2015年5月23日土曜日

『小学校からの英語教育をどうするか』に関するウェブ上のコメントについて



この度、ニックネーム「英語教師」さんから、拙著『小学校からの英語教育をどうするか』(以下「本書」)を読んでのブログ記事を書いたとのお知らせを受け、そのブログ記事を読ませていただきました(私はその方の実名を存じ上げておりますが、ブログにはその実名が少なくともすぐにわかるような形では書かれていないのでここで実名はあげません)。著者としては本当にありがたい読者に恵まれたと思いましたので、ここにその簡単な紹介をします。

また、私はこれまで本書がブログなどでどのように評価されているかを調べたことがありませんでしたが、これを機会に簡単に調べてみました(検索語「小学校からの英語教育をどうするか」+「岩波」でグーグルを使用し、最初の10ページのみを見る)。書店や図書館などの書誌情報だけと思われるもの、および著者としてあまりに面映ゆく思われた感想は除いて、以下に簡単に紹介させていただきます。批評のあり方、英語教育の考え方にとって有益と思われる箇所を中心に言及しますので、よろしかったら以下をお読みください。




 「英語教師」さんによる
英語教師の研修ノート


英語教師さんは、この本が、「自分の実践について考えさせられるメッセージにあふれたもの」であるがため、「短時間で読み飛ばせるような軽い本ではありませんでした」と記事の冒頭で述べています。

この本は岩波ブックレットの1冊で、全体で63ページという、非常に手に取りやすい薄い本ですが、その内容は決して短時間で読み飛ばせるような軽い本ではありませんでした。読みながら自分の実践について考えさせられるメッセージにあふれたものでした。

これは著者としては本当にありがたい感想です。私は「岩波ブックレットは、たとえ薄い本であれ、それなりの内容をもつべきものであり、一度速読したらもう二度と読み返す必要がないような軽い本であるべきではない」と考えていたからです。ですから、私は読者にいろいろなことを想起して考えていただけるような仕掛けを随所に盛り込んだつもりでした。

しかし、その狙いも次のような「英語教師」さんの述懐を読むと欲張りすぎたのかもしれないとも思えます。

印象的だった部分に線を引きながら「精読」を2度してみましたが、線を引いた箇所があまりに多くなったので、まとめをどうすればいいか悩んでしまいました。

ですが、ここからが本当によい読者に恵まれたと私が感謝せざるを得ない点なのですが、「英語教師さん」は、そこから「下線部を再度読み返す→その中で厳選したものに数字をつける→それでも22箇所になったのでさらに再読しさらに強く響く箇所を選ぶ→5つの論点にまとめる」という作業をして、ブログ記事を書いてくださいました。

こういった繰り返しの読解と論点の再構成というのは、学術書を読むときに行う方法でしょうが、その方法を本書に対して行ってくださったことに対しては感謝の他ありません。そういったように繰り返し読まれることを著者としては望んでいたからです(同時に、あまりに内容を詰め込みすぎたのかという反省の念も浮かびかけていることは上に述べた通りです)。

「英語教師」さんが、まとめてくださった5つの論点は以下の通りです。詳しくは実際のブログ記事(および本書)を読んでくださらないとわからないかもしれませんが、本書の狙いを的確にまとめてくださっていますので、ここにその論点だけを掲載します。

(1) 私たちが教育で目指すところは何か。(テストの得点だけを指標とできない。)
(2)  客観試験(テスト)の得点と実際のコミュニケーションは異なることを意識しておこう。
(3)  本書の主張(これからの英語教育再創造の指針)とは?
(4) 「引用ゲーム」で終わらず、「自分の考えを自分の言葉で伝えること」
(5)  授業の方法論について、もっと研修しよう。

特にありがたいのは、(2)の論点が(1)を踏まえたものであることを理解してくださっていること、および、(3)の論点を理解してくださった上で(4)と(5)について考えてくださっていること、です。

(2)の論点の中でも特に「客観試験(テスト)批判」の部分だけを取り上げて反論される方は時にいらっしゃいますが、「英語教師」さんは著者の意図を読み取ってその論点を(1)の論点と結びつけて、さらに(3)以降の論点につないだ読解をしてくださっているので、大変にありがたいです。

また、主に第一章と第二章を担当した著者として私が一番力を入れていたのは(3)の論点であり、そこを本書の核としたことも私が意図していたことですが、そこを理解してくださったことも嬉しい限りです。

著者として何より嬉しいのは、著作を的確に読解してもらえることだということを再認識しました。「英語教師」さんには心から感謝します。







ある方の、ある公開ウェブ媒体(SNS)でのコメント


本書は、薄い割には濃い(あるいは重い)本であることもあり、ともすれば「理屈が多すぎる」といったコメントが寄せられるかと思いますが、その当時私と面識がなかったある方は、ある公開ウェブ媒体(SNS)で本書に関して以下のように書いてくださっていました。後日、私はその方とSNSでつながり、許可を得ましたので以下の部分を転載します。


本書に対して、「小学校の英語教育について述べるだけなのに、近代とか資本主義とか身体とか話が大きすぎる」といった批判もあるようだが、教育関係者にとって必要なのは、むしろまさに本書が行っているように、教室での学習-学校のカリキュラム-これからの社会像をつなげて考えられることではないか。

(中略)

英語教育について論じるときにはどうしても「英語教育」の枠内での議論にとどまりがちだけれど、小学校での学習の全体像に注目し、それとの関係で英語教育のあるべき姿を論じているのもよかった。


私が本書に込めた狙いを非常に的確に表現してくださっていたので、私は知己を得た思いでした。

「理屈の多い」第二章は、教師の方々にも一般市民の方々にも、「いかに公教育が近代社会の潮流の影響を受けているか、そしてもし近代社会に歪みがあるとすれば、公教育はそれについて何を(直接的でなく、学びを通じて間接的に)することができるか」、を考えていただくために書いたものです。

世間では「要は『語学』なんだから、理屈はいいからとにかく具体的なやり方を示しなさい(そして目に見える結果を出しなさい)」といったコメントがよく見られます。しかし、私はそれではいろいろな意味で公教育は成立しないと考え、多くの文章を書いています。教育の公共的側面を考えるためには、もちろん社会について考えなければなりません。そのために私は本書に「理屈」を書きましたが、その狙いを理解してくださった上の方に対しては本当に感謝しています。






寺沢拓敬氏(応用言語学者)の書評
YAHOO!JAPANニュース


上で述べた、「語学には難しい理屈はいらず、とにかく鍛えて結果を出せ」といった考えは、本書の用語でいうなら「トレーニング中心主義」となるでしょう。本書ではトレーニング中心主義の限界を指摘した上でその批判しています。その論点からの書評を書いてくださったのが寺沢拓敬氏です。

寺沢氏は本書のその部分を短く的確にまとめてくださっています。

著者らがトレーニング中心主義に対し批判的な理由は明快である。つまり、トレーニング中心主義は公教育の理念と反している、ビジネスパーソンや軍人ならまだしも、児童・生徒に押し付けてはいけない、というものである。

一方、著者らがトレーニング中心主義に対置するのは、感情・身体・思考を統合した状態での外国語学習である。トレーニング中心主義では感情、身体、思考がばらばらに扱われてしまい、それは公教育が保障すべき豊かな学びを阻害するものである、と。

その上で寺沢氏は、上記のような批判方法とは別の批判方法があると指摘します。その論法は、上記のような「語学=トレーニング」論に基づき、「仮に「学校英語教育は英語のトレーニング、それ以上でも以下でもない」という主張(いわばトレーニング中心主義の強い型である)を認めてしまうと、様々な点で論理的矛盾が噴出してしまい、当初の主張は瓦解してしまう、よってダメだ!といったタイプの批判」です。

これについてはぜひ寺沢氏のブログ記事を読んでいただきたいですし、場合によっては寺沢氏の著作(『「なんで英語やるの?」の戦後史 ——《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程』 および『「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』 )を読む必要があるかもしれませんが、私としては新しい視点を得られ啓発されました。

実は私は2013/14年冬、2014年夏、2014/15年冬と体調を崩し、春と秋も学内の行政仕事などに追われて、ここしばらくきちんと読書ができていませんでした。寺沢氏の本も読めないままになっていますので、これらはいつか読んでその感想をこのブログに掲載しようと思っています。

ちなみに先日発刊された『総合教育技術2015年6月号』(小学館)での寺沢氏の記事「社会の実態を正確に把握しエビデンスに基づいた教育を」は見事でした。上記の論点は「【図3】英語教育のトリレンマ」としてまとめられています。

また、そもそも受験者層が国によって異なるTOEFLやTOEICのスコアをもって「アジアで英語をしゃべれないのは日本人だけ」といった主張は、対象者を(原則として)ランダム抽出した「アジア・ヨーロッパ調査」(http://www.asiaeuropesurvey.org/index.html)によると否定されるとした「【図2】英語力保持者の割合」は、英語教育をめぐる論争で必ず参照されるべきデータとも思えます。

寺沢拓敬氏が英語教育界に新風を巻き起こしていることについては私も注目しており、2009年に私がコーディネータを務めたシンポジウムにも登壇していただいたり、論文についても言及したりしていましたが、寺沢氏を一躍世間に知らしめることになった上記二冊については上のような事情についてまだ読めてもいない状況です。これについては必ず読んで私なりの感想をこのブログに書くつもりです。






ある私信から


「公教育としての英語教育」についての話になりましたので、その流れでついでながら紹介しますと、ある方からいただいた本書に対する私信の中で、ぜひとも皆さんと共有しておきたい箇所があります。幸い、その方からは転載許可をいただいたので、ここで公開させていただきます(ブログでの読みやすさのため、改行を追加しています)。


ここまで書いてきてさらに思うのは、私達が本当に「心を含めた教育の価値」をどこまで信じ切ることができるかということが問題なのだということです。

受験英語批判の定番は、考えない教育、感じない教育、無味乾燥の教育であるというものです。それに対する反動として、コミュニケーション主義というものがあったはずなのに、コミュニケーション主義もまた、近代主義と日本人特有というべき潔癖主義がわざわいして、それを数値化し、パッケージ化しようとしています。TOEFLだとかTOEICとかの外部試験を重視せよ、といっている人たちは何のことはない、受験英語を信じている人たちと、思考上は同型です。

しかし、こういう一種の客観主義でない教育の価値を信じてもらうためには、ある種の具体的なイメージが必要だということですね。そういう教育が最終的には英語学習にも寄与することになる、ということを、まだまだ私たちは伝えていないというように感じています(学校内部においては、それなりに共有されているのかもしれませんが)。誰にとってもむずかしいことではありますので、これは無い物ねだりですが。


数値で割り切れない部分の教育(成果)をどう当事者以外に伝えてゆくかというのは公教育にとっては非常に重要な問題です。これについては、質的研究の成熟も含めて関係者が課題としなければならないところです(ちなみに私は5/30(土曜)の「英語教育における質的研究ワークショップ」では、「目的に応じて量的研究も質的研究も使い分けることが当たり前であって、それをことさらに"Mixed Method"などと呼ぶ必要はないのではないか」といった主張も含めた対談式講演を行う予定です)。







教職ネットマガジン
(株式会社 福分堂)
今週の一冊



話を、ウェブ上での本書に関するコメントに戻します。

この「教職ネットマガジン」では本書を「今週の一冊」として取り上げてくださっていました。この記事では、本書の性格をまずきちんととらえてくださっています。

本書は、そのタイトルだけ見ると、小学校の英語教育に反対する立場であるように思えます。しかし、実際には、現在学校で行われている英語教育を冷静に分析し、問題の所在を明らかにした上で、小学校で実施可能な英語授業の姿を具体的に提案している本でした。

そして、本書が「小学校からの英語教育」というテーマを通じて、中高の英語教育はもとより、他教科も含めた教育のあり方について考え直すことを目指しているという狙いもきちんと理解してくださっています。

ブックレットということで、文章量は非常に少ない本書ですが、中身は非常に濃いと感じました。そして、ここに提案されていることは、英語という窓から、今後の教育のあるべき姿です。英語に関わる人も、関わらない人も、広く読んでいただきたい一冊です。

これらのまとめをありがたく思うのは、これらの点について根本的に誤解・誤読されているレビューがアマゾンに一つあったからです。そのレビューによると、本書は「批判対象の資料を正しく読めていない、あるいは正しく読もうとしていない、もしくは意図的に拡大解釈して捻じ曲げているようにしか考えられない」ものであり、「はっきり書くなら、この著者は、英語教育を語る以前に、自身の日本語の読解力の基本から勉強し直した方がいい」と断言されています。

しかし、本書は、文科省や「実施計画」の推進者の方々にも最後まで読んでいただけるような本であることを著者としては目指していました。

出版の前にも後にも本書は担当編集者以外のいろいろな方々に読んで頂きましたが、本書が「実施計画」を根本的に誤読あるいは曲解しているなどといった指摘はもちろん皆無でした。また大修館書店の『英語教育2015年6月号』では、元文部科学省の大学教授の方(ここではあえて名前は伏せます)にも、「この書は単なる批判に終わらせず、小学校英語教育を含む英語教育が依拠するべき理念を示そうとしている」との評をいただいております。

さらに私とはまったく面識がない、「教職ネットマガジン」(「会社概要」 によると代表は、教科書会社勤務を経てIT会社で文教事業を創設し、教育書・教育雑誌を発行された上で現在の福分堂を立ち上げたそうです)の方からも上のように書いていただき、さらに下のコメントまでいただけたのは著者としては本当にありがたい限りです。

本書は、原典の紹介や引用の仕方についても好感が持てました。参考文献や先行研究の提示は大切ですが、ありすぎたり、少なすぎたりすることがままあります。本書は編集者がそのあたりの調整をうまくやったのではないでしょうか。論文作成の観点からも参考になる本です。

ちなみに、上記のアマゾンレビューを書かれた方は「殿堂入りレビュアー」であり「トップ10レビュアー」だそうですから看過もできないのかなとも思えます。これに対しては私の方で後日、その方の読解が誤読であることを具体的に示すコメントを書く必要があるのかもしれません。







一般社団法人アクラス日本語研究所 
嶋田和子先生による記事


嶋田和子先生は日本語教育の研究者で、私はあるシンポジウムの準備段階で大変お世話になったので、手土産代わりにこの本をプレゼントさせていただきました。

上記は、その嶋田先生による記事です。直接本を著者からもらった方が、ブログという公開媒体で自発的に書かれる文章ですから、否定的なことは書かないでしょうが、上の記事には本書(およびそのシンポジウムでの私の講演)に触発されたことが書かれています。

その記事の冒頭で、嶋田先生は本書をこうまとめてくださっています。

岩波ブックレットですので、63ページという分量。しかも小学校英語教育の課題が実に分かりやすく解説してあり、他の言語教育にも大いに役立つ内容です。ぜひ英語教育だけではなく、日本語教育に携わっていらっしゃる方々など、さまざまな方々に読んでいただきたいと思います。

英語以外の言語教育関係者にも読んでいただくことは実は私としては当初から狙っていたことであり、その狙いが多少なりとも達成されたことは嬉しいことでした。

しかし、嶋田先生といった言語教育の研究者には「実に分かりやすく解説してあり」とのコメントをいただけても、冒頭の上山先生のような実践者の方には「短時間で読み飛ばせるような軽い本ではありませんでした」といった正直な感想をいただくということからすれば、本書はその内容を少し減らしてでも、もっと平易に書くべきだったのかもしれません。これについてはもちろん担当編集者からかなり助言をいただきいろいろと書き直していましたが、主に第一章と第二章を書いた私としては、今後の課題としたく思います。






その他の公開ウェブ書評
Booklog

読書メーター



検索では、上記の公開ウェブ書評が見つかりました。これらは、登録した人が自由に書ける媒体なようです。わざわざ本書のために時間を取ってこれらの書評を書いてくださった方々には感謝します。

大学で教えている私として特にありがたかったのは以下のコメントです。

著者たちは読者として保護者及び一般市民、小学校教師、中高大の英語教育関係者を想定しているが、英語によるコミュニケーション力を身につけたい大学生にもお勧め。どういう教育を受けてきたのか、何が問題なのか、どうあるべきか、大学生であればそれに自覚的であることが、これからの学びには必要だろう。遠回りしたかもしれないが、自覚的であれば、今からいくらでも学び直せる。(http://booklog.jp/item/1/4002709221


私としては、「一見遠回りに思える道こそが一番の近道であること」はよくあると思っています。「この教材を使って、このように教えなさい」という近道は善意にあふれたものかもしれませんが、その積み重ねは、時代の大きな潮流に流されるだけでしょう。そして教師が自ら感じ考える力を衰退させてしまいます。そうなると複合的な変化が次々に押し寄せる教育現場には対応できません。私としては教育に関わる一人ひとりが丁寧に考えること、そして自分の率直な「身体実感」を信じることが大切だと信じて、本書を執筆しました。







と、長々と書きました(ここまで読んでくださった読者の方、ありがとうございます)。

ここまで長く書くのは、もちろん自分が関っているからではありますが、出版は、著者を超えて、出版社や読書文化一般へと影響を(たとえわずかとはいえ)及ぼしうるものです。そのことを考えると、出版後も著者としてなすべきことはなさなければならないのかなとも思え、この記事を書きました。


もし本書を読んでも論点が今一つよくわからない方々が集って読書会を開くことがあれば、私(柳瀬)にご一報いただければ幸いです。本業と私の健康に支障がでない限り、できるだけその会合に参加し、私なりに口頭で説明させていただきます。もちろん謝礼はいりませんし、交通費も私が何か他の用事で近辺に寄った時でしたら当然不要です。


読書文化一般のための僅かな努力としては、このブログでさらに上記の大修館書評とダニエル・デネットの「どのようにして生産的な批判的コメントを書くか」(How to compose a successful critical commentary)についての4原則を絡めた記事も書く予定です。


How to Criticize with Kindness: 
Philosopher Daniel Dennett on the Four Steps to Arguing Intelligently



日本語の読書・言論の文化が豊かになりますように。




 





0 件のコメント: