2014年7月13日日曜日

教育現場で「よく観察し、よく考える」こと



以下は、私が最近あるところで出会った方から寄せられた文章です。この方は、数年前に定年退職をされた元英語教師で、私がある機会に述べた「よく観察し、よく考える」ことの重要性に反応され、「それはその通りだが、時に恐ろしいほど困難である」と述べて、後日、この文章をわざわざ私に送ってくださいました。



英語教師を目指す若い方々にはショッキングな文章かもしれませんが、これも英語教育の現実の一部ですから、このブログに掲載します。文章は、些細な箇所の変更以外は、すべて原文通りです。




「よく観察し、よく考える」


「よく観察し、よく考える」ことを教育現場でしようとすると、大変な困難と苦痛をともなうことがあります。

次の文章は私の経験を述べたものです。15年以上も前のことであり、思い違いや記憶違いもあると思います。また、くれぐれも誤解しないでいただきたいことは、以下に述べる文章の目的は、私が勤務した学校の生徒や教職員を悪く言いたいのではありません。私にとって、大変厳しい職場でしたが、その中で私なりにどのようにして自分に降りかかってきた問題を解決しようとしたのか、それがこれから教員になる人、私が経験したのと同じようなことで日々苦労されている先生方に、少しでも参考になればと思うのです。



1 衝撃的な体験

 もう15年以上も前のことです。教員になってすでに20年以上も経ち、少しぐらい問題のある学校に行っても、自分はなんとかやっていけるだろうと思っていました。ところが、ある高校に赴任して驚きました。授業中、まったくと言っていいほど秩序がありませんでした。(少なくとも私にはそのように見えました。)

 初めの授業に行って驚きました。生徒が教科書を持っていないのです。「教科書は持っていないのか」と近くの生徒に尋ねると、「教科書なんかいらないから買っていない。」  

「えー、今まで先生は、授業はどうしたんだ。」と尋ねると、それまで教員が毎回授業のためにプリントを作成して持ってきて、それに書き込んでいたらしいことが分かりました。「じゃー、ノートは」「そんなもの持っているわけがないだろう。」半信半疑で、職員室に帰り、先生方に尋ねると、「そうなんです。ほとんど生徒は教科書を買わないので、しかたなく教員がプリントを作って授業をするのです。教科書を買うために保護者からもらったお金は、すぐにこずかいになってしまいます。」

 仕方なく私も授業プリントを作ることにしました。



2 授業を始めて、さらに驚いたこと  

 4月の始め頃のことでした。授業を始めようと思っても、まだ10時前なのに、弁当を平然と食べている者、教室の後ろでボール投げをして遊んでいる生徒、テレビゲームに夢中になっている生徒、携帯電話で大声で話している生徒、ヘッドホンで夢中になって音楽を聴いている生徒がほとんどです。席に座っている生徒の方が少数でした。 全部のクラスが全員が次のような訳ではないのですが、いつから授業が始まり、いつ授業が終わるのかそれすらはっきりしないようなクラスがあったのです。特に昼前の授業では、「喉が渇いたな、ジュースを買いに行こうか」と誰かが言い出すと、私が制止しても、まったくと言っていいほど意に介さず、多い時は10人ぐらいが教室から出ていきます。それが事実上授業の終わりになるのです。こんなことが何度かあったのです。

このような中で授業をしようとして途方にくれました。まず、教室にいる生徒に、席に着くようにと、大声で注意をして、自分の席に座るようにしました。先ほど述べたように、私は、授業で使うプリントを4から5枚ホッチキスで止めて配布し、授業中は黒板に書いて、プリントに空欄にした(  )の中に、その答え書き込みをさせました。そして、名前を書かせ、授業が終わると毎回回収しました。そして次の時間にまたそのプリントを個人個人に手渡ししました。そうしないとすぐにそのプリントはゴミ箱に捨てられてしまうのです。

 4月の下旬のころでした。そんなクラスで授業中に、大きな音がヘッドフォンから漏れてくるので、ヘッドフォンを外させ、音楽を止めさせようと思い、肩をかるくたたいて、注意しました。怒るように注意したのではなく、「そのヘッドフォンはずしてくれないか、そして音楽をかけるのをやめてくれないか」と私は丁寧に言ったのでした。そうすると、いきなり手に持っていたシャープペンシルを私の右手の親指のつけねあたりに、おもいきり刺してきたのです。チカットした痛みを感じましたが、それ以上に私は大変なショックであり、私はとても授業を続ける気になれず、保健室に手を見てもらいに、教室から出て行きました。

 あまりにショックで、校長に話に行くと「今日は、授業をしなくてよい。帰って休養しなさい。」と言われました。



3 「小守りをして月給をもらうと思えばそれで良いのだ。何も考えるな。」

 そんな中、私は現状をなんとかしたいと思い、いろんな教員に私は話しに行きました。私の相談に返ってきた答えは意外な答えでした。私の質問に困惑気味に「そうなんです、私も困っているんですが、どうしようもないのです」というのは、まだまともなこたえでした。驚いたのは、「小守りをして月給をもらうと思えば良いのだ、だから、英語を教えようなどと考えるのをやめたらいいんだ。何も考えるな。朝が来れば、また夜が来る、そんなふうに思えば一日一日が過ぎていく」という答えでした。「えー、そんな、それでいいのでしょうか」「○○さん、そんな風に思うようにしないと、この学校は勤まりませんよ。」  

しかし、それは現実からの逃避であり、教育者として「腐敗」と「堕落」以外の何物でもないと思いました。(しばらく後になって知ったのですが、このような厳しい中でも、自分なりにこのような状態をなんとか改善しようと取り組んでいる先生方も何人もおられました。)しかし、そうでも思わないと気持ちの冷静さを保てない現実も事実でした。(少なくとも、その時の私にはそのように思えたのです。)私と同じ時に異動になった50代半ばの優しい男性教員は、どんなことがあったのか知りませんが、4月いっぱいで休職され、その後も学校に復帰することはありませんでした。  

 

4 人間としての尊厳、教師としての尊厳

 フランクル著の『夜と霧』という本があります。ユダヤ人であるために、強制収容所に入れられ、いつガス室に送られ虐殺されるかも知れないという環境の中で、人々はいったいどんなふうに振舞うのか、その中で人々はどんな心理状態になるのか、克明に述べてあります。そのような中で、哲学者として必死になって「自分の生きる意味」を考えたのがフランクルです。  

フランクルが見た収容所にいる人は、絶望を通り越し、まるで魂の抜けた、もぬけの殻のようになった「ゾンビ」のような人の姿でした。つまり、余りの苦痛のために、考えることを止め、悩むことを止め、自分を絶望感から守るために「無感動」「無表情」になっている人々でした。ある日フランクルは、朝わずかばかりの食事を、いっしょに食べた自分の仲間が、昼過ぎには死に絶えてしまい、その亡骸が収容所の役人によって運ばれる姿を見ました。そして彼は「ハッと」なり驚いたのです。今朝までいっしょだった同じ収容所の仲間が、亡くなっても、まったく何も感じない自分に驚いたのです。つまり、フランクル自信もいくらか「ゾンビ」のような精神状態になっていたのです。ここからフランクルの「生きる意味」に対する本格的な思索が始まりました。

 私が聞いた「何も考えるな」という同僚の言葉は、このような状態になることを思い出させてくれました。「夜と霧」は持っていましたが、ほとんど読んでいませんでした。そこで私は一度丁寧に読み直してみました。  

 この本を読んで、私は次のような強烈なメッセージを受けとめました。「どんなに苦しくても、その現実を避けてはいけない。現実を直視しなければならない。今こんな状況の中で、果たして生きることにどんな意味があるのかを問うのではなく、逆にその苦しみが自分に何を伝えようとしているのかを問いなさい。人間として生きてきた以上、生きることに何らかの使命があるはずです。自分の生きている使命は何かを考えなさい。」



5 現実を直視することから、私は少しずつ立ち直りました。

 文章が長くなりましたので、以下簡単に述べますと、こんな中でも彼らができることを一つ一つ作っていくことを考えました。例えば、途中どんなに騒いでも、遊んでも、とにかく授業の「始め」と「終わり」だけは、まずはっきり生徒に認識させることをししました。それができたら、次は授業中弁当を食べても、ゲームをしても、とにかく授業が終わる時は、プリントに記入して提出するようにしました。こんなことを一つ一つ粘り強く、生徒ができるまで繰り返して、させるようにしました。そして、このことは、生徒に大きな声で威嚇されても、また職員室に怒鳴り込んできても、妥協しないようにして、一つ一つ簡単なルールを守らせるようにしました。  

 それともう一つしたことは、生徒となんとか人間関係を築き上げることでした。「どうして、そんな風に思うんだ。私に分かるように説明してくれないか」と、私が納得できないことを、かなり執拗に、生徒に質問するようにしました。一番うまくいったのは、外部から講師を呼んで実施する、フォークリフトや小型建設機械の講習に参加した時でした。生徒は始め「なんで、お前なんかがこんなところにいるんだ」と言うような顔をしましたが、しばらくすると「その時はこんなにするんだ。」と私に助言をしてくれる生徒まで出てきました。  

 だからと言って、私が納得できる授業ができるようになったわけではありません。しかし、少なくとも教室に授業に行くことに恐怖心を感じることはなくなりましたし、朝起きて、たまらなく憂鬱になることも少なくなりました。やっとなんとか2年以上かかり授業の秩序が、私なりに保てるようになりました。



6 今思うこと

長い教員生活の中で一番厳しい経験でした。しかし、私はこの経験を通じて、ぎりぎりのところで自分を見つめなおすことができました。そして、教師として、また一人間として少し成長したと感じています。「もうどうなっても知るもんか。」という気持ちにならずに、なんとか自分を見失うことをしなかったのは、フランクルの『夜と霧』、そしてフランクルを紹介した諸富祥彦『フランクル心理学入門』などの本を何度も読み返して救われたからです。「気持ちを変えたり、やる気になればなんでもできる」といった精神論を私は述べているのではありません。たとえ厳しい状況に置かれても、見たくない現実、知りたくない現実であっても、それを現実として受け止めて、そこからどうやって出発すればいいのかを、自分なりに一つ一つ考えていくことの勇気と大切さを学ぶことができたことを述べたいのです。













8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

毎回楽しみに読ませていただいている院生です。
正直に申しますと、今回の内容は衝撃的でした…がしかし、このような内容を共有してくださった元高校の先生と柳瀬先生に感謝です。
私自身、現在大学院という閉ざされた空間の中で生活していますので、実際に現場でどのようなことが起こっているのかということを想像できていません。私の知らない世界では、今回の記事であったようなことが(すべての学校ではないにしろ)実際に起こっているということを知ったという意味でも大変私にとって意義がありました。
私は現在、とある学校に非常勤として勤務させて頂いているのですが、今回の記事まではいかないとしても'かなりひどい'授業の状況です。しかし、今回の記事を読ませていただいて、「教育者」として、このまま「腐敗」もしくは「堕落」してはいけないということにはっとさせられました。彼らに、教育者として何ができるのかということをこれから考えていきたいと思います。
記事を共有してくださり、ありがとうございました。

柳瀬陽介 さんのコメント...

匿名院生さん、
コメントをありがとうございました。
私は「英語教育学」などという看板を掲げて、学会やら研究会やらで、他の人達と同様、たいそう深刻な顔をして「研究」活動をしているのですが、そんな「研究」が、この記事に書かれた現実にまったく歯がたたないだけでなく、どんどん現実から逃避して、「研究」にとって快適な幻想空間に自閉しているような気がしています。
私としてはなんとかして「研究」を現実と連動させたいです。
さもなければ、税金を使って「研究」する意味などないと思っています。
これからもよろしくお願いします。また、大学院と非常勤先でよい学びをなさってください。
2014/07/14
柳瀬陽介

さちこ さんのコメント...

こんばんは。
わたくしは、門外漢ですが・・・

「夜と霧」は一度は読んでおくべき、と思いつつ時が流れています。
文中の諸富祥彦氏は、以前NHK番組100分で名著「夜と霧」に出られていたような。
前向き?な番組だったように記憶しています。

柳瀬陽介 さんのコメント...

さちこさん、
お久しぶりです。いかがお過ごしですか。
私は『夜と霧』を大学生に読んで、その解説書を数年前に読みました。
上記のような教育現場で、支えになるのが『夜と霧』といった本であっても、おそらく「科学的」な英語教育研究論文ではないであろうことを、研究者は重く考えるべきだと私は思っています。
それではまた
2014/07/15
柳瀬陽介

shakti さんのコメント...

似たような問題について、10年以上前ですが、高校の社会科の先生とメイリングリストで議論(喧嘩状態)したことがあります。私の理解するところでは、次のような対立軸がありました。

私:生徒の日本語力(基礎学力)が小学校中高学年レベルに留まっているのに、高校社会の授業を強行することが間違っているのではないのか。「高校教員」とか「社会科教員」といったアイデンティティそのものが不適切である。

高校の社会科の先生(教育困難高で教えて苦しみ、鬱かなにかで入院していたことが後にわかりました):ふざけるな、お前(=私)には、「教科」に対する誇りだとか「誠実さ」はないのか

私:小学校卒業レベルの基礎学力がない生徒に対して高校社会を教えることに拘るほうがよっぽど不誠実な態度だろ、お前のほうが教師失格だ。社会科なんてやめて、99の徹底とか、漢字の書き取り、労働者の権利でも教えていろ。

以下続く。。。

もちろん決着はつきません。しかし、私の考えは基本的には変わりません。英語教師にたいしては、英語教師というアイデンティティは在任中は一時中断し、もっと必要な教育をすべきだとと言うでしょう。

柳瀬陽介 さんのコメント...

shaktiさん、
お久しぶりです。お元気ですか。
さて、上記のような状況でしたら、私は「英語科」や「指導要領」の枠からかなり外れた授業をすると思います。
しかし、大学の多くの教育学部では、そういった枠組みの中でばかり教育について語っている、というより、そういった枠組みそのものを「知識」として教えているという現状があります。
中二病のようなシニカルな見解となりますが、やはり多くの大学人にとって大切なのは「制度」の維持なのかなとも思えてきます。
2014/07/15
柳瀬陽介

長尾 庸弘 さんのコメント...

ご無沙汰しております。16年度入学生で度々先生と親しくお話を(居酒屋でプロレスなどをテーマに)させていただいたものです。

私自身は教育学部卒でありながら、卒業と同時に一般企業に就職したため教員生活について、ほとんど知識がありませんでしたが、先日、弟が小学校教諭の臨時任用常勤教師として勤め始め相談を受けるうちに本エントリーで情報を共有いただいた先輩のような状況が特別なことではないことを知りました。

『試行錯誤しながらの英語授業実践』のリンクから来たのですが、労働時間管理がほとんど行われていない実態や、確たる業務フローがまったく整備されていないこと、そしてそれらの環境について周囲が無関心であるか、諦めているかのどちらかしかないという状況でした。

本事例で伝えたかったテーマと異なることかと思いますが、教職員の意識の改革と平行して教育機関運営の改善、ならびに教育という仕事に求められているものが何で在るかを明確にすべきではないかと思いました。

長文、およびまとまりのない内容で恐縮です。

不適切であるようでしたら、お手数ですが削除いただけますでしょうか。

よろしくお願いいたします。

柳瀬陽介 さんのコメント...

長尾さん、
16生で、プロレスをテーマによく話していた時代!
懐かしいです。
コメントをありがとうございます。

以下のご指摘など、まったくその通りだと思います。

労働時間管理がほとんど行われていない実態や、
確たる業務フローがまったく整備されていないこと、
そしてそれらの環境について周囲が無関心であるか、
諦めているかのどちらかしかないという状況


ただ数値目標をゴリゴリ押しつけるのではなく、
もっとクールに合理的に組織改革をしなければ、
教職希望が減ってしまうのではないかと恐れています。

教職に希望がもてない国に、明るい未来はないと思っていますから、
こういった改善への努力を怠らないようにしたいと思います。

この文章もそうですが、いわゆる「現場の声」を一般市民に
伝えることが私の仕事の一つだと思っています。

ひつじ書房からの近刊でも、それを試みます。

ともあれ、長尾さんのように、教職以外の方の市民の皆さんの
ご理解をお願いしたく思います。

ありがとうございました。

2014/07/27
柳瀬陽介