2011年5月5日木曜日

ウィキリークス以後、日本の報道は、そして報道の言語はどうなるのか・・・

ウィキリークス(WikiLeaks)のことを、これまで日本のマスメディアはしばしば「暴露サイト」と呼んだり、創始者のアサンジ氏(Julian Paul Assange)のことを「容疑者」(性的暴行容疑)と呼んでいましたが、(これを書いている時点で)本日(2011/05/04)、朝日新聞は、ウィキリークスからの情報を使っての報道を大々的に行いました。

報道内容は海兵隊のグアム島移転のことなどで、それほど驚くべきことは書かれてありませんでしたが、日本のマスメディアがウィキリークスを正式に認知したことの意味は大きいと思います。

これまで日本ではウィキリークスは対岸の火事のような扱いでしたが ―実際、先ほどリンクをはるために日本語ウィキペディアを覗きましたが、そこからWikiLeaksへのリンクは古いものでつながらないものでした!― これからは日本の報道もウィキリークスを大きな情報源として扱わざるを得ないでしょう。

駅売りの朝日新聞を買い、電車の中で新聞を読みながら私は「なぜ朝日だけに情報を提供したのだろう。他の新聞には提供しなかったのだろうか」などと思っていましたが、帰ってきてパソコンでTwitterを見てみたら、あっさりとWikiLeaksがtweetで、朝日新聞が取り上げた情報の原文の公開サイトを知らせていました。



Twitterであっさりと原文が入手できることに脱力するような驚きを覚えると共に、現時点では(今は23:54)Twitterで「ウィキリークス」で検索をかけても「東京新聞・共同通信の方が詳しい」とか「読売新聞はニューヨーク・タイムズからの情報として扱った」などなどのtweetsはあっても、原文を参照したものは(私が見た限りですが)まったくなく、なんだか英語での情報圏と日本語での情報圏というのは、本当に隔絶しているのだなぁと改めて実感したりしました。

私は英語教育を商売にしているので、すぐにこのように考えてしまうのですが、日本語だけでしか情報をとらない・英語を読もうとしないことの意味合いについては、ちょっとブログでは言葉を濁してしまうぐらいの強い思いがあります。

震災以降、私は民放のニュース番組をほとんど見る気持ちを失いました。以前はよく、テレビをつけっぱなしにして、各局の報道を比べたりしていたのですが、地震津波の天災と原発人災以降、民放テレビは所詮大衆慰撫の手段、あるいは国民統治の道具かと思えてきたら、もう見る気がなくなりました。(好きだったお笑い番組も、今のところ見る気にもなれません)。

今朝、Russia Todayのことを書きましたが、更新情報を自動的に入手できるようにしていたら、結構面白く英語ニュースを見ることができます(私は仕事の合間に息抜きとしてこのような時事情報を得ます)。

さきほどテレビも見るものがないなぁと思っていましたら(私はながら族の癖があります)、「ああ、そうかBBCをかけっぱなしにしておけばいいのか」と思い直し、ここしばらくスイッチさえ入れていなかったSkyPerfecTVのチューナーを起動し、さきほどからBBCをかけっぱなしにしています。(私は一時期、アメリカテレビドラマにはまり込み、SkyPerfecTVの番組をさかんにハードディスク録画していましたが、仕事が忙しくなるとほとんど見る余裕をなくして、チャンネルをBBCとCNNぐらいに減らして契約だけはそのままにしておりました)。

これから、ながら族のテレビとしては、しばらくBBCを流しておこうと思います(震災報道でセンセーショナリズムにはしったCNNは見る気になれません)。

これからしばらく私は、日本語報道は、引き続き毎日新聞の購読を中心として、後はTwitterで@gloomynews http://twitter.com/#!/gloomynewsなどで各紙報道を比較しながら、時折講談社の『G2』http://g2.kodansha.co.jp/などの雑誌を買うことにとどめておきたいと思います。繰り返しになりますが、日本のテレビはせいぜいNHKの報道番組ぐらいしか見る気になれません。これだけで十分だと思えます。これ以上、日本のマスメディア(新聞・テレビ)を見聞きしても、同じような話を繰り返し聞かされ、世論誘導の波に乗ってしまうだけではないかと悲観的に警戒します。

あとは英語報道で、ネットからはThe New York Timesを中心としながら、後はGoogle ReaderとTwitterでひっかかってくる様々な情報(ロシア、ドイツ、中国、インドなどの英語報道を含む)を得て、テレビはBBCぐらいにするつもりです。時間としては日本語報道よりも英語報道に長い時間をかけようと思います。

実は本日用事があって街に出ましたが、そのついでにiPad2を注文しました。iPad2で私の情報生活も変るでしょうし、Apple TVも購入し寝転びながらテレビでiPad2経由のウェブ動画などを見るようになれば、私の情報生活はさらに大きく変るかもしれません。

先程も述べましたように、私は英語教育を商売にしていますから、どうしても「英語、英語」となってしまいますが、水村美苗さんが『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』で予言した、日本語での情報がだんだんと魅力をなくし、日本人でさえ少しずつ知的目的のためには日本語でなく英語を選び始める(そしてますます日本語では魅力ある知的生産が行われなくなり、知的な言語としての日本語が亡びる)というシナリオはやはりありうるのかなとさえ思えてきます(もちろん私はしばしば早急に悲観的になるという癖をもっていることは勘案に入れるべきですが)。

自然科学、工学、医学、あるいは国際的なビジネスを行う人が仕事では英語で読み書きすることを志向していることは周知のとおりですが、それがだんだんと報道などの一般的な知的生活にも広がりかねません。それとも日本の一般的知的生活は日本語だけで行われ、「日本の常識」と「世界の常識」がますます乖離してゆくのか。そしてまがりなりにも英語で読み書きできる人は、日本語で書く気楽さよりも、英語で書く苦労の方を選び、より確かな読者層がいる英語圏に知的な自分を所属させようとするようになるのか・・・

すみません、まとまりません。もう寝ます(笑)。この文章も明日朝起きたら、なんだこりゃ、と自分で思ってしまうものかもしれません。




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