2012年5月14日月曜日

辻本雅史(2012)『「学び」の復権――模倣と習熟 』(岩波現代文庫)




教育学部で働いていて違和感を覚えることの一つは、学ぶこと、教えることのすべてを学校教育という制度の中でしか考えようとしない人々にしばしば出会うことだ。そのような人は学生さんに多いが、時に現職教師、さらには教育学研究者の中にもいる。

人類学的に考えてみれば自明なのだが、学校教育制度というのは近代の産物に過ぎず、人が他人に何かを教える現象は学校教育制度を超えて存在する(簡単な例だと職場での教示)。ましてや人が何かを学ぶ現象はさらに広範囲に存在する(例えば、人が自然の中から何かを学ぶこと)。

ところが「学校化された」とでも言いたくなるような人々は、すべてを学校教育の考え方でしか考えようとしない。学校教育のやり方こそは教え・学ぶ方法であり、それ以外の方法など考えがたいとばかりである。さらにはすべてを学校教育化し、学校教育のような制度の中にあらゆる教え・学びを収斂させようとする。私はその発想が端的に言うなら気持ち悪くて仕方がない。

もちろん学校教育のあり方を全面否定するつもりなど毛頭ない。ただ、学校教育的な考え方しかしないことだけは勘弁してほしいというのが私の考えだ。学校教育の肥大化についてこの本(『「学び」の復権――模倣と習熟 (岩波現代文庫)』)の著者も言う。

学校教育の肥大化は、近代公教育の制度が普及し徹底していった結果である。したがってどんなに長く見積もっても、歴史的にはたかだかここ100年に満たない。否、先に見た意味での<学校化社会>という現象は、高度経済成長以後のここ、三、四十年のことにすぎないと見た方が、日本の現実に近いであろう。すべての子どもが、一定年齢の相当長い期間、学校という特定の場所・施設に強制的に「囲い込まれ」、一様の教育を受けなければならないという現象は、人類の歴史という大きなスケールで眺めた時、ごくごく近年の、きわめて特異な事態に属する。(辻本 2012, p. 187)


それでは近代学校教育の特徴とは何か。著者はそれを「教え込み」として次のように総括する。

近代学校教育は、一人の教師が多数の生徒を相手に、一斉授業の形式によって行うことを原則とする。学校では限られた時間のうちに多数の生徒に対して大量の知識を教えなければならない。したがって、教える知識は、「教科」という形に類別され、生徒の発達段階や年齢なども考慮して、一定の合理的なカリキュラムやプログラムにしたがってなされる。そこでは、多くの生徒に、限られた時間で、いかに効率的・合理的で正確に教えることができるかが追求される。概念化され理論化され言語化された知識が、言葉によって「教え込まれ」ていく。これが近代の学校教育のなかの「教え込み」の原理である。
ここでは「教える主体」としての教師が中心になって、「教育」が構想されている。いかに合理的に効率よく教えるか、そのための教える技術が工夫され、教える知識の合理化が、カリキュラム研究として追究されていく。近代の教育学という学問は、このような問題群を主題として、近代ヨーロッパに立ち上がってきた。粗雑なものいいを承知で言えば、それは教える主体を自覚した教師の立場からの学問であった。近代学校とその学校の「教室」は、こうした「教え込み」の教育方法の原理が支配する場にほかならなかった。(辻本 2012, pp. 228-229)


「教え込み」を職業とする「教える主体」という措定は、学習者を「学ぶ主体」とではなく、しばしば「教育の客体」として捉えることを私たちに促す。近代的な教師・教育学研究者の多くは、学習者を、教育の対象であると信じて疑わない。

ここでは学習する子どもの方が教育の客体で、教える主体の事情が基本となって教育が構成されている。そして今日われわれは、そのことを疑うことさえ忘れてしまっている。それを当たり前のこととして受け容れているのだ。(辻本 2012, p. 23)


もちろん学習者を教育対象・教育の客体としてでなく、学ぶ主体として認め、学習者の学びを伸ばしている優れた現場教師は存在する。そのような教師による実践を、近代学校教育のイデオロギーに回収してしまうことのないように注意しながら丁寧に読み解くことは、現在、さまざまな点で行き詰まりを示しているようにしか思えない近代の学校教育を再生させるためには有効な方法だろう。

だが別の方法は、この著者のように、近代以前の教え・学びを丁寧に調べ、近代学校教育を相対化することだろう。かくして著者は手習塾(=いわゆる寺子屋)の様子や貝原益軒の思想を、近代的発想に絡め取られてしまわないように注意を払いながら解明してゆく。

手習塾について、著者は例えば次のように述べる。

手習塾への入塾は、ある手習師匠の弟子になるということを意味するものであって、手習塾という教育機関に入学する、という感覚ではなかった。学問の学習も同じことだが、どの師匠に就くかということは、学ぶ側(実際には学習する子どもの保護者)の意志によって選択される。
(中略)
要するに手習塾での学習と教育は、信頼するに足る手習師匠(教師)と子ども(「寺子」、学習者のこと)との一対一の師弟関係、つまり個別の人間関係を機軸として成り立っていたのである。いいかえれば、教育の機関として塾がとられているというよりも、信頼できる師匠と弟子の、人と人との教育の関係が成り立つ場として、塾があったというべきである。(辻本 2012, p. 19)


貝原益軒の教育観でも師弟の信頼関係が強調されているが、彼は特に「術」(実践のための具体的な方法)の体得に関して、師匠が弟子に術を「教え込む」ことによって弟子が術を体得するのではなく、弟子がよき師匠を見定めその師匠と行動を共にする中で術を模倣し体得するのだと述べる。以下はこの本の著者のまとめである。

「術」が学ばなければ得られないものであるなら、その学ぶ対象の正否が重要である。だから「師は人の模範にして、学者の法効する所以(ゆえん)なり。故に師良くしてしかるのちに学術正し」(原漢文、『初学知要』巻上)というように、「術」は師を模範として、それを模倣して学習する、という模倣と習熟の学習が説かれる。ここに益軒の教師論がうかがえる。教師は教える主体であるよりも、学ぶ者が真似るための模範(モデル)としての存在である。だからいかに教えるかではなく、いかによき模範となりうるかが、教師の課題となる。(辻本 2012, p. 119)


しかしこういった「近世的」(=非「近代」的・前「近代」的)教え・学びには絶対的な前提がある。「学習者の側の能動的で内発的な学ぶ意欲」つまり「志」(p. 142)である。ではなぜ日本近世の手習塾あるいは学問塾(いわゆる私塾)で学ぶ者は「志」を持つことができたのであろうか。学習者の学ぶ意欲が低下し、それならばと、勉強をしないと資本主義社会での競争での「負け犬」となると脅しているものの、それによって一層学ぶ意欲が失われているように思える現代(例えば内田樹先生の現時点での最新エッセイ「利益誘導教育の蹉跌」を読んでいただきたい)にとって、江戸期の「志」とは重要な論点である。

著者はこの本を使って、江戸期の教え・学びを具体的に描き出し、この「志」についても詳らかにしているが、「志」に関して単純に論点化すると、なぜ当時の人々が「志」を持つ(あるいは志を立てる(「立志」)ができたかについては、次の二つの要因が大きい。

(1) 学ぶ内容が、「生きる」ことに密着していた。

(2) 学ぶことを意味づける思想的な世界(コスモロジー)が存在していた。


説明が容易なのは(1)である。著者が第一章で明らかにするように、手習塾の多くの学習内容は、商人の子、あるいは農民の子などが、それぞれの生業で必要とする読み書き算盤であったので、いわば「学ぶことの意味は疑う必要もなく、子どもたちにただちに実感することができた」(辻本 2012, p. 199)のである。(またそもそも手習塾は制度的に強制されたものでなく、学ぶ者(およびその保護者)の自由意志で行くものであったことも付け加えておくべきだろう)。

(2)については、近代的イデオロギーに絡め取られてしまっている人には、ある程度の説明が必要だろう。以下は著者による(2)の説明だが、多くの現代人はまず「天地」ということばに戸惑うかもしれない(あるいは失笑さえするかもしれない)。

益軒においては、学ぶことの意味は、「天地に事(つか)える」という思想的な意味付けのなかで説かれていた。このように、近世の学問の学びには、それを意味付ける思想的な世界がその背後に広がっていた。(辻本 2012, p. 198)


それでは「天地」、そして「天地に事える」とは何か。著者は益軒の思想を要約する。

益軒の「事天地説」(「天地に事えるの説」、漢文著作の『自娯集』に所収)の説明によれば、「天地に事える」とは、「天地の心」に随(したが)うことである。「天地の心」というのは物を生み出す心であり、それが人にあっては「仁」の徳にほかならない。だから「天地に事える」とは、実際には仁を実践することになる。仁を実践するとは具体的にはどうすることか。五倫五常にしたがって「人倫を愛し」(君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の道を正しく行うこと)、次いで「物を愛す」ることである。「物を愛する」というのは、禽獣(きんじゅう)や草木を正しい「礼」にかなったやり方で用い、正しい「時」(適切な時期)にしたがって獲(採)り、むやみに獲(採)ったり殺したり食べたりしないことなのだという。(辻本 2012, pp. 114-115)


この益軒の思想は、人倫世界のみならず「物」すなわち自然の世界も含めて学問をとらえている点で、他の江戸前期の儒学(例えば中江藤樹、熊沢蕃山、山崎闇斎、伊藤仁斎、荻生徂徠)とも異なり(p.115)、また「理」よりも「気」の働き(あるいは「天地の道」)を重視していたように思えるという点でも、当時の標準的な朱子学解釈とも異なっていたように思える(p. 100, p. 117 ― ただし私は朱子学についてほとんど無知なので、このようにまとめてよいのかについての全面的な自信はない)。だがこの「天地に事える」とは益軒だけの独自の思想ではないように思える。少なくとも武術の世界では ―待ってました!武術ヲタの与太話!!www― このような話は多く聞かれる。

私が稽古させていただいている武術(=近代スポーツ競技としての「武道」との違いを強調するなら「古武術」)でも、筋肉の意識的使用を中心とした近代スポーツ的発想と異なり、重力や身体構造といった自然の原理に忠実に従った無意識的な動きができるように稽古を重ねる。筋肉の意識的使用では、自分より身体の大きな者・素早い動きをする者には勝てないからだ。やや短絡的に論を立てるなら、重力と身体構造はまさに天地の働きであり、その象徴的表現が正中線などであるから、武術は、「天地に事える」ことを目指している。

自ら一人の時に天地に事えるだけでなく、相手に攻撃された時でも天地に事えるためには、たとえ攻撃している相手に対してさえも、邪気や怒気を含むことなく、自らの心身を正して一種の「礼」をもって接しなければならない。これは観念的な道徳論ではなく、きわめて現実的な技術論であり、実際にこのように心身の状態を持ってこなければ(古)武術の技はかからない。

だから武術の稽古では、最初に必ずといっていいほど黙想をし、心とからだの状態を整えた上で、正面に礼をする。師と弟子がお互いに礼をするのは、その後である。

この礼は、日本の教室にも(やや惰性的に)残っている授業開始時の礼とは異なる。教室の礼は互礼であり、人間と人間の間での礼である。だが武術の礼は、心身を澄ませた上での「正面」への礼に始まる。「正面」は、道場によっては「神前」となったり、物故したその武術の創始者の写真などとなるが、いずれにせよ「正面」とはその道場の師匠をも超えて、師弟共に目指すべき(しかしおそらくは永遠に到達できないだろう)境地を表現したものである。

自説を述べるなら、自意識を振り払うことができない人間にとって「天地に事える」ことも「正面」が表現していることと言えよう。その「正面」に師弟共々、正座し低頭して礼をすることから武術は始まる。これは現在生きている人間を超えたものへの敬意表現である。この敬意抜きに武術を修得することはできないと(少なくとも日本では)考えられているのだろう(日本の武術と共通点の多い中国武術やロシアのシステマにおいても、それぞれのやり方で人間を超えたものへの敬意を表現していると私は理解している)。

この意味で武術とはきわめて「宗教的」であると考える。「宗教」とは、幕末から明治初期にかけて"religion"の訳語として普及したことばである(ウィキベディア:宗教:語源)。その"religion"の語源の一つの説は、"bind fast"「結びつける」である(Online Etymology Dictionary: religion)。武術が「宗教的」(=religious)というのは、武術が人に天地とそして相手という人と結びつくこと(あるいはそれらに即すること)を求めるからだ。対比的に強調して言えば、近代競技スポーツの発想が、いかにある自意識が、自らの自由意志で動く筋力をいかに発達させ、天地人に抗って動くことができるかというものであるのに対して、武術の発想は、いかに天地人に事え即して動くことができるかということである。武術は外見的には単なる身体運動に見えるかもしれないが、実は身心共の宗教的行為であり、自らと天地、そして相手という人と一体になる修行であり、さらには自らの中で分離しがちな心とからだを一つにするという修行であるといえる。

最近ある学生さんが「先生、どうしてそんなに武術の稽古をしようとするのですか」と尋ねてきた時、私は「自分の心とからだを洗濯するため。洗濯した木綿の下着を身につけるのが気持ちいいように、自分の心とからだを洗濯すると気持がいい」と答えた。もちろん私は自意識過剰の武術ヲタであり、こんな小理屈はこねてもまともには稽古していないし、そもそも稽古だっていつまで続くかわからないようないいかげんなものだが、武術修行が一種の宗教的行為であるというのは、それほどの奇説ではないと思う。

さらにいうならこの宗教的側面は、武術の稽古(学習観・教育観)とも密接に関係しているし、上に述べた近世の学習観・教育観ともつながると思う。ひいては、この本の著者も第五章で論じているように、西岡常一氏などによって伝えられている日本の伝統的な徒弟制と内弟子の職人の教育法につながっていると思う。西岡常一氏については別の機会にまとめたいので、ここでは近世の学習観・教育観と現在にまで伝えられている(古)武術の学習観・教育観の共通性について整理したい。

近世の学びについて著者は次のように述べている。

子どもは、みずからの力、五官 [ママ] を動員して、まわりの人々や環境を「見習い聞き習い」しながら、さまざまな活動を繰り返し、たえず学んでいる。ここでは、子どもがみずからの活動によって自力で学んでいるということ、そのことがまず何よりの大前提になっていることに注意しなければならない。そのうえで、子どもがあるべき規範(「義理」)を逸脱しはみ出した場合に、それを見逃さず指摘し、厳しく戒めること、これが益軒のいう「教える」ということなのである。むしろ「教えない」(教え込むということをしない)教育といった方がよいだろう。(辻本 2012, p. 140)

これと同じと思われる学習観・教育観は武術の世界にも見られる。たまたま私が最近読んだ『開祖の横顔―14人の直弟子が語る合気道創始者・植芝盛平の言葉と姿』から例示したい。(武術ヲタの固有の越権行為として、私は偉そうに引用するwww)

加藤弘師範はインタビュアーの「改めて開祖の教えを伺いたいのですが」という誘いに、まずは次のように答える。

あまり細かいことは仰らなかったですね。ただよく大先生 [=開祖・植芝盛平先生] は教えていないと言いますが、私は違うと思う。教え方があるわけで・・・。最高の教え方ってなんだと思います?」(加藤弘(月刊秘伝編) 2009, p. 150)


「何でしょう?」と問うインタビュアーに加藤師範は次のように答える。

最高のものを見せること。やっている姿、雰囲気を見せること。どう投げるなんていう方程式じゃないですよ。開祖の動きを見て、そのなかで何を受け取るのかというのは各人の才能やどれだけ勉強するか。逆に言えば開祖のどこを見たかで全部違う。木剣一つの振り方でも全部違いますよ。でも、いまでも合気道を続けていられるのは、開祖の最高の動きを見たり、手に触れたりしてるからだと思いますよ。(加藤弘(月刊秘伝編) 2009, p. 150)


開祖は近代的な「教え込み」はしていなかったが、師として範を示す(=師範)としては素晴らしかったというわけである。

あるいは山田嘉光師範は「合気道を学ぶ上で何が大事でしょう」という質問に対して、次のように答えている。

自分のレベルを下げない。そのためには、先生、先輩、同輩の良いところをどんどん盗む。盗んで物真似はしない。躊躇せず自分なりに消化する。本当は物真似なんかできないんだよ。違う人間なんだから。だから先生も教えながら「教えても駄目だろう」と思ってたんじゃないかな?結局人が違えば合気道の質も違う。それが合気道の良いところであり宿命。そういう意味で誰も大先生の合気道をやっていない。本当の合気道は大先生だけ。あとは真似事だよ(笑)。(山田嘉光(月刊秘伝編) 2009, p. 150)

ここには教える者の主体性ではなく、学ぶ者の主体性が非常に重要視されている。

このように、天地の理に即した技を見て(あるいは実際に投げられて)、自ら体得するには、自らの身心が澄んでいなければならず、その意味で「宗教的」な要素が武術において大切になってくる。開祖の卓越した能力を認め、自らも開祖の目指した道を歩む多田宏師範(内田樹先生とのインタビューは)http://www.tatsuru.com/guests/interview.tada.htmlは、武術の宗教的側面について次のように語る。

宗教のお話を言えば、大先生は、古神道の禊ぎで高度な能力を得られている。それによって技術も高度なものに変身していったようです。その間の進み方が非常に早かった。技の進化の早さが普通ではない。出口王仁三郎師のところに参じて大変な霊感を得て、心の方が先に進んでしまったのでしょう。ただその心の問題を道徳的な面や抽象的に考えると判らない。呼吸法や具体的な精神集中の科学ともいえる行法を若い時に身につければ、後でそれが全てに活かされ出てくる。これは身体運動だけを行なっている人間には判らない世界だ。(多田宏(月刊秘伝編) 2009, pp. 267-268)
さらに多田師範は、「順番で言えば動きよりも心があるべきでしょうか?」という問いに関して、心とからだのあり方、あるいは心そのもののあり方について述べる。

うーん、いや一般的には同時に行った方が良い。技術が先で、心は後で良いというのは間違いだ。ただ心が先というのも無理がある。もっと簡単に言えば、自分の稽古したものを自分で観察できる体勢を作り上げるのが良いと思う。(多田宏(月刊秘伝編) 2009, p. 268)
無論ここで多田師範が述べられているのは、自分の動きをビデオ録画し、その録画を分析的に見るなどということではない。そうではなく意識をクリアーにして自らを観察することであろう(関連記事:Comparing Foreign Language Communication to Budo (Martial Arts), Movement of Budo (martial arts) and Luhmann's systems theory)。

ここで「宗教」について再び述べると、現代の私たちはしばしば宗教を心だけの問題として考えてしまっている。さらに、宗教が大切にする心とは、ことばで道徳論にそのまま翻訳できるものぐらいに考えてしまっている。現代の多くの人の宗教観は、身体を忘れ言語に傾斜しているのではないだろうか。

宗教も例えばプロテスタントは、同じキリスト教のカトリックと比べてもずいぶん言語の働きが強い(牧師からの説教に慣れたプロテスタントのクリスチャンが、カトリック教会に参列すると言語の少なさと儀式の多さにびっくりするかもしれない)。だがプロテスタントはその由来からしても極めて近代的な宗教である。同じ一神教でもイスラム教では、礼拝の身体性がずいぶん強調されているように私には思える(また、ラマダンをきちんと実行しているイスラム教徒の留学生に私は毎回感心している)。仏教も只管打坐や読経では身体性が重視されている(密教では身体性がさらに徹底されている)。現代人が「宗教」を考える際には、少し言語的側面を少なめに見積もり、かなり身体的側面を重視して考えた方がいいのかもしれない。

武術の宗教性も、道徳的説諭に言語翻訳されるものではなく、身体的なものであり、かつ非言語的な心のあり方に直結したものである。多田師範は、武術・武道の宗教性を道徳的に解釈してしまう人が多い現状を踏まえて、次のように述べる。

それは社会倫理的なことを重視した教えに影響されている。特に戦前は武士道とか忠君愛国とかが強烈に言われてきたから。だけど本当は心のエネルギーの使い方の法なんです。もちろんその使い方っていうのも道徳と関係がある。なんで人を虐めるのか、なんで憎しみをもつのか?それは対象に囚われるから、武道ではそれを隙という。心に隙を持つと相手を妬んだり恨んだりあるいは虐めたりする。それを隙だと自覚して、そういう風なものに囚われない、対象に囚われない感覚の統御法をねっていくのが武道。技はその表現でもある。ところが漠然とした「道徳」として解釈しちゃうとそこでストップしてしまいその先が判らなくなる。(多田宏(月刊秘伝編) 2009, pp. 260-261)


このように武術でも、近世の学習観・教育観と同じように、教える者は「教え込み」をせず、学ぶ者の主体性こそが大切だとされている。さらに、教える者も学ぶ者も、自我意識を超えて天地人に事え即するという意味での宗教的態度を持つことが武術の修得には必要とされている。これも近世の学習観・教育観に見られた学ぶことを意味づける思想的な世界(コスモロジー)の共有の例として見られるだろう。この意味で、近世の学習観・教育観は、少なくとも(古)武術の世界には現在もまだ残っていると言えよう。

などと説くと、「それでは学校教師はどうすればいいのですか。明日から何ができるのでしょう。教えてください」と詰め寄られることが多いが、短絡は何も生み出さない。近世の教育法をいたずらに崇め、いきなりに「復古」させようとしても、醜悪なものができるだけであろう。

近世には近世の諸前提があり、その諸前提の中で近世の教え・学びの営みは進化をしていったのだろう。そんな営みを、近世の諸前提とは異なった諸前提をもつ現代にそのまま適用させようとしても失敗するだけであろう。

武術の世界ですら、例えば多田師範についてもイタリアで合気道を教えた経験から「日本人だったら分かっているはず、言わなくてもわかることもイタリア人は説明しないと分からない。で、日本に帰ってきたら、日本人もやっぱり説明しないと分からなかったということに気がついたのですよ(笑)」と多田師範の直弟子の坪井威樹氏は述べている(「早稲田大学合気道会歴代幹部達が語る我が師多田宏先生」(p. 31)『月刊秘伝2011年1月号』BABジャパン、30-33ページ)。武術の世界でもただ古き教えと学びの営みを維持しているだけでなく、巧みに進化させていると考えるべきだろう。(これは西岡常一氏の弟子である小川三夫氏からの証言でも伺えると私は考えているが、前にも述べたように西岡氏らについては稿を改めてまとめたい。)

だから単なる「復古」は目指すべきではない。だが、近代的な教育観・学習観の限界が見え始めたような昨今、非近代的な教育観・学習観から謙虚に学ぶことは重要だろう。少なくとも近世的な教育観・学習観を「近代的ではないから」と切り捨てることはないぐらいに、近世的な営みを「復権」させなければならない。

何度も言うが近代的な教育観・学習観を全面否定するつもりはない。近代的な教育観・学習観も、明治維新以来の国民国家の急速な形成、および第二次大戦後の経済復興最優先の時期にはそれなりに適していたのだろう(だからこそ日本は世界的な地位を確立し、日本の教育も他国から注目されるに至ったのだろう)。

だが現在は富国強兵も高度経済成長も国民が共有できる世界観ではないだろう。現在の多くの学習者は、勉強の功利的側面で外発的に動機づけてもなかなか学ぼうとしないし、仮に一部のものがそれで勉強したとしても、その勉強は短絡的なものであり、創造性や生きる力にならないとも考えられ始めている。日本の課題も、もはや西洋諸国に追いつくという意味での「近代化」ではなく、世界的にほぼ近代化が完了しようとしていると思われる現在、近代の諸制度にありながらも近代の行き詰まりをなんとか修正してゆくといういわば「ノイラートの船」の問題に対処しなければならないことである。このような「ポスト近代」の視点に立てば、近代的な発想を無批判的に肯定することだけは止めよう、となるだろう。私がこの(『「学び」の復権――模倣と習熟 (岩波現代文庫)』)を読んで思ったこともそういったことである。

近代のイデオロギーを相対化すると、さまざまなものを(再)発見できるだろう。そのためにも、この本などを読むことは重要なのではないだろうか。

私はきたる6月30日(土)の第42回中部地区英語教育学会岐阜大会のシンポジウム「学校英語教育を考える3つの視座:成長する教師・自律する学習者・進化する授業」で提案者の一人として発表するが、今回まとめたような視点からも論考したいと考えている。
















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