2011年4月23日土曜日

日本再生は「現場」の人間がやる。日本の「偉い人」をこれ以上のさばらせない。(その1:日本の「偉い人」)

要約

この連続エッセイでは、今回の原発人災で(またもや)明らかになった(1)日本の「偉い人」の傲慢さと無能さを指摘し、それが(2)近代日本の宿痾的課題であることを確認します。その上で(3)日本の「偉い人」のコミュニケーションの様子を実際に確認し、それと(4)日本の「現場」の人間のコミュニケーションの様子と比較します。さらに(5)このブログ本来の話題である英語教育界にもこのようなことがあることを示したうえで、(6)日本の傲慢で無能な「偉い人」をこれ以上のさばらせないために、現場の人間ができることを考えます。



1 日本の「偉い人」


■自分の主観的願望の中だけに留まり、危機的状況に対応できない

今回の東京電力原発問題は「人災」であると言われます。例えば『中央公論5月号記事』で内田樹氏は、今回しばしば使われた「想定外」という表現は、自然界の法外さではなく、責任ある人間が主観的願望でしか考え語らなかったことを示していると言います。


「そんなに大きな地震は来るはずがない」という東電側の判断(というより主観的願望)に基づいて、「想定内」と「想定外」の線引きが行われている。「想定外」のものなど自然界には存在しない。「想定外」を作り出すのは「想定する主体」、すなわち人間だけである。
http://www.chuokoron.jp/2011/04/post_72.html


このように現実対応、特に今回のような緊急対応ができない人間を育てたのは、私のような教師が関与する教育界であることを指摘します。「エリート教育」が、危機に弱いエリート(「偉い人」)を作り出したというわけです。以下の引用は「災後」に大学で何を学ぶかにも掲載しましたが、大切だと思うので再掲します。危機的状況とは「正解」のない状況だと規定した上で内田氏は次のように語ります。


 けれども、日本のエリートたちは「正解」がわからない段階で、自己責任・自己判断で「今できるベスト」を選択することを嫌う。これは受験エリートの通弊である。彼らは「正解」を書くことについては集中的な訓練を受けている。それゆえ、誤答を恐れるあまり、正解がわからない時は、「上位者」が正解を指示してくれるまで「じっとフリーズして待つ」という習慣が骨身にしみついている。彼らは決断に際して「上位者の保証」か「エビデンス(論拠)」を求める。自分の下した決断の正しさを「自分の外部」に求めるのである。仮に自分の決断が誤ったものであったとしても、「あの時にはああせざるを得なかった」と言える「言い訳の種」が欲しい。「エビデンス(論拠)とエクスキュース(言い訳)」が整わなければ動かないというのが日本のエリートの本質性格である。(中略)
 
 日本の戦後教育は「危機的状況で適切な選択を自己決定できる人間」の育成に何の関心も示さなかった。教育行政が国策的に育成してきたのは「上位者の命令に従い、マニュアル通りにてきぱきと仕事をする人間」である。それだけである。
http://www.chuokoron.jp/2011/04/post_72_3.html


日本の「偉い人」とは、本当に自分の主観的願望の中でしか考えられず、危機的状況に対応できなかったのでしょうか。



■菅首相は政治的パフォーマンスだけのために自衛隊員の生命を危険にさらした?

4月22日の毎日新聞の記事検証・大震災:不信洗った、ヘリ放水 原発から白煙…政権「世界に見放される」は、3月17日の陸上自衛隊ヘリによる放水に関する検証を行っています。見出しだけを読むと英雄談のようですが、注意深く読むと菅首相は、政治的パフォーマンスだけのために自衛隊員の生命を危険にさらしたとも考えられます。

私なりにその検証記事のポイントをまとめますと次のようになります。


(1)原発の状況がわからないことに対して米国はいら立っていた。

(2)その中、防衛省は東電と相談した上で「3号機は上空、4号機は地上から」という放水作戦を立案した。

(3)ところが菅首相は防衛省に「地上の前にまず上空から」と指示した。

(4)この菅首相の指示に隊員から戸惑いの声も漏れたが北沢俊美防衛相と制服組トップの折木良一統合幕僚長が「放射線量の数値が高くても踏み切る」として17日に決行した。

(5)作業終了から約10分後、菅首相はオバマ米大統領に「自衛隊などが原子炉冷却に全力を挙げている」と電話で伝えた。その後、米国防総省は藤崎一郎駐米大使に「自衛隊の英雄的な行為に感謝する」と伝えた。

(6)しかしある政府高官は「放水はアメリカ向けだった。日本の本気度を伝えようとした」と明かした。

(7)実際、現実には冷却効果が期待できないヘリ放水はその後二度と行われなかった。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110422ddm001040072000c.html


以上の話を良く解釈するなら、菅首相が英断で米国からの信頼を取り戻した、といえるでしょう。しかし悪く解釈するなら、菅首相は、国民の生命を救うのならまだしも、原子炉冷却には効果がない政治的なパフォーマンスをするために陸上自衛隊員を高放射線量域へ突っ込ませたともいえます。菅首相は「現場」の人間の生命をどう思っているのでしょうか。




■海江田大臣は離れた東京の本部から現場に細かく命令を出し続け、現場の人間の誇りをズタズタにし、彼らの生命を危険にさらした

麻生幾氏の「無名戦士たちの記録」(『文藝春秋 2011年 05月号』)は、自衛隊や消防隊あるいは東北地方整備局などの現場の人間(「無名戦士」)がいかに日本を支えているのかを伝えています。

その中で描かれているのは、海江田経済産業省大臣が、東京電力本社内の政府「対策本部」から、見えもしないしデータすらもっていない現場の対応について細かく指示を出し続けてきた様子です。しびれを切らした防衛省内局幹部が現地の決断は現地に任せてほしいと懇願しても、海江田大臣は何度も独自の指示を出し続けました。

現場の隊員はもちろん臆してなどいません。しかし突っ込むときには現場で勝算が見込めるときにしたいわけです。自衛隊に続いて現場に到着したのは東京消防庁のハイパーレスキュー隊でしたが、現場の状況は予想以上に深刻で対策本部がマスコミに発表した「放水予定時間」が過ぎると、海江田大臣は「早くしろ!モタモタしていると(消防隊員たちを)処分するぞ!」と言い、さらには「東京消防庁は下がれ!もういい!代わりに自衛隊がやれ!」とまで言い放ちました(『文藝春秋 2011年 05月号』139ページ)

ハイパーレスキュー隊幹部の誇りはずたずたにされました。こと消防に関しては「世界最高の技能と勇気を持った男たち」と称されたハイパーレスキュー隊が、今ここで放水業務から撤退したらハイパーレスキュー隊の士気は二度とあがりません。いや全国の消防部隊の士気にさえ重大な影響を与えます。ハイパーレスキュー隊は、現地統合本部に「この作業は絶対に我々が行う!我々に突っ込ませてくれ!」と声を上げます。

現地統合本部の幹部は、この怒りと士気を支えました。幹部自身が防護服を着こみ、線量計を身につけ、放射線レベルの状態を命懸けで測定しました。これまで基地内の消防訓練ぐらいしかしたことがなく放射能対策などまったく未経験だった自衛隊の消防チームも消防庁ハイパーレスキュー隊を支援しました。中央特殊武器防護隊(中特防)はハイパーレスキュー隊に同行しました。

出発するハイパーレスキュー隊を自衛隊幹部は敬礼で見送ります。ハイパーレスキュー隊はそれにガッツポーズで返礼します。はじめて共に作業するハイパーレスキュー隊と中特防は、必ず最初に目と目をじっと合わせ、連携をしてゆきます。彼らの放水活動の成功は、今や皆の知るところですが、この「成功」には、遠くの安全な本部から、科学的根拠も何もない命令を出し続け、現場で働く人間の誇りをズタズタにし生命を危険にさらした日本の「偉い人」がいたことを私は決して忘れません。

また今なお原発で作業する東電の現場職員および「関連会社」の人たちの待遇が恐ろしく劣悪で、食事も睡眠もまともに取れていないことはメディアが報道する通りです。このようなことからすると日本の「偉い人」というのは、現場の人間のことを虫けらぐらい、あるいはせいぜいいつでも交換可能な部品ぐらいにしか思っていないのではないかと考えざるを得ません。




※この記事はその2に続きます。





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