2013年1月29日火曜日

菊池省三先生のワークショップ(主催 グラスルーツ)に参加して




子どものからだが伝えること

菊池省三先生という名前や、「ほめことばのシャワー」という表現は私もこれまでしばしば耳にしていましたが、もちろん何かが有名でそれを耳にするだけではその方の実践の様子はわかりません。有名人だからといってすばらしいとは限らないというのはこの世の常ですから。

ですが、私が敬愛する池亀葉子さんが理事長を務める特定非営利活動法人グラスルーツが、その菊池先生を招いてワークショップを開催すると聞き、池亀さんがいいと思う方の話なら聞きたいと思い、そのワークショップに参加しました。

よかった。想像以上によかった。菊池先生は単なる有名人(安売りされた表現としての「カリスマ教師」)なんかではありません。本物の教育者でした。

「本物の教育者」と言いますのは、菊池先生が子どもをすばらしく成長させていらっしゃるからです。その成長は菊池先生がお見せくださった映像で明らかでした。たとえば小学生が、互いに正対して眼を見つめながら語っています。姿勢は「下半身どっしり、上半身ゆったり」です。しかも語ることばが、おざなりな常套句ではありません。大人が聞いても「おおっ」と思う創造的な表現(例えば「行動の敬語」)などがすっと出てきています。ディベートや討議(「熟議」では、きちんと人と論を区別して、相手ではなく相手の論拠に対して検討を加えていました。

最近の日本の政治家は、例えば中国の政治家と対談するときなど特に眼を伏せたまま、相手の視線を受け止めることもできずにことばを発していますが、そんな情けない態度とは反対の極にあるすばらしい姿を子どもは体現していました。また日本の「論争」の多くは、ひたすら相手を貶めるために、相手の片言隻句だけ取り上げ、執拗に相手を攻撃するだけのものですが、そのように恥ずかしい態度とは無縁の理性的な言動を子どもは示していました。

その子どもは、決して恵まれた教育環境にいたわけではありません(その様子はここでは書くことを控えます)。そんな環境で心を枯らしてしまった子どもと、菊池先生は毎日つき合います。考えてみましたら、小学校教師は毎日朝から夕方まである学級集団と付き合います。当たり前のことを言って恐縮ですが、中・高・大といった専門教科中心の接し方をしている教師からしますと、子ども、しかもその子どもが大勢で予期できないような相互作用さえ起こす学級集団と朝から夕方まで毎日・毎週・毎月つき合い導く小学校教師は本当にすごいと思います。

親も、決して全員が教師に対して協力的ではなかったのですが -- これはunderstatementです -- そんな親も、子どもの表情や言動の変化に気づきます。子どもがからだで示す成長の様子に、親が驚きます。他の教師も教育行政者もマスコミも驚きます。かくして現在、菊池先生のお名前が全国に知られているわけです。



HOWよりWHAT、WHATよりWHY

しかし有名といっても、ほとんどの人の理解は、セミナー参加前の私と同じように、非常に表面的なものです。ですから「ほめことばのシャワー」と聞いても、「そんなにほめてばっかりで甘やかしてしまいませんか?」、「私もほめるようにしていた時期がありましたが、結局打たれ弱い子どもを育てただけです」、などと勝手に「ほめことばのシャワー」という表現を誤解しがちです。しかし菊池先生はしっかりと子どもを叱ります(感情的に怒るのではなく、道理に基いて叱ります)。菊池学級の子どもは打たれ強い子どもであるように思えます。それらは菊池先生の「ほめことばのシャワー」を一端とする、考えぬかれた、大胆にして細心の働きかけがあるからです。子どもが菊池先生を信頼するからこそ、叱責を契機に子どもが大きく成長するのです。

菊池先生の「ほめる」は、おざなりの「ほめる」ではなく「真剣にほめる」ことです。菊池先生は、「まさかこんなことでほめられることはないだろう」と子どもが自分でも気づいていない成長の兆しを見抜いて、それを懸命にほめます。「100点を取ったから」といった通俗的な観点ではなく、子どもの人間的成長という観点で、子どものからだの微妙な変化を見抜いてほめます(菊池先生は、時折「教師の身体的能力」という表現も使っていらっしゃいました)。

だから菊池先生が子どもを「ほめる」ことができるのは、菊池先生が子どもの成長を見抜く観点を見出しているからです。観点を見出すために、菊池先生は日頃からご自身の生き方を深め、人間の成長・成熟とは何かということを考え、自他を観察しているのだと私は思っています。

このようなセミナーに参加すると、参加者はとかくHOWに注目しがちで、「どのようにほめればいいですか」などと質問しがちです。もちろんHOWへの注目は重要ですが、それよりも大切なのは、「この実践は実際は何をやっているのか」という分析的なWHATです。

菊池実践に対する私の粗い分析は、「『ほめる』とは、教師が実人生を通して見出した人間の成長・成熟に関するさまざまな観点での変化を、子どもの微妙な身体変化に見出す」というものです。もちろん私はこの粗雑なまとめが菊池実践のすべてを捉えているなどとはまったく思っていません。しかし私たちは、ある実践を見ても、それを名づけられた表現で自分勝手に解釈してしまうことを避け、しっかりと自分が眼にしている実践の姿を自分で納得でき他人にも共感してもらえることばで分析しなければなりません。菊池実践を「ああ、『ほめことばのシャワー』ですね」と言うだけでは、菊池実践のWHATを理解したとはいえません。私たちは、実践のHOW以上にWHATを大切にしなければなりません。

しかしWHATよりも大切だと私が考えているのが、WHYです。菊池実践にしても、菊池実践の正体であるWHATを考える際には、なぜ菊池先生が菊池実践をこのように育ててきたのか・育てなければならなかったのかというWHYを考えなくてはならないと思います。

そしてWHYを考えると、菊池実践とは異なる自分なりの実践(WHAT)が生まれ、そのWHY-WHATの連関から、HOWは自然と編み出されてゆきます。あとは子どもをよく観察してHOWを適宜変更するだけです。教師は、他人の実践を見るとき、HOWよりWHAT、WHATよりWHYを大切にしなければならないと考えます。これは、多くの先生がHOWばかり追求して失敗し、最後には自分はダメだと自分を責める様子を見てきた私が得た結論です。(詳しくは、『リフレクティブな英語教育をめざして―教師の語りが拓く授業研究』の中で私が書いた「自主セミナーを通じての成長」をお読みいただければ幸いです)。

菊池先生は、子どもに対してもWHYを大切にします。今、多くの教師は、子どもに活動のやり方は指示しても、その活動の目的や価値は伝えません(小学校の英語活動もその一例かもしれません)。しかし菊池先生は、活動の目的や価値を子どもに発見させます。こうやって納得するから子どもは活動に真剣に取り組むのでしょう。



教えやすさより学びやすさ

菊池先生は、セミナーで珠玉のことばを数多く残されましたが、その中でもひときわ参加者の心に残ったのは、「教えやすさより学びやすさ」でした。「教えやすさ」とは教師の都合です。例えば、一斉授業の形式は、教師がとりあえず(表面的に)生徒を管理し、情報伝達をするには便利な形式です。ですがそういった管理と情報伝達が「教育」の名に相応しいかは、最近どんどんと疑問視されています。そんな「教えやすさ」よりも、子どもの「学びやすさ」、どうやったら子どもが学ぶ実感を覚えやすい環境になるかという根源的な問いかけは必要だと思います。これを決して「ああ、協同学習ですね」と短絡してはいけないというのは、上で述べたHOWだけを追い求める愚を警戒してのことです。「教えやすさより学びやすさ」についても、HOWよりWHAT、WHATよりWHYを大切にして考え、試し、観察し、修正してゆこうと思っています。



土を耕し、庭を作る

田尻悟郎先生(3/9(土)に博多でセミナーを開催されます)を見ていても思ったのですが、菊池先生も「工場長」ではなく「庭師」に喩えるべき教師だと思いました(これらの喩えについては、『生徒の心に火をつける―英語教師田尻悟郎の挑戦』の中に書いた私の短いエッセイをお読みいただければ幸いです)。菊池学級の子どもたちを見ていると、学級が一種の生態系のようになり、相互作用を通じて、子どもたちがお互いの(学級の)力を通じて自ら育って行きます。庭は庭師が基礎を作るものですが、後は庭が自分自身を作り、庭師と庭は共にその成長を喜ぶものかと私は考えます。。

菊池先生がなさったことは、「こんなところで植物が育つわけがない」と誰もが諦めていた土地から小石や岩を取り除き、耕し、水を引き、陽があたるように周りの環境を整えたことに喩えられるのかもしれません。菊池先生はさらに、そこにたどり着いたさまざまな種に「ようこそ。ここで成長できるよ」というメッセージを自らの言動で伝え、それらの種が根づき芽吹くのを注意深く見守り、植物がしやすいようにいろいろと庭の環境を整えたと言えましょうか。そうすると庭は豊かに自らを育てます。さまざまな植物がお互いにとってのよい環境を作り出し、蝶や蜂を招き、豊かな花を咲かせます。教師という学びを支援する存在は、庭師メタファーから、さまざまな洞察を得ることができるのではないかと私は思っています(私はこの庭師メタファーの着想を『奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録』から得ました。私はさまざまな実践家の話を読むことが大好きです)。



正直で謙虚な人たち

このセミナーの参加者の中で、私が前から存じ上げていたのはグラスルーツ理事長の池亀さんだけだったのですが、受付そしてセミナー・ワークショップから、お昼休みそして懇親会に至るまで、私は初対面の方々ととても楽しい時間を過ごしました(帰りの新幹線に乗って、私はようやく「あぁ、そういえば今日は一日中のセミナーだったんだ。あっという間に過ぎた充実した一日だったなぁ」と心中でつぶやきました。私は丸一日、俗世界の憂さをすっかり忘れていました(苦笑))。

セミナーの一日を通じて、私は疲れではなく、元気を得ました。それも、講師の菊池先生、スタッフの皆さん、参加者の一人ひとりが正直で謙虚な人だったからかと思います。講師もスタッフも参加者も、それぞれに子どもの成長を願い、休日を返上して集まった人間です。その志を共有しながら、互いに率直に発言し、誠実に耳を傾けます。そんな時空が楽しくないはずはありません。正直でも謙虚でもない人たちが多く集まる時空では私たちは、心身ともに消耗するだけですが、正直で謙虚な人たちが、私心・邪心のない志を共有できたら、私たちはそこで大きな活力を得ます(その活力で、私は忙しい中に時間を創りだしてこの文章を書いています)。

こんな時空を創り出してくれたグラスルーツ、そして講師と参加者のすべての皆さんに心から感謝します。私はこれからも優れた実践者に学び続けたく思います。それが教育学部に勤務する大学教員の重要な仕事の一つと信じてやまないからです。











菊池先生の講演会は、2月23日にも開催されます(場所は横浜)

詳しくはhttp://grassroots-edu.com/event130223/を御覧ください。





追記

グラスルーツの池亀さんも、菊池先生のセミナーの振り返りを書いていました。ここにその一部を引用します(詳しくは下のURLをクリックしてください)。

先生は、「ほめる」というより、「見つけている」のだ、と。
こどもたちの素晴らしさを発見し、それを言葉にして、我々人間は、素晴らしい存在なんだ、ということを、あらゆる言葉を使って伝えておられるのでした。
どんな人間にも、良い部分はある。
どんなにやる気のないように見える人間でも、実は、どこかで頑張っている。
それを、先生は、見つけて、認めて、言葉にされるのです。
ですから、やみくもに褒めたり、とりあえず褒めたりはされません。
そんな大人の嘘は、こどもたちはすぐに見破ります。そして失望します。

先生は、こどもたちが仲間の良いところを探して見つけられるように導きます。
つまり、愛情深い人間を育てているのです。
いいところ、頑張っているところを見つけるには、観察が必要です。
関心がなければ、見つけられません。
愛情の一歩目は、関心。
愛情の反対言葉は、無関心。
そして、どういうことが素晴らしいことで、どういうことがそうでないのか、こどもたち自身て判断できるように導きます。

先生は、それを、価値付け、という言葉で説明されます。
「ほめる」という行為そのものが素晴らしいのではありません。
それは、単に表現の一部であります。
先生は、「ほめる」という事を通して、こどもたちに、価値基準を学ぶことを教えておられるのです。
その前提には、先生の強い信念がある。
つまり、北極星がある。
それが無いほめ言葉には力がない。
信念のない指導は届かない。
そういうことを、今回のご講演で学びました。
http://ameblo.jp/kodomoeigorakugo/entry-11460224004.html



2013年1月14日月曜日

大津由紀雄先生中締め講義(言語教育編)に参加して



大津由紀雄先生の「中締め講義」(世に言う「最終講義」)のシンポジウムに登壇させていただけたのは、私にとってこの上なく光栄なことでしたし、何より楽しいことでした。大津先生、大津研の皆さま、参加者の皆さま、懇親会でお話できた皆さま、そして他の登壇者である松井孝志先生と亘理陽一先生(お二人と一緒に登壇できて本当によかったです!)、それぞれに厚く感謝申し上げます。ここでは記憶が薄れないうちに、感じたこと・考えたことを書きます。




■言語の形式性と身体性

シンポジウムで私は、大津言語教育論、ひいては近代言語学の発想がどうしても身体性を十分に取り込んでいないことを強調しました。討論の終盤で、西山祐司先生がうまくまとめてくださったように、言語の形式性と身体性という論点は両方共にあるがそれらは決して相矛盾するものではないこと、が確認できただけでも私は収穫があったかと思います。

私が思いますに言語の形式性に関しては近代言語学という強力な理論基盤がありますからきちんと語られていますが、身体性に関しては直観的な理解はあれど理論的基盤はまだ近代言語学ほどには整っていないのでとかく軽視されがちです(特に学界言説において)。その身体性が、今後、学界言説などでも、きちんとした論点として認められるようになり、さまざまな知見が積み上げられてゆけば、言語教育の言説もより十全なものになるかと思います(といいますより、知識の「体得」を前提とする言語教育の言説から、身体性が欠落していることは認めがたい欠落だと私は考えています)。

こう書きながらも、このブログを読みつつ「身体性って何だよぉ」とお思いの方(特に私のこれまでの記事をお読みでない方)もいるだろうと私は懸念しています。私としても、これからますます言語・言語教育の身体性についてまとめてゆきたいですし、多くの人の関心が身体性に向けられればと思います(ご興味をお持ちの方は、取り急ぎhttp://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/12/112.htmlの末尾の関連記事一覧をお読みいただければと思います)。




■わかること・できること・つながること

このようにシンポでは言語の形式性(あるいは認知的側面)と身体性の両方がそれぞれに強調されましたが、言語の社会性(=個人を考えているだけでは決して解明されない側面)については、私は短く言及したものの、時間の関係できちんと議論することはできませんでした。

それでも討論の時間の中で、次のようにまとめることだけはしました。

言語について、「わかる」こと、「できる」こと、「つながる」こと、の三側面を認めるなら、大津言語教育論は「わかる」こと中心で、「できる」ことと「つながる」ことの考察が十分ではない。

言語について「わかる」とは、大津言語教育論が強調する「ことばへの気づき」も含めた認知的な理解のことです。「できる」とは、ある言語行動が実際に自分の身体でも可能になることで、「つながる」とは言語を通じて他者とコミュニケーションがとれることです。後二者が大津言語教育論では十分に捉えられていないのではというのが私の主張でした。

「できる」ことでは、言語以外でしたら鉄棒の逆上がりという例があります。逆上がりには現実社会で金銭換算できるような利益などほとんどありませんが、それでも子どもは逆上がりができるようになると嬉しいものです。自分の身体の可能性が広がり、あらたな体感を覚えることができることは、人間にとって根源的な喜びであると私は考えます。

外国語においても同じで、これまでは音の塊にしか聞こえなかったものが分節化された意味の連なりとして聞こえてくるようになるとか、とっかえつっかえしか言えなかったことがすらすらと自分の身体の奥から湧くように言えるようになるとか、活字の集合体でしかなかった視覚刺激から表情を伴った声が聞こえてくるようになるとか、脂汗を流して考えなければ書けなかったのが自分で気がつく前にある表現を書き留めていたというようになる、という身体の実感、あらたな可能性の体感は、私たちにとってかけがえのない喜びであるように思えます。実際、授業では「できなかったことができるようになる喜び」は大小様々なレベルで観察されます。大津言語教育論が今後、この側面でも発展すればと思います(というより、言語教育論は特定個人のものではありません。私たちが共に発展させなければなりません)。

「つながる」ことについては、言語以外の例をあげますと、武術での投げ技などがあります。武術では最初に自分の身体がバラバラに動かないように、自分の身体のつながりが失われないように、感覚を頼りに自分の動きを洗練させてゆきますが、それに上達すると、やがて自分の身体が相手の身体に接触した時も、二つの身体がつながり、自分だけの力でも相手だけの力でもないいわば不思議な力(=二つであり一つであるつながった身体の重力や慣性力などの統合)で投げ技などが成立します。これはうまくゆくと、かけた方もかけられた方も驚くぐらいの動きとなり、同時に両者はそれぞれに身体的な快感さえ覚えるものですが、元々は別々であったものが「つながる」と、バラバラでは決して到達できない境地に至ることができます。

言語も同じで、「ことばが通じた」という現象は、本来ものすごいことで、人間にとっての根源的な喜びです。私たちはこのことを日常的な惰性で忘れがちですが、異国で初めて外国語が通じた時や、これまで振り向いてくれなかった人が初めて振り向いてくれた時、あるいは昏睡していた病人がようやくことばに反応してくれた時などで、鮮烈に感じることができます。本来、私が決してアクセスすることができない排他的な意識をもつ他者と、私という人間が連動することができるということは、奇跡とも思えることです(この意味で私は言語コミュニケーションの一つの簡単な定義として「言語を通じてある心身と別の心身が連動すること」をよくあげます)。簡単にいえば言語の社会性となりましょうし、また言語の社会性にはこれ以外の側面もあるのですが、言語を通じて「つながる」ことについても私たちの理解が深まることを私は願っています。

ただここで気をつけておきたいのは、この言語(教育)の認知的側面、行動的側面、社会的側面をバラバラに捉えてはいけないということです。言語についてわかること・できること・つながること、という認知的・行動的・社会的側面は、その統合がからだの実感を通じて感じられるものでなければならないということを私としては強調しておきたいと思います。

言語の認知的理解が、個人での言語行動から乖離し、ましてや複数の人間の間での言語協働につながっていないことは、しばしば「頭でっかち」で「机の上だけ」の勉強として批判されてきましたから多言を要しないと思います。

言語行動が、認知的理解や社会的言語使用から切り離されていることは、「機械的なドリル」としてしばしば批判されています。もっとも外国語を使うというのはかなり精妙で難しい運動ですから、私は機械的なドリルや練習を全面否定するつもりはありません。意味も考えずに、ただ外国語の発音を正しく行う練習などは、むしろ外国語学習上欠くべからざる過程だと思っています。ただ、そのように自分の心の動きや周りの人間の心の動きから独立した練習ばかりしているだけでは、外国語能力は十全に発達しないというのは、私が『学習英文法を見直したい』や『危機に立つ日本の英語教育』の中の章で解説した「言語コミュニケーション力の三次元的理解」でも主張した通りです。

言語の社会的使用が、言語の認知的理解や言語の個人的身体運動が不十分なままになされることは、日本における英語学習といった「外国語環境」では珍しいかもしれませんが、移民などが経験する(狭義の)「第二言語環境」では珍しくないように思えます。そういった場合では、「通じている」ように思えるのだけど、今ひとつ自分でも「わかった」とか「できた」とかいう実感がないので、移民が改めて本格的な第二言語教育を求めるというのはよく聞く話です。

言語使用の実感は、認知的にも行動的にも社会的にも、「わかった」「できた」「つながった」と身体で同時に統合的に感じられるべきで、それを言語教育の目標の一つとして規定することは可能だと思います。でもこう言いますと、すぐに「そんな目標は、数値化できません。他人から観察できません」と批判する人がいますが、いい音楽にしても、いい運動にしても、数式の展開にしても、私たちが「わかり」「でき」「つながる」ことは本源的にからだで実感することです。

もちろんこの実感が理解・行動・連結の正体であるわけではありません。実感はいわば随伴現象であり、各個人がそれぞれにクオリアとして感じるものでしょう。ですが、私たちがこのタンパク質の身体をもっている限り、私たちはからだで実感を覚えるものです。仮に人間と見分けがつかないアンドロイドができたとして、そのアンドロイドと私たちが会話を楽しむ時、そのアンドロイドに私たちが感じているクオリアがあるかどうかはわかりません(というより違う媒体によって実現されているアンドロイドのクオリアは必然的に私たちが感じるクオリアと異なると言うべきでしょう)。ですから私たちが覚えるからだの実感が、アンドロイドも含めた一般的な言語使用を可能にしているメカニズムであるわけではありません。ですが、私たちはヒトという生物である限り、私たちが日常的に覚えているからだの実感を伴いながらさまざまな経験をします。私たちのからだの実感は、主観的かもしれないけれども、私たちに共通の現象です。これを私たちの思考と言説から無視し排除することは賢明なことだと私は思いません。

と、話は哲学的にもなりましたが、言語について「わかる」「できる」「つながる」ことが、からだで実感されることが言語教育について不可欠だということはここでご理解いただけたらと思います(願わくば、あなたなりの実感と共に)。




■「外国語のからだ」ができていなければ「外国語への気づき」は生じない

このからだの実感(あるいは「質感」と言うべきでしょうか)について、シンポジウムで十分に述べられなかったかもしれないことは、大津先生がおっしゃるように母語については私たちは気づきを実感することができるが ―ある子どもはその気づきの「質感」を「あ”~っ」と表現あるいは表出しました―、まだそれ用の身体ができていない外国語については、同じ程度に気づくことができないということです。

言い換えるなら、外国語でも気づきの質感を感じることができるようになるためには、理屈抜きにでもかなりの外国語体験をしておかなければいけないということです。外国語学習を、意識で把握できることだけに限ることなく、意識的把握をこえたことばの理解・行動・連帯も含めてゆかねば、言語教育は十全でないと私は考えます。

実際、私たちは、意識的把握をこえて外国語を体験していますから、それまではまったく意識していなかったことも、気がついてみればわかり・できることがあります。大津先生が挙げた例は、(1)~(4)で、"wave"が猫の行為で"he" = "the cat"として成立しないのはどれかを問うた時、ある程度の英語力がある者は、そのような束縛関係を意識的にまったく学んだことがなくても正確に指摘できるという例でした。

(1) The cat waved when he jumped.

(2) When the cat jumped, he waved.

(3) He waved when the cat jumped.

(4) When he jumped, the cat waved.


私が大学院生の時に行った実験では、phonotacticsの点から英語では起こり得ない音素配列の単語(nonword)と、英語では起こりうるが現在のところでは英語として通用していない単語(pseudoword)を弁別させると、中2、中3、高1、高2と学年が上がるにつれ、きれいに右上がりに弁別能力が高くなりました。こういった音素配列についても当然学校では教えられていませんから、私たちは意識に上らないことも体験の中で学び、それについて意識的な判断もできるようになっているわけです。これに限らず意識的に理解せずとも私たちがわかっていることはたくさんあるはずです(私たちは意識していないからそれに気づかないだけです)。

しかしこのような能力が身につくためには、たくさんの外国語使用を体験することが必要です。大津言語教育論では、母語での気づきを活かして、外国語学習を促進することが強調されます。たしかに母語での気づきから、これまではとかく無味乾燥だった外国語の文法も少しは実感(を予感)できるようになるという利点は私も大いに認めるところですが、外国語については、意識的な仕組みの提示と、意識を超えることもある体験の両方が必要であり、大津言語教育論は外国語の意識的な提示と、外国語の非意識的でもある体験の二つについてもっと展開する余地があるというのが私が言いたかったことです。



■科学と実践の関係について

他方、科学と実践の関係については、シンポの討議で、ある程度明確にできたのではないかと思っています。以下私なりに(ということは私に都合よく)シンポのやり取りを再構成します(ですからこれはフェアなまとめではありません。大津先生および大津先生と考えを共にする方々のご寛容を乞います)。

大津:柳瀬さんのいう身体性は、科学では扱い難い。その扱い難い領域を扱っていないと批判されても私としては困惑する。

柳瀬:私からすればなぜ科学にそれほど忠誠を誓わなければならないかがわからない。この意味で大津先生はやはり科学者だと思う。私は科学よりも実践の現場に忠誠を誓う仕事をしている。

大津:それならばなぜダマシオの神経科学を引用するのか。やはり言語教育論を科学にしたいという願望があるのではないか。

柳瀬:そうではない。実践の学である言語教育論において科学は部分でしかありえない。ただ部分として有効な場合は、人類知の最上のものの一つとしての科学知は当然導入する。ただ言語教育論の部分でなく全体が科学であるべきだとは決して思わない。そう考えると、実践が歪められてしまうからだ。

大津:そこは私も同意見である。しかし柳瀬さんのいう身体性とは教えられるものなのか。

柳瀬:教える (teach) ということを、意識的な行為とするならば、教えられない。だが、Henry Widdowsonも言うように、teacherが働きかける対象はteacheeではない。それはlearnerである。Teachingとは、learnerが教えられた通りのことを実行することではない (別の言い方をすればteacher/learnerの関係は、trainer/traineeの関係でもない)。Learnerはteacherのteachingをきっかけとして自ら学ぶだけだ。だから身体性も、teachableではないが、learnableではある。それが言語教育と言語学習の成功例で観察できることである。

大津:しかしその際に教師は何ができるのだろうか。教師ができることを実践の学としての教育学はまとめることはできるのか。

柳瀬:教えることは、植物を育てることにたとえるべきなのかもしれない。植物が育つことに関して、人間は直接な手助けはできないが、植物が育つ条件・環境について学び、ある程度の原理原則を打ち立てることはできる。土が乾燥する時、葉の先が枯れ始めた時、寒い日が続く時、などにどうすればいいのかについて私たちはまとめることができる。しかし忘れてはならないことは、私たちはその植物を見守ることこそが大切なことである。植物を見守らないままに、教科書で学んだからといって原理原則をただ実行することは愚の骨頂である(植物はやがて枯れるかもしれない)。私たちが行うべきことは、育ちゆくものを愛情深く見守り、これまでに私たちが学んだ原理原則で注意深くその育成を謙虚に促そうとすることだ。



つまり、テクノロジーにおける科学の応用のように、科学は実践に直接的に適用されるべきではないと私は考えています。。実践における科学知とは部分的な参考意見に過ぎず、実践家が行うべきことは対象を愛情をもって見守り、よいと思われることを注意深く行い、その様子をさらに見守ることだと考えます(そしてこのことは大津先生も賛同してくださっていることだと思います)。実践の学があるとしたら、それは私たちがこういった経験を丁寧に記述し、それを共有することだと私は考えます。




■科学と民主主義の文化の導入

言いたいこと(というより感謝したいこと)はまだ他にもたくさんありますが、ここではとりあえず大津先生の言語教育界への貢献の最大のものの一つと私が考えていることを書いて、この記事を終えることとします。

大津先生がこれまでに言語教育界にもたらし、最終講義・シンポジウムでも体現したことは、科学と民主主義の文化を導入したことだと思います。懇親会などでも多くの人が、大津先生がいつも対等な関係で温かく接し、かつ理性的に話を進めてくれたことを感謝していました。私もまったく同意見です。人びとが真理あるいは正義の前では対等であり、人びとはお互いに理性的に真理あるいは正義に近づいてゆくべきだというのは、科学と民主主義の文化が私たちに教えてくれていることです。その意味で大津先生は常に科学的で民主的です(カラオケで都はるみを歌っている時は除きます 笑)。もちろんこの科学と民主主義の文化は大津先生だけが独占しているものではありません。しかし私は言語教育界を見渡しても大津先生以上にこの文化を体現している人を思い浮かべることは容易ではありません。だから私は言語教育界(特に英語教育界)に、科学と民主主義の文化を示してくださったことに対して大津先生に深く感謝しています。

懇親会に集ったさまざまな人びとを見ても、そこに共通しているのは大津先生を敬愛しているという一点だけで、あとは関心、職業、年齢、性別もさまざまでした。真理と正義といえば堅苦しく聞こえますが、実は真理と正義は万人を招きます。万人を愛し、万人に愛されます。真理と正義を常に目指していることが大津先生の人気の正体の一つだと私は思っています。

大津先生のこれからますますのご健康とご多幸を心からお祈りします。







以下は私がシンポで取り上げた大津先生の本です。お読みでない人があればぜひご一読を。















追記

大津先生の中締め講義(認知科学編)は1/26です。くわしくはこちらへ。






2013年1月10日木曜日

音や声の響きが伝えること ― 吉本隆明 (1996) 『宮沢賢治』(ちくま学芸文庫) を読んで





熊倉伸宏 (2012)『肯定の心理学 空海から芭蕉まで』のまとめで、私は思い切って次のように書いてみた。

声とは、身体・物体、すなわち自然の動きであり、その響きが物事の名前となる。自然の動きである声の響きこそが物事の名前であり、それはこの世界の実体を示している。

短く言うなら、声こそが私たちの世界の実体を表している。


もちろんここでの「声」とは響きを伴った音である。それが人から出されようとも、世界から出されようとも「声」の響き、あるいは音の質感こそが、世界のありようを示している、というのが上記の考え方だ。


とはいえ、音の質感についても私が目覚めるのは遅かった。父の死をきっかけに一気にクラッシック音楽にはまってずいぶんCDを買っても、私はラジカセしかもっていなかった。「オーディオにこだわるよりも、一枚でも多くCDを買って自分の音楽世界を広げたい」と私は思っていた。

音の質感にあまりこだわらなかった背景には私の音楽の好みがあるかもしれない。私は何より音楽の構造性が好きだった(今でも好きだけど)。だからバッハやブルックナーなどの対位法的表現に喜びを感じていた。逆に言うと、響きを主とする音楽 ― ここでドビュッシーをあげてもいいだろうか ― は得意でなかった。

バルトークにはそれなりに構造感があるから、響きだけの音楽というわけでは決してないのだけれど(何より彼の音楽には生命力がある)、バルトークの弦楽四重奏曲集のCDは私は当初楽しめなかった。「ほんとうに、これがベートーベンに並ぶぐらいの弦楽四重奏曲集なのかなぁ」といぶかしがっていた。でもある時、生演奏で聞いたら ― ラジカセとは比べ物にならない音の質感を体験したら ― いっきにこれらの曲の虜になった。バルトークが言いたかったことが一気に理解できたように思えた(もちろんその理解は非言語的なものだけど)。

音楽の構造でもハーモニーでもメロディーでもリズムでもない、音楽以前の音の質感というものはあることが私にもわかったのだろう。以来、私はオーディオ装置をきちんとしようとし、一時はマニアックになったが、今はまあそれなりに落ち着いている(それなりにw)。

ことばの音と意味については、ソシュール言語学を学ぶときに、私たちはそれらの関係は恣意的なものに過ぎないと習う。しかし最近の研究は、音と意味はまったくの無関係ではないことを明らかにしている。詳細を思い出せないのだが、有名な実験の一つは、言語の違いを超えて多くの人に鋭角的なイメージを与える音と、柔らかなイメージを与える音があることを実証した。

言われてみれば当たり前だ。そうでなければ擬態語など成立するわけはない。

いや、もちろん言語学だって擬態語の存在は認めていた。ただし例外として。でもそう考えるべきだろうか。擬態語でしか、つまりは音の響きでしか伝えられないことはあるのではないだろうか(羯諦羯諦)。

井上ひさしも言うように、宮沢賢治の文学には擬態語があふれている。音の響きがそれこそどっとこどっとこ意味の世界を作りあげている(その巧拙はともかく、私は今、なぜ、そしてどのように「どっとこどっとこ」ということばを思いついたのだろう。そして私はこのことばで何を意味しているのだろう。あなたは何を理解するのだろう ― 私のこの試みを鼻で笑わなければの話であるが ―)。

吉本隆明も賢治の擬態語(擬音語)に注目する。

宮沢賢治ほど擬音のつくり方を工夫し、たくさん詩や童話に使った表現者は、ほかにみあたらない。目にうつる事象のうごきを、さかんに音の変化や流れにうつしかえようとした。はんたいにぴったりした語音があると、すぐにかたちの像(イメージ)に転写できる資質も、なみはずれていたとおもえる。たとえば「オツペルと象」で稲こき機械のまわる音を「のんのんのんのんのん」とあらわす。わたしたちが回転音にふつう与えている「ぶんぶんぶん」といった擬音とどんなにへだたっていることか。のん、のんというのはたんに回転音をじっさいの音に近づけただけでなく、まわっている突起のある円筒のかたちがあざやかにうかぶ気がしてくる。だれもこんなふうに、語音とその物のイメージをむすびつけた擬音をつくったものはない。(331ページ)


吉本によれば、擬音とは、一方で、分節化して意味をもったことばを乳児や動物の声のように未分化的にとらえることであり、他方で、乳児や動物はおろか無生物や天然の現象を擬人化しそれに半ば意味を与えることでもある(335ページ)。擬音語は、近代言語学ではあくまでも周縁的・例外的存在であるが、賢治は擬音語を他の「ふつうの」ことばと区別していなかったと吉本は考える。

宮沢賢治のなかでは、わたしたちがここで擬音とみているものは、意味と像の機能としてふつうの言葉と区別されていなかったのではないか。そうみられるふしがある。かれにはある普遍的な言語の像があり、擬音は分節された言葉とおなじように、この言語の像をめざしたといった方がいいかもしれなかった。 (336ページ)


吉本の考えを敷衍して、私は、むしろ賢治は擬音の方を本質的で普遍的な言語ととらえていたのではないかとも考える。擬音はもちろん言語によって異なる(例えば「コケコッコー」と "cock-a-doodle-doo")。だが賢治は、擬音がそんな習俗に引きづられることを避けようとしていた(だからこそ彼の擬音は独創的なのだ)。吉本は言う。

宮沢賢治は擬音が習俗にちかづくことをまっこうから避けようとした。それなら擬音は何に近づけばかれにはよかったのか。そしてそのばあい習俗のかわりに何を基準としようとしたのか。かれには擬音が事象そのものの実体の像にできるだけ近づくことのほかに、基準はなかった。事象そのものの実体は普遍的なものだ。 (339ページ)


ここで私は熊倉伸宏 (2012)『肯定の心理学 空海から芭蕉まで』を思い出す。そして『モモ』の「星の声」を。 あるいは小坂忠さんの歌声を。さらには綾屋紗月さんが痛いぐらいに感じている世界の響きを ― 考えてみると、綾屋紗月さんの感覚世界について学んだことが私の一つの転換点になったのかもしれない。それも結構大きな―。


音や声の響きでしか伝えられないこと、あるいは音や声の響きこそがもっともよく伝えることはあるのではないか。


毎日新聞では、ここ最近、擬音語・擬態語について書いたエッセイが続いた。

一つは福音館書店の創業者である松居直(まつい・ただし)氏の述懐である。

幼稚園の頃、寝る時に母が北原白秋の「アメフリ」を読んでくれた時のことをはっきり記憶しています。「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」という言葉の響きに驚きました。一瞬、外国語だと思ったのです。翌朝、目を覚ました私が布団の上で「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」と踊っていたという話を姉がしてくれました。中山晋平が作曲した童謡ができる2年ほど前のことです。言葉と語り手の気持ちが私の心の中に入ってきて踊り出してしまったのでしょうね。それが言葉の力なのです。母が読んでくれた時、私の人生は決まってしまったのかもしれません。

松居直「生きる力 言葉から」『毎日新聞』(2012/12/19)


幼い日の松居氏は、何より「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」という音の響きに心踊らされた(いや、正確に言うなら、絵本を読んでくれた母親の「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」の声にだろう)。この音あるいは声の響きは、松居氏の身体の中の何かを喚起した。その喚起の力は、翌朝の氏を踊らせるぐらいのものであった。氏はこの擬音にまちがいなく意味を見出していた(他のことばに翻訳しにくい意味ではあるが)。これが「言葉の力」と氏は言う。

もう一つは、作家の西内ミナミ氏のエッセイである。彼女は父親が買ってきた児童向け雑誌に掲載されていた草野心平の「山猫ビーブリ」についての思い出である(それにしても「ビーブリ」なんて、かっこいい名前だなぁ)。彼女はこの作品との出会いが、彼女が作家を志すきっかけとなったと言う。

しかし脳裏に残ったのはストーリーよりも「がわごわあ ががあ がわわらあん」というジャングルの闇の中で幼い山猫が聞いたライオンの雄たけび。詩人・草野が表現した不思議な擬音でした。

この雄たけびは、声の主のわからない子どもたちをはらはらさせる擬音ですが、里心ついた山猫にとっては、故郷アフリカの象徴。音(おん)と共に、ことばが紡ぎ出す不思議な力と強く感じたようです。

西内ミナミ 「ことばが紡ぐ 不思議な力」『毎日新聞』 (2013/1/7)



「このブログも、ずいぶん英語教育から離れてきたよなぁ」と思う読者もいらっしゃるかもしれない。だが私は必ずしもそう思っていない。英語教師も、ことばの教師である以上、このような音そして声の響きの力を覚える感性が不可欠だと思うからだ。「標準的」な発音(構音)はもとより大切だが、それだけでは人間の声にはならない。

英語教師は、日本語はもとより、英語でも、音そして声の響きに対して鋭敏でなければならないと私は考える。そうでなければ構音的に「正しい」音読はできても、思わず人を引き込む人間の声の「朗読」はできない。それ以前に児童・生徒・学生の心と身体にきちんと届く人間の声が出せない。

そして今の子どもはそんな人間の声に飢えているのではないか。

かなり切実に。

私たちは教育の場に、人間の声を取り戻さなければならない(体罰に伴う罵声が教育の場につきものだなどとは決して考えたくない)。教育の場とは、声の響きに耳を澄ませることができる場であるべきだろう。



そうして耳を澄ませば ―ここで私は村上春樹の表現を借りる― 私たちは風の歌も聴くことができるだろう。そうすれば「星の声」も聴こえてくるかもしれない。



風の歌を聴き、星の声を聴く人にあるのは穏やかな顔だろう。


私は穏やかな顔に会いたい。










詩の「客観性」について ― 見田宗介 (2001)『宮沢賢治 存在の祭りのなかへ』 (岩波現代文庫) を読んで





「客観的であれ」という声が聞こえれば、現代人のほとんどが「それはその通り」と頷くだろう。では「客観的」とは何かと問えば、辞書は「個々の主観の恣意を離れて,普遍妥当性をもっているさま。 ←→ 主観的」と解説する(大辞林 第三版)(ちなみに現在通用している「客観(的)」ということばは、明治以降の訳語に過ぎない(『小学館日本語大辞典第四巻』)。しかし、私たちが一人の人間として、他の人間(あるいは人間一般)、さらには自分自身のことを語るとき、私たちは主観を排することができるのだろうか。また主観は常に恣意でしかないのだろうか。

「然り」とまっさきに答えるのは、脱身体的 (disembodied) 認識論である「客観主義」(Objectivism) を信奉する人びとだろう。しかしマーク・ジョンソン著、菅野盾樹、中村雅之訳(1991/1987)『心の中の身体』(紀伊国屋書店)ジョージ・レイコフ著、池上嘉彦、河上誓作、他訳(1993/1987)『認知意味論 言語から見た人間の心』紀伊国屋書店などが明らかにするように、私たちの理解は私たちの身体・身体的経験およびそこからの想像力の働き(隠喩的投射など)に基づいている。ここで、身体・身体的経験さらには想像力は決して「恣意」として軽侮されるものではないことを想起しておきたい。私たちは身体・身体的経験を共有し、また言語で隠喩的投射などの想像力の働きも共有しているからだ。これらの共有は、決して恣意ではない。

そうなると私たちが「客観的」との対比から、「主観的」として私たちがしばしば蔑視する表現も、単なる恣意ではなく、多くの人の(ひいては身体と言語を共有する限りの万人の)理解に開かれた表現であることとなる。むしろレイコフやジョンソンなどが批判する意味での教条的な「客観主義」を信奉する人びとの脱身体的・超言語的な「客観」こそが、私たちの営み・この世界でのあり方の多くを欠損させてしまう偏り歪んだ見方となるだろう。

私たちが「主観」と呼んでいる表現をすべて教条的に排除してしまうのではなく、むしろ私たちの「主観」 ― 私たちが身体・身体的経験を基盤として、それを言語を媒介とした想像力の働きで主体的に表現した世界の見え方 ― を積極的に、しかし思慮深く、用いることの方が、私たちの世界理解そして自他理解をより十全にするのではないか。

「いや私たちとて主観を排除しているわけではないのです」と英語教育学の善男善女は言うかもしれない。「実際、動機づけ理論などは、心の有り様を研究しているわけですから」と善男善女は続ける。しかし私からすれば、心の有り様を幾つかの凡庸な形容詞や命題で代表させて、それらへの同意・不同意を五段階で答えさせるやり方(よくある「まったくそう思う」から「まったくそう思わない」の五件法のことだ)のがさつさあるいは荒っぽさの方が気になる。そもそもある一つのことばとて、背景、状況、文脈、人物、語り方などなどが異なれば、多種多彩の意味を表現するではないか。それを十把一絡げにしておいて、数万人ならともかくも数十人程度の「データ」として奉り、あとはソフトウェアにまかせて高度な統計的裏付けをしたと胸をはる神経は、少なくとも私には度し難い。そんなやり方は主観を大いに歪曲し損ねているとはいえないか。それで教育をまともに語っていると言えるのだろうか。しかも、ことばの教育を。

主観(主体)と客観(客体)の問題は、あるいは真理や人間科学の問題は、それほど単純なものではない。少なくとも私たちが、人と人との関わりである教育、人びとと世界をつなぐことばを研究しているなら、丁寧に多面的に、開かれたやり方で主観性・主体性を検討しなければならないのではないか。ちょっとでも主観性・主体性を見出したら、殺虫剤をふりかけるようにしてそれを忌避することはやめるべきだ。

そういう意味で、「客観主義」の信徒がもっとも嫌いそうな詩について、英語教育ももちろん含んだことばの教育の関係者がきちんと考えておくことは必要だろう。

だが私もあまり偉そうなことは言えない。私は小さい頃から比喩表現は好きだったが、その好みは料理のスパイスを好むようなものであり、あくまでも周縁的・例外的表現として好きなだけだった。比喩表現ばかりの詩を私はむしろ苦手としていた。

だが ― いつ頃からなのだろうか ― 私にも、通用している直接的な表現では決して表せないことがあることがわかってきた。詩人は、通俗的な意味で明確な文章が書けないから詩を書いているわけではない。むしろ詩人は通俗的な明確さを探求し尽くした上で、的確なことばを見出だせず、苦しみながら我が身から紡ぎだすようにして、あるいは僥倖で世界から天啓をいただくようにして、詩を書いてきたのだろう。





宮沢賢治の『春と修羅』の有名な一節は、傲慢さを偉さと混同していた若い時代の私には理解不能であった。


わたくしといふ現象は

仮定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)



これらの表現が、私がすべてと信じて疑わない私の見出す世界の何に対応しているか、私にはわからなかった(私は私の狭い世界に見当たらないことを語っている奴は馬鹿に違いないと自分の知性を過信したがっていた)。「わたくし」も当時の私には自明過ぎるものだった。「『私』は『私』であること以上の自明性があろうか。なぜその自明な存在を『青い照明』やら『あらゆる透明な幽霊の複合体』などと呼ばなければならないのだ」と一人口を尖らせていた。私はあまりにも愚かであり、実は不幸だったのだが、愚かさゆえに自分は幸せだと思っていた(その偽りの不全感に気づく感性も閉ざしたままに)。

宮沢賢治が、彼の最大の理解者でもあった妹(とし子)を失った詩(「オホーツク挽歌」)の一節に次がある。


海がこんなに青いのに

わたくしがまだとし子のことを考へてゐると

なぜおまへはそんなひとりばかりの妹を

悼んでゐるかと遠いひとびとの表情が言ひ

またわたくしのなかでいふ



ここで客観主義の善男善女を登場させれば、「『とおいひとびとの表情』が『言ひ』とは主観的な思い込みに過ぎない、ましてや『とおいひとびと』が『わたくしのなかでいふ』とは幻想、自分で作り出している幻覚に過ぎない、目を覚ませ!」と賢治を正そうとするだろう。

しかし賢治が見ているこの評定、聞いているこの声は、現実世界にまったく根拠をもたないものではない。実際、多くの人が賢治の悼み方を怪訝に思った。そしてそれは極めて「常識的」な態度であり、賢治は確かに「非常識」だった ― 私はここで「常識」「非常識」ということばから、できるだけ通俗的価値判断を抜こうとしている ―。賢治は確かに日常生活の中で他人からの否定的な視線もことばもあびたのだろう。だから賢治の表現はまったくの妄想ではなかった。

見田宗介は、上記の詩について次のように言う。


わたくしととし子の関わりのとざされかたを批判する<遠いひとびと>の声はたしかに、賢治自身の意識の投影でもあるけれども、この自己意識はまたそれ自体、現実の<遠いひとびと>の表情の中にその根をもっている。

このようにして<遠いひとびと> ― 直接的な関係性からの<外からの声>は、直接的な関係性を批判する客観性として、ある種の<倫理性>ともいうべき奥行きのある空間を、自我の内部に存立せしめてしまうことになる。

このようにして、自我はひとつの複合体である。<わたくしという現象>は、あの黒いかわいい幽霊たちもふくめて、あらゆる透明な声やまなざしの複合体である。(75ページ)


この詩は言うまでもなく賢治の主観的表現だが、しかしその主観とはあらゆる「客観」(= 全世界 マイナス 賢治の主観)とつながりをもたない純粋な恣意ではない。賢治の主観は、その内部に<遠いひとびと>という「対象」をもつ(「対象」とはもちろん「客観」と並ぶ "object" の訳語である)。賢治の主観とは、<遠いひとびと>という対象(客観)を含み、それと対話する。

では対象(客観)と対話をしている主観がいわば純粋な主観で、対象(客観)と純粋主観を含んだ主観は純粋でない主観なのかと言われれば、答えに窮する。私たちはその中に何ら対象(客観)をもたない純粋主観を想像することすら難しい。視覚も聴覚も触覚も嗅覚も味覚もなく、さらにはその内に何の思考対象ももたない「純粋主観」は全くの闇なのだろうか。それとも全くの光なのだろうか ― いずれにせよ私たちはそれを認識することはできないだろう。

「私」は、私が目にするもの、耳にするもの、体で感じるもの、舌で味わうもの、心の中に思い浮かべるものとの関係でのみ「私」でありうる(繰り返すが「私」は全くの闇でも全くの光でもない)。

「いや、つまらぬ理屈を言うな。『私』とはこの<身体>に他ならない」と自分の身体を指さして反論する者もあるだろう。だが「『私』とはこの<身体>だ」と断言し指差す存在は、その<身体>に含まれているのではないだろうか。一面で私たちは人間を単なる一つの生物システムとして捉えることができるが、私たちの日常的な(そして倫理的な)人間観とは、人間を単なる生物システム(生理学的マシン)として捉えることを拒む。私たちは、生物システムは生物学システムでも、自分自身と関係をもつ生物システム、つまりは自己言及的な生物システムを人間理解の前提としていないだろうか。

自己言及という作動で、言及される自己と言及する自己が生じる(「言及」ということばが奇異に聞こえるなら「指示」と言い換えてもいい)。自己言及の作動は(たとえわずかではあれ)時間を要求する。さらにそこには言及者と被言及者の関係性がある。だから「私」は時間的存在であり、関係的存在である。

人間はそれぞれが「私」という自覚をもつ限りにおいて時間的存在であり、関係的存在である。客観主義によれば、人間も、無時間的(つまりは静的・固定的)、かつ、その人間の観察者(研究者)の主観とは独立に、つまりは無関係的に捉えられることになる。だがそうか。人間とは、どんな作動も伴わない無時間的で、どんな対象ともかかわりをもたない無関係的な存在なのか。仮にそうだと言いはるにせよ、そういった客観主義的人間観は、日常的でありかつ倫理的でもなければならない教育の営みにおける人間観たりえるのだろうか。





見田は<遠いひとびと>の目について次のようにも語る。

これらのうらめしい目の数々は、もちろん賢治の自我から世界に投影(プロジェクト)された幻影に他ならないが、他ならぬこのような目の幻影を投影する自我の構造は、それじたいまた、この自我のありかを結節点とする関係の客観性の、投影に他ならないのだ。だからこれらの目とはたしかにそれじたいとして客観的にあるものではないが、とはいえたんなる主観ではなく、主観をとおして純化された客観性にほかならないのだ。

そして<詩人>とは、このように客観性を純化する濾過装置である。(89ページ)


賢治が自らの心のなかにありありと想像する他者の目は、たしかに物理的に実在する特定の人間の目ではない。しかし賢治にとって、その目が痛々しいほどに突き刺さってくる対象(ということは客観)である以上、賢治の心とは、まずもってこの対象との関係性で語られなければならない。賢治にせよ誰にせよ、(この時点の)賢治を語ろうとすれば、この他者の目という「主観的な対象(客観)」 ― 矛盾語法 (oxymoron) を許されたい ― との関係性が重要となる。賢治という人間の理解には、賢治の「主観をとおして純化された客観性」であるこの詩の表現をそのままに受け入れることが大切なのだ。

ここで注意しておきたいのは、私たちが自分や他人について何でも勝手に思い込んで、それをことばで表現したら、そのことばが特権的な事実になるというのではないことだ。私たちは自分でも後で馬鹿げていたと嘆く思い違いを多くする。自分や他人を表現することばは、公の空間で吟味されなければならない。「そう言えるのか。そうしか言えないのか。他のようには言えないのか。そう言い切っていいのか」 ― こういった問いかけによって鍛えあげられないことばは、仮にある瞬間の自分の思いの衝動的な表出ではあっても、それはそれこそ「恣意」ということばが相応しい、軽いことば、無責任なことばに過ぎない。

私たちは使うことばを吟味しなければならない(これが言語使用の倫理の一つだろう)。そして、詩作がことばの吟味の一つの方法であるとすれば、詩人とはたしかに人間の「客観性を純化する濾過装置」であろう。詩人は私たちの存在を明晰にする。

見田は賢治の明晰について次のように述べている。

賢治の明晰の特質は、それが世界へと向けられているばかりでなく、さらに徹底して自己自身へも向けられていることにあった。そしてこの自己自身へと向けられた明晰はまた、自己をくりかえし矛盾として客観化すると同時に、この矛盾を痛みとして主体化する運動でもあった。このように自己を客観化し、かつ主体化するダイナミズムの帰結こそ<修羅>の自意識に他ならなかった。(108ページ)


「<修羅>の自意識」とは、もちろん、「春と修羅」の表現を指す。


いかりのにがさまた青さ

四月の気層のひかりの底を

唾 (つばき) し はぎしりゆききする

おれはひとりの修羅なのだ

(風景はなみだにゆすれ)




詩作は賢治自身の客観化であると同時に、賢治という人間の主体化でもあった。詩作という客観化により、賢治は自らの主体性を獲得する。客観主義者の誤解を恐れずこの「主体」を「主観」と言い換えるなら、「客観」は「主観」と不即不離であり、世界・他者・自己の「客観化」は、そのままそれらの「主観化」である。私たちはこの「客観」と「主観」の関係性の中で、つまりは「客観化」と「主観化」の一見矛盾的 ―やはり「弁証法的」ということばを使いたい― な動きの中で生きている。私たちの生は、関係的で動的に、時間の中で展開している。

となれば私たちの関係性、動態性、時間性を可能な限り表現することこそが、人間理解のためにとるべき途とはならないか。そうなれば「客観主義」の記述・説明が、生きた人間の理解として適切なものとは思えなくなってしまう。

「詩の客観性」とは噴飯物の表現に聞こえたかもしれないが、私たちはむしろ飯を噴き出す自らの前提を問い直し、静かに私たちのありようを観察するべきではないのか。そして恣意的なことばの表出を自ら禁じ、「客観的」な(ということは同時に「主観的」な)詩や文学的表現を愛するべきではないだろうか。


















2013年1月9日水曜日

熊倉伸宏 (2012)『肯定の心理学 空海から芭蕉まで』新興医学出版社





妙に気になる本というものはあるものだ(それが数ヶ月、数年に一度あるかないかのものにせよ)。

最近の私にとってのそんな本が、この『肯定の心理学-空海から芭蕉まで』だった。この本について最初に知ったのは、村上陽一郎氏による書評(毎日新聞10月21日)を読んでのことだった。しかし、既にあまりにも多くの本を未読のままに散乱させ、それ以上にあまりにも多くの仕事を未完にしている以上、本ばかり買うわけにはいけない。だがこの本は毎日新聞の年間書評でもさらに取り上げられた。そこで再び気になりアマゾンで再度チェックしたら、すでに中古でしか手に入らない状態だった(追記:他のオンライン書店、例えば紀伊國屋書店では、この本は新品で購入できるようだ)。だから思い切って購入した。買ってよかった。一気に読み終えた。私はこの本との出会いを喜ぶ。



安直に語ってはいけない内容を、著者がぎりぎりのところで書いた本書を軽々しく紹介することは、非倫理的ですらある。だが、この本のことを少しでも伝えたく思い、私としては本書第I部第3章「『共感』の心理学 空海『声字実相義』を読む」について少しだけ書くことにする。



精神科医である著者は、ヒカリ(仮名)という患者に出会う。彼女は親友の死と幼児期の母子葛藤の記憶から生きることに苦痛をもつ、鋭敏な感性と知性をもった女性だった。彼女は自死願望さえ口にした。そんなヒカリは言う。

やさしい言葉は私を救ってくれない。

やさしい人は私を救ってくれる。(後略) (56ページ)


ヒカリはかつて、「あなたがいるから私は生きてゆける」とまで思っていた親友を失い、苦しむ。だが、苦しみの一つは、生前の親友に対するヒカリの思いが本当のものであったにもかかわらず、ヒカリは親友の死後も生きているという事実だった。ヒカリにとって生きることは苦痛であった。だからヒカリに与えられてきた「あなたの命はかかがえのない貴重なものだから、死んではいけない」や「あなたを愛している人が悲しむから死んではいけない」という「やさしい言葉」は、むしろヒカリを傷つけていた。


著者は述べる。

「やさしい言葉」は孤独な心が他者と交わることの不可能性を露わにした。そして他者への飢餓感を引き起こした。そして「生きる」ことがさらに苦痛であることを明らかにした。自分は他者に理解されない孤独な存在であること。その孤独は他者の理解を超えること。しかも、その孤独には、もう一つの感情、他者を求める心が異物として秘められていること。「やさしい言葉」はその苦痛を知らずして語られる。それゆえに孤独な心をさらに孤独にする。人と人の「隔たり」を露わにする。(61ページ)


しかし言葉はまったく無力だというわけではない。人びとの間を「隔てる言葉」もあれば「つなぐ言葉」もある。となれば、両者の違いは何か。語彙選択か。統語構造か。修辞法か。何が隔絶された人の心に架橋するという不可能を可能にするのか。


ヒカリについて著者は語る。

まったく同じ言葉、記号、シンタックスで話しても、人を生かすか、死なせるか、を決定するものが背後で作動している。それは何か。「やさしい言葉」ではなくて、「やさしい人」だとヒカリは言う。それでは「やさしい人」とは誰か。その人が語る言葉は何か。その人はどのように不可能を可能にするのか。彼女はいったい何を語ったのか。 (63-64ページ)


ここで著者は空海の言語論である『声字実相義』をよすがに考えを深める。だがこの思考は、著者の思いを「著名な他者」の言葉によって飾り、そのことによって読者の心を遠ざけてしまう「引用文献的思考」(64ページ)ではない。また人びとの間で使われてきた言葉の生態を自分勝手に改造してしまう「操作主義的思考」(65ページ)でもない。著者は自らの空海理解の乏しさを第一に告白しながら自らの思いを文章にしてゆく。



空海の『声字実相義』については、このブログでは『空海コレクション 2 (ちくま学芸文庫)』から引用することとする。(なおエンサイクロメディア空海では、 北尾克三郎氏による現代語訳を読むことができる)


空海は題名の『声字実相義』(しょうじじっそうぎ)の「声」「字」「実相」「義」を次のように解説(釈名)している。

初めに、釈名とは、内外(ないげ)の風気纔(わずか)に発すれば、必ず響くを名づけて声(しょう)と曰うなり。響(ひびき)は、必ず声に由る。声は、即ち響の本(もと)なり。声発(おこ)って虚しからず、必ず物の名を表するを号して字と曰うなり。名は必ず体を招く、之を実相と名づく。声・字・実相の三種(さんじゅ)、区(まちまち)に別れたるを義と名づく。

また四大(しだい)相触れて、音響必ず応ずるを、名づけて声と曰うなり。 (137ページ)


『空海コレクション 2』の北尾隆心氏はこの箇所を次のように訳している。

(人の)体内にある気息と、口外にある空気が少しでもぶつかりあえば、必ず響く(音響)を名づけて、「声」という。すなわち、響きは、かならず声によっており、声は、響きの本体である。声がおこると、無意味ではありえず、かならず物事の名義名跡をあらわすことを「字」と呼ぶ。名は、かならず実体を示し、このことを「実相」と名づける。「声」・「字」・「実相」の三種が、それぞれに区別されているのを「義」と名づけるのである。

また、四種の存在要素(四大)がそれぞれ接触すると、必ず音響が生じることを呼んで「声」というのである。 (138-139ページ)


これを私なりにまとめると次のようになる(このように浅薄な理解で物事を曲解することは、およそ愚かなことなのだが、私は自分の愚かさを、一つ一つ目の前に出してゆかないと、前に進めないから、ここに愚かさを書き連ねる)。

(1) 「声」とは、人の呼吸、もしくは、世界の四大要素(地=固体、水=液体、火=エネルギー、風=気体)の相互作用が、響きとなったものである。(注:四大要素の解釈は、オンライン翻訳北尾克三郎氏にしたがっている)

(2) 「字」とは、声の有意味性を表す。声は物事の名であり、声は必ず何かの物事を意味する。

(3) 「実相」とは、声が示す名が、必ず実体を示していることである。

(4) 「義」とは、「声」・「字」・「実相」の区別のことである。


これをさらに集約すると次のようになる。

声とは、身体・物体、すなわち自然の動きであり、その響きが物事の名前となる。自然の動きである声の響きこそが物事の名前であり、それはこの世界の実体を示している。

短く言うなら、声こそが私たちの世界の実体を表している。


重ねて言うが、このように安直な要約はまともな研究者ならやってはいけないことである。だが、私は野口三千三氏や竹内敏晴氏の言語論『モモ』の「星の声」を総括できる枠組みがここにあるかもしれないという誘惑に負けて、今このような要約をしている。





以上の空海の言語論を踏まえた上でヒカリの話に戻る。著者は専門家でもありながら(あるいは専門家であるがゆえ)、ヒカリが発する言葉に虚心坦懐に耳を傾けることの困難さを告白する。

自然が発する「響き」に言葉の真実がある。響きを聴きさえすれば良い。それは世の人が誰でも行なっていることであった。それは余りに日常的で当然にすぎることであった。それほどに日常的な行為がなぜ困難なのか。「響き」を虚心に聴くことは恐ろしいことだからだ。死の恐怖にさらされた者の語りは尚更であった。 (78ページ)


小賢しい断言(「あっ、そりゃ、○○だね」)、あるいは役割演技的な同意(「ウン、ウン、大変だったね」)は、人の自然 (human nature) の動きである声の響きを消してしまう。私たちは理屈や理論で、語る人の存在を抑圧してはならない。

だがそれは時に恐ろしいほどに困難だ。だから私たちは常日頃、惰性的で頽落的な通用表現でお互いをごまかしている。相手にも自分にも、自然な声を出させずに、世間の理屈や理論でよいとされている平板な語りを続ける。そして身体のかすかな動きを声に出そうとする者を抑圧する。そうして私たちは自らの「個別的自我」を守り、この世界に生きるということを、個別的自我間の損得勘定ゲームに変えてしまう。

だが、身体の奥深いところから発せられる声の響きは、そんな個別的自我を圧倒する。自然の響きである声は、個別的自我などをはるかに超えた開けた世界での共鳴を欲する。

響きは個別的自我に自然への従属を要求する。「私はこう考えた」、「彼はこう考えた」と分析している間は、そこで語られる言葉は個別であり真実を含まない。言葉が人と人の間で響き合うとき、はじめて言葉は自他を超え、合理を超え、言葉自体を超える。響きの前では人は言葉に従うことしかできない。理屈付け、理論化は後から来る。解釈の言葉が共感を産むのではない。共感はまずは「響き」として意外性をもって現れる。響きは自然の語りであり、そこから個別的な思考が作動するに過ぎない。 (80ページ)


私の推測に過ぎないが、ヒカリの声はとてもかすかで繊細な肌理の響きを有していたのだろう。しかしその微細な身体の動きを、ヒカリは自ら止めることはできない。もし止めてしまえば、ヒカリは生きながらえながら死んでしまうだろう。だが世俗世界の人びとは、ヒカリにも誰にも、そのような声で生活すること(とりわけ仕事をすること)を許さない。ヒカリはもはや世俗世界で自らの自然を表現できなかった。つまりは自分であることができなかった。ヒカリの声をその響きのままに聴く存在は精神科医の著者だけとなった。

しかしそこでヒカリはつぶやく。「死にたい」と。



私たちはどうすればいいのだろうか。「いや、生きていればきっといいことが・・・」や「自殺はいけない。なぜならば・・・」といった、のっぺりとして無神経な声の助言は、ヒカリをさらに苦しめるだけであることは先程確認したとおりだ。私たちはどうしたらいいのだろう。(いや「私たち」という表現で自分をごまかしてはいけない。私はどうしたらいいのだろう)。


ヒカリの言葉を受けての著者の行動についてはぜひ本書を読んでいただきたい。もったいぶって言わないのではない。著者の行動が安易なマニュアルのようにパターン化され一般化されることを恐れるからだ。


ただ、ヒカリは「やさしい人」に出会えたことだけはここでも告げておく。しかしその「やさしい人」の正体は、おそらくこれをお読みの皆さんが想像している人とは異なるはずだ(少なくとも私が予想していた人ではなかった)。その具体的な人物を特定せずに、ここでは筆者のまとめを引用しよう。

さて、「やさしい人」とは誰だろうか。

響きを聴き、それに、もっとも素朴に呼応する人。もっとも普通のことを普通に感じることのできる人。感じることから目を逸らさない人。もっともウブな心をもった人。真に自然な人。その人の心には膨大な自然があるにちがいない。その人の心には誰でもが住みつく空間が用意されているにちがいない。自分が生まれる遥か以前の過去、自分が生きている世界、これから生きていく者たち、誰でもが住みつくことが出来る自然な空間がそこにある。 (83ページ)




本書は、著者の表現を借りるならば「奇書の部類に属する」(149ページ)のかもしれない。だが私たちはすでに世間で権勢を誇る言説に辟易としていないだろうか。真善美の追求たるべき言説も、傲慢な「正しい言葉」、佞奸な「得する言葉」、あるいはせいぜい鈍感な「やさしい言葉」ばかりで埋められていないだろうか。


臨床医であり精神医学研究者でもある著者は「エピローグ」でこう述懐する。

大切なものは、何時も、研究室ではなくて、日常の些細なことから生まれて来た。答えは、何時も、日々の営みの中にあった。私の頭脳が成果を計算しない時にのみ、有効性とか、効率とか、業績や出世を考えない時、無欲の時、人に助けられた時、患者から学ぶ時、つまり、自己主張を捨てた時、私の頭脳が黙する時、全き受動性に自分を委ねた時にのみ、私に創造が与えられた。それが私の方法であった。 (145-146ページ)


方法論のハンドブックやマニュアルが流行する中、およそ世間受けしないような「方法」である(いやそもそも「方法」とは呼ぶべきではないのかもしれない)。ただ私はこのような生き方に憧れる。このような生き方を示している人びとを敬愛する。自然を愛したい。愛せていないから愛したい。そして自然に愛されたい。
















2013年1月3日木曜日

ミヒャエル・エンデ『オリーブの森で語りあう―ファンタジー・文化・政治』『芸術と政治をめぐる対話』岩波書店





■なぜ学校教育はますます官僚化されるのか

エンデの対話集を読んでわかることの一つは、学校がどんどんと官僚化されているのは現代日本の話だけではないということだ。おそらくこれは近代社会の特徴だと言い切っていいだろう。

「官僚化」というのはもちろんここでは否定的な意味で使われている。となれば「官僚」という人種が悪意に充ちた人びとで、自己利益のために日々教育を窒息させているのであり、「官僚」を追放してしまえばいいのかと言えば、それは短絡というものである。「官僚」あるいは他の一定の人びとだけを悪者に仕立てて彼・彼女らを叩けば問題解決するというわけではない。(これはマルクスが資本主義の災厄を資本家個々人の悪徳によるものとはみなさなかったことと同じだ)。

学校の官僚化というのも、私たちのあり方、ということは社会のあり方、の反映の一つであり、私たちが何よりも(資本主義社会体制での)「競争・成功・成績」を求めているからこその現象であるといえよう。エンデは次のように語る。

最近の ― そうだな、ここ50年のあいだに ― 学校がますます官僚化しているが、それはなぜなのか?教師に質問すると、「それは法律家のせいだ」という。法律家にいわせれば、こういうことになる。「学校が資格をあたえる存在であることによって、学校は経済や社会と直接つながっている。また、子どもがうまくやっていくかどうか ― たとえば医学部に進学できるかどうか ― は学校の成績に左右される。学校がそういうシステムであるかぎり、行政訴訟があるだろう。で、どの教師も、点数をつける段階ですでに、この点数評価は行政訴訟に耐えるものかどうか、を検討することになるだろう。安全確実にやるためには、教師は授業までをも官僚化してしまうだろう。後日必要とあれば提出できるように、教師は、口頭のやりとりの平常点まですっかりメモしておくことになる」。背後に国の悪意がひそんでいるわけじゃない。そんなことをしても、ますます面倒になるだけだからだ。むしろ背景にあるのは、教育制度と「競争・成功・成績」社会とが直接につながっているという事情だ。ほんとうの問題は、「国か、国でないか」ではなく、どうやったら文化的な自由空間、あるいはまた教育的な自由空間を社会に生みだせるかということじゃないのかな。なにしろどんな社会でも、自分をモデルにして教育制度をつくろうとする。だから問題は、現代のような社会のなかに、「成績・競争・成功」社会をモデルとしない学校を、どのようにつくることができるか、なんだ。 ((エンデ (1982/1997)『エンデ全集(15)オリーブの森で語りあう―ファンタジー・文化・政治』、82-83ページ)


学校の官僚化の進行を止め、学びの場に少しでも自由を ― 創造性の涵養のためには不可欠な自由を ―もたらすには、私たちが自らの自明とする価値観を問い直し、それに代わるよりよき価値観そしてそれに基づく社会のあり方を構想する必要がある。想像力を働かせて、私たちはよりよいあり方を創造してゆく必要がある。

「よりよい社会なんて脳天気なことを」と冷笑を浮かべる方には、こう説いてもいい。「グローバル競争においては創造性こそが鍵ではありませんか?このままの学校教育では創造性は育ちませんよ!」 

幾人かはこれで頷いてくれるかもしれない。だが、もし権力者が、「創造性が必要とされるのは、一部のエリートだけであり、エリート教育は権力者の子息などが通うことができる一部の私立学校で行えばいいこと。庶民の子どもは、安価でも命令通り働く労働者となれるように教育されればいいだけのこと」と考えていれば (私の思うところ、その可能性は高い) この論法も説得力を欠く。やはり愚直に論じよう。


― 私たちは皆、幸せに暮らしたい。そしてこの地球には(私たちが無駄遣いをやめれば)それを可能にするだけの資源もあるだろうし、私たちの文明がこれまで築いてきたテクノロジーを使えば、私たちは馬車馬のように働かずとも互いに幸せに暮らせるはずだ。少なくとも若者が将来に不安ばかり感じ、結婚も出産もできないと悲観する社会はおかしい ―


それでは何をすればいいのだろう。もちろん快刀乱麻を断つような「最終的解決」手段などない(「最終的解決」ということばの禍々しさを私たちは忘れてはならない)。だから私たちは、冷笑家に鼻で笑われ「デクノボー」と呼ばれることを恐れずにいよう。回り道のように見えても実はとても確実で、しかも誰もができて、誰もがなしたら、もうものすごい力となることを行おう。そのようなことの一つは、(笑いたまえ)芸術を愛することである。



■いまこそ芸術が重要

芸術は、少なくともアメリカやイギリスといった、私たちが参考にしてやまない、しかし公教育のレベルではOECD最低の国々ではどんどん削減されている(その反面、TEDといった自由な試みでは、しばしば芸術の価値が高らかにうたわれているが)。

日本の公教育でも芸術はどんどん軽視されていないだろうか(あるところでも書いたが、私は、体育・音楽・芸術・技術家庭などこそが学校教育の基盤科目であり、その上に国語と算数(数学)の基礎科目があり、さらにその延長として社会・理科・英語といった発展科目があると考えるべきだと思っている。この話を芸術関係の教師にすると「ぜひ、そんな考えを他の人たちに伝えて下さい」と言われる。その表情からは、芸術科目が日頃冷遇され、さらにその待遇は悪くなっていることがうかがえる ― 書いていて思い出した。ある音楽教師は、学校が所有している楽器の手入れの予算すらないと嘆いていた)。

「しかし芸術なんて」と、勝ち組代表のようなしたり顔をしたスーツの男は告げるかもしれない「お金を食うだけで、ほとんどお金を稼げませんからね」。

この人たちの論法は、お金は稼ぎ続けなければならないもので、お金を使うことはたとえそれが豊かなquality of life (どうして日本語にはまだこの句のいい翻訳がないのだろう) のためだとしても悪徳だというものだ。それはまさに資本の論理なのだけれど、彼はそのことについて考えることは常に拒む。彼らの認識では「マルクス」と聞けば、まるでバイ菌の話をされたようにしかめっ面をすることが「オトナ」なのだ。

しかし芸術が、資本主義社会の論理とは合わないというのは確かに正しい。一部の芸術作品は投機の対象になることはあるが、そもそも芸術の営みというのは ―芸術が一部の者によるものでなく、生活に根ざすものであった昔日の日本を思い出してほしい(柳宗悦『民藝とは何か』講談社学術文庫)― 貨幣による交換価値の多寡でその意義を問われるものではない。いや交換価値どころか、(「実用性」を強調した意味での)使用価値でも芸術は語り尽くせない(「交換価値」や「使用価値」については、たとえばモイシェ・ポストン著、白井聡/野尻英一監訳(2012/1993)『時間・労働・支配 ― マルクス理論の新地平』筑摩書房をご参照下さい)。


芸術作品は、その交換性や実用性ではなく、その存在が重要なのである。芸術作品についてエンデは語る。

なにか他のものに役立つからすばらしい、というんじゃなくて、ここにあるから、この世にあるから、手もとにあるから、すばらしいのです。なぜかっていうと、それが存在するだけで、すでに世界は変わっているからです。木を植えることができるように、詩を書くこともできる、と言えるでしょう。こんにちではつねに、環境破壊のことばかりが注目されています。しかし、ほとんど無視されている現象があります。心の荒廃です。環境の荒廃とおなじように切迫していて、おなじように危険なものです。そしてこの心の荒廃に対抗するのに、心のなかに木を植える試みが考えられる。たとえば、いい詩を書こうとする。心に植える木というわけですね。木を植えるのは、リンゴがほしいからというだけではない。ただ美しいからという理由だけで植えることもある。なにかの役に立つから、というだけでなく、存在しているということが大切なんです。(エンデ (1989/1996) 『エンデ全集 (16) 芸術と政治をめぐる対話』、157-158ページ)


庭の木が、特に果実をつけずとも、そこに存在するだけで、その美において私たちの心に豊かさをもたらすのと同じように、芸術作品は、その存在の美において私たちの心を荒廃から守る。

だから、ことばの芸術としての文学も言語教育において重要な位置を占めなくてはならない。「詩なんて入試に出ない」と生徒は文句を言う。「センター試験やTOEIC・TOEFLのような多肢選択法で、文学読解なんかまともに作問できませんよ」と試験作成者も嘆く。私たちは、学校と経済の接点であり、実は現在の教育について圧倒的な権力をもってしまっているテストのあり方について根底的に考え、テストを新たにデザインしなければならない。その一方で教師は文学を教え続けなければならない。



■「この作品のメッセージは」と尋ねる教師の愚

だが文学を教える教師の授業が、実はしばしばおそろしく貧困なものだ。

私が見聞きしている範囲でも、ある文学作品を収録した高校英語教科書は、その作品をおそろしく凡庸に要約し、その作品の可能性を潰してしまっていた。またあるところで見た授業では、音楽に喩えるならまるで、「はい、この曲の調性はなんでしょう?そうですね短調です。だからこの曲でモーツァルトは、悲しい気持ちを伝えたかったんです」と言わんばかりの授業をしていた。文学は、あるメッセージを不器用に伝えている表現ではないことを、エンデは次のように説明している。

シェイクスピアの芝居には、つかまえるべきメッセージなんてない。しかし私はその芝居でなにかを経験したわけです。『オセロ』から帰ってきて、「もう一度、勉強したよ。嫉妬深くしちゃいけないって」と言ったり、『マクベス』をみて、「野心をもつべきではない」と言うのは、馬鹿ばかしいことでしょう。まったくそれでは、芝居が全体として理解できなかった、と言ういようなものですからね。文学は包装の問題ではないと思います。なるほどこんにちでは、よくある大学の授業のおかげで、包装の問題になってしまってますが。かわいそうに学生たちは『バケツ騎手』のようなカフカのテキストの取り扱い方を習ってから、こう言われるはずです。「では、この作者がそもそもなにを言いたかったのか、それを探らなければなりません」。そうして、ご苦労な解釈法を駆使して、最後に引き出す結論は、「<よい>は<悪い>よりもましだ」とかなんとか、くだらないおしゃべりなんです。つまりそうやって、作者の言いたかったことが、つかまえられた。結局のところ、芸術の問題全体が、包装の問題に還元されたわけです。こんな具合に考えられてるんですね。芸術家はメッセージをもっている。彼はそれを、クリスマスプレゼント用の包装紙にくるんで、 ― まあ、その包装紙が文学の形式なわけですが ― 受取人に発送する。で、受取人は、包みをほどきさえすれば、メッセージが手にはいる。もしそういうことなら、芸術家はメッセージを直接、発送することもできますよね。 ― もっともそれでは、芸術じゃなくなるわけですが。 (エンデ (1989/1996) 『エンデ全集 (16) 芸術と政治をめぐる対話』、153-155ページ)


思うに、文学教育に理解を示す教員ですら、文学に自らの心身を根こそぎもっていかれるような体験をしたことがないのではないだろうか。あるいはたとえそれが拙く人前に出せるようなものではないにせよ、やむにやまれず自ら表現したことがないのではないか。

「書くこと」は実用はおろか、他人のためでもないかもしれないとエンデは告白する。

エンデ ほんとうに正直な話をしてよければ、私は、だれかになにかをあたえるためになんか、書いてはいないんです。それは、尋問されたときの弁明にすぎない。仕事をしているとき、結局のところ、読み手のことは考えていません。

ラップマン=コップ じゃ、なぜ書くのですか?

エンデ 手に汗にぎる冒険だからなんです。題材であれ、形式であれ、思想であれ、私を魅惑するものとの対決なわけです。 ― 私を挑発するものとの。(エンデ (1989/1996) 『エンデ全集 (16) 芸術と政治をめぐる対話』、163ページ)


表現をする際に、まずもって決定的に大切なのは表現者自身の存在、心身であるということは、どこかでパット・メセニーも語っていた。

しかし現在、文学は、そういった存在のすべてをかけた営み、心身まるごとの営みとしては教えられていないのだろう。学校、そして大学までもが、学ぶ者の存在をかけた学び、学ぶ者の心身を抜きにしては語れない学びを拒否し、誰にでも当てはまるはずとされるような無難な「客観主義的知識」ばかりを伝達しているのだろう。



■「専門家的思考」による大学教育の貧困化

自らの心身を主体的に関与させず、さらには制度化された枠組みを問いなおすこともしない表層的な学習は、「専門的教育」として近年の大学ではしきりに推奨されている。さすがに昨今は大学人の中から「これではまずい」と教養の見直しを求める声もあがりはじめたが、その「教養教育」が「専門的教育」を水で薄めただけのものであったりして、安心はできない。

私もかつて紹介し、江利川先生も最近のブログ記事で取り上げていた内田樹先生の『街場の教育論』は、「他の専門家とコラボレートできること。それが専門家の定義です。」(92ページ)と定義しているが、この定義をせざるを得ない背景には、多くの「専門家」が自らの専門枠(蛸壺)から一歩も出ることができない現状があることは言うまでもないだろう。

ただそのような蛸壺的な専門家であることは、学界では確固たる地位を得ることができるし、権力者からも重用されることもある。

なにしろ自らの知について疑うことを知らないから、その知の適用も無制限に認める。知の枠組みを問い直す試みに対しては躊躇なく冷笑を加える術を身に着けているから、論争で表面上勝ったように見せかけることに強い。そして専門外の者が目を白黒させてしまうようなデータの山を生産することは得意中の得意である。その専門の事柄を推進しようとする権力者にとって、そのような専門家ほど重宝するものはない。「哲学を侮蔑することこそ専門家として出世する方法である!」

エンデは、近年の大学が一面的な専門家的思考ばかりを強調する背景に、資本主義経済のシステムへの過剰適応をみる。

今日の大学での科学者教育をよく観察すれば、はっきりとわかることだが、学生は最初から特定の目標をめざして訓練されているんだ。真理を探究しながら人間形成をする場という古典的な意味での「大学」(ウニウエルシタス)は、とっくの昔に消えてしまっている。今日の大学は、ただただ専門教育の場となってしまった。化学の学生も物理の学生も、まず最初にいちど、化学とはなにか、物理とはなにか、じっくりと考えたり、そもそも自分がやっていることはどういうことなのか、と自問したりはしない。それどころか学生は、はじめから、まったく一面的な専門家的思考というものをたたきこまれる。大学入学以前でも可能なかぎり、そう教育されている。よくわかるようにね。だって現代の経済は、システムの内側ではたらく人間を必要としているんだから。いま自分がやっていることを、じっくり考えるような人間なんて、邪魔なだけだ。(エンデ (1982/1997)『エンデ全集(15)オリーブの森で語りあう―ファンタジー・文化・政治』、72-73ページ)


もし大学がこのような有り様なのなら、そこでの「文学教育」にも楽観視はできない(文学系教員よ奮起せよ!)。しかし絶望するには及ばない。大学も究極において市民によって支えられている(財務省じゃないよ。税金を払っているのは市民だよ)。そもそもこのブログだって大学制度の外の営みだ。悲観傾向のある私のような人間にとって、絶望というスタンスを取ることは容易だけれど、絶望しなければならない必然性など私たちにはない。

しかし、現状に対して、根源的に考えなおし、私たちの暮らしを変えてゆくことは必要だ。根源的に考えることは、私たちの思考に「質」を復権させることも含んでいる。



■「質」を取り戻せ

例えば日本の英語教育研究では、いまだに質的研究がさまざまな偏見で阻害されていることはもうここでは繰り返さない。ここでは、その質の軽視・否定の裏側である量化礼賛の思考の背後に、やはり資本主義社会があるかもしれないという可能性について短く語っておこう。

実は、モイシェ・ポストン著、白井聡/野尻英一監訳(2012/1993)『時間・労働・支配 ― マルクス理論の新地平』筑摩書房の記事でも書いたのだけど、モノとモノの交換(あるいはサービスとサービスの交換)の場合、交換される二つのモノ・サービス(AとB)の質は異なる(たとえば子守りをしてもらう代わりに野菜をあげることを考えてほしい)。この交換は質的に異なるものの交換であり、ここでは質の違いを理解することは非常に重要である。交換は上の子守り仕事と野菜の交換のように一対一でうまく見つかればいいが、いつもそういうわけには行かないので、お金(M)を導入する。この A-M-B の交換で、お金は単なる道具にすぎない。

ところがここで資本家の投資という営みが発生する。資本家は自ら生産せず、自ら潤沢にもっているお金を何かに投資することを生業にする。資本家の交換は、 M-A-M である。

だがここで問題が生じる。A-M-B ならば、「Aとはまったく違うし、自分では手に入れられないBが得られたのだから、まあいいか」と交換のために使ったお金(M)の価格についてはそれほどまでにはこだわらなくてすむ。しかしM-A-Mの場合、左のMと右のMに質の違いはまったくない。お金(M)とは、量的な違いしかもたない媒体であり、この世のあらゆる異なる質をすべて価格に量化する魔法でもある。さらには野菜は腐ってもお金は朽ちることがない!

資本家としては右のMが左のMよりも多くなってもらわなければ困る。表記としては M-A-M' とでも表せるかもしれないが、とにかく資本家にとってはお金は増えてもらわなけばならない。お金が増えなければあらゆる手段を使っても増やそうとする。

だから資本家による投資に基づく資本主義社会にとって、成長は至上命題であり、否定することはできない。それどころか多くの借金を負っている日本のような国家の場合、「低成長」だって認められない。借金の利子以上の「成長」をしなければ借金はますます増え続ける。資本主義システムがいったん稼働してしまうと、それを止めること、スピードを落とすことはとても難しい(これは原子力発電やガンに似ている)。

こうなると多くの人が、お金のことばかり考え、すべての物事をお金のように考えるようになっても不思議はない。お金のように考えるとは、質の違いをすべて忘れ、すべてを量化して考えるということだった。質的研究を頑なに拒み、量的研究しか認めない人は、こういった資本主義社会の考えに影響されているとはいえないだろうか(もっとも、量的研究の専門家は鼻で笑うかもしれないが。だって彼・彼女らは「専門家」なのだから)。


私たちは「質」を取り戻さなければならない。「質」を軽侮し「量」こそは真実とする現代の教育学を批判しなければならない。エンデはこう言う。

質という概念を、ぼくはいまこんなふうに理解しているんだ。つまり、人間が世界にかんして最初にもつ根源的な体験である、とね。質は、いつもいちばん最初に体験される。質の体験はあらゆる思考に先行するものだ。量的思考は、ずっとあとになってから登場する。たとえばぼくが一本の樹をみるとしよう。そのときぼくは、量的なものを、まず最初に知覚するわけではない。ぼくが知覚するのはまさしく樹の質、樹の本質といったものだ。緑色であるとか、生きいきしているとか、樹の特徴となるような目印のすべてを知覚するわけだ。それらはみんな、ぼくが計測したり、計量したり、数えたりできない質であって、ともかく最初に体験しなければならない質なんだ。もちろんそれもまた、ぼくが最初に学び、練習し、教育されなくてはならないことだ。ギリシャ人や他の文化の人たちにはそれがわかっていた。教育の目標もそこに置かれていた。現代のぼくたちの公認の教育学では逆のことが行われている。まさしく科学信仰なんだ。今日の自然科学的世界像で正しいとみなされるのは、色盲の片目が知覚する世界だけであり、しかもそのなかでも、数学で表現できるものだけが正しくて、あとはみんな幻想にすぎないとされる。赤色や青色は現実には存在してなくて、ぼくたちの脳が主観的に生みだすものでしかないわけだ。(エンデ (1982/1997)『エンデ全集(15)オリーブの森で語りあう―ファンタジー・文化・政治』、42-43ページ)


「質」が私たちの根源的な体験であるとは、「質」が私たちの身体でまずは感じられるもの(だからこそ心に立ち現れてくるもの)と私は解釈する。1/12の大津先生シンポジウムではこのあたりも語ってみたいと思っている。(時間があればの話ではあるが)。



■花を植え、音楽を奏でるという暮らしの中の小さな革命

私たちの暮らしに質を取り戻そう(Quality of Life!)。芸術を愛し、文学を感じよう。人間には経済成長以外にもやることはあることを思い出そう。

人生そのものである、私たちの時間も量化し(Time is moneyは近代の真理とされてしまった)、あなたの時間が生産する貨幣への交換価値だけであなたを評価する「灰色の男」にNoを言おう。たしかに資本主義社会を止めることはできない。でもそれを手懐けることはできるはずだ。それが暴走するのを止めることはできるはずだ(というより止めなくてはならない)。人間が自ら作り出したものの奴隷になる悲劇について、古今東西の神話・寓話は語り続けてきた。今こそ、その警告を思い出そう。

何をしよう?モーツァルトを聞くことはいかが?花を植えてはいかが?

「何の価値があるんだ」ですって? 存在ですよ。存在の価値があるんです。

モーツァルトの音楽によっても世界は、私にとって、ちがった世界になったのです。どこかでなにか作品がうまくできれば、音楽でも、絵でも、いや、小さな詩でもいいのですが、いい作品が生まれれば、その作品が存在するというだけで、世界は変革されるのです。というわけでこのことは私にとって、とてともなく重要なことなのです。たんに美的な意味においてではなく、それによって人類の精神の状況が別のものになる、という理由においても。これはきわめて重要なことだと、考えています。私にとっては、とてつもなく重要なことなんです。木を植えて森をつくるのとおなじくらいに。(エンデ (1989/1996) 『エンデ全集 (16) 芸術と政治をめぐる対話』、167ページ)


特になにもせずとも、存在しているだけで喜びを感じることが私たちにはできることを思い出そう(みんな子どものときはそうだった)。もちろんあなたは、もう子どもではないかもしれない(少なくとも身体の上では)。しかし私たちには文化がある。暮らしを楽しむ文化がある(芸術はその一つだ)。

暮らしを楽しもう。暮らしの質感を大切にしよう。量(とりわけ金銭)だけで私たちの人生を語ることは止めよう。そうやって私たちは資本主義にほころびを入れることができる(これが20世紀の悲劇によって少しだけ賢くなった私たちにとっての「革命」だ。暮らしの中の小さな革命。私たちに力はある。絶望する必要はない。













2013年1月1日火曜日

2013年のご挨拶 (ミヒャエル・エンデのことばを借りながら)





明けましておめでとうございます。2013年が皆さんにとってよい一年でありますように。




私の教会の元旦礼拝は、牧師による詩篇100:1-5の朗読から始まりました。以下、その一部をNIVからの拙訳(かなりの意訳)でご紹介します。



この地に生きるすべての人々よ、

喜びの声を高らかに届けよ、に。

はずむ心で崇めよ、を。

歓喜の歌と共に集え、の御前へ。

ゆめ間違うな、私たちのは神である。



詩篇はイエス・キリスト生誕前の書ですから、ここで言う「神」とは、イスラム教徒、ユダヤ教徒にとっての神であると解釈しても問題はないかと思います。

しかしもっとも重要なのは、私たちの「」 (the LORD) とは、(それが何を意味するものであれ)「神」であり、その他のものではないということです。

「あれまぁ、また宗教のお話ですか」と鼻白んでいるそこのあなた、しばしお付き合いを。と言いますのも、あなたにも「」がいるように私には思えるからです。それも「神」以外の。



ミヒャエル・エンデは、小説『鏡のなかの鏡―迷宮』の「駅カテドラルは、灰青色の岩石からなる」で、ある登場人物(説教師)に次のように語らせています。

「あらゆる神秘のうちの神秘 ― それにあずかる者は、さいわいなり! お金は真理である、唯一の真理であります。だれもがこのことを信ずるべし! そして、あなた方の信仰は確固たるものであるべきです、それも盲目的に! 信仰があってはじめて、お金は、その本質へとたかめられる! はたせるかな、真なるものもまた、商品であり、需要と供給の永遠の法則にしたがっている。それゆえわれらが神は嫉妬深い神であり、自分のかたわらに他の神々が存在することを許せない。しかしながら神はみずからをわれらの手にゆだね、みずからを商品と化したもう。われわれが商品を所有できるように、神の恵みをさずかれるように・・・」(『エンデ全集〈8〉鏡のなかの鏡』、52ページ)


エンデの記述は続きます。

「お金は全能である!」と説教師が呼びかけている。「与えたり取ったりすることにより、人びとを結びあわせる。すべてのものをすべてのものに変える。精神を物質に、物質を精神に変え、石をパンにし、無から価値をつくりだし、永遠に自己増殖し、お金は万能であり、お金は、神がわれらのもとに下った姿であり、お金は神である! (後略)」)(『エンデ全集〈8〉鏡のなかの鏡』、53ページ)


まことこの世の多くの人びとにとっての「主」とはお金ではないでしょうか。

私が所属する大学という機関でも、教授会となれば「いかにして予算を獲得するか。どのように (文科省の向こうにいる) 財務省を説得するか」という話題が真剣に議論されます。もちろん研究のことも語ります。ですがそれはいかに科研予算を獲得するか。今年の獲得件数は何件で総額はいくらか、というものです。しばしばそれで大学の価値が測られるからです。

言い古されたことですが、相変わらず真実なのは、小中高大の学校、いや下手をするとそれ以前の幼稚園、それ以外の民間教育機関も、根幹のところで少しでも偏差値の高い学校への進学をその存在意義としているということです。

なぜならそれこそがよい就職を得ると信じられているからです (さすがに疑い始める人びとも出始めましたが、そんな少数者の声は抑圧されます)。都道府県議会は進学率統計を手に、教育委員会を叱咤激励します。教育委員会は校長を集め、「結果」を出すように厳かに告げます。校長は、正規教員の尻を叩きます。正規教員は非常勤教員に仕事を押し付けます。 (一部の「良い子」を除いて) 子どもはそんな学びは面白くないと騒ぎます。保護者は何をやっているのだと学校を責め、ときに議員に電話します。

たしかに、お金がなければ生きて行けないのは近代社会の真実です。しかし、お金はいつのまにか私たちの手段、私たちに奉仕すべき道具であることを止め、私たちの人生の目的であり主人となってしまったようです。


あなたのもとにも説教師は訪れているかもしれません。



*****

わくわくする学びといった喜びより、子どもは砂を噛むような受験勉強を選ぶべきです。究極はお金のためなのですから。研究者も、自ら本当に究めたいテーマなどを夢想することなく、査読に通りやすく世間の耳目をひくテーマを選ぶべきです。お金なしにどうやって暮らすというのですか。

お金さえあれば、今の苦労も報われます。今失っている時間、そして感性がなんだというのでしょう。将来お金が入るようになれば、すべては報われます。あなたはテレビが毎日教えてくれる魅力的商品を手に入れることができます。人びともあなたのところに集ってくるでしょう。異性の愛も得ることができるでしょう。 (30代男性の未婚率は、非正規就業者が正規就業者の約2.5倍という統計はあなたもごぞんじでしょう)。

もちろん商品は古びます。人びとの注目や愛も移ろいやすいものです。しかしお金こそは真実です。お金の価値は永遠です。お金は古びません。お金はあなたを裏切りません。

さらにいくばくかの金を得ることができ、それの投資に成功すれば、あなたは何もしなくともさらなるお金を得ることができるでしょう。そうすればあなたのもとを去った人びとも戻ってくるでしょう。あなたから離れた異性よりも、もっと魅力的で人びとが羨むような異性が寄ってくるでしょう。

お金こそは全能です。生活能力のない愚かで哀れな人びとがどんな屁理屈をこねようとも、お金こそはこの世の真実なのです。

神・イエス・聖霊の三位一体などを信ずるクリスチャンを笑いなさい。愚かな彼らは三位一体の本当の意味を知らないのです。なに、あなたもご存じない?ならば教えましょう。

三位一体とは、資本・金・商品の三つのあり方が、実は一つの実体、永遠なる実体であるという真理です。

父なる資本が、子なる金を生み出します。

この聖なる父・御子の働きは、聖霊なる商品の形をとってあなたの前に現われます

知らないとは言わせません。学校教育も商品なのです。研究も商品です。芸術も商品ですし、政治も商品なのです。

もちろん、あなたも商品です。あなたが働くのも、鏡の前で姿を整えるのも、何のためですか。商品価値を高めるためでしょう。


この世に生きるすべての人びとよ、喜びの声をあげよ、新たな商品に。

はずむ心で崇めよ、お金を。

歓喜と歌と共に集え、お金をもたらす、いと高き方のもとへ。

ゆめ間違うな、私たちの、いと高き方は資本である。

資本主義の王国が永遠に続きますように!

資本主義競争の正義が、この世の勝利を得ますように!

資本主義を否定する悪魔が、闇に葬られますように!





*****




もちろん、お金(資本・金・商品)以外を主とする人びともいます。

ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒がそうですし、法を真理とする仏教徒、その他の現世利益を基盤としない宗教人もそうでしょう。

いや、格別の組織的宗教を信仰しなくとも素朴に生きる市井の人びとにも、お金を主とせず、身近な人の笑顔を大切にし、自らの心身で実感するの満足を主としている方々も多いでしょう (彼ら・彼女らこそ主体的人間とはいえないでしょうか)。

むろん宗教人とて市井の至人とてお金を使わずに生きているわけではありません。ただ彼ら・彼女らは、お金をとしません。お金の奴隷ではありません。お金のために自分の人生を (そして周りの人びとの人生を) 捧げたりしません。

あるいはスピノザのように、神即自然  (deus sive natura)  とするならば、自然法則の存在を疑わずその解明に生涯を捧げる自然科学者も、朝日に自然と手を合わせる老人も、お金をとしない人びとなのかもしれません。

そう、特定の神を上げるなら躊躇する人びとも、自然を私たちの主と定めることには同意してくださるのではないでしょうか。

自然の営み、生まれてきた赤子の命という奇跡を眼にした人びとは、私たちの主とは、私たち自身でなく、ましてや金でもなく、自然なのだと思わないでしょうか。自然への畏れ、これこそは私たちのもつ崇高なる心の源泉ではないでしょうか。

私はこの冬に『モモ ― 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語』を読み返しました。『モモ』を最初に読んだのは、大学生の時で、その時はモモが示す「耳を傾ける」という不思議な力の素晴らしさに心惹かれました。冒頭部の子どもの想像力の豊かさに心躍らされました。

二度目に読んだのは (離婚後の) 40歳の頃です。この時はもう右フックできれいに顎を打ち抜かれたみたいでした。腰から落ちてゆくようでした。自分が「灰色の男」であったことに気づいたからです(私が昔の自分に語りかけることができるなら、私は、野心をギラギラさせ、日経新聞を好んで読み、ビジネス系自己啓発書を数多く読んでいた30代の自分に、「落ち着いて。もう一度『モモ』を読んでごらん」と言うでしょう。もっとも30代の私はそれを鼻で笑っていたかもしれませんが)

それから約10年たち、この冬に『モモ』をもう一度読もうと思ったのは、やはりこの夏からマルクスについて、ひいては資本主義社会以外の社会のあり方について少しずつ学ぶことができたからです。今なら灰色の男たちの行動原理がよくわかると思ったからです。

はたせるかなよくわかりました。今回は私の中から灰色の男たちの葉巻の香りがほとんどしなくなっていることに安心もしました (でもまったく消えてしまったわけではありません、おそらく)。しかし、逆に辛かったのは、灰色の男たちの説得を受け入れてしまった (受け入れざるを得なかった) ジジ、ベッポ、そして子どもたちの末路でした。それはもう可哀想で、読んでいてつらいものでした (そして現実世界のジジ、ベッポ、子どもたちのことを考えると!)

とはいえ、歳をとるといいこともあり、今回の三度目の読解では、これまでとは違って、マイスター・ホラのことば、そして彼が行うこと、示すことが心に入ってきました。

以下は、モモがマイスター・ホラの勧めにしたがって「時間の花」を見た後に、「星の声」に気づき始めるところです。

じっと耳をかたむけていると、だんだんはっきり、ひとつひとつの声が聞きわけられるようになってきました。でもそれは人間の声ではなく、金や銀や、その他あらゆる種類の金属がうたっているようなひびきです。するとこんどはすぐそれにつづいて、まったくちがう種類の声、想像もおよばぬとおくから言いあらわしがたい力強さをもってひびいてくる声が、聞こえてきました。それはだんだんはっきりしてきて、やがてことばが聞きとれるようになりました。いちども聞いたことがないふしぎなことばですが、それでもモモにはわかります。それは、太陽と月とあらゆる惑星と恒星が、じぶんたちそれぞれのほんとうの名前をつげていることばでした。そしてそれらの名前こそ、ここの<時間の花>のひとつひとつを誕生させ、ふたたび消えさらせるために、星々がなにをやり、どのように力をおよぼし合っているかを知る鍵となっているのです。

そのとき、とつぜんモモはさとりました。これらのことばはすべて、彼女に語りかけられたものなのです! 全世界が、はるかかなたの星々にいたるまで、たったひとつの巨大な顔となって彼女のほうをむき、じっと見つめて話しかけているのです!

おそろしさよりももっと大きななにかが、彼女を圧倒しました。

その瞬間、彼女を手招きしている・マイスター・ホラのすがたが目に入りました。彼女はかけよりました。マイスター・ホラに抱きあげられ、その胸に顔をうずめました。ふたたび彼の手が雪のようにふわっと目をふさぐと、すべてはくらく、しずかになって、不安は消えました。彼は長いろうかをとおって、もどって行きました。(『モモ』、217-218ページ)


私はモモのように星々のことばまではわかりませんが、星々に声があるのだとは思います。声を聞きとれてもいないのでしょうが、声はあるのだという予感だけはしています。これからの人生で星々の声が聞こえ、星々のことばがわかればとも思います。 (拝金教徒の方々、愚かな私を哀れんでください)。

私はキリスト教徒ですから、「私の主はイエス・キリスト」と言います。ですが、私の教会はおそらくスピノザの時代のユダヤ教会のように不寛容ではありませんから、 (誤解をおそれながらも)こう言うことが許されるでしょう。「私の主は星々、つまりは自然です。なぜなら自然こそは神の御業ですから」。

いや神学上の懸念をしばし忘れるなら、次のことだけは断言できます。大声で皆さんに告げます。

私のは、お金ではありません。

私は、資本・お金・商品の三位一体を、聖なるものとは決して認めません。

私は現在資本主義社会に生きる者ではありますが、資本主義的あり方を唯一神聖なるあり方として崇めることは決してしません。


皆さんは、どうなのでしょう。皆さんはどのように御自身の信仰を告白なさいますか?




***


昨年の年末年始、私は自分自身に対する強烈な嫌悪感から、ベートーベンの歓喜の歌を認めることができなかった (「身体で考え、示す」)。だが一年たち、私はさまざまな助けと恵みを得て、この冬は第九を聞けるようになった (というより何度か聞いた)。

その助けと恵みの一つは、宮澤賢治だった。もし森の奥深くで、猫背で坊主頭の宮澤賢治が指揮棒をもち、彼の仲間である森のけものと森に迷い込んでしまった子どもたちを楽団員とし、森の木の実を合唱団員、木々を独唱者とする「デクノボー祝祭管弦楽団・合唱団」でもって第九を演奏するなら、私は聞きたいとある時思った。歓喜の歌は己の愚かさ・無能さを徹底的に認めてはじめて歌えるのではないかと私は考えるようになった。それが私と第九の和解の始まりだった。

ただ第四楽章の歌詞は、やはり宮澤賢治の詩にしたかった。メロディーに合うように、詩を若干書き換えなければならないだろうが、歌詞はシラーの (私からすればやや仰々しい) ドイツ語でなく、賢治の以下の詩であってほしかった。



雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノノ

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ





しかし、年末に届いた英語教育達人セミナーのメールマガジンで紹介された次の第九の動画は、「デクノボー」に関する私の頑なな心を解きほぐしてくれた (これに限らず、私はどれだけ多くのことを達セミの仲間に負っているだろう)。


こんな歓喜の歌も私は好きだ。


願わくは、皆さんが真の主を見出しますように。


そして、その主を、こんな歓喜の歌ででもいいし、どんな喜びの歌ででもいいから、ほめたたえてるような毎日を皆さんがお過ごしになりますように。


「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平安が、御心にかなう人々にありますように」 (ルカの福音書2章14節)