2017年5月9日火曜日

Why We Believe Obvious Untruthsの解説記事



以下は、学部4年生用の授業「現代社会の英語使用」の題材の一つとして使う英文を読むための補助資料です。以下をまず読んでから英文を読むと理解が容易になるかと思います。ただ、正確な翻訳・抄訳ではありませんのでご注意ください。

題材は、現時点では誰でも自由に読めるインターネット上の記事です。ただしアクセス回数に制限がありますので気をつけて下さい。

 ■の次にある数字は、受講者にBb9で配布する資料の行番号です。受講者の参照の便のためにつけました。

Sunday Review, The New York Times
Why We Believe Obvious Untruths
MARCH 3, 2017
By PHILIP FERNBACH and STEVEN SLOMAN


最近は、SNSの隆盛のせいか、自分が見たいものだけを見て、信じたいことだけを信じる傾向が強まり、その結果、明らかに虚偽とわかっていることを信じてしまう(そして主張し続けてしまう)ことが少なくないようです。昨年、オックスフォード大学出版局が「2016年のことば」として選んだ "post-truth" もその傾向を表現することばです。


そういった中、学校教育が未来の市民に、何が事実・真実で、何が虚偽で、何が現時点ではどちらとも判定できないかを忍耐強く知的に判断することを学ばせることはとても重要になってきていると思います(とりわけ、理数系の科目はその点で重要かと思います)。

他方、この複合的な世界を個人がすべて理解できることなど不可能ですから、私たちはいかに他人の知識を信頼・評価するか(あるいはしないか)、そしていかに知識を共有していくかというコミュニケーションの作法を学ぶ必要があります(これは3.11以降の日本で痛感されたことですが)。


以下の記事は、認知科学者によって書かれたものですが、これを読んで、私たち人間の知性のあり方や社会性の重要性について反省的考察を加えておきましょう。その考察に基いて、学校教育を、より現代社会の必要性に適うものにすることが学校教育関係者の義務の一つかとも思います。






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■ 6
多くの人々が、明らかに虚偽であることを信じるようになってきている。


■ 8-9
しかし集団妄想 (collective delusion) は昔からあることで、しかも政治的右派に限った話ではない。リベラルな左派も、非科学的なほどにGenetically Modified Organism: GMO (遺伝子組換え生物)には毒性があるとか、自閉症の原因はワクチンだといった説を信じている。


■ 12-14
この状況を解決するのは簡単なようにみえるだけに、面倒である。きちんと見れば、真実は明らかだと思えるからだ。しかし、そう考えてしまうと、集団妄想は、騙されやすい大衆 (hoodwinked masses) が抱くものだという説明になるが、それは「あいつらは馬鹿だ」「あいつらはモンスターだ」といった罵倒とほとんど変わらなくなる。


■ 16-18
「騙されやすい大衆」という説明をもちだすと、自分たちは違う、と思いたくなる。しかしそれは誤解であり単純すぎるけんかいだ。そういった説明は、知識を人間の脳内にあるものとしかみなさない誤解に基づいている。


■ 18-20
謙虚に受け入れなければならない真実とは、個々人は、一人ひとりでは事実 (fact) と虚構 (fiction) をうまく峻別できないし、これからもできないだろうということである。私たちにとって自然な状態とは無知 (ignorance) である。私たちの心の働きから無知が生まれるのだ。


■ 22-23
人間と他の動物を分けているのは、人間の個体がすぐれた心的能力 (mental capacity) をもっていることではない。人間が他の動物以上に繁栄することができたのは、私たちが認知的作業 (cognitive labor) を分業することで、複合性の高い目的 (complex goals) を相補的に (jointly) 追求する能力をもっているからだ。

補注:
ちなみに、"joint"という形容詞は、しばしば "common" や "shared" と同義として扱われるが、jointの定義のひとつである "undertaken or produced by two or more in conjunction or in common" (http://www.dictionary.com/browse/joint) をみると、"in common" (「すべてに共有されて」)とは少し異なる "in conjunction" (「相補的に足し合って」)といった意味が見られる。つまり、例えば5人のメンバーがいる場合、そのメンバー全員がAとBとCを共有しているのではなく、メンバー1と3がAを、メンバー2と5がBを、メンバー4がCを有しており、メンバー全体としてAとBとCを有しているという状況である。

この意味でのjoint概念は注目すべき概念だと私は個人的に思っています。

以下の記事にある "joint understanding"は、今私が区別しているような意味での "common understanding" (consensus)  とは区別される概念かと思います。

オープンダイアローグの詩学 (THE POETICS OF OPEN DIALOGUE)について
(特に "joint understanding"の箇所)。


■ 26-27
個体としての人間は、ほんのわずかなことしか知らない。しかし社会集団を組むことで、人間は離れ業をやってのけることができる。


■ 29
知識は私の頭の中にあるとか、あなたの頭の中にあるとかいうものではない。知識は共有されているのだ。


■ 34-36
あなたが「知っている」ことのほとんどは、あなたの頭の中ではなく、どこかの教科書や専門家の頭の中にある情報の記号 (a placeholder) にすぎない。


■ 38-39
知識が分散している (knowledge is distributed) ということから生じるのは、人間は知識共同体 (a community of knowledge) に所属することによって、自分が理解していないことも理解していると思い込んでしまうことだ。


■ 48-49
この理解の感覚は伝染性のあるものだ。他の人が理解していること、あるいは理解していると主張していることによって、私たちは自分がより賢くなったと思い込んでしまう。


■ 54-57
ここで大切なことは、人間は非合理的 (irrational) だということではない。人間の非合理性は、非常に合理的な場所(例えば科学者が書いた本)から生じているのだ。人間はしばしば、自分が知っていることと、他の人々が知っていることの区別ができないのだが、それは自分の頭の中にある知識とその他の場所にある知識の間に明確な境界線を引くことがしばしば不可能だからだ。


■ 59-61
このことは世の中を分断するような政治問題 (divisive political issues) においてよく当てはまる。政治問題の多くについて、私たちは十分に詳細な知識を学び記憶しておくことができない。私たちは自分が属する共同体に頼らざるを得ない。しかし、もし私たちが自分は他人の知識におんぶされているだけだ (piggybacking on the knowledge of others) ということを自覚しないなら、傲慢 (hubris) に至ってしまう。


■ 76-78
このような集団幻想から、私たち人間の思考には偉大な力と深い落とし穴があることがわかる。ほとんどの人が必要な知識をもっていないのに、集団としては共通の信念にもとづいて多くの人間が合体 (coalesce) できるとは考えてみればすごいことだ。


■ 83-87
個人としては無知であることが私たちの自然な状態であるということは、呑み込むには苦すぎる薬である。しかしこの薬は私たちに力を与える。単に反対するだけの浅薄な分析 (a reactive and superficial analysis) を招くような問いと、きちんとした調査 (real investigation) を必要とする問いの間の区別ができるようになるからだ。さらには、指導者から専門的知識と繊細な分析 (expertise and nuanced analysis) を要求することも始められるようになるだろう。それこそが有効な政策を決定する唯一の確かで正しい方法である。個々人の頭の中にはたいした知識はないのだという自覚は良薬である。



 




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