2013年8月7日水曜日

[草稿] リフレクティブな英語教育:10年間の動向



[以下は、全国英語教育学会40周年記念誌のために書いた原稿の草稿です。実際に提出した原稿は、これを4分の3に縮減したものとなりました。この記念誌は後に正式に広く公開されるものと聞いていますし、草稿版でもありますので、ここで公開することにします。8/10(土)の「中高英語教師が自らの実践を公刊することについて」なども、以下に述べられているような基本認識に基いて行なっています。]


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リフレクティブな英語教育:10年間の動向



1 英語教育実践者の動き

 単に自らの実践を報告するだけにとどまらず、自らの実践を(時に同僚と共に)振り返り省察を深め、より幅広く多元的な視点から実践について記述と論考を加えるという意味での「リフレクティブな英語教育」は、「アクションリサーチ」や「リフレクティブプラクティス」あるいは"Exploratory Practice"といったキーワードで進められ、日本でも多くの書籍が刊行されている。また、特にこれらのキーワードを用いずとも、学校単位のプロジェクトにおいて上記の意味で「リフレクティブな英語教育」を実践し報告した書籍も少なくない。
 
  もともと日本は、現職教員が教育書を出版するという点で、大学研究者やジャーナリストだけが教育書を書く諸外国とは異なった文化伝統をもっているが(佐藤 2009)、そういった現職教員が著す実践的な英語教育書においても、いわゆる「How to本」をはるかに超えた「濃密な記述」(thick description)を志向し、教育技術を採択するに至った学校・学級・実践者の歴史・背景・理念的前提などを省察し記述する本も増えている。さらにこれらの実践者による書籍の中では、教育行政の施策や流行のSLA理論に無批判的に追従するのではなく、実践現場からの視点で主体的・批判的に施策や理論を読み解き、実践に裏付けられた独自の見解を示す本も珍しくない。これらの実践書は、(おそらくは販売促進のためにつけられた)タイトルこそ「How to本」のようだが、その内実はきわめて「リフレクティブな英語教育」である。実践の技術(HOW)だけに注目するだけでは駄目で、その実践の正体(WHAT)を見極め、それがなぜ必要となったのか (WHY) を実践から省察し思考しなければならないということは、少なくとも出版された書籍で見る限り、日本の英語教育実践者に随分と浸透してきたようにも思える。


2 全国英語教育学会の動き

  全国英語教育学会(以下、本学会)もシンポジウムやフォーラムにおいては2004-2005年の関西地区課題研究「教師が変わる授業研究」、2012-2013年の中国地区課題研究「英語教師が書くということ -日本語あるいは英語による自らの実践の言語化・対象化-」、2013年度の四国地区授業研究フォーラム「教室で成長する英語教師 ―リフレクティブな授業改善の手法の可能性と課題」など、「リフレクティブな英語教育」をめぐる動きが見られる(注1)。

  しかしながら本学会の研究紀要であるARELEに掲載された研究論文と実践報告においては、「リフレクティブな英語教育」および質的研究は、例えばJACET Journal(大学英語教育学会)やApplied Linguistics (Oxford University Press)と比べても少ない。下の図は、ARELEJACET JournalJJ)とApplied Linguistics (AL)の2002-2011年度に掲載されている論文(注2)の論文名と要約を対象にした検索結果である(ARELEJJに関してはCiNiiで、ALに関してはOxford University Pressのホームページからそれぞれの検索エンジンを使って検索した)。検索語は、"reflective", "reflection", "qualitative"、およびリフレクティブな英語教育研究や質的研究でしばしば取り上げられる"socio(-)cultural", "epistemological", "epistemology"とした。それぞれの出現数をそれぞれの雑誌の総論文数で割ったパーセントをグラフで表示したのが図1である。



図1 ARELE, JACET J, ALにおけるキーワード出現率
(クリックして拡大)

   図1から明らかなのは、本学会のARELEは、JJALと比べて"reflective", "reflection"をキーワードとして含む研究論文・実践報告が明らかに少ないことである。"Qualitative"についてはある程度は出現しているが、出現はJJとALよりも約3割少ない。関連語である “socio(-)cultural", "epistemological", "epistemology"に関しては、ARELEは("reflection"と並んで)出現が皆無であり、JJALと異なる。無論これらの出現総数/論文総数は絶対値としてあまり大きくない (ARELE 12/258, JJ 18/139, AL 59/446) ので、パーセント表示比較の解釈には注意が必要だが、本学会はJACETといった他の日本の英語教育系学会やApplied Linguisticsといった欧米の応用言語学の代表誌と比べて、「リフレクティブな英語教育」および広く「質的研究」を、正式な業績としての研究論文および研究報告として認めていないかもしれないことが、図1からは示唆される。

  英語教育実践者の出版活動の隆盛や本学会のシンポジウムやフォーラムでの活動からすれば、ARELEにおいて「リフレクティブな英語教育」や「質的研究」はもっと掲載されてもいいはずである。この掲載数の少なさは何に起因するのであろうか。浦野 (2012) は、本学会の下部組織である中部地区英語教育学会紀要(第36-41号)を対象に論文掲載傾向を調べ、質的データを扱った研究が少ないことを見出し、その理由として (1) 濃密な記述 (thick description) に必要なページ数が紀要に確保されていない、(2) そもそも質的研究が浸透していない、(3) 査読者が質的研究に精通していないため、適切な審査ができていない、という3つの可能性をあげている。(1) は、紀要の補遺をWeb上に掲載するといった技術的改善で解決可能であるが、問題は (2) および (3) である。しばしば指摘されるように、量的研究が19世紀後半から20世紀前半のヨーロッパで称揚された実証主義 (positivism) を基盤にする一方で、リフレクティブな教育研究や質的研究は20世紀後半からの欧米(および近代以前・非欧米圏)での哲学や認識論を基盤にしている。したがって実証主義の枠組しか知らない者にとっては、リフレクティブで質的な英語教育研究など、理解し難く研究としては認めがたいものにしか思えないのかもしれない。現状を見る限り、本学会論文執筆者の多数派はもっぱら実証主義を自らの基盤としているようにも思えるが ―そもそも「哲学」や「認識論」といった用語自体に嫌悪感を示す者も珍しくない―、その推測が正しいとするなら、本学会が「リフレクティブな英語教育」を正式な研究業績としてあまり認めない傾向が今後も続くのであろうか?


3 欧米の応用言語学と日本の英語教育学の比較

  この点において、欧米の応用言語学会の動きは、今後の本学会(および日本の英語教育学界全体)の今後のあり方を考える上で参考になる。最近の米国応用言語学会 (AAAL) のシンポジウム(例えば2013年度のBridging the Gap: Cognitive and Social Approaches in Applied Linguisticsや2012年度のAddressing the Multilingual Turn: Implications for SLA, TESOL and Bilingual Education)の論調を見ても、もはや実証主義が研究の唯一の枠組として他の枠組を排除することは決して認められず、"epistemological modesty/diversity"のための哲学的議論が深められている。 “Sociocultural approach"を含む、実証主義以外の基盤をもつ"alternative approaches" (Atkinson 2012) は、実証主義だけを基盤とする"mainstream"よりも勢いがむしろあるようにも思える。研究方法のガイドブックにしても、例えばDornyei (2007)がquantitative data, qualitative data, mixed methodを柱にするなど、「リフレクティブな英語教育」のための研究を支える基盤はできているようである。さらに、リフレクションの時空をより広範囲にとったいわゆる「批判的研究」 (critical studies)も、Pennycook (1999) やBlock  (2003) などに見られるように、応用言語学の一分野として既に十分に確立している。

  だが日本の英語教育学界においては、研究法のガイドブックや研究概説書の良書 (例えば竹内・水本 2012, JACET SLA研究会 2013) ですらも、実証主義が中心であり質的研究の扱いは少ない(批判的研究においてはその項目すら存在しない)。別に日本の研究はすべからく欧米の研究に倣うべきとは言わないが、確固たる理由がない限り、日本の英語教育界が欧米の応用言語学界で普通に認められている領域を無視・軽視し続けることの理はない。


4 「真理の体制」の今後

  学会とはフーコーの表現を借りるなら「真理の体制」であり、学会が正式な業績として認めるものが「真理」(の近似値)として認められ、それゆえにそれは「権力」を得る。その権力は政策決定や教師教育の実際において多くの人に影響を与える。もし「真理の体制」としての英語教育学会が、"epistemological modesty/diversity"を志向しないなら、そこで創られる権力は英語教師ひいては英語学習者や一般市民に歪な影響を与えかねない。もし本学会のARELEの「リフレクティブな英語教育」や「質的研究」の軽視を事実として認めてよいのなら、その軽視は是正されなければならないだろう。本学会が、英語教育実践者がますますその力を認める「リフレクティブな英語教育」の認知を、論文としての承認において怠り続けるならば、本来は優れて実践的であるべき「英語教育学」において、研究(者)と実践(者)はますます乖離しかねない。

  今後は本学会も、紀要における"guest editor"や"special contributor"の招聘による「リフレクティブな英語教育」(および実証主義以外の基盤をもつ英語教育研究)の振興を行ったり、大会においてワークショップを開催し"alternative"な研究への理解を深めたりするべきではあるまいか。さらに、無理解な査読者による的外れのコメントを避けるために紀要論文審査者のための"code of ethics"を策定するなど、他学会では当たり前に行われていることを本学会も行うべきだと筆者は考える。




(1) この報告は筆者が2002年以降のARELE印刷媒体版で確認したことに基づく。本学会全国大会の記録はWeb上には十全な形では残されていない。本学会がWeb上に残している記録は第37回大会からの3大会だけである。CiNiiにおいても、例えばJACETのように大会要綱を掲載することも本学会はしていない。研究発表の公開と責任の点からするなら、全国大会については、本学会によるWeb記録保存およびCiNiiによる大会要綱掲載を行うべきではなかろうか。

(2) Applied Linguistics誌では、狭義の論文であるArticleだけでなく、ReviewやForumなども検索対象に入れている。


引用文献

Atkinson (2012). Alternative approaches to second language acquisition.  NY: Routledge

Block (2003). The social turn in second language acquisition.  WA: Georgetown University Press.

JACET SLA研究会 (2013). 『第二言語習得と英語科教育法』東京:開拓社

Pennycook (1999).  Critical applied linguistics.  NY: Routledge

佐藤学 (2009). 『教師花伝書』 東京:小学館

竹内理・水本篤 (2012). 『外国語教育研究ハンドブック』 東京:松柏社

浦野研 (2012) 「紀要論文の分析」2013年6月29日に浦野氏のホームページ
http://www.urano-ken.com/research/project/project_3.pdf より入手






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