2016年3月23日水曜日

卒業式・修了式での挨拶


皆さん、ご卒業・ご修了おめでとうございます。皆さんと、皆さんを支えたご家族ご友人の皆様にお祝いを申し上げます。

教師としての最後のことばとして「和顔愛語」を皆さんにお送りします。

和顔、すなわち、穏やかな顔つきや静かなほほ笑みは、赤子から老人までもつことができるものです。愛語、すなわち、優しく温かいことばも、およそことばを知る者なら誰でも発することができるものです。

実際、子どもは和顔愛語に満ちあふれています。

しかし子どもが大きくなるにつれ、それに陰りが見え始め、やがては和顔愛語とは真逆の顔つきと言葉遣いの方が多くなってしまうことも多く見られることです。どこか不自然でこわばった顔つきで、嫌味や皮肉や自慢を織り込んだ言い方をすることが得意になってしまいます(今の私がそうでないことを心から祈ります)。

多くの人は、それを仕方ないこととします。

「それが大人というものなのだ」、「生活はキレイ事ではない」、「社会は結局弱肉強食なのだ」と言います。

しかし、大人、生活、社会が大切にしなければならないのはやはり和顔愛語ではないでしょうか。

子どもが和顔愛語であるのは当たり前です。和顔愛語は大人のためのことばです。

大人が、自ら獲得した力で生活を支えながら、制度的に仮託された権力で社会を維持・発展させるのは、すべての人、あるいはできるだけ多くの人が和顔愛語で暮らせるようにするためではないでしょうか。そうであってこそ大人であり、生活であり社会であるのではないでしょうか。

皆さんはこれまでに得た力でもって、これから社会で(あるいは大学院で)いくばくかの権力を行使することになります。それが仕事です。

その際に、自問してください。この仕事、つまりこの権力行使は、人々の和顔愛語をもたらすためのものか。そしてこの仕事をなしている自分自身が和顔愛語の人であるのか、と。

こう言った瞬間、私は自分が和顔愛語とは真逆の態度でふるまっていた多くの時間を思い出し、反省の念にかられます。

しかし、そうやって反省するからこそ、私は少しでも私の仕事である研究を行い、和顔愛語をもたらす英語教育を実現させるための考察と論述をしなければと思います(最近、思うようにできていませんが)。また、自由時間では(これも最近さぼりがちですが)、武術の稽古を下手ながらも少しでも行い、どんな時にでも和顔愛語を保てる力をつけようと思います。

どうぞ皆さんも、人々の和顔愛語のために働き、自ら和顔愛語の人となれるようにと志を立ててくださいませんか?

一人ひとりの力は弱くとも、共に志を立て、その志で自らを、そして互いを律するなら、困難なことも成し遂げることができるのは、これまでの人間の歴史が示していることです。

最先端の科学技術と高度な社会制度のおかげで、人類は、これまででは考えられなかったほどの権力を行使できるようになりました。この権力行使で、人類は、ごく少数の人々の短期的な快楽や驕奢のために、多くの人々を犠牲にし、地球環境を修復不可能なほどにまで破壊することが可能になりました。こんな時代に社会に出る皆さんにはぜひ和顔愛語を大切にしていただきたいと思い、このようなお話をさせていただきました。

  みなさんどうぞ健康に気をつけて、和顔愛語をもって和顔愛語のために働いてください。

  みなさんのご健康とご活躍をお祈りいたします。









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