2011年4月5日火曜日

新ブログの紹介のつもりでしたが、結局は日本の既得権益体制について書きました。


知恵を出そう。汗を出そう。勇気を出そう。
子どもには希望を伝えよう。
そのために、大人は真実を語り合おう。





この度、新しいブログ


英語動画で高度な英語説明力をつけよう!

http://greatpresentationvideos.blogspot.com/



を創り、高度な英語説明能力を形成するための学習環境をブログ上で整備することにしました。本日は「はじめに」を掲載するだけにとどめ、明日から少しずつ英語動画を掲載してゆきます。

詳しくは上のURLをクリックし、そのブログを読んでいただきたいのですが、この新しいブログでは基本的に読者の皆さんのお力を借りて、私たちがお互いに益することができる(小さな)文化基盤を築こうと思っています。新ブログをお読みの上、ぜひご協力いただければと思っています。


以下は、その新ブログでは書かなかった、開設の動機を書きます。



(1) 英語さえできれば世界的に活躍できる日本人は多くいるはず

私は先日シカゴで行われた学会に参加しました。学会は非常に充実したものでしたが、同時に「日本人でも英語さえできればこういった学会で活躍できる人材は多くいるはずなのに」とも改めて思わされました。

書き言葉としての英語に習熟している人が、その書き言葉としての英語能力を音声コミュニケーションの時間的制約の中で、音声言語で適切に使用することは、本来そんなに難しくないはずです(逆に日常の話し言葉では「英語ペラペラ」だが書き言葉にはまったく習熟していない人が、書き言葉としての英語を習熟するのには、多くの時間と知的努力が必要です)。

書き言葉の素養がある人にとっての、音声コミュニケーション力の獲得は、大胆に言い切ってしまえば、適切な訓練・経験さえあれば、他の身体技能獲得と同じように誰でも(かなりの程度までは)できるようになります。

しかしこれまでは音声英語獲得のための適切な訓練も経験も多くはありませんでした。そこでせめて私が始められることの一つとして、音声英語の経験を多く積むためのブログを開設しようと思いました。ブログを通じて、高度な英語プレゼンテーションを日常的に楽しむことにより、高度な英語説明能力に慣れ親しんでいけるのではないかと思ったわけです。これが私の第一の動機です。



(2) 原発問題で、日本の官僚・政界・財界・報道・学界といった「既得権益体制」(establishment)の実力のなさが顕わになり、広い市民層が英語で広く情報を受信し発信し交信しなければ日本は支え難いと思えるようになった。

ブログ開設の第二の動機は、やはり昨今の事情が関係しています。

今回の震災直後、私もこれだけの非常体制では政府と国民は一致団結し事に臨むべしという、佐藤優氏の過激な表現を借りれば「国家翼賛体制」も必要と考えました(同時に池田信夫氏のような批判も心の片隅に置いておこうと思いました)。

さて、それからの舵取りは、どんな政府でもどんな企業でも途方にくれてしまうような困難なものであったことは間違いがありません(と過去形を使ってしまいましたが、特に原発問題などは収束どころか悪化の可能性まで出てきました)。

ですから、私が以下に行う日本の官僚・政界・財界・報道・学界といった「既得権益体制」(establishment)への批判は、自らが何も手を出さずに外野席から口を出しているだけのものに過ぎません。妥当な評価というのは、後年の良心的なジャーナリストや研究者の分析を待つしかありません。

しかし私が現時点で、以下に上げたような事象を見る限り、日本の「既得権益体制」というのは、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏が1990年の『日本 権力構造の謎』(文庫版は1994年刊)で指摘したままであるのではないかと思えてきました。

ウォルフレン氏の分析では、日本の官僚・政治家・財界人・ジャーナリスト・学者などの「既得権益体制」(ウォルフレン氏は<システム>と呼びました)には、根源的な悪人はいないものの、体制側の誰もがお互いに癒着し、体制内の利益のためばかりに権力を複合的に行使し、体制の外にいる人間の幸福を阻害しています。

私は国立大学の末席を汚していますが、その末席でさえ「まあ、ここはお互い『大人』になって・・・」といった言説が聞こえてくることすらあります(もちろん聞こえてくる時にはもっと巧みで言葉尻を捉えられないような言い方になっていますが)。誰もが体制内の人間の面子を潰さないようにという言い訳の下に、合理的とは言えない仕事ぶりの上にあぐらをかくどころか偉そうにふんぞり返って、本来達成できるはずの国益を損ねているのではないかという思いは私の中に時折去来しました(もちろん私は良心的な公務員を個人的に多く知っています。ですが今は時折感じられる組織の「空気」について述べています)。

3月の最後の一週間私は米国に滞在していましたが、そこでCNN、FOX、ABCなどのニュースで伝えられたのは放射能への不安感(およびそれよりも低い頻度で地震・津波の被害者への憐憫の念)でした。

今回の地震・津波が引き起こした、原発放射能問題と日本経済への波及問題は、国内問題であるだけでなく、広く世界的な問題となっています。放射能は、直接の環境被害だけでなく、今後の世界のエネルギー問題に大きな影響を与えます。日本経済も、もし池田信夫氏が4月1日のブラックジョークとして述べた「日銀が国債引き受けへ」などとなれば、日本の財政規律の緩みが世界経済に大混乱を与えかねません。

そういった問題の悪化は、体制側の人間であるなら十分に認識し、困難な状況の中でも最善の策を打ってゆかなければなりません。それが「エリート」の責務であり、体制側の人間の雇用保障や高給はその実行力のために社会が払っている対価とも言えます。

それでは日本の官僚・政治家・財界人・ジャーナリスト・学者は、今回の国難に際して「エリート」としての責務を果たしているのか、それともやはり「既得権益」を守ることばかりに目を奪われて右往左往しているだけなのか。

ここで、もう一度繰り返さなければなりません。今回の対応に100点満点の正解などありません。また、現時点で結論を出すのは尚早です。

しかし現時点での私の限られた視野(および私なりに偏った認識)には、日本の「体制」の人間は、それぞれに悪意はもっていないながらも、結果的にはなしうることを成し得ていないシステムの中に縛られて国益を損ねているように思えます。

個人的に、喉に刺さった小骨のように気になっているのが、日本気象学会の理事長である新野宏東京大学教授が、3月18日に作成し、3月21日付けで同学会のホームーページで公表された文書です。



2011.03.21:東北地方太平洋沖地震に関して日本気象学会理事長から会員へのメッセージ
http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj/others/News/message_110318.pdf



以下、その文書の後半部分を掲載します。ただし私が、読みやすさのために番号を付け、改行を加え、さらに太字強調も加えました。


(1)
一方、この地震に伴い福島第一原子力発電所の事故が発生し、放射性物質の拡散が懸念されています。大気拡散は、気象学・大気科学の1つの重要な研究課題であり、当学会にもこの課題に関する業務や研究をされている会員が多数所属されています。

(2)
しかしながら、放射性物質の拡散は、防災対策と密接に関わる問題であり、適切な気象観測・予測データの使用はもとより、放射性物質特有の複雑な物理・化学過程、とりわけ拡散源の正確な情報を考慮しなければ信頼できる予測は容易ではありません。

(3)
今回の未曾有の原子力災害に関しては、政府の災害対策本部の指揮・命令のもと、国を挙げてその対策に当たっているところであり、当学会の気象学・大気科学の関係者が不確実性を伴う情報を提供、あるいは不用意に一般に伝わりかねない手段で交換することは、徒に国の防災対策に関する情報等を混乱させることになりかねません。

(4)
放射線の影響予測については、国の原子力防災対策の中で、文部科学省等が信頼できる予測システムを整備しており、その予測に基づいて適切な防災情報が提供されることになっています

(5)
防災対策の基本は、信頼できる単一の情報を提供し、その情報に基づいて行動することです。会員の皆様はこの点を念頭において適切に対応されるようにお願いしたいと思います。



(1)は背景説明であり、(2)の一般論も特に問題はないでしょう。

(3)も、この文書が書かれたのは大地震・津波の一週間後にすぎないことからすれば十分理解できることであり、適切な見解だったとすら言えるのかもしれません。

しかし気になるのは(3)の「当学会の気象学・大気科学の関係者が不確実性を伴う情報を提供」することを戒める部分です。(2)が言うように、予測というのはどんな予測であれ「信頼できる予測は容易ではありません」。だから素人やアマチュア研究家が安易な予測を出してそれを流布させて社会を混乱させることは厳に戒めなければなりません。

しかしこれは学会の構成員に対して出されたものです。学会員は皆、訓練を受けた科学者だと理解します。自然科学の訓練を受けていない私にこのようなことを言う資格はないのかもしれませんが、自然科学とは、複数の科学者が、仮説をめぐって検証・反証を繰り返す中でどうにか蓋然性の高い仮説を生み出す営みではないのでしょうか。

あるいは別の面から言いますと、「不確実性を伴う情報を提供するな」と言われれば、一切のシミュレーションはできなくなるのではないのでしょうか。シミュレーションは、設定により様々に異なるものです。そのシミュレーションを複数出して検討することによりはじめて人間はある程度の未来予測ができるのではないでしょうか。

一般の研究者は「不確実性を伴う情報を提供するな」という指示は、(4)の「国の原子力防災対策の中で、文部科学省等が信頼できる予測システムを整備」という主張とつながっています。

私がこの文書を読む限り、この文書は「信頼できる予測システム(=おそらくは不確実性を伴わない情報)をもつのは政府機関だけであり、一般の研究者(国立大学等の研究者も含む)は不確実性を伴う情報しか提供できないだろうからその提供・交換は止めよ」と言っているように思えます。

この見解は事実でしょうか。その後の放射能問題への対応は、日本国の文部科学省等だけが信頼できる予測システムを整備している、ということを裏付けるものだったでしょうか。

いや、(4)には曲者の表現がありました。国によって「適切な防災情報が提供されることになっています」という表現です。

国だけが正しい情報を提供できるというのは「そうなっていること」、つまりは体制のタテマエです。私はこの解釈に基づき、上記の文書は体制側のタテマエから、能力と装置を備えているはずの研究者が複数体制でデータやシミュレーションを交換し相互に検討する科学の営みを(一時的にせよ)禁じているように思えます。

続いて(5)はこう言います。「防災対策の基本は、信頼できる単一の情報を提供し、その情報に基づいて行動することです」。これもそう願いたいところです。国の言う事を信じておけば間違いがなければどんなにいいことでしょう。私も(皮肉でなく)そう信じたいですし、また国のために働く者はそのために限りなく努力するべきでしょう。

しかし「国が間違わない」というのは理想上の虚構であり、現実にはどんな国もどんな組織も過ちを犯します。ですから現実で大切なのは、間違いをすぐに検知できる仕組みを保ち、致命的な過ちだけはどうやっても防ぐことです。そのためには複数による相互検証体制が必要でしょう。

子どもには「総理大臣が大丈夫と言っているのだから、大丈夫よ。心配しないで」と言っても、大人としては「政府の見通しに欠点はないか」と検討を各方面から加えることが必要です。その検討、間違っているかもしれないという懐疑を通してこそ、現実世界の信頼は生まれるというものでしょう。

しかし上記の文章は、日本の科学者までも子ども扱いしていませんでしょうか。その結果、日本の市民そして世界中の関係者や市民までも子ども扱いにしていませんでしょうか。

日本国内ですら、政府や東電の記者会見は「背景説明やこれからの見通しもなしに、現時点でのデータを言うだけで、あとは『大丈夫、安心してください』と繰り返しているだけだ」といった批判が多く聞かれます。(データを提示するしかしないのは、上の「国は間違ってはいけない」というタテマエを信ずるあまりかもしれません)。

この記事によれば福島第一原発20キロ圏内で放射線測定が始まったのは米国からの圧力によるものとされています。本日の時点では佐藤優氏が「このままだと日本は「原子力犯罪国家」の烙印を押される」として警告を発していましたが、これを書いている今、松本外務大臣は今回の放射性物質に汚染された水の海への放出は国際法上も問題がないと声明を出したという一報が入ってきました。これがこれから国際問題に発展し、日本の信頼が損ねられないことを願うばかりです。

こういった政治家の見解も、きちんとした科学者集団のデータ提供に基づいていなければならないことは言うまでもありません。


今回の問題を私なりに言い換えるならば、それは次のようになります。


日本国の体制(establishment)が、日本国民だけでなく、世界の国々と市民に対して次のように言えるのか。

「国の原子力防災対策の中で、文部科学省等が信頼できる予測システムを整備しており、その予測に基づいて信頼できる単一の情報を提供しています。ですからご安心下さい。」



これは当然言えないでしょう。

これまでの日本国民なら、そういうことに


「なっています。」


で済ませたかもしれませんが、他国の政府や国民は当然のことながら、そんなことでは納得しません。

いや、もう既に多くの日本人もそんなことでは納得しなくなっています。未来の日本人はそんなタテマエは、既得権益体制が自らの体面と利権を守るための戯言として受け付けないでしょう。


いや、既に元原子力安全委員長も含めた専門家16名が、


はじめに、原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします。

で始まり、

事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的な取組みが必須である。

 私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである。


で終わる「福島原発事故についての緊急建言」を3月31日付で出してます(http://news.livedoor.com/article/detail/5465397/。ですから少なくとも原子力に関する学界は、旧来の既得権益体制を壊して、新しい、実行力をもつ体制を構築する必要を認めています。

そうなると、今はこの提案を受けても、日本の「既得権益体制」の残りのメンバーである官僚・政治家・財界人・ジャーナリストなどが、自己解体と自己再生をできないままに軽い麻痺状態にあると見るべきでしょうか。


TIME誌のあるエッセイは次のように主張しています。


It is not a leader or two who has let Japan down. The problem has been an establishment of interlocking power bases: civil servants; LDP bigwigs; judges, lawyers and prosecutors; protected economic interests; and, not least, a press whose members, to quote van Wolferen again, are "the world's greatest connoisseurs of political factionalism ... almost incapable of recognizing actual policy initiatives when they see them."

http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,2062424,00.html#ixzz1IeblZyWT



拙訳(意訳)
日本を駄目にしたのは、あの首相だとかこの首相だという問題ではない。日本の問題は、以前からそうであったのだが、入り組んだ権力基盤をもつ体制(エスタブリッシュメント)である。この体制は、官僚・公務員、自民党大物などの政治家、裁判官・弁護士・検事のすべての法曹関係者、守られ続けている経済的既得権益、そして(決して見逃してはいけない!)ジャーナリスト、といったメンバーから構成されている権力構造である。報道についてはウォルフレン氏の言葉を再度引用したい。「日本のジャーナリストとは、政治派閥の細かな動きに世界一詳しい人種である。日本のジャーナリストは、政治派閥の動きにあまりに気を取られるゆえに、現実に政治主導の動きがありそれを目にしたとしてもその動きに気づかないほどである」。



現在、上杉隆氏(http://twitter.com/#!/uesugitakashi)らが昔から問題提起していた記者クラブの弊害がどんどんと顕になっているように思います。この震災が落ち着く頃、日本の商業マスメディアはその力を大きく失うのかもしれません。


大前研一氏は、今回の震災において、自身のビデオを無料公開しています。

次のビデオ(4月3日放映)では、硬直的な官僚的思考が、今回どれだけ大きな間違いを犯しているか、日本の原子力関係の学界がどれだけ東京電力の権益の中に組み込まれているか、などということの述べています。



しかし上のビデオよりも見て欲しいのは次の「日本経済メルトダウンの危機 家計と個人消費の現状」です。





日本は震災前からの諸問題を解決したわけではありません。震災・原発問題の解決だけでも大変なのに、これまでの諸問題は今回の震災・原発問題と複合して、日本の大きな課題として立ちはだかっています。


現代の私たちは、幕末・明治の先達のように新しい体制を自らの力で創出することができるのか。あるいは第二次大戦のように状況を悪化させてしまって、占領勢力(次はIMF?)によって大手術を受けるのを待つのか。それとも、ただ世界中から尊敬を失い、衰亡していくのか・・・


本当に日本史上の大転換点に私たちは立っていると思わざるを得ません。ここにおいて、日本のより広い層の市民が、より高度なレベルで直接に、国際的な通用語としての英語で、情報を受信し、発信し、そして語り合うことで他国の人々の信頼を得ていかなければならないと私は考えます。これが冒頭に紹介した新ブログを開設した私の第二の動機です。



追記 (2011/04/06)

(1)

4月5日時点で、Nature誌関連のブログThe Great Beyond(http://blogs.nature.com/news/thegreatbeyond/2011/04/fukushima_update_data_data_eve.html)は、以下のように、日本政府のデータ開示に対してやや共感的に理解を示しながらも、東電の体質には疑問符を突きつけています。


The Japanese government does appear to be making efforts to be open about data, though.

(中略)

With Japan preoccupied with efforts to deal with the huge aftermaths of the 11 March earthquake and tsunami, and now having a nuclear disaster on its hands, researchers are loathe to criticize the accessibility of the data to outside academic researchers.

(中略)

Researchers say that they largely trust the Japanese government data, but are more sceptical of that produced by TEPCO, the operator of the Fukushima plant.

(後略)



(2)

気象庁はhttp://www.jma.go.jp/jma/kokusai/eer_list.htmlで、「IAEAからの要請と当庁が作成した資料一覧」を掲載していますが、以下のような但し書きを付けています(太字にしたのは、気象庁が赤字にしている箇所です)。


資料を参照する上での注意事項

* これらの計算結果は、IAEAの指定する放出条件に基づいて計算したものであり、いわば仮定に基づくものであって、実際に観測された放射線量等は反映されていません

* 当庁の同業務における計算の分解能は100km四方と、避難活動等の判断にとって極めて粗い分解能で行われているものであり、このため、この結果は国内の対策には参考になりません

* 国内の原子力防災については、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算結果が公表されています。





(3)

気象庁の上記記述にはリンクが貼られていませんでしたので、"緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム"で検索をかけてみましたところ、政府機関が出したと思われるのは以下のPDF書類一つで、それも3月23日付けの原子力安全委員会によるプレス発表だけでした。(その他にデータ公表している政府機関があればご教示ください)。

http://www.nsc.go.jp/info/110323_top_siryo.pdf



(4)

北陸電力は、「事実関係」として以下のことをホームページで公表しています(http://www.rikuden.co.jp/shika1rinkai/jijitsu.html)。内容にも、この告白の仕方にも、正直驚きを通り越して・・・と言った気持ちですが、私たちはこういった事実を直視しながら日本社会でのコミュニケーションのあり方を考える必要があります。


■平成11年6月18日、志賀1号機は、第5回定期検査(平成11年4月29日停止~7月23日起動)のため停止中でした。

■同日未明、原子炉停止機能強化工事の機能確認試験の準備として、制御棒関連の弁を操作していた時、
2:17 想定外に制御棒3本が引き抜け、原子炉が臨界状態となりました。
2:18 原子炉自動停止信号が発生しましたが、引き抜けた制御棒3本はすぐに全挿入されませんでした。
2:33 弁の操作により制御棒が全挿入となり、臨界状態が収束しました。

■事故後に、所長以下関係者が発電所へ集まって対応を協議しましたが、約2ヵ月後に控えていた2号機着工などに影響があると考え、最終的に所長が外部へ報告しないことを決断しました。

■事故に関するデータを改ざんして必要な記録を残していませんでした。




(5)

「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」通称(SPEED I)については、自民党の河野太郎氏が自分自身のブログで、官邸も文部科学省も原子力安全委員会もどれも誰がSPEED Iのデータを開示できるかわかっていないということを暴露しています。(http://www.taro.org/2011/03/post-957.php



(6)

東京電力は、科学者や一般市民がデータを活用しやすいCSVファイルでデータ公開をするノウハウも実績ももちながら、放射線量測定データは使いづらいPDF形式で公開し続け、それを質す質問にも結局のところは「何卒、ご理解いただけますようお願いいたします。」としか言っていません。(http://getnews.jp/archives/109133)。CSVファイルなどでデータを活用しやすいように公開することについては上記のNature誌関連のブログThe Great Beyond(http://blogs.nature.com/news/thegreatbeyond/2011/04/fukushima_update_data_data_eve.html)も要求していることです。



(7)

私が上記(5)と(6)の情報を知ったのは、「ガジェット通信」の政治経済欄です(http://getnews.jp/cat/%E7%B5%8C%E6%B8%88)。これもGoogle Readerで購読するようにしました。

今回の震災で私が信頼する情報源としているメディアは、ニコニコ動画(http://www.nicovideo.jp/)やBLOGOS(http://blogos.livedoor.com/)、あるいはツイッター上の信頼できる個人です。どれも自由と透明性がかなり担保されていると考えます。

ですが、旧来の商業マスメディア(そしてそれに影響を受けてきた私たち)は、これらのメディアを「キワモノ」扱いしてまともに取り上げようとしません。この震災を境に、旧来の商業マスメディアは日本では凋落してゆくのでは(というよりしてゆくべきなのでは)と思わざるをえません。











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