも呼ばれるものですから、一人ひとりの国民は、マスメディア報道を鵜呑みにするのではなく、健全な緊張関係を保つべきだと考えます。


ちなみに"Fourth Estate"についてWikipediaは次のように説明しています(以下の引用は、冒頭部分のみ)



The concept of the Fourth Estate (or fourth estate) is a societal or political force or institution whose influence is not consistently or officially recognized. It now most commonly refers to the news media; especially print journalism. Thomas Carlyle attributed the origin of the term to Edmund Burke, who used it in a parliamentary debate in 1787 on the opening up of press reporting of the House of Commons of the United Kingdom.[1] Earlier writers have applied the term to lawyers, to the queen of England (acting as a free agent, independent of the king), and to the proletariat.

http://en.wikipedia.org/wiki/Fourth_Estate













***





東日本大震災:被災地への義援金の主な受け付窓口(毎日新聞によるまとめ)

必要物資・支援要求マップ 311HELP.com









橘小学校放射線量測定値HP公開中止のその後 ― 実態は「自粛」か?いずれにせよ福島の皆さんを支援しよう ―




ライターの和田秀子さん(@hideinu )が福島県郡山市橘小学校での放射線量測定値ホームページ公開中止の件について、独自に電話で調査して、その結果をまとめてくださっています。丁寧な調査取材とその結果公表に対して心から感謝します。





詳しくは上記ブログを御覧いただきたいのですが、私なりにまとめますと次のようになります。



■橘小学校:「これはあくまで橘小学校独自の判断です」

■郡山市教育委員会:公表を差し控えるように指示したのは郡山市教育委員会の指示です。

■文部科学省:文部省は指示を出していません。




橘小学校と郡山市教育委員会の関連部分を引用します。



【橘小学校】

Q ホームページ上で放射線値を公表しなくなったのは、文科省からの指示があったからですか?

A いろいろ誤解を生んでしまったんですが、違うんですよ。指示はありません。HPでうまく説明が伝わらなかったようで、たくさんお問い合わせをいただいているのですが、これはあくまで橘小学校独自の判断です。(後略)



【郡山市教育委員会】

Q 橘小学校がホームページ上で放射線値を公表しなくなったのは、郡山市教育委員会の指示ですか?

A ええ、そうなんです。いっさい明かしたくないというわけではないのですが、放射線の値については、日本はもちろん世界的にシビアな見方をしている方が多く、非常に関心を集めているんです。それで、各学校で測定はしているんですが、測定のプロではなくて学校の先生方が計っているので、必ずしも正確な値とは限りません。それを世界中の方々がご覧になり、さまざまな反響が寄せられています。たとえば、「この数値では危険だ」とか、逆に「これくらいなのに、なぜ活動させないのだ」と、いった意見です。それで、安易に計測値をホームページで公開することは、かえって混乱を招くことになると判断し、ホームページでアップしないでほしいということを(橘小学校)に伝えました。しかし、もし問い合わせがあった場合には、「先生方が計った値なので…(正確ではないかもしれませんが)」ということで、お伝え下さいということは言っています。

http://newenergy-hideinu.blogspot.com/2011/04/hp.html



これらの証言が正しいとすると、橘小学校が「橘小学校独自の判断」としているいわゆる自粛の背後には、郡山市教育委員会の指示があったことが推定できます。日本の「自粛」のよくある例だと私は考えます。


しかし郡山市教育委員会も、測定の限界を述べた上でなら伝えてもよいと言ったということを上記証言は伝えています。


実際、橘小学校は4/28で、放射線測定値は今後PDFファイルでホームページ公開するとしています。


放射線測定値の紹介について

校内で現在も測定しております放射線測定値は、今後は「学校便り」で保護者の皆様にお知らせいたします。また、地域の方々からのご要望もあり、ホームページにも同様のデータをPDFファイルで掲載することといたしました。学校便り、ホームページの発表は毎週月曜日を予定しております。なお、現在測定をしております機器は文部科学省から借りている放射線メーター「はかるくん2」です。測定範囲は0.001μsv/h~9.999μsv/hとなっています。
【緊急情報】 2011-04-28 13:25 up!

http://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=0710015&frame=weblog&type=1&column_id=298200&category_id=8032


ホームページ公表は毎週月曜日ということで、本日(2011/04/29)では新たなデータ公開は確認できていませんが、橘小学校は、「確証はありませんが」と前置きをして、4月22日での放射線測定値をホームページ公開しています。

注目するべきは以下の部分です(太字強調は私が加えました)。

確証はありませんが、これまで測定を続けてきて感じていることは、現在計測される放射線は、空気中に漂う放射性物質から放出されているものより、地面に付着した放射性物質から直線的に放出されるものの方が、かなり多いのではないかということです。実際、上部に屋根があり雨にぬれないコンクリート部分や、同じく雨の当たらない3階のベランダなどは屋外にも関わらず低い値が計測されます。校庭の新しく土を入れた部分の空間線量が低い値なのも説明がつきます。3月15日頃に原発から放出された汚染物質が上空から降り注ぎ、郡山の地面に定着して放射線を発している、といえばよいのでしょうか。

http://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=0710015&frame=weblog&type=1&column_id=296087&category_id=8032



また4月21日の測定値報告では次のように述べられています。


測定をして分かってきたことの一つに、建物の材質によって内部の放射線量が違うということがあります。やはりコンクリートのさえぎる力は大きいようで、学校の内部の数値が低いのはそのためのようです。職員の住宅を調査したところ、マンションは0.1程度なのに対し木造住宅は0.3~0.5程度という結果でした。車の中が意外に高く0.8~1.5なのは、諸説ありますが、ガラス面が多く外部の放射線が通過してくるためと思われます。ですから、同じ車でも車を走らせ、場所を変えるだけで測定値が変わるという現象が見られます。

http://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=0710015&frame=weblog&type=1&column_id=295491&category_id=8032


こういった現場の声は貴重です。このような観察が虚心坦懐に報告されてこそ、安全は守られます。冷静な観察こそが科学の始まりであり、多様な見解が公開されることこそが民主主義の基盤です。

教師は言うまでもなく、大学での教員免許取得を始めとした勉強、および現場での学びで、科学的・民主的行動を身につけています。そして今この苦境の中でこそ「科学的であるということはどういうことか。民主主義を実現するにはどうしたらよいのか」というのを我が身をもって考え、行動しているのだと思います。


この苦しい中に、放射線測定を続け、ホームページでその結果を伝えている橘小学校の皆様を応援します。(Google ReaderでRSS購読し、ホームページ更新毎にホームページを拝見します)。


郡山教育委員会におかれましては、このような科学的・民主主義的な試みを、ぜひとも抑圧しないよう、心からお願いします。教育委員会の中にも、元教師の方がいらっしゃると思います。現場の気持ちがわかる方は、ぜひお立場の中で、全力で現場を支えてください。


もちろん文部科学省あるいは他の組織・団体・個人におかれましても、日本国憲法の精神に基づき、この橘小学校の試みに対して有形無形の圧力を加えないでください。というより、憲法違反は、日本国では誰も許されません。


今回被災しなかった、日本在住のすべての市民の皆さん、それぞれの立場で、それぞれのやり方で、被災地の人々を支援しましょう。



追記 (2011/04/29)

和田秀子さんのブログについて、最初私は「役所の対応者の名前を尋ねて公表すべきだったのではないか、匿名を希望したならそのこと自身が情報になるので」と思い、Twitterでもそのように発言しましたが、もしかすると新聞やテレビでない個人ライターの和田さんが(おそらくは)丁寧に聞いてくださったからこそ、上記の「自粛」の実態が明らかになったのかもしれません。

調査・取材・報道の多様性が守られてこそ、事実は次第に明らかになるのだと思わされます。

せめて私たちとしては、自分たちの情報源を可能なかぎり多元化し(外国語が読める人は外国語メディアを積極的に読み)、民主主義社会を実現したいと思います。民主主義が徹底していないと、弱者となった人は、無視され、悲惨な目にあわざるをえないからです。



追記2 (2011/04/29)

今、和田秀子さんのtweetを確認しました。


@yosukeyanase ありがとうございます。お話をお聞きした職員さんのお名前はおうかがいしましたが、ブログで公表する必要はないと判断しました。個人の糾弾ではなく、みんなで良くしていこうという趣旨で書きたいと思っています。今後ともよろしくお願い致します。
http://twitter.com/#!/hideinu/status/63775244971810816


まったくその通りかと思います。和田さんの賢慮に敬意を表すると共に、私の不明を恥じます。少しずつ自らの間違いから学んでゆこうと思います。同時に、自分の間違いはできるだけ知らせ、お互いから学びあえる文化形成につとめたいと思います。



追記 3(2011/04/29)

この件について、ある文部科学省官僚の方(ただし震災担当ではない)がつぶやきましたので、その方のアカウント(@kouro16)をTogetterの「検索」「ユーザー」の条件で入力してTweets集を作成しました。

Tweetの開始はこの方がこの件について発言するに契機となった9:45のものです。この方の実際のtweetは11:47になっています。

私はこの11:47tweetにRTで気づいてから看過できないと思い、この方に対してTwitterで語りかけはじめました。

応答Tweetsの終了は私がこの方との応答を終えた14:19です。その間に上記の方法で入手したtweetsはすべて掲載しています。(以下のTogetterの説明文には誤字もありますし、日本語もぎこちないものになっています。お恥ずかしい)。



郡山市橘小学校放射線量測定データHP中止に関するTweets(2011/04/29 9:45-14:19)

http://togetter.com/li/129475




***






必要物資・支援要求マップ 311HELP.com







2011年4月28日木曜日

文部科学省はどんな権限や見識で郡山市橘小学校の放射線量測定を中止させたのか? 今こそ日本国憲法に立ち返ろう。





郡山市の橘小学校は放射線測定を行い、それを地域住民および日本中・世界中に公表していましたが、下記に見られるように、文部科学省はその測定値の公表を禁止しました。



橘小放射線測定値報告の中断のお知らせ

先日来、本校独自で実施した校舎内及び校庭等の放射線測定値をホームページに掲載してまいりましたが、インターネット等での測定値の発表は、文部科学省や県など公的な機関が測定したものに限るとのことから、今週からホームページへの掲載は中断することとなりました。なお、学校独自の調査はこれまでどおり継続し、数値の推移等については、学校便り等で保護者の皆様にお知らせしてまいりますので、ご理解いただきますようにお願いいたします。

http://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=0710015&frame=weblog&type=1&column_id=297026&category_id=8032



理屈はいくらでも立てられるでしょう。曰く「小学校は公的な調査機関ではない」、「流言飛語につながりかねない」などなど・・・

しかし、自らの生命がかかっている地域の小学校教員は彼・彼女なりにきちんと定期的な測定をしているはずです。仮にその測定に系統的なバイアスがかかっているとしても(例えば測定器が過剰に反応する・しない傾向がある、など)、ある地点からのデータが定期的に出ていれば、それはきっと何らかの役に立つはずです。データがさまざまな所で測定され、公衆がそれを比較検討することにより、冷静な対応ができるはずです。

それなのになぜ公開を禁止するのでしょう?そもそも禁止命令の法的根拠は何でしょう。

そういうとおそらく「いや、これは命令ではなく、お願いで・・・」などと言いくるめようとするでしょう。役人はしばしば自分たちの圧力を知りながら、それに気づかぬふりをして、しゃあしゃあと言葉を連ねます。(私は最近、「法匪」という普段はほとんど使わない漢語が何度も頭に浮かびます)。


NHKは高木文部科学大臣が、「大事なのは継続的に放射線量の測定をしっかりやることだ。学校の先生に線量計を持ってもらい、安全性の確保を心していくことが重要だ」と述べ、冷静な対応を呼びかけたことを報道しています。


高木文部科学大臣は、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、福島県郡山市の小学校などで校庭などの表面の土を取り除く作業を行うことについて、「土や砂を入れ替えなくても屋外活動ができる」と述べ、冷静な対応を呼びかけました。

福島第一原発の事故を受けて、福島県内の一部の学校で屋外での活動を取りやめているなか、郡山市では、これまでの調査で放射線量が比較的高かった小中学校と保育所の合わせて28か所で、校庭などの表面の土を取り除く作業を行うことにしています。これについて、高木文部科学大臣は閣議のあとの記者会見で、「郡山市の独自の判断だが、土や砂を入れ替えなくても、政府が目安として示した1時間当たり3.8マイクロシーベルト未満の放射線量なら通常の屋外活動ができる。3.8を若干超えても、1日1時間に収めれば屋外活動ができる」と述べました。そのうえで、高木大臣は「大事なのは継続的に放射線量の測定をしっかりやることだ。学校の先生に線量計を持ってもらい、安全性の確保を心していくことが重要だ」と述べ、冷静な対応を呼びかけました
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110428/k10015612671000.html
(ただし太字強調は私によるものです)



私は私なりに行動をしようと考え、いろいろtweetしていますが、その中でも以下のように、@マークを使ったツイートをしています。


#Japan Gov @mextjapan bans publication of radiation dose data measured by a public school in #Fukushima http://goo.gl/aOUPL >> @nytimes
http://twitter.com/#!/yosukeyanase/status/63492618427969536


たとえ専門家でなくとも自らの生命がかかった状況で郡山市教員が測定する放射線量データをなぜ@mextjapan は公開禁止処分にするのですか?その指示の法的根拠はなんですか?@nobuogohara さんはこの件をどうお考えですか? #Fukushima #shirukenri
http://twitter.com/#!/yosukeyanase/status/63493956465475584


高木大臣@mextjapan「大事なのは継続的に放射線量の測定をやること。学校の先生に線量計を持ってもらい、安全性の確保を心していくことが重要」(#NHK )-それではなぜ郡山市橘小学校のデータ公開を中止させているのですか?多元的なデータ公開が冷静な対応につながるのでは?
http://twitter.com/#!/yosukeyanase/status/63509271379316736



私は別に煽動をしているのではありません。民主主義国家日本の主権者の一人として民主主義の実現を試みています。



以下に、日本国憲法の一部を抜粋します(太字による強調は私によるものです。)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html


第二十五条  

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

○2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


今、橘小学校の教師も含め福島の人々は、この「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を求め、さまざまな活動を行おうとしています。


活動の一つとして、インターネットによる情報共有があります。表現の自由に関しては、憲法はこう定めています。


第二十一条  

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する

○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない


文科省の今回の命令・指示、あるいはそれらの形を取らない圧力は憲法二十一条には反しないでしょうか。もちろんのことながら憲法に反する命令などは出せません。


第九十八条  

この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない

○2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。



憲法遵守は、「諸事情」などで歪められてはならないことです。基本的人権は人類の財産であり、官僚や政治家などが自らの保身や立場弁明のために損ねるものであってはなりません。


第九十七条  

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。



日本国民は、第二次大戦が引き起こした惨禍 ―その中には日本政府が日本国民自身にもたらしたものも含まれます― の反省のもとに憲法を守り続けました。

前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ
 

私たちは、福島県民のためにも、日本国の名誉のためにも、国際社会の信義のためにも、今、あたふたしている政治家や官僚、そして東電幹部などに憲法を守らせなければなりません。

もちろん、誰にも正解がわからない状況で右往左往している政治家や官僚そして東電幹部の苦しさもわからないわけではありません。しかし、その苦しさは公務を高いレベルで担う者の責務です。そして日本国民は、今この苦しい時にこそ憲法遵守を徹底する義務があります。


第十二条  

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ



この記事は、橘小学校の放射線量データ公表に関する話題から始まりましたが、他の件に関しても、憲法遵守、基本的人権の尊重は徹底しなければなりません。こればかりは教条的と言われようと、主張します。憲法こそは国を国として成立させているものであり、憲法遵守が国内外の市民の日本国への信頼の源泉になっています。

国民が憲法に定める自由と権利を保持するための、不断の努力を怠り、政治家や官僚、あるいは東電幹部などが「仕方ない」「他に方法がない」と言って憲法に違反することあるいは憲法の精神を軽視することを許してしまえば、その時こそ日本国が滅びる時です。まずは魂において。魂を損なわれた国が、政治的にも、社会的にも、経済的にも凋落するのは自明の理でしょう。日本を守るために、私たちは今こそお互いに言うべきことを言って、互いに叱咤激励しながらこの国難を乗り切るべきです。












東日本大震災:被災地への義援金の主な受け付窓口(毎日新聞によるまとめ)



必要物資・支援要求マップ 311HELP.com

いかに政府が福島第一の現場に対して愚かな指示を出しているか

4月27日青山繁晴【ニュースDEでズバリ!福島原発現地取材】





【ニコニコ動画】4月27日青山繁晴【ニュースDEでズバリ!福島原発現地取材】




青山繁晴氏は本当に良心的に取材をし、勇気をもって報道しています。心からの敬意を表します。

福島第一の最前線(緊急時対策本部)で指揮を取る吉田昌郎所長が、どれだけ現場の状況を把握し、現場で復旧作業に従事する作業員の信頼を得ながら、粉骨砕身しているかは『週刊現代5/7日・14日合併号』でも報道されていますが(ぜひオンライン登録をするか、実物を買ってください!)、この番組でも現場の様子がきちんと報道されています。

その中で、吉田所長の



「今回の事故は初期対応次第では小さくできたはず」



「東電・政府は現場を見ないであれこれ指示を出さないでほしい」



という貴重な意見が表明されています。現場の責任者として、自らの社会的生命をかけて訴えています。


社会的生命を通り越して、文字通り生身の生命をかけて、原発事故対応をしている人々の最高責任者 ―現場の信頼を一心に受けている人― の声です。落ち着いて、誠実に、現場の人間として伝えるべきことを吉田昌郎所長が語り、それを青山繁晴氏ができるだけ公正に伝えています。

福島第一原発現場の声を伝えているのは一部の良心的な報道だけです。

多くのメディアは、自らの被曝を恐れて現場にも行かずにあれこれ言っているだけです。そして東電・政府の声ばかりを伝えます。


現場を知らない人間が、現場に行こうともしないまま、自分の保身ばかり考え、現場に無理難題を押し付け、現場の人間を疲労困憊させ、問題を余計に悪化させてしまうということは、日本文化ではしばしば繰り返されています。

それが今回のこの重大事故でも繰り返されています。

例えば、放射性物質に汚染された水を海に流したことを国際世論で叩かれた後、政府は安全な水まで海に流すことを現場に禁止させています。現場の吉田所長がそれに抗議すると、政府は「法律では云々」と保身の理屈ばかり並べているそうです。


非常時のリーダーシップとは


1 あいまいな状況下においてもタイムリーに決断を下して行動する、

2 目的を明確に部下に伝達。ただし、どうやるかの実践は現場の判断にまかせる、

3 第一に任務の遂行。次いで、隊員全員を無事に帰還させる。自分のことは一番最後。

危機の際のリーダーシップ、そして現場と本部


です。


最前線の現場の吉田昌郎所長は、『週刊現代5月7日・14日号』や上記のテレビ報道が伝える通り、このようなリーダーシップで果敢に問題解決を試みています。


しかし、それを現場を知らない、東京にいる東電幹部や政府首脳が邪魔をしています。権限上は吉田所長より上にあることをいいことに、机の上で考えただけの思いつきで現場を混乱させています。

私は現場の人間を常々尊敬してきました。現場で汗を流す人間こそが、現場の知恵をもっているからです。「公正無私」ともいえる現場の人間を私は多く知っています。それに対して「公正無私」な「偉い人」はほとんど知りません。

「現場」という言葉を私はいつも誇りをもって使っています。「現場」という言葉に蔑称的な含意を込めて人間を私は嫌い軽蔑しています。

特にこのように誰も経験したことがない困難時には現場の知恵と勇気が必要です。現場にいない人間がやるべきことは現場の人間を最大限に支援することです。


福島第一だけでなく、福島の学校、被災地の避難所など、さまざまな「現場」で苦闘する方々がいます。

まずは「現場」の声に耳を傾けましょう。今回被災を免れた人間にもそのくらいはできるはずです。


福島第一原発の復旧は予断を許しません。収拾に失敗したら、日本国だけでなく、国際的にでも大問題になります。


ここは、原発現場で働き、実際の状況を最もよく知る人間を最大限で支援しなければなりません。

この報道をした青山氏は、この報道をすることによって


現場を大切にする国に戻りたい


と言っています。まったくその通りです。

25分間の番組動画ですが、きっと削除要請が来るでしょう。「法律では云々」と保身の理屈を並べることばかりに人生を費やしてきた人々の口達者は相当なものです。


だからその前に見てください。可能ならば自分でダウンロードしてください。そして何よりも、この現場の声を記憶に残してください。

あなたの心の中までは、どんな権力者も介入できません。すくなくとも直接的には。






追記(2011/04/28)

本日(4/28)の正午から、岩手・宮城・福島・茨城のラジオ7局の放送が、インターネットでどこからでも聞けるようになります。




当プロジェクトは風評被害からの回避の一助となるよう、地域密着度の高いラジオ情報を通して、被災地区の現状を日本全国へ正確に届けること、かつ、ふるさとから避難されている方々に、ふるさとの様子を伝えること、それこそが今、当社のできる支援と考えてのことです。

http://radiko.jp/newsrelease/pdf/20110427_001_pressrelease.pdf


というのが目的だそうです。radiko_jpさんに感謝!



必要物資・支援要求マップ 311HELP.com







福島の子どもと教師のために、今、県外の教師ができること ― 政府の放射線量基準は「最も厳しい(安全寄りの)数値」なのかそれとも最も甘い(危険な)数値なのか

■今、福島の教師のことを考える

今、福島の教師、特に第一原発に近い地域の教師は大変な毎日を送っていると思います。子どもも保護者も放射能に怯えているでしょう。なかには怯えを否定する人もいるかもしれませんが、それが心底からの安心から来ているのか、それとも不安を直視してしまうとどうしようもないから思考停止しているのかは、よくわかりません。そんな中、福島の教師は毎日の授業を行っています。

「避難指令がでない限り大丈夫だから、安心してね」と心から言えればいいでしょうけど、そんな教師ばかりではないでしょう。かといって「政府は信じられません。今からみんなで県外脱出しましょう」などとはとても言えません。教師自身迷いながらも、子どもの前では毅然とした態度を保たなければなりません。



■少しだけ「現代国語」の問題にお付き合い下さい。

今、福島県外の教師は、そんな福島の教師のために何ができるのでしょう。

それを考えるために、ここで少しだけ次の「問題」を解いていただけませんでしょうか。問題文は首相官邸ホームページからです。




国際放射線防護委員会(ICRP)は、放射線から人や環境を守る仕組みを、専門家の立場で勧告する国際学術組織です。ICRPは、人が受ける放射線(被ばく)を、1.計画的に管理できる平常時(計画被ばく状況)/2.事故や核テロなどの非常事態(緊急時被ばく状況)/3.事故後の回復や復旧の時期等(現存被ばく状況)---の3つの状況に分けて、防護の基準を定めています。

(中略)

万一事故や核テロにより大量の放射性物質が環境に漏れるような非常事態が起こった場合には、緊急時被ばく状況として、《重大な身体的障害を防ぐ》ことに主眼をおいて対応します。

このため、上記の線量限度は適用せず、一般人の場合で年間20~100ミリシーベルトの間に目安線量(参考レベル)を定め、それ以下に被ばくを抑えるように防護活動を実施します(*4)。

(中略)

その後、回復・復旧の時期に入ると、住民の防護目安は、緊急時の目安線量よりは低く平常時の線量限度よりは高い、年間1~20 ミリシーベルトの間に設定することもあります。

(中略)

*4. 今回の福島での事故に当たり、日本の原子力安全委員会は、このICRPの定める緊急時被ばく状況の国際的な目安の中から、最も厳しい(安全寄りの)数値=年間20ミリシーベルトを基準に選び、政府はそれに従って避難等の対策を決定した。

http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g5.html
※上の太字強調部分は、原文では下線で強調されているものです。



つまり、首相官邸(注1)は、現在の福島は「事故や核テロなどの非常事態」であると考えているわけです。ですから、政府(原子力安全委員会)が定めた20ミリシーベルトは「最も厳しい(安全寄りの)数値」なわけです。20~100ミリシーベルトの範囲のうち、一番安全な数値を福島の子どもを含んだ人々のために選んでくれたわけです。


しかし、もしあなたが、現在の福島は「事故や核テロなどの非常事態」というより「事故後の回復や復旧の時期等」と考えるなら全く異なる結論に到達します。「事故後の回復や復旧の時期等」の放射線量は年間1~20 ミリシーベルトの間に設定することが国際放射線防護委員会(ICRP)の基準だからです。

つまりもし今、福島が「事故後の回復や復旧の時期等」にあるとすれば、政府(原子力安全委員会)は、年間1~20 ミリシーベルトの中で「最も甘い(危険な)数値」である20ミリシーベルトを福島の人々のために基準設定していることになります。

福島の人々の中に被曝の影響を受けやすい子どもがいることは言うまでもないことです。

さあ、考えてみてください。



今の福島は(今は2011/04/28になったばかりです)、
「事故や核テロなどの非常事態」にあるのですか、
それとも「事故後の回復や復旧の時期等」のですか?





■福島の教師の代わりにあなたが声をあげてください

専門家には専門家の解釈があるのでしょう。しかしこれは国民の生命にかかわる問題です。それに、「事故や核テロなどの非常事態」や「事故後の回復や復旧の時期等」といった言葉が、一般市民の解釈を許さない厳密に科学的に定義された専門用語だとも思えません。市民は、今の福島がどちらの状態にあるかの意見を表明する権利はあるでしょう。

しかし、今、福島で子どもを預かる教師は、少なくとも子どもの前では、これに関して率直に意見を表明することができません。

それなら県外のあなたが声をあげてくれませんか?

声を上げれば、いくら政府(原子力安全委員会)が上のような見解をもっていても、郡山市のように独自の行動を起こすこともできます(注2)(注3)。いや、政府の見解すらひっくりかえすことも可能なはずです(ご存知でした、日本は民主主義国家で、主権は国民に由来し、その責任も国民に帰趨するということを)。


もしあなたが今の福島は「事故や核テロなどの非常事態」にあるのだと考えるなら、福島の子どもたちや教師に「大丈夫だ。政府を信じて、今を乗り切ろう」と励ましてください。

しかしもしあなたが今の福島は「事故後の回復や復旧の時期等」にあるのだとしたら行動を起こしてください。



■行動、でもどんな行動?


行動の方法に関しては、昔から脱原発であった河野太郎氏が、政治家としての自分自身の経験を踏まえて、こう助言しています。


デモやファックスもいいけど、
あなたの地域の国会議員に電話してください。
一番いいのは議員事務所を訪問することです。



河野太郎氏の言葉を読んでください。河野氏は、事故の賠償金を国民の電力料金を引き上げてまかなうという、政府の東京電力救済案について反対する方法を書いていますが、この方法は放射線量でも何でも使えます。


地元の国会議員に皆さんの意見をきちんと伝えてください。

どうやって?

あなたは、あなたの選挙区で選出された国会議員がだれか知っていますか。知らなければ調べましょう。衆議院議員と参議院議員がいるはずです。

誰かわかったら、その議員のホームページで、事務所がどこにあるかを調べてください。場所がわかったら、訪ねていきましょう。遠慮することはありません。そのための事務所です。

今、通常国会が開かれていますから、国会議員は平日は国会にいることが多いので、地元の事務所に行くならば、平日なら月曜日か金曜日が狙い目です。

議員がいなくともかまいません。地元の秘書さんにしっかりと、救済されるべきは被災者であって東電ではない。東電が支払うべき賠償金を全国の国民の電力料金を引き上げて、国民に負担させるのは筋違いであると指摘して、現在報道されている政府の案に、議員がはっきりと反対の声を上げることを求めてください。そして、このことを議員に伝えるだけでなく、この件に関する議員の考えをこちらに伝えてほしいとお願いしてください。

具体的に議員がどう動いてくれるのか、それも教えていただきましょう。

事務所が遠かったりして、訪ねて行きにくいならば、電話をしましょう。電話に出てくれた相手の名前をうかがって、同じことを伝えましょう。電話ならば、一週間後にかけ直すので、それまでに議員の考えを聞いておいてくださいとお願いしましょう。

メールやFAXもありますが、やはり、訪問したり電話をしたりしたほうが、皆さんの考えをしっかりと伝えることができます。

よく、署名活動はどうでしょうかと聞かれます。集めた署名をどうするのでしょうか。

国会への請願という手段もありますが、個々の議員には請願は伝わりません。しかもたいていの場合、委員会で保留ということにされて、文字通りお蔵入りです。努力の割に効果がありません。

デモはどうでしょうか。こういう活動をこれから始めるぞという勢いづけにはいいかもしれません。もし百万人が集まって、東電を救済するな、被災者を助けろとデモができれば、意味があると思います。

五十万人ならば? たぶん。十万人ならば? たぶん。どこでやるのが効果的か考えましょう。

しかし、やっぱり効果的なのは、国会議員それぞれに、大勢の皆さんがきちんとそれぞれのおもいを伝えることです。

リビアと違って、政府軍が銃撃してくることはありません。北朝鮮みたいにそのままどこかに連れて行かれて行方不明になることもありません。

声を上げますか、それとも泣き寝入りですか。

http://www.taro.org/2011/04/post-987.php




■Twitterでデモができます。

「いや、私は昼間は仕事で、そんな時間は取れない」とおっしゃるなら、Twitterを使ってください。誰でも無料で簡単にアカウントを作れます。Twitterで路上のデモより俊敏なデモがウェブ上でできます。

「自分の身元が知れるのが怖い」とお考えなら ―ちなみに福島の人々はもっと怖い思いをしていると思いますが、それはさておき― 匿名の(別)アカウントを作ってください。

そして大切なのは、Twitterでは「つぶやく」ことなんてしないこと。鳥のようにtweetしてください。つまり鳥が他の鳥に向かって大空でさえずるように、他人に向けて語ってください。一人でつぶやいて愚痴っても仕方がない。

@マークを使ってください。Twitterのアカウントは@につづく一連のアルファベット記号で表されます。この問題の当事者の@マーク(Twitterアカウント)をつけて語ってください。そうすればまず必ずその当事者は読みます。首相官邸(@Kantei_Saigai)でもよし、文部科学省(@mextjapan )でもよし、国会議員でもよし、とにかく影響力のありそうな組織・個人に直接@マークをつけてtweetしてください。あなたの声を直接届けてください。

くわえて# (ハッシュタグ)も有効利用してください。前の文字から半角だけスペースを空けて(全角スペースでは駄目)、#以下に一連のアルファベット記号をつければ、検索がとても簡単になります。例えば#genpatsuとすれば、あなたのTwitter画面ではその文字が青くなります。そこをクリックするだけで、同じハッシュタグ(つまりは同じ興味関心をもった人)のtweetを見ることが出来ます。

よいハッシュタグを見つけるには、Twitterの上の検索窓に適当な検索語(あるいは@マークのTwitterアカウントから@マークを除いたアルファベット記号)を入れて検索してください。たくさんのtweetsが見られます。その中にはきっとよさそうなハッシュタグがあるはずですから、それを有効活用してください。

そしてよさそうなtweetは積極的にretweet (RT)してください。下にある記号をクリックすればそのままRTされます(「公式リツイート」と呼ばれています)。あるいはそのtweet本文をそのままコピーし、その本文の前にその人の@マークのTwitterアカウントをつけてtweetしてください。そうすれば公式リツイートと違って、あなたのアイコンがついて明確にあなたという人格がその意見に賛同していることを示すことができます。

「そんなに発言やRTなどをしたら、友達の前で格好悪いし、僕のフォロアーが減るかもしれない」というなら ―福島には福島の、福島県外には福島県外の悩みがあるものです― 先程も言いましたが、ぜひ匿名別アカウントを作ってそこで活動してください。ハッシュタグやRTであなたの仲間は増えるはずです。

いや、仲間がいようがいまいが、味方が増えようが敵が増えようが、あなたが正しいと思うことを行ってください。


今発言したくてもできない福島の教師のために。

福島の子どものために。

そして、あなた自身の魂のために。





(注1) この文章は、(社)日本アイソトープ協会 常務理事の佐々木康人氏(前 放射線医学総合研究所 理事長)によって書かれたものですが、この重大な局面で首相官邸ホームページに掲載されたものですから、この文章は首相官邸(および原子力委員会)の見解を表すものと考えていいでしょう。


(注2)

郡山市は以下のような独自の行動を起こしました。


郡山市の小中など28ヵ所 校庭表土を近く除去

 福島県郡山市は25日、福島第1原発事故で市内の小中学校の校庭と保育所の庭から比較的高い放射線量が測定されたとして、一部の学校、保育所の庭の表土を除去すると発表した。国の基準で屋外活動を制限された市内の教育機関は小学校1校にとどまるが、保護者の不安に配慮して市独自で除去を決めた。福島県で初の取り組みになる。
 対象は小学校9校と中学校6校、保育所13カ所。小中学校の計15校は今月上旬に県が実施した測定で、地上1センチ付近の放射線量が毎時3.8マイクロシーベルト以上だった。保育所は条件を厳しく設定して毎時3.0マイクロシーベルト以上だった施設を対象とした。私立学校や民間の幼稚園、保育園も要望があれば対象に加える。
 除去は重機や手作業で校庭の表土1~2センチをはぎ取る。取り除いた土は市の埋め立て処分場に運搬し、処理する。数日中に作業を始め、5月中旬までに終える。当面の費用は約5000万円。民間の学校を含めて1億円程度を見込んでいる。
 栗山邦城副市長は「放射線量が屋外活動を制限された学校と数値が近い学校があり、保護者が不安に思っている。表土除去によって放射線量を9割取り除けると聞いている」と話した。
 文部科学省は19日、教育機関の屋外活動について、年間の積算放射線量20ミリシーベルトを目安に基準値を算定し、それを上回った県内13校の活動を制限した。その後の再調査で基準を下回った4校の制限を22日に解除している。

河北新報
2011年04月26日火曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110426t61015.htm



(注3)
しかし、(注2)のような処置をとっても、以下のような問題も生じます。いかに原発事故が、複合的で手に負えない問題を生み出すかを示しています。


校庭表土除去の処分予定地、住民から不満相次ぐ

福島県郡山市は27日、福島第一原発事故で放射線量の数値が高かった小中学校の校庭などから除去した表土の処分予定地の住民に対し、緊急説明会を開いた。

 市内にある予定地の住民からは「事前に説明がなかった」などと不満の声が相次いだ。

 約100人の住民に対し、市幹部は「子供たちが安心して屋外活動を行えるようにするため」などと理由を説明。住民からは「住民の同意を得ていない」「子供はここにもいる」「ここは原発処理場ではない」などと反発の声が出た。市側は「単なる土と考え、事後説明になって申し訳ない」と謝罪し、説明会を再度開く考えを示した。

(2011年4月27日22時37分 読売新聞)






追記 2011/04/28

このブログを書いた後、Twitterで以下のブログを知りました。最初の部分だけ引用します。あとはせめてご自分で下のURLをクリックしてください。


私たち教員は、立場上、大きな声で「子どもを学校に通わせるな」とか「校庭を使わせるな」ということは言えません。なぜなら、国が「年間20ミリシーベルトまでなら子どもが被爆しても大丈夫」と公言してしまったからです。長崎大学や広島大学の教授までもが「外で遊んでも大丈夫」という声明を出していて、そういった資料が私たち教員にも配布されているので、それに基づいて動かなくてはならないのです。でも、校庭の植え込みやや水たまりなどでは、かなり高い数値の放射線量が計測されています。とても、「安全です」と言える状況ではないのです。本当は、「この地を離れて!」と子どもたちに言いたい。でも、公に言うことはできません。せめて新学期の再開を遅らせてくれれば……と願っていたのですが、それもかないませんでした。なんとかしたいけど、何もできない――。教員たちの多くは、罪悪感を抱えながら子どもたちと接しているのです。

http://newenergy-hideinu.blogspot.com/2011/04/twitter.html?spref=tw





必要物資・支援要求マップ 311HELP.com







2011年4月26日火曜日

発音・文法ともに問題のない英語で語る日本の官僚。しかし、記者会見場に外国人記者は一人もいない。

絶句としか言いようがありません。

もともと退屈な説明と、木で鼻をくくったような答弁しないから、外国人記者が少なかった政府による英語記者会見ですが、ついに4月25日の会見では、一人の外国人記者も来ませんでした。

それでもひな壇にいる日本の「偉い人」は流暢な英語で、誰もいない会場に向かって30分近くしゃべり続けます。(さすがに日本語での説明の英語通訳はありませんでした)。

動画を見ていて、信じられない気持ちになりますが、さらに驚くべきは、説明が終わったあと、ひな壇の司会役が「何か質問はありませんか?なければこれで終ります。ご参加に感謝します」と英語で言っていること。


絶句。


外国で怪我をして病院に行った日本人が、医者に "How are you?"と言われ、"Fine thank you, and you?"と答えたというジョークは有名ですが、誰も来ていない記者会見会場で30分近く語り続け、最後に質問を求めて、参加への感謝を述べたというのは、ジョークでなく、実話です。



日本の「偉い人」って凄いなぁ。

オイラだったら、一人も記者がいないなら会見は始めずに、終了時刻まで記者が来るのを待ち、来なかったら退場するだけだけれど、日本の「偉い人」はそんな判断もしないんだね。(えっ、できないの?)



日本の「偉い人」バンザイ!

いいぞ、日本の英語教育!

これこそ「英語が使える日本人」だ!




英語教育が技術的・技能的側面ばかりに偏っていては駄目だということが、わかっていただけましたか?

記事は、


東電原発事故外国人記者向け会見が無視された日
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/315503175e1a2f428505f4b79c71054c


動画は、



にあります。試聴にはニコニコ動画への(無料)登録が必要ですが、ぜひ見てください。日本の教育関係者は必見です!


※どなたかこのニコニコ動画をYouTubeに上げていただけませんか?日本の事実としてこの記録を残しておきたいです。



追記 2011/06/11

毎日新聞 2011年6月7日 東京夕刊の「特集ワイド:外国人特派員の見た原発事故 冷静な国民、迷走の国会」に以下の一節が掲載されました。


 一時は「誰もいない記者席に向かっての発表」と揶揄(やゆ)された保安院の外国人記者向け会見。その「不人気」のワケを、この日の会見に姿を見せなかった米国人記者に聞いた。「理由は大きく三つある」と言う。

 まず、ここ数年、東京の取材拠点を閉鎖する海外メディアが相次ぎ、特派員が減ったこと。メディア業界の経費削減に加え、「ジャパン・パッシング(日本素通り)と、経済成長を続ける中国に東アジア報道の重点を移す傾向がある」と指摘する。

 さらに、大手海外メディアには日本人記者を抱える社が多く、首相官邸や保安院が開く通常の会見に記者を出していることもある。そして最後の一つは「肝心なことは決して話さない保安院、東電の会見に出ても無意味だから」。彼は語気を強めて言った。「ミスター・ニシヤマ(西山審議官)は極めて有能で誠実な官僚。同時に、日本の官僚主義の弊害の象徴そのものだ」
 
http://mainichi.jp/select/weathernews/archive/news/2011/06/07/20110607dde012040007000c.html










2011年4月23日土曜日

日本再生は「現場」の人間がやる。日本の「偉い人」をこれ以上のさばらせない。(その2:「原子力ムラ」と日本の大手マスメディア)


※この記事はその1の続きです。





■「原子力ムラ」の「偉い人」たちは狡猾で傲岸で無能


4月21日の毎日新聞は日野行介記者の「記者の目:「原子力ムラ」の閉鎖的体質」という記事を掲載しました(署名入り記事が多いのが毎日新聞の特徴です)。

日野記者はこう書きます。


東京電力福島第1原発の事故の取材応援で、東電や経済産業省原子力安全・保安院、内閣府原子力安全委員会の記者会見に何度も出席した。そこで強く疑問に感じたのは、「想定外の事態」や「未曽有の天災」という決まり文句を盾に、決して非を認めようとしない専門家たちの無反省ぶりだ。これまで不都合な警告や批判を封じ込め、「安全」を自明のものとして押し付けてきた業界の独善的体質が今回の事故の背景にあると思える。

「大変なご心配をおかけして申し訳ありません」。東電の記者会見は必ずと言っていいほど謝罪の言葉が出る。だが、「多重防護」を誇ってきたはずの原発の安全性自体に疑問が及ぶと、会見する幹部の態度は途端に硬くなる。言葉は丁寧だが、非は決して認めず、自分たちの言い分だけを強調する。都合の悪い質問には、記者をにらみつけながら木で鼻をくくったような対応をする幹部もいる。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20110421k0000m070156000c.html


「原子力ムラ」の「偉い人」たちは、生粋の電力会社員だけでなく、経済産業省や資源エネルギー庁からの天下り官僚、電力会社の役員クラスから「個人献金」をもらっている特定政党、電力会社出身者や電力系労働組合出身者の政治家、就職や寄付で産業界と癒着する学者などから構成されます。(“原子力ムラ”の奇怪な構図 ―ちなみにこの記事は「ガジェット通信」の「政治経済ニュース」が、政策工房発行「政策工房ニューズレター」からの転載許可を得て掲載したものです。もともとコンピュータゲームが中心のこの「ガジェット通信」ですが、大手マスメディアが扱わないような情報を提供してくれることは私も今回の原発人災で初めて知ったことでした。

大手マスメディアと言えば、諸説あれど、「原子力ムラ」が大手マスメディアに有形無形の圧力をかけていることは否定できない事実というべきでしょう。(その意味で大手マスメディアも「原子力ムラ」の一員というべきでしょう)

少なくとも原発会社は個々人の執筆者や有名人などには驚くべき高額の金額を出して、原発推進記事を書かせています。ライターの玉木正之氏は自身のブログ中の日記2010年3月12日分で、インタビュー記事一回で500万円のギャラを提示されたが、玉木氏が言いたいこと(「原発は基本的に作らない方がいい」)で折り合いがつかず、ボツになったことを述べています。また、イラストレーターのみうらじゅん氏は「ニコニコニュース2011年4月23日分」(これも周縁的メディアです!)で東電の仕事のギャラは500万円よりも「もっと上でした」と語っています。

この「プルト君」のアニメも高額のギャラで作られたのかもしれません(このアニメ作者はいまどんな気持ちで毎日を過ごしているのでしょうか)。




東京新聞4月16日は、今回の東京電力福島第1原発事故で、原子力安全委員会(班目春樹委員長)が、原発事故に対処する国の防災基本計画で定められた「緊急技術助言組織(委員計45人)」の専門家の現地派遣をしていないことを伝えています(リンクは現時点では切れています)。

毎日新聞4月19日は、原子力安全基盤機構が昨秋公表したシミュレーションによると、電源を喪失し、冷却機能を失った原子炉は、わずか1時間40分ほどで核燃料が溶け出す炉心溶融を起こすなど、短時間で危機的状況に陥ることが指摘されていたにもかかわらず、国や電力会社は対策を怠っていたことを指摘しています。

こうなると「原子力ムラ」の偉い人は、規則で決まっていることやシミュレーションでわかっていることに対してすらも自分たちの「主観的願望」から離れて対応することができないと結論したくなります。





■大手マスメディアは本当に大切なことは伝えない?

そんな「原子力ムラ」の「偉い人」たちが、今回の原発事故以降、菅総理を本部長、海江田経済産業大臣を副本部長として会議をしているのが「福島原発事故対策統合連絡本部」ですが、この懐疑の議事録は、東電勝俣会長が会見で、こういった会議の議事録の公開についてきかれ、「検討する」と返事したものの、その後枝野官房長官はその件について「議事録は作成していない」と返答し、公開は見送りとなったこと、さらには公開された会議の動画映像には、海江田大臣の冒頭挨拶しか音声が録音されておらず、他の部分は一切無音であることを「ガジェット通信」の4月19日記事「「議事録がない」「動画も音声カット」原子力事故対策本部会議を可視化するための5つの方法」は伝えています。

同記事は最後にこう書きます。


前置きが長くなりすぎてしまいましたが、「政府東電対策本部」の様子を伝える動画です。副本部長の海江田万里経済産業相が挨拶をおこなっている様子(挨拶のみ音声あり)、勝俣恒久東電会長、清水正孝東電社長、細野豪志首相補佐官などの顔ぶれが並び、資料などをプロジェクターでうつしながらなにやら打ち合わせのようなことをしています。音声がないので何を言ってるのかはさっぱりわかりませんが。一刻も早く透明化して欲しいものです。
http://getnews.jp/archives/111736


(以下がその画像です)




この文章を書いているのは4月23日の22時ですが、この時点で"福島原発事故対策統合連絡本部"でグーグル検索(News)をかけて出てくるニュースのうちこの映像に関することを扱ったのは、(私が調べる限り)毎日新聞の4月18日の記事だけです。日本の新聞はすぐにホームページから記事を削除するため、ここではその短い記事を全文掲載します。読み方によってはちょっと恐ろしく思えるからです。


福島第1原発:対策本部の映像公開 東電


 東京電力は18日、今月15日に東京・内幸町の本店で開いた政府との「福島原発事故対策統合連絡本部」会合の画像と映像を公開した。

 大型画面を設置した室内で、副本部長の海江田万里経済産業相が「心を一つにしてこの難局に立ち向かっていこう、ということでよろしくお願いします」とあいさつ。細野豪志首相補佐官や東電の勝俣恒久会長、清水正孝社長らも並んで担当者の報告を聞き、メモを取ったりする姿が撮影されている。

 同本部は、炉心冷却作業が難航している福島第1原発事故への対策を一体化するため設置された。

毎日新聞 2011年4月18日 18時16分(最終更新 4月18日 18時33分)






上の記事をよく読んでください。海江田大臣があいさつしたとは書かれています。その次に出席者がメモを取ったりする姿が撮影されているとも書かれています。(どうぞ上の引用をもう一度直接読みなおしてください)。

何気なく読めば読み過ごしてしまうような記事ですが、上のガジェット通信の指摘「音声はあいさつだけで、後は無音」を受けて、上の毎日新聞の記事を読むと、不気味なぐらいにこの記事は「音声はあいさつだけで、後は無音」という状況と矛盾しない書き方で書かれています。これは毎日新聞が「この映像にはあいさつ以降の音声がありません」というメッセージを、一部の読者にだけわかる形で伝えようとしているものでしょうか・・・

私が知る限り、この会議映像について伝えた新聞は毎日新聞だけです(会議そのものについての記事はたくさんありますが、映像については毎日新聞だけです)。毎日新聞は、東京新聞と共に、今回の原発人災について良く報道していると私は思っていますが、その毎日新聞でさえ、ひょっとしたら、昔のソ連のメディアみたいに、まわりまわったような間接的な言い方でしか、本当に大切なことは知らせられないのでしょうか。

記者クラブ」は、ウォルフレン氏が『日本 権力構造の謎』などで問題を指摘していましたし、今では上杉隆氏が『記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争』などで訴えている通りですが、これが記者クラブの実態でしょうか。つまり記者クラブの大手マスメディアは基本的にこの福島原発事故対策統合連絡本部が公開した映像にはあいさつ以外の音声が入っていないことについては伝えないことにしており、毎日新聞だけがそれを何とか伝えようと、上の判じ物のような、あるいはソ連時代のメディアのような形で伝えていると考えるべきなのでしょうか(そしてその他には「ガジェット通信」ぐらいしかこれを伝えていないのでしょうか―「ガジェット通信」のこの記事は深水英一郎(ふかみん) という人によって書かれたものです)。

断っておきますが、私は陰謀説は好きではありません。しかし、現在日本で最も重要だと考えられる会議の無音声画像について、


(a)ガジェット通信といったメディアしか伝えていない。
(b)大手メディアは伝えていない
(c)大手メディアで例外的に伝えた毎日新聞は、深読みすればかろうじてわかる形でしか、このことを伝えていない


ことからすれば、この無音声画像については実質上の報道管制(記者クラブ合意)ができているのかなと考えてしまいます。

そういえば、前の記事冒頭の菅首相の毎日新聞記事も、よく読めば、菅首相が強行したヘリ放水は冷却効果のないものであり、米国のためのパフォーマンスにすぎなかったことがわかりますが、雑に速読すれば英雄談のようにも読めます。現在はこの記事は公開されていますから、以下に全文掲載します。速読と精読でどのように読めるか、どうぞ皆さん試してみてください。


検証・大震災:不信洗った、ヘリ放水 原発から白煙…政権「世界に見放される」

 ◇自衛隊が前面、米に覚悟示す
 
 晴れ渡る空に陸上自衛隊の大型輸送ヘリCH47が2機、巨大なバケツ(容量7・5トン)をつり下げて仙台市の陸自霞目(かすみのめ)駐屯地を飛び立ったのは、東日本大震災6日後の3月17日朝だった。東京電力福島第1原発3号機からは白煙が上がる。使用済み核燃料プールの水が沸騰した放射性水蒸気だ。海水をくんで放水し、プールを冷やす前代未聞の作戦だった。

 「炉心溶融が進行していれば、放水によって水蒸気爆発を起こすおそれもある」。菅直人首相らは「最悪のシナリオ」を危惧し、防衛省は搭乗隊員向けにできる限りの防護策をとった。放射線を極力遮断するため戦闘用防護衣の下に鉛製ベストを着込み、床部にはタングステン板を敷き詰めた。原発上空に停止せず、横切りながら放水する方式とした。

 「ヘリ放水開始」。午前9時48分、テレビ画像のテロップとともに映像は世界に生中継された。計4回(計約30トン)の放水で1回目が目標に命中したが、爆発は起きなかった。日本政府が命がけの作戦を開始した--。ニュースが伝わった東京株式市場では全面安の展開だった日経平均株価の下げ幅が緩んだ。

 「自衛隊などが原子炉冷却に全力を挙げている」。作業終了から約10分後、菅首相はオバマ米大統領に電話で伝えた。その後、米国防総省は藤崎一郎駐米大使にこう伝えた。「自衛隊の英雄的な行為に感謝する」

 翌18日、米原子力規制委員会(NRC)代表団や在日米軍幹部と、防衛、外務当局や東電など日本側関係者が防衛省でひそかに会合を持った。米側の一人はヘリ放水を称賛した。「よくやりましたね」

 相次ぐ水素爆発と放射性物質の広域拡散……。原発暴走を制御できない無力な日本という印象が世界に広がりつつあり、菅政権は「日本は見捨てられる」と危機感を強めていた。「放水はアメリカ向けだった。日本の本気度を伝えようとした」。政府高官は明かした。

    ◆

 「原発の状況が分からない」。米国のいら立ちは震災直後からあった。NRC先遣隊が12日の1号機水素爆発直後に日本に派遣されたが、複数の政府関係者によると、経済産業省原子力安全・保安院は「情報開示に慎重だった」といい、米政府は原子炉の現状を推測するしかなかった。

 14日には「トモダチ作戦」に参加していた米原子力空母ロナルド・レーガンが乗員から放射性物質が検出されたとして三陸沖を離れ、16日にはNRCのヤツコ委員長が下院公聴会で「4号機の使用済み核燃料プールには水がない」と証言。17日未明にルース駐日米大使が日本の避難指示より広範な原発から半径50マイル(約80キロ)以内の米国人に圏外避難を勧告した。一連の言動は日本への不信と強い危機感の表れと映った。

 日米がかみ合わない中、打開に動いたのは防衛省だった。15日に東電側と相談して「3号機は上空、4号機は地上から」という放水作戦を立案。水蒸気爆発を懸念した菅首相は防衛省に「地上の前にまず上空から」と指示した。隊員から戸惑いの声も漏れたが、「やるしかない」と陸自幹部は覚悟を決めた。

 16日の夜には北沢俊美防衛相と制服組トップの折木良一統合幕僚長が「放射線量の数値が高くても踏み切る」と「17日決行」を決める。「隊員の命にかかわる作戦だ」。17日朝、折木統幕長が東電から「安全」を確認すると北沢防衛相に最終的なゴーサインを告げた。

 「今日が限度と判断をした」。北沢防衛相はヘリ放水後の会見で言った。米政府は好感し、現実には冷却効果が期待できないヘリ放水は二度と行われなかった。【震災検証取材班】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110422ddm001040072000c.html


どうでしょう。丁寧に読まなければ、菅首相のヘリ放水批判はわからないようにしか書かれていないとは言えませんでしょうか(正直、皆さんのご意見がほしいところです)。


私が昨日の記事の追記3で書いたことは、これまで原発推進であった科学者や医師の有志16名が3月31日の時点で書いた「福島原発事故についての緊急建言」は、彼・彼女らが冒頭で「はじめに、原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします」と謝罪し、最後に「私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである」とするものですが、『週刊現代2011年4月18日号』はこれについて


だが、覚悟の「建言書」はメディアにも政府にも無視された格好だ。4月1日に開いた会見には、多くの記者が集まったが、取り上げたのはごく一部のメディアだけ。政府にいたっては、「建言書」の受け取りすらも拒否したという。(44ページ)


と書いています(申し添えておきますと、『週刊現代』の講談社は記者クラブには入っていません)。



私は今、たくさんの仕事を抱え、多くの予習もせねばならず、またしっかりと研究もしたい(研究のテーマは定まっています)のですが、今回の原発人災以来、ちょっと気をつけてネットで情報を得るだけで、テレビや新聞だけではわからないようなことがどんどんわかってきます。そしてそれらの多くが日本の「偉い人」達がつくった恐ろしいほど情けない日本の体制なので、なかなか仕事・勉強に集中できません。

私の上の、「福島原発事故対策統合連絡本部の公開画像には、あいさつ以外の音声が入っていないことについて、大手メディアでは毎日新聞だけが、深読みしない形でしか伝えていない」ことから、記者クラブ的な報道の談合が行われているのではないかと推論したこと」の妥当性について、どなたからでもご意見が伺えれば幸いです。



追記

たった今、Twitterで知ったニュースは朝日新聞が伝える「『排気の遅れ、水素爆発招いた』 米紙が原発事故分析」という記事です。

しかしこの記事は


23日付の米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は、福島第一原子力発電所の事故について、放射性物質の外部放出を懸念し、東京電力が格納容器内のガスの排出をためらったことで水素爆発を招いたとする分析記事を掲載した。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104230312.html


という冒頭文から最後に至るまで、「ウォール・ストリート・ジャーナルがこう言っています」という形、つまり「これは朝日新聞が言っていることではありません」とう形になっています。

昔から、日本の大手新聞は、本当に書きたいことがある時は外電を引用する形で伝える(小さな事柄なら読者の投稿の形で言わせる)と言われてきました。

別に秘密警察があるわけでもないこの日本で、もし大手マスメディアが、外電や読者投稿の形、あるいはソ連のメディアのような判じ物の形でしか、事実を国民に知らせることができないとしたなら、大手マスメディアで働く人間など、クズでカスです。日本で言うところの「偉い人」であり、狡猾で傲岸で無能です。

どうぞ私のこの主張が間違いであることを誰か示してください。そうすれば私は謝罪し、この主張を撤回し、そして私が間違っていたことを喜びます。さもなければ私はこの主張を自分の中の仮説として持ち続けます。


追記 (2011/05/05)

その後、復興構想会議の「匿名議事録」(「議事要旨」)が公開されたことを私は「ガジェット通信」を通じて知ったことをお伝えしておきます(http://getnews.jp/archives/113890)。

その「匿名議事録」(「議事要旨」)は、http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou1/youshi.pdfからダウンロードできます。






この記事はその3に続きます。






必要物資・支援要求マップ 311HELP.com






日本再生は「現場」の人間がやる。日本の「偉い人」をこれ以上のさばらせない。(その1:日本の「偉い人」)

要約

この連続エッセイでは、今回の原発人災で(またもや)明らかになった(1)日本の「偉い人」の傲慢さと無能さを指摘し、それが(2)近代日本の宿痾的課題であることを確認します。その上で(3)日本の「偉い人」のコミュニケーションの様子を実際に確認し、それと(4)日本の「現場」の人間のコミュニケーションの様子と比較します。さらに(5)このブログ本来の話題である英語教育界にもこのようなことがあることを示したうえで、(6)日本の傲慢で無能な「偉い人」をこれ以上のさばらせないために、現場の人間ができることを考えます。



1 日本の「偉い人」


■自分の主観的願望の中だけに留まり、危機的状況に対応できない

今回の東京電力原発問題は「人災」であると言われます。例えば『中央公論5月号記事』で内田樹氏は、今回しばしば使われた「想定外」という表現は、自然界の法外さではなく、責任ある人間が主観的願望でしか考え語らなかったことを示していると言います。


「そんなに大きな地震は来るはずがない」という東電側の判断(というより主観的願望)に基づいて、「想定内」と「想定外」の線引きが行われている。「想定外」のものなど自然界には存在しない。「想定外」を作り出すのは「想定する主体」、すなわち人間だけである。
http://www.chuokoron.jp/2011/04/post_72.html


このように現実対応、特に今回のような緊急対応ができない人間を育てたのは、私のような教師が関与する教育界であることを指摘します。「エリート教育」が、危機に弱いエリート(「偉い人」)を作り出したというわけです。以下の引用は「災後」に大学で何を学ぶかにも掲載しましたが、大切だと思うので再掲します。危機的状況とは「正解」のない状況だと規定した上で内田氏は次のように語ります。


 けれども、日本のエリートたちは「正解」がわからない段階で、自己責任・自己判断で「今できるベスト」を選択することを嫌う。これは受験エリートの通弊である。彼らは「正解」を書くことについては集中的な訓練を受けている。それゆえ、誤答を恐れるあまり、正解がわからない時は、「上位者」が正解を指示してくれるまで「じっとフリーズして待つ」という習慣が骨身にしみついている。彼らは決断に際して「上位者の保証」か「エビデンス(論拠)」を求める。自分の下した決断の正しさを「自分の外部」に求めるのである。仮に自分の決断が誤ったものであったとしても、「あの時にはああせざるを得なかった」と言える「言い訳の種」が欲しい。「エビデンス(論拠)とエクスキュース(言い訳)」が整わなければ動かないというのが日本のエリートの本質性格である。(中略)
 
 日本の戦後教育は「危機的状況で適切な選択を自己決定できる人間」の育成に何の関心も示さなかった。教育行政が国策的に育成してきたのは「上位者の命令に従い、マニュアル通りにてきぱきと仕事をする人間」である。それだけである。
http://www.chuokoron.jp/2011/04/post_72_3.html


日本の「偉い人」とは、本当に自分の主観的願望の中でしか考えられず、危機的状況に対応できなかったのでしょうか。



■菅首相は政治的パフォーマンスだけのために自衛隊員の生命を危険にさらした?

4月22日の毎日新聞の記事検証・大震災:不信洗った、ヘリ放水 原発から白煙…政権「世界に見放される」は、3月17日の陸上自衛隊ヘリによる放水に関する検証を行っています。見出しだけを読むと英雄談のようですが、注意深く読むと菅首相は、政治的パフォーマンスだけのために自衛隊員の生命を危険にさらしたとも考えられます。

私なりにその検証記事のポイントをまとめますと次のようになります。


(1)原発の状況がわからないことに対して米国はいら立っていた。

(2)その中、防衛省は東電と相談した上で「3号機は上空、4号機は地上から」という放水作戦を立案した。

(3)ところが菅首相は防衛省に「地上の前にまず上空から」と指示した。

(4)この菅首相の指示に隊員から戸惑いの声も漏れたが北沢俊美防衛相と制服組トップの折木良一統合幕僚長が「放射線量の数値が高くても踏み切る」として17日に決行した。

(5)作業終了から約10分後、菅首相はオバマ米大統領に「自衛隊などが原子炉冷却に全力を挙げている」と電話で伝えた。その後、米国防総省は藤崎一郎駐米大使に「自衛隊の英雄的な行為に感謝する」と伝えた。

(6)しかしある政府高官は「放水はアメリカ向けだった。日本の本気度を伝えようとした」と明かした。

(7)実際、現実には冷却効果が期待できないヘリ放水はその後二度と行われなかった。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110422ddm001040072000c.html


以上の話を良く解釈するなら、菅首相が英断で米国からの信頼を取り戻した、といえるでしょう。しかし悪く解釈するなら、菅首相は、国民の生命を救うのならまだしも、原子炉冷却には効果がない政治的なパフォーマンスをするために陸上自衛隊員を高放射線量域へ突っ込ませたともいえます。菅首相は「現場」の人間の生命をどう思っているのでしょうか。




■海江田大臣は離れた東京の本部から現場に細かく命令を出し続け、現場の人間の誇りをズタズタにし、彼らの生命を危険にさらした

麻生幾氏の「無名戦士たちの記録」(『文藝春秋 2011年 05月号』)は、自衛隊や消防隊あるいは東北地方整備局などの現場の人間(「無名戦士」)がいかに日本を支えているのかを伝えています。

その中で描かれているのは、海江田経済産業省大臣が、東京電力本社内の政府「対策本部」から、見えもしないしデータすらもっていない現場の対応について細かく指示を出し続けてきた様子です。しびれを切らした防衛省内局幹部が現地の決断は現地に任せてほしいと懇願しても、海江田大臣は何度も独自の指示を出し続けました。

現場の隊員はもちろん臆してなどいません。しかし突っ込むときには現場で勝算が見込めるときにしたいわけです。自衛隊に続いて現場に到着したのは東京消防庁のハイパーレスキュー隊でしたが、現場の状況は予想以上に深刻で対策本部がマスコミに発表した「放水予定時間」が過ぎると、海江田大臣は「早くしろ!モタモタしていると(消防隊員たちを)処分するぞ!」と言い、さらには「東京消防庁は下がれ!もういい!代わりに自衛隊がやれ!」とまで言い放ちました(『文藝春秋 2011年 05月号』139ページ)

ハイパーレスキュー隊幹部の誇りはずたずたにされました。こと消防に関しては「世界最高の技能と勇気を持った男たち」と称されたハイパーレスキュー隊が、今ここで放水業務から撤退したらハイパーレスキュー隊の士気は二度とあがりません。いや全国の消防部隊の士気にさえ重大な影響を与えます。ハイパーレスキュー隊は、現地統合本部に「この作業は絶対に我々が行う!我々に突っ込ませてくれ!」と声を上げます。

現地統合本部の幹部は、この怒りと士気を支えました。幹部自身が防護服を着こみ、線量計を身につけ、放射線レベルの状態を命懸けで測定しました。これまで基地内の消防訓練ぐらいしかしたことがなく放射能対策などまったく未経験だった自衛隊の消防チームも消防庁ハイパーレスキュー隊を支援しました。中央特殊武器防護隊(中特防)はハイパーレスキュー隊に同行しました。

出発するハイパーレスキュー隊を自衛隊幹部は敬礼で見送ります。ハイパーレスキュー隊はそれにガッツポーズで返礼します。はじめて共に作業するハイパーレスキュー隊と中特防は、必ず最初に目と目をじっと合わせ、連携をしてゆきます。彼らの放水活動の成功は、今や皆の知るところですが、この「成功」には、遠くの安全な本部から、科学的根拠も何もない命令を出し続け、現場で働く人間の誇りをズタズタにし生命を危険にさらした日本の「偉い人」がいたことを私は決して忘れません。

また今なお原発で作業する東電の現場職員および「関連会社」の人たちの待遇が恐ろしく劣悪で、食事も睡眠もまともに取れていないことはメディアが報道する通りです。このようなことからすると日本の「偉い人」というのは、現場の人間のことを虫けらぐらい、あるいはせいぜいいつでも交換可能な部品ぐらいにしか思っていないのではないかと考えざるを得ません。




※この記事はその2に続きます。





必要物資・支援要求マップ 311HELP.com







2011年4月19日火曜日

「災後」に大学で何を学ぶか

必要物資・支援要求マップ 311HELP.com


以下は2011/04/20に、私の所属講座の学部新入生対象の授業である「教養ゼミ」で私が話す内容のスライドです。

3.11以来、私はどう少なく見積もっても一年分の勉強をしたと思っています。いやそれ以上かもしれません。私も含めていろいろな人々の「地金が露呈した」日々でした。そして「日本」についても改めて考えさせられた日々でした(そしてこの日々は続いてゆきます)。

私は3.11以来、このブログでもいろいろな文章を書いてきましたが、Twitter(@yosukeyanase)はそれ以上に情報を発信してきました。

今回のそのスライドはその情報発信の中でも私が特に重要と思った話題を使いながら、日本の「地金」を描くことを試みたものです。ここに上げられている見解ばかりを押し付けるつもりはありませんし、そのようなことは教師が教室という閉ざされた空間では決してやってはならないことですが、これらの論点を契機に、学生さんがぜひ自らの頭で考え、自らの言葉で語り、自らの責任で行動できる人間に育ってほしいとは思っています。

ご興味ある方は、以下のスライドと授業音声(後で追加します)をダウンロードして下さい。








追記 (2011/04/20)

本日、この講義を行いましたが、このスライドの中で述べた内田樹氏の以下の論は特に新入生の共感を得たようです。

教師が「生徒のため」「保護者のため」「受験のため」といった「善意」で行っていることが、結果的に何を生み出しているのかを冷静に考えたいと思います。


ここまでは震災「以前」の危機管理について述べてきた。実際に災害が起きた「以後」の東電と政府の対応についても、私たちは人災的な瑕疵を指摘しないわけにはゆかない。

 危機管理の条件は「ありもの」しか使えないということである。手元にある資材、人材、資源、そして時間しか使えない。その中でやりくりしなくてはいけない。それは危機の時には「正解がない」ということである。危機的状況というのは、必要な資材がなく、必要な人員がなく、必要な情報がなく、必要な時間がないということである。いちばんきびしいのは「時間がない」ということである。とくに原発事故の場合は、放射性物質がいったん漏出し始めると、人間がそこにいって作業できなくなるから「打つ手」が一気に限定される。今なら選択できるオプションが一時間後には選択できなくなるということがありうる。その場合の「今できるベスト」は「正解」とはほど遠いものとなる。
 
 けれども、日本のエリートたちは「正解」がわからない段階で、自己責任・自己判断で「今できるベスト」を選択することを嫌う。これは受験エリートの通弊である。彼らは「正解」を書くことについては集中的な訓練を受けている。それゆえ、誤答を恐れるあまり、正解がわからない時は、「上位者」が正解を指示してくれるまで「じっとフリーズして待つ」という習慣が骨身にしみついている。彼らは決断に際して「上位者の保証」か「エビデンス(論拠)」を求める。自分の下した決断の正しさを「自分の外部」に求めるのである。仮に自分の決断が誤ったものであったとしても、「あの時にはああせざるを得なかった」と言える「言い訳の種」が欲しい。「エビデンス(論拠)とエクスキュース(言い訳)」が整わなければ動かないというのが日本のエリートの本質性格である。良い悪いを言っているわけではなく、「エリートというのは、そういうものだ」と申し上げているのである。
 
 だから、危機的状況にエリートは対応できない。もともとそのような事態に備えて「須要の人材」として育成されたものではないから、できなくて当たり前なのである。だから、「そういうことができる」人間をシステム内の要所要所に配備しておくことが必要なのである。「胆力のある人間」と言ってもよい。資源も情報も手立ても時間も限られた状況下で、自己責任でむずかしい決断を下すことのできる人間である。
 
「胆力がある」ということは別に際だった知的・人格的資質ではない。「胆力のある人間」は「胆力のある人間を育成する教育プログラム」によって組織的に育成することができる。例えば武道や宗教はほんらいそのためのものである。けれども、日本の戦後教育は「危機的状況で適切な選択を自己決定できる人間」の育成に何の関心も示さなかった。教育行政が国策的に育成してきたのは「上位者の命令に従い、マニュアル通りにてきぱきと仕事をする人間」である。それだけである。

 たぶんこの後、次第にあきらかにされると思うけれども、事故の現場には「今はこうするのがベストだ。すぐに動こう」という具体的提案をした人がいたと私は思う。現場の人間は「正解」を待つことなく、「今できる最適のこと」を選ぶ訓練を受けている。でも、「上の人間」がその決断にストップをかけた。「軽はずみに動くな。上からの指示があるまで待て」ということを言った人間が必ずいたはずである。そして指示を求められた「上の人間」はまたさらにその「上の人間」に指示を仰いだ……そんなふうにして初動の貴重な数時間、数十時間が空費され、事故は手の付けられないところまで拡大していった。





追記2 (2011/04/20)

何だか最近は毎日のように信じられないニュースが入ってきます。WIRED VISIONの合原亮一氏は、4月19日に文部科学省、原子力災害対策本部、原子力安全委員会が発表した「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」は、原発の中でも一部にしか設定されていない「放射線管理区域」の6倍の値であり、極めて危険であり違法でもあるとしています。

一部を引用しますと、



文部科学省、原子力災害対策本部、原子力安全委員会は、4月19日に「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」を発表した。その内容は「校庭・園庭で3.8μSv/時間未満の空間線量率が測定された学校等については、校舎・校庭等を平常どおり利用をして差し支えない」というものだ。

この3.8μSv/時という基準線量を見て目を疑った。放射線管理区域に設定しなければならない、信じ難く高い線量だったからだ。放射線障害防止のための放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律等は文科省が所管している。そして文科省自身が、「外部放射線に係る線量については、実効線量が3月あたり1.3mSv」を超えるおそれのある場所については放射線管理区域を設定するよう定めているのだ。

3月あたり1.3mSvというのは、0.6μSv/時である。今回文科省は、その6倍以上の3.8μSv/時という線量があっても「平常どおり利用をして差し支えない」と発表してしまった。これは明らかにこれまでの規制からの逸脱であり違法な内容である。

これが原子力発電所内や防災機関などなら、非常時なのでやむを得ないという考え方も出来るかもしれない。しかしどういう説明を付けても、放射能の影響を受けやすい子供達が毎日の生活を送る場所にふさわしいと言うことは出来ないはずだ。



※上で合原氏が述べている、文科省が所管している「放射線障害防止のための放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律等」は



であると思われます。もしこの合原氏の指摘が正しいのなら、文科省は今恐ろしいことを福島の子どもたちにやろうとしていることになります。

合原氏は自身のTwitterで「メディアが批判しないので抗議を書かざるを得ない状況に溜息。」とおっしゃっていますが、昨今のマスメディアの不甲斐なさを考えると、これはマスメディアに科学的知識をもった記者がいないのか、それとも記者クラブ的に書こうとしないのかとつい疑ってしまいます。

ついでながら言いますと、このように憶測などを書きますと、昨今では「流言飛語」「デマ」を撒き散らすな!とさえ言われかねない恐ろしい空気がありますが、それについてはぜひ総務省の以下の動きにご注目ください。私は、4/11にこのニュースを知り私の別ブログArt collection by Yosuke YANASEに第一報を書きましたが、その後の展開は少し恐ろしくさえ思えるほどです。



忌野清志郎は正しかった
「その間に目的を持った奴がちゃくちゃくと準備をしている」
―「ネット規制強化法案」を閣議決定―
http://yosukeyanase-on-art.blogspot.com/2011/04/blog-post.html




追記3 (2011/04/20)

上の授業スライドで「かろうじて残っている学問の良心」の一つとして紹介した



は、


青木 芳朗 元原子力安全委員
石野 栞 東京大学名誉教授
木村 逸郎 京都大学名誉教授
齋藤 伸三 元原子力委員長代理、元日本原子力学会会長
佐藤 一男 元原子力安全委員長
柴田 徳思 学術会議連携会員、基礎医学委員会。総合工学委員会合同
放射線の利用に伴う課題検討分科会委員長
住田 健二 元原子力安全委員会委員長代理、元日本原子力学会会長
関本 博 東京工業大学名誉教授
田中 俊一 前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長
長瀧 重信 元放射線影響研究所理事長
永宮 正治 学術会議会員、日本物理学会会長
成合 英樹 元日本原子力学会会長、前原子力安全基盤機構理事長
広瀬 崇子 前原子力委員、学術会議連携会員
松浦祥次郎 元原子力安全委員長
松原 純子 元原子力安全委員会委員長代理
諸葛 宗男 東京大学公共政策大学院特任教授


といった科学者や医者が、3月31日の段階で


はじめに、原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします。


と謝罪し、



福島原発事故は極めて深刻な状況にある。更なる大量の放射能放出があれば避難地域にとどまらず、さらに広範な地域での生活が困難になることも予測され、一東京電力だけの事故でなく、既に国家的な事件というべき事態に直面している。

(中略)


事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的に取組むことが必須である。

私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである。



と訴えるものです。

しかし私が本日購入した『週刊現代2011年4月18日号』(オンライン版はここ)は、この建言書について次のように報じています。


だが、覚悟の「建言書」はメディアにも政府にも無視された格好だ。4月1日に開いた会見には、多くの記者が集まったが、取り上げたのはごく一部のメディアだけ。政府にいたっては、「建言書」の受け取りすらも拒否したという。(44ページ)



さらにこの『週刊現代2011年4月18日号』は、首相官邸ホームページは3月12日には「14:30 ベント開始」と掲載してあった記録を、3月27日に「10:17 ベント開始」と書換え、現在に至っていることを報じています。

同誌は次のように言います。


なぜこんな姑息なことをしたのか。言うまでもなく、「菅首相の視察でベント開始が遅れ、結果的に1号機が爆発した」という批判をかわすためである。(62ページ)


さらに同誌はこの件に関する原子力安全・保安院の説明はまやかしではないかとしています。


原子力安全・保安院は、この書き換え問題に対し、「もともとベント作業の着手は10時17分だった。しかし官邸HPでは14時30分となっていたので、官邸に指摘して表記が変わっただけ」などと、あくまで事務的な「凡ミス」に過ぎないと強調している。

だが、現在HPに掲載されている公表記録では、10時17分に「作業着手」ではなく「ベント開始」と記載されている。保安院の説明では「その時間に作業準備は始まった」というものなのに、いつのまにやら、「ベント開始時間そのもの」が、なし崩しに4時間以上も早められたのだ。(62ページ)



私は「個人情報保護法案」の騒動の頃に新聞各紙を読み比べて毎日新聞を購読することに決めました(その頃の記事)。自分が日頃入手する情報を吟味しないといけないと思ったからです。

今回の天災・人災以降、私はネットから多く情報を得ていますが、週刊誌・月刊誌などの紙媒体雑誌もこれから定期購読し始めようかと思っています。






追記4 (2011/04/21)

追記2で述べた「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」について、NHKの藤原記者は次のように解説しています。

http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/600/79329.html#more


しかし、この基準について『河北新報』は4月21日の記事「保護者恐る恐るの日々 福島13校屋外活動制限」で以下のように論じています。


基準の3.8マイクロシーベルトは、児童らの年間の積算放射線量が20ミリシーベルトに達するかどうかを目安に算定された。根拠は国際放射線防護委員会が「非常事態収束後の一般公衆レベル」とする1~20ミリシーベルトで、その上限を採った形だ。

しかし市民団体「原発震災復興・福島会議」の世話人を務める川俣町のNPO法人代表の佐藤幸子さん(52)は「通常時の一般人の許容限度は年間1ミリシーベルト。今回の基準は甘すぎる」と疑問を向ける。
 
「一般人が立ち入り制限になる放射線管理区域の基準に相当する毎時0.6マイクロシーベルト以上の学校は、授業を中止して学童疎開を進めるべきだ」と強調する。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110421t63005.htm



この件についての小出裕章先生(京都大学・助教)の見解が下記で聞けます。ぜひお聴きください。




仮に今回の政府決定が「非常事態収束後の一般公衆レベル」からの試算であるにせよ、その試算は上限一杯の最大値に基づくもの(最小値の20倍)です。

さらに成人ではなく、子どもに関する事柄については、せめて「通常時の一般人の許容限度」である年間1ミリシーベルト(=「非常事態収束後の一般公衆レベル」の最小値)を守るべきだと考えます。

もし政府が、集団疎開のリスクと、今回の基準による被曝リスクを比較検討して、今回の線量基準を決定したのなら、そのリスク検討は妥当だったのかを多方面からチェックするためにその判断根拠をできる限り公開するべきでしょう(そもそも集団疎開の具体的な検討は行っているのでしょうか)。


せめてNHK解説の以下の部分(強調箇所はNHK)ぐらいは行わないと、現状の政府の対応は、国民のためではなく、自らの無能力を糊塗するためのものと思われても仕方ないのではないでしょうか。


ただ、新たな事態が起きるたびに対応がかわっていくと、住民は放射線の専門家ではありませんので、不安を抱くといったことにつながりかねません。今回も通常より高い放射線の量が検出されている、その状態が続いていることでですね、取り急ぎこの新しい目安を作った訳ですが、実際のところ政府内でどういう議論がされてこの値が出てきたのか、またより厳しい値を設定するという選択肢はなかったのかといったようなですね、そういった情報が十分に公開されているとは言えない状況です。地震や、津波、そして原子力発電所の事故とですね、これまで想定外のことが続いています。

ひたすらその「健康に影響がありません」ということを強調するだけではなく、今回のように住民の行動に直接影響がある決定を行う場合はですね、できるだけその情報を公開していくことが、住民の方々の不安や不信を、不安や不審を解消するのに欠かせないということがいえます。






追記5 (2011/04/21)

「福島の子どもたちを放射能から守れ!政府交渉」ライブ録画

文科省、原子力安全委員会は年間累計放射線量20mSvに引き上げの判断、根拠、また福島の現状、放射線管理区域、法的整合性についてまったく認識、理解していなかった。




http://www.ustream.tv/recorded/14169488



追記6 (2011/04/21)

以下、http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/04/21/tanemaki-apr20/に掲載された上記放送(追記4)の要約です。


・(文科省が福島県内の保育園、幼稚園や小中学校を普通に利用する際の限界を1時間あたり3.8マイクロシーベルトと定めたが?)驚いた。普通私たちが生活している環境では0.05マイクロシーベルトが普通。その80倍。

・(年間で20ミリシーベルトという基準で算出したものだが?)その前提がとてつもなく高すぎる。一般の日本人は法律で年間1ミリシーベルトしか被曝してはいけないと決まっている。それをいきなり20倍にする権限が誰にあるのか不思議に思う。こどもは特に放射能に敏感であるのに、そういう基準を押し付けるやり方がなぜ許されるのか分からない。

・(基準値を超える学校や園については屋外活動を1時間以内に抑えるとしているが?)被曝はあらゆる意味で危険。少しでもそれなりの危険がある。こどもは外で遊ぶべきで、砂場で泥まみれになるのがこども。外に出るなというのは異常。それほどの状況が生じている。

・(うがいや窓閉めが奨励されているが、役立つか?)1時間あたり3.8マイクロシーベルトと言っているのは外部からの被曝を想定している。放射性物質を身体に取り込むのはもっと大きな被曝になる。口から取り込んだり吸い込むことは当然避けるべき。従い、よく洗う、うがいする、着替える、窓を閉めるということはやるべき。ただ、そんな状態にしたのは誰かというと、国=政府。その政府が自身の責任を一切表明せずにこどもたちに被曝を強制するというやり方には納得できない。

・(6~9ヶ月で事故を収束させるという工程表を元にして今回の基準が定められたとしたら、事故の今後の推移次第で変わる?)事故が拡大したり、汚染区域が拡大する可能性はある。もしかしたら20ミリシーベルトと基準さえ反故にされるかもしれない。

・(こどもだけ疎開することも考えたほうがいいか?)被曝は微量でも危険。放射線に敏感なこどもに限っては、被曝を少なくする方策が必要。ただし、こどもだけ避難、疎開ということをすると家庭が崩壊する。その重荷もある。その重さをどのような尺度で測ればいいのか、分からない。ただ、被曝を避ける方向で行政も含めて考えるべき。

・(警戒地域ということで強制的な立退きが発表されているが?)家、ふるさとから立ち退きたくない人は必ず出てくる。チェルノブイリでもお年寄りを中心としてそういう方々がいた。福島でもそういう方々がいたら、その支援は行政の責任。生活インフラや医療など生活を保証する。ただしものすごい汚染地域は逃げてほしい。

・(20ミリシーベルトは計画的避難地域の前提となる基準だが、その設定自体に疑問?)政府自体が追い詰められている状況。原子力を許してしまった日本の大人の責任として向き合わなければいけない。でも、こどもたちは守らなければならない。

・(強制立ち退きをする際は、支援の政策とセットですすめるべき?)そうだ。説明も行政の責任。

・(日給3万円で福島原発で働かないかという話が専門外の建設業の人たちに来ているが、爆発の危険は?)東電は1号機は水素爆発の危険があるとしていて、それを防ぐために窒素を注入している。2号機、3号機については何も作業が行われていないが、これも爆発の可能性はある。これまで爆発の危険はあまりないと思っていたが、あると思っておかなければならない。

・こどもたちの被曝を避ける策を出したいが、本当にどうしたらいいか分からない。大人は知恵を絞って策を出さないといけない。



追記7 (2011/04/25)

以下に、この講義を聞いた学生さんの感想の一部を引用します。


今までの自分の行動を省みつつ、自分の言動や行動が「空気を読んでいる」のではなくて、考えたくないという「甘え」に由来していることに気付きました。

情報の量が莫大になっている現代において、自分では考えたくない、誰かが代わりに考えてくれるだろう、そんな甘えた考えを捨てるべきだということを感じました。

物事を疑問視すること、物事の本質を理解しようとすること、そして物事に対する自分の考えを出すこと、この3つは大切にしていこうと思います。

ある新入生:間違えることは恥ずかしいことではない。間違える勉強をすることも大切である。誰にでも失敗はある。失敗を恐れていては、失敗ということを学ぶこともなく、また間違いを繰り返していくことになる

教員になりたいと思っている以上、自信を持って他人に教えられるだけの知識と、失敗を恐れず進んで行動する力を身につけたい。そのためにも、これからの大学生活で様々なことに取り組みたくさん失敗もしてそこから学んだことを生かしたい。



あと、自己弁護のために(笑)次の感想も引用。


また、先生の授業のスタイルにも深く共感できました。生徒にとって教師の言葉は大変影響力を持つものです。それに留意した上で、生徒に情報・トピックを与え自分たちで考えさせるという先生の授業スタイルは本当に参考になりました。





知恵を出そう。汗を出そう。勇気を出そう。
子どもには希望を伝えよう。
そのために、大人は真実を語り合おう。












2011年4月16日土曜日

橋本麻里(2011)『日本の国宝100』幻冬舎新書

昨夜のドナルド・キーン名誉教授(コロンビア大学)の日本永住を決意のニュースには深く心を動かされました。キーン氏は「東日本大震災があった今こそ、愛する日本への信念を表したい」と述べ、日本国籍を取得したうえで日本に永住する決意をしたそうです。

「外資系の会社が社員を日本から呼び戻したり、野球の外国人選手が辞めたり、『危ない』と言われたりしているが、そういうときにこそ、私の日本に対する信念を見せる意味がある」、「私は、『日本』という女性と結婚した。今回の震災では日本の誰もが犠牲者だと思うが、日本人は、大変優秀な国民だ。今は大きな打撃を受けているが、未来は、以前よりも立派になると信じている」というのもキーン氏の言葉だそうです。

日本国籍を有する人間の一人として、キーン氏のこの決意のためにも、キーン氏が愛する古の日本のためにも、私たちは日本を再生しなければならないと思いました。キーン氏という学者をしてこれまでの決意をさせるほどに古の日本は魅力的なものでした。





橋本麻里さんの、赤字に白抜きで大きく"H"と書かれた印象的なtwitter(@hashimoto_tokyo)マークは、以前から私のところにもRTでよく回ってきましたが、今回の震災で橋本さんのtweetの質の高さを強く感じたので、私もfollowさせていただきました。以来、私の貴重な情報源の一つになっています。信頼できる「目利き」を一人でも持つことの重要さは言うまでもないでしょう。

その橋本さんの本業は日本美術に関するものですが(ブログ「東雲堂日乗」はhttp://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/)、彼女の著書『日本の国宝100』彼女自身の表現を借りるなら、「空前絶後の間の悪さで絶賛発売ちう」となりました。私はもともと日本美術のことはもう少し勉強したいと思っていましたので、橋本さんのtweetに感謝する意味も込めてこの本を買いました。

読んで面白かった。この緊張するた一ヶ月あまりの中で、わずかでも「今・ここ」の危機から心を解放する時間は大切になりましたが、この本の読書はそんな貴重な時間を与えてくれました(また、今この文章を書いているのは久しぶりに睡眠をしっかりとった休日の朝です。やらなければならない仕事は山ほどあるのですが、私はこのように「不要不急」あるいは「無用」の文章を書くことで、精神の均衡を得ようとしています ― 義理を欠いている方々申し訳ございません!)。

一読してすぐに気づくのが、橋本さんの文体の巧みさ。これは彼女のtweetでもわかることですが、現代語・俗語を巧みに取り入れながら、文章に軽妙な勢いをつけて、論考を軽々と進めてゆきます。

例えば福岡市博物館にある金印についての解説では橋本さんは次のような表現を使います。


こうして狩猟・採集生活が基本のピースフルな「縄文式ユル共同体」は、水田稲作によって生きるも死ぬも一蓮托生、中央集権的な「弥生式ガチ共同体」へと変わっていった。「国家」への歩みは水田稲作から始まったのだ。(24ページ)


上記の記述からも示されているように、この本では日本史の流れを重視しながら国宝を紹介しています(紹介は、ジャンル別ではなく、時代順です)。ですから次のような総括もしばしば見られ、日本史のいい勉強・再確認になります。


日本列島には大きく分けて3回、国際化の大波が押し寄せている。最初は陸海のシルクロードを通じてペルシア、ローマ、インドにいたるユーラシア諸国と交流があった飛鳥~奈良時代、2回目は大航海のヨーロッパと交易を行い、宣教師たちによってキリスト教がもたらされた安土桃山時代、そして現代、である。(30ページ)


このような日本史総括記述には、もちろんのこと文化史や国際交流的視点も含まれています。


「漢流ブーム」は平安時代中期まで続き、男性社会の公用語である漢字に対して、ひらがなは女性が使うサブカルチャーの地位に甘んじていた。それが907年、東アジアの超大国だった唐王朝の滅亡と軌を一にして、契丹文字西夏文字女真文字などが作られ始める。唐=漢字の影響下から離れ、ナショナルな文化を立ち上げようという動きが東アジア全域に広がっていくまさにその時、日本では天皇の勅命によって、かな文字で編まれた初めての歌集『古今和歌集』が出現する。(76ページ)


もちろん日本美術の鑑賞についても橋本さんは見解を述べています(ついでながら次の見解は私も日本民藝館を訪れた時に感じました)。


日本美術を「美術館」で「鑑賞する」ものだと思ったら、大間違いである。それはたいていの場合、寺だの城だのに「置いてある」「室内調度品」だからだ。障壁画も、屏風も、文具も一切合切、建物や部屋の用途、そこで過ごす人間の地位や立場や信仰や趣味と一体になって成立している環境の中で体験するのが、もっとも適切な鑑賞法のはずだ。(172ページ)


このように魅力的な同書ですが、惜しむらくは図版・写真が少ないこと。しかしそれを廉価な新書で求めるのは酷というもの、というよりネットがこれだけ発達しているのですから、私たちは興味をもった美術品に対してネットサーチをかけ、その画像イメージを得てその所在地を知り、時間がある時にそこに訪れるべきでしょう。

震災やら原発問題で、疲労困憊した今こそ、わずかな時間に本書のような本を読むことこそが、冒頭に紹介したキーン氏の厚情に応えることになり、長期的には日本再生の大きな力になると思います。

日本はこれまでもひどい天災や飢饉に苦しんできました。その中で数々の美術作品を作り上げ、その一部を私たちは「国宝」として定めています。私たちはこれらの古の美術作品に接することにより、今回の地震津波という天災を乗り越える力を得ることができるでしょう。そしてこの古の美術作品に触発され、新しい芸術的表現を創り続けることにより、原子力災害という新しい人災に立ち向かう力を深いところで得ることができると思います。

一読をお薦めします。


⇒アマゾンへ:『日本の国宝100』








2011年4月15日金曜日

言語文化教育プロジェクト (2011年度)

■時間帯と教室

前期:金曜日7/8限:14:35-16:05
合同教室:L109 (各ゼミ教室は後日指示)


■担当教員

西村大志(日本語教育学)
川口隆行(国語文化教育学)
柳瀬陽介(英語文化教育学)


■このプロジェクトの目的

大学院生の視野を広げ、さまざまな人々とのコミュニケーションを促進する。


■西村・川口・柳瀬の狙い

「聞くこと」「語ること」「コミュニケーション」について理論的洞察と実践的技芸を深める。
三人の教員は特に以下の点についての「語り」と「コミュニケーション」を探究する。
西村:看過されがちな日常について
川口:非日常的な出来事について
柳瀬:自らの学びの履歴について



■プロジェクトの運営方法

最初の二回の授業で、三人の教員が自らの探究法について概説をする。
その後、学生は三人の教員のいずれかが担当するゼミのどれか一つに所属する。
二回目の授業の終わりに、学生はゼミの第一希望・第二希望を提出する。
教員は希望を受けてゼミを決定する。ただし希望に添えない場合もある。
ゼミ決定後は、それぞれのゼミでプロジェクトを進行する。
ゼミでのプロジェクト進行の際の教室についてはそれぞれの教員の指示に従う
最後の三回の授業で、再び全員が集まり、合同発表会を行う。



***以下、柳瀬ゼミについての方針***


■テーマ:自らの学びの履歴について

ここに集う皆さんの多くは教育職に就くことを考えていると思います。教育職は、学習者の声に耳を傾け、時には声にならない蠢きをも感知しなければいけません。しかしそうして声を聞いたり蠢きを感知したりする時に、聞き手である私たち自身の影響が働いてしまうことがあることを私たちは忘れてはいけません。声の解釈、感知する蠢きの選択などにおいて、私たちの性格・癖・偏りなどが、学習者の訴えを歪めてしまうことは十分にあることです。

カウンセリングの一派では、カウンセラー志望者は一度自らカウンセリングを受けることを要求されるとも言います。この言プロ柳瀬ゼミでは、各自が自らの学びの履歴を振り返り、書き記し、他人の記述を読み、自分の記述を読み直し、自分の自己観察・自己記述の性格・癖・偏りなどを自覚することを目指します。



■方法

WebCTシステムを使い、お互いの記述を読めるようにしながら、自己観察・自己記述を何層にも練りあげてゆきます。ゼミ教室は教育学部K207教室を予定しています。



■スケジュール

9回の授業を、以下の3部に分けて進めてゆきます

(1) 導入

5/13 柳瀬による講義⇒WebCTに感想を書く

5/20 [みんなで英語教育] 第1回「私の英語学習歴」まとめの読解⇒WebCTに感想を書く


(2) 個人活動

5/27 「なぜ私は今ここにいるのか」第一次執筆⇒完成稿を次週木曜までにWebCTに掲載

6/3 「なぜ私は今ここにいるのか」第一次相互読解⇒自分の自己観察・自己記述の特徴を次週木曜までにWebCTに掲載

6/10 「なぜ私は今ここにいるのか」第二次執筆⇒完成稿を次週木曜までにWebCTに掲載

6/17 「なぜ私は今ここにいるのか」第二次相互読解⇒自分の自己観察・自己記述の特徴を次週木曜までにWebCTに掲載

(3) グループ活動

6/24 グループ第一次話し合い⇒それぞれに中間総括を次週木曜までにWebCTに掲載

7/1 グループ第一次話し合い⇒それぞれに中間総括を次週木曜までにWebCTに掲載

7/8 グループで発表準備⇒言プロ柳瀬ゼミの発表日は7/29(西村ゼミは7/15、川口ゼミは7/22)



■理論的背景

言語文化教育プロジェクト柳瀬ゼミ(言プロ柳瀬ゼミ)では、以下の、関連プロジェクト、コミュニケーション論、意識と言語、物語論、ユング心理学、「べてるの家」の実践、英語教育研究でのナラティブ、批判的応用言語学、その他を理論的背景としています。

●関連プロジェクト

[みんなで英語教育] 第1回「私の英語学習歴」まとめ
http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20110301/p1#tb



●コミュニケーション論

N.ルーマン著、馬場靖雄・赤堀三郎・菅原謙・高橋徹訳 (2009) 『社会の社会 1』法政大学出版局
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/06/n-2009-1.html

田尻悟郎氏実践のルーマン的解明の試み1/8
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2007/11/18.html

なぜ書くことが人の知性を発展させるのか
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/09/blog-post_14.html

内田樹(2010)『街場のメディア論』光文社
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/09/2010_3706.html

近藤真(2010)『中学生のことばの授業』太郎次郎社
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/09/2010_20.html

コミュニケーションに関する断片的思考
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_417.html



●意識と言語

「意識の神経科学と言語のメディア論に基づく教師ナラティブに関する原理的考察」(HTML版)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/12/html.html

「自由意志」―神経科学・村上春樹・仏教― やれやれ
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/08/blog-post.html

池谷裕二 (2009) 『単純な脳、複雑な「私」』朝日出版社
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/03/2009.html



●物語論

小川洋子・河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮社
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2011/03/blog-post_3321.html

村上春樹(2010)『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』文藝春秋
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/10/2010_31.html

小川洋子(2007)『物語の役割』ちくまプリマー新書
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/10/2007.html

ジョーゼフ・キャンベル/ビル・モイヤーズ著、飛田茂雄訳(2010)『神話の力』早川書房
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/10/2010_02.html

人はなぜ物語を必要とするのか
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_04.html



●ユング心理学

C.G.ユング著、小川捷之訳 (1968/1976) 『分析心理学』 みすず書房
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/01/cg-19681976.html

C.G.ユング著、ヤッフェ編、河合隼雄・藤縄昭・出井淑子訳 (1963/1972) 『ユング自伝 ― 思い出・夢・思想 ―』 みすず書房
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/01/cg-19631972.html

偶然を待つということ
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_6155.html



●「べてるの家」の実践

浦河べてるの家『べてるの家の「当事者研究」』(2005年,医学書院)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/2005.html

浦河べてるの家『べてるの家の「非」援助論』(2002年、医学書院)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/2002.html

「べてるの家」関連図書5冊
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/11/5.html

当事者が語るということ
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_4103.html



●英語教育研究でのナラティブ

吉田達弘・玉井健・横溝紳一郎・今井裕之・柳瀬陽介編 (2009) 『リフレクティブな英語教育をめざして ― 教師の語りが拓く授業研究』 ひつじ書房
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/12/2009.html

「ナラティブが英語教育を変える?-ナラティブの可能性」(2009/10/11-12、神戸市外国語大学)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/08/20091011-12.html

シンポジウムで使われる専門用語の整理
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_30.html

ナラティブ・シンポ (第1日目) の報告
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/10/1.html

ナラティブ・セミナー (第2日目)の報告
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/10/2.html

「書く」というナラティブ
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_8701.html

「声の力」あるいは声の人格性について
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/10/blog-post_09.html

「英語教育実践支援のためのエビデンスとナラティブ」
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/08/blog-post_05.html

インタビュー研究における技能と言語の関係について
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/zenkoku2006.html#070517

Exploratory Practiceの特質と「理解」概念に関する理論的考察 1/5
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2007/08/exploratory-practice15.html

技でもなく、アクション・リサーチでもなく -私たちのExploratory Practice- 1/10
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2007/06/exploratory-research110.html

英授研でのQ&A 1/4
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2007/08/q-14.html

統合的な英語教育研究
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2007/05/blog-post.html


●批判的応用言語学、その他

コミュニケーション・言説の社会性・権力性・歴史性についての関連記事リスト
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/10/blog-post_06.html

批判的応用言語学(Critical Applied Linguisitcs: CALx)入門
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/10/critical-applied-linguisitcs-calx.html

「現代社会における英語教育の人間形成について -- 社会哲学的考察」のPDFファイル
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/05/pdf.html

言語コミュニケーション力の三次元的理解
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/ThreeDimentional.html

質的研究のあり方に関する報告1/10
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2007/09/110.html

質的研究に関する私的ブックガイド
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/qualitative.html

尹雄大(ユン・ウンデ)著『FLOW──韓氏意拳の哲学』冬弓舎 1/7
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2007/07/flow17.html




追記 (2011/05/06)

このプロジェクトに関する説明(およびルーマンのコミュニケーション論の簡単な説明)を加えました。スライドと音声がありますので、ぜひ

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2011/05/blog-post_06.html

をご覧ください。