2017年8月24日木曜日

熊谷晋一郎(編) (2017) 『みんなの当事者研究』 金剛出版



本書は編者の熊谷晋一郎氏が編集後記で述べるように、「当事者研究は具体的に与えられた名前ではない。むしろ、個別の技法に文脈を与えているような、より広汎な歴史・価値・理念・態度の総体である」ことを前提として、「当事者研究の輪郭を素描するために、当事者研究の歴史的・思想的源流をたどり、方法の多様性を記述し、最近の分野横断的な広がりを概観することを試みた」ものです。(p.204)  非常に充実した一冊であり、当事者研究の深さと広がりがよくわかります。

この記事では、その中でも、当事者研究実践のために特にすばらしい、綾屋紗月氏の「当事者研究をはじめよう! 当事者研究のやり方研究」 (pp.74-99) の一部(第4節「「べてるの家」と「ダルク女性ハウス」の形式の共通点)の8つのポイントを私なりにまとめながら、同書中のその他の箇所に言及をすることによって、この本を紹介します。8つのポイントのタイトル(太字化しています)は原文通りですが、そのまとめには私のことばがかなり入っていますので、興味をお持ちの方は、ぜひご自身でこの本をお読みいただき、正確な理解をなさってください。



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(1) 自分を開いて仲間と共有する ーー自分自身で、共に

集まりの冒頭で、問題を抱えた当事者(注1)だけでなく、参加者の全員がそれぞれの最近の経験などを語り、この場は誰もが「自分を開く」場であることを実感的に確認する。当事者研究が始まっても、参加者はその問題と自分の問題を関連付けたりして、当事者は自分の問題を語りながらも参加者と共に自分の問題についての洞察を深める。同時に、参加者は当事者の問題を聞きながらも、それについて関連している自分の問題についても考える。

(注1)私は英語教師なので、日本語の名詞表現を聞いても、時に「それは単数形の意味?それとも複数形の意味?」と疑問をいだいてしまいます。「当事者研究」の「当事者」も単数形なのか複数形なのか考えてしまいます。もし単数形なら「当事者」とは問題を抱えた人だけの意味になりますし、複数形なら問題を抱えた人とその人を仲間として認める共同体の人々全員となります。最初は、私は「当事者」とは前者の意味かと考えていましたが、本書を読んだりしていると、むしろ後者の意味かとも思えてきました。


(2) 自分の問題を自分の外に出す ーー外在化

「ヒト」(当事者)と「コト」(当事者が抱える問題)を分けて、問題を対象化・客観化して考える。当事者研究の進行役も「どういう苦労が得意ですか?」、「苦労の専門分野は何ですか?」と問いかけたり (p.76) 、「また火をつけちゃったんです」という発言に対しても「ああ、放火現象が起きたのね」などという言い換えをする (p.26) など、この問題の外在化を促進するようなことば遣いをしばしば行う。視覚的にも、ホワイトボードや模造紙と付箋などの方法で問題の外在化を支援する。

また、この論文には特に言及がなかったが、べてるの家では当事者が自分の問題行動に対して、ユーモアたっぷりの病名をつけているが、この命名も当事者に問題と向き合う余裕を与えていると考えられる。


(3) 興味・関心によるワクワク感

問題行動はぜひとも治したいといった構えではなく、その問題行動がなぜ生じるのかの仕組みを知りたいといった構えにより、問題行動と当事者の現在・過去の行動について研究的な好奇心を発揮して、その問題行動についての研究を楽しむ姿勢をもつ。

ちなみに本書で石原孝二氏は「当事者研究の哲学的・思想的基盤」 (pp.51-55) で、研究を「そのつどの環境によって生じる「問題」に単に対処するのではなく、事象そのものを探究するものである」 (p.52) と述べ、「当事者研究において、この研究的な態度は、問題を「棚上げ」するという機能をもっている。研究は問題を解決することを直接的な目的としない」 (p.53) としている。

この研究的な興味・関心という構えにより、問題の外在化・対象化・客観化はいっそう促進されるといえるだろう。


(4) 仲間の知恵の伝承

当事者も参加者も全員が対等な関係で話し合うが、それでも、その当事者研究共同体が歴史的・経験的に積み重ねてきた知恵や価値観は尊重し伝承しようとする。

これは私(柳瀬)が某所で当事者研究的な営みを導入したところ、そこでの指導者的立場の人が迷った点であった。全員の対等性を重視するあまり、指導者的立場の人は、当初、あたかも何も積極的に発言・助言するべきではないかのごとく思ってしまったが、当然ながら、人が共同体での長年の経験から得てきた知恵を共有したいと思うことは自然なことなので、ことさらに忌避的な態度をする必要はないと私は考えている。ただし決めつけたような助言を避けるのは当然のこと。


(5) 自分助けとして症状や問題行動を扱う

社会通念からすれば否定的にしか捉えられない問題行動も「自分助け」として、つまり自分が困難な状況に対応するために仕方なしに行っている反応としても捉え、問題行動にプラスの側面も見い出す。

同論文で綾屋氏は自らの実践(「おとえもじて」)において、「問題行動は悪いことだ」という既成概念にとらわれてしまうことを避けるため、当事者研究中に、呪文のように「問題行動にはメリットがある」「お前はすでに助けている」と頭のなかで唱えるようにしていると述べている (p.92)。

追い込まれた当事者が、社会通念・既成概念を覆すには、それとは異なる価値観を「呪文のように唱える」必要があるという証言は、重要なものだと考えられる。


(6) 発見を祝う

当事者研究を通して、新たな意味が発見されたこと、そしてそれが仲間と共有されたことがあれば、積極的にその意義を認め、祝う。

「意味」については、石原氏が前述論文においてDeegan (1988) (http://dx.doi.org/10.1037/h0099565) でのリカバリー (recovery) の定義を引用しているところが興味深い。それによるとリカバリーとは「障害がもたらす限界の内で、あるいはその限界を超えて、自己の新たな意味と目的を回復すること」である(注2)。

(注2) Deegan (1988) を参照しますと、以下のようにありました。

Disabled persons are not passive recipients of rehabilitation services. Rather, they experience themselves as recovering a new sense of self and of purpose within and beyond the limits of the disability. (p.11)

拙訳:あることができなくなった人は、リハビリ治療をただ受けるしかない受身的な存在ではない。 そうではなく、その人は、自分の能力の範囲内で、時にそれを超えて、自己と目的の新しい感覚を回復するのだ。
また、熊谷晋一郎氏は、国分功一郎氏との対談「きたるべき当事者研究  当事者研究の未来と中動態の世界」 (pp.12-34)の中で、次のように述べている。

当事者研究では「有意味性を奪われる」という表現をしますが、自分以外の他者に奪われてしまった症状・問題がもつ固有の「有意味性」を取り戻すことが、当事者研究の最初の着想であることを言い表したものです。 (p.21)

ここでも「意味」ということばが使われていますが、私はこういった用法での「意味」の意味を明らかにしたくて、先日、学会口頭発表をしました。

意識の統合情報理論からの基礎的意味理論
--英語教育における意味の矮小化に抗して--
全国英語教育学会での投映スライドと印刷配布資料
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/08/blog-post_9.html


(7) 目的意識をゆるめる

問題解決を目的として、他人や自分自身を支配してしまおうとするのではなく、一人ひとりの語りを否定せずに受け入れる中で、新しい発見に至る。

ちなみに、これはボームの対話論でも強調されていることでもある。

David Bohmによる ‘dialogue’ (対話、ダイアローグ)概念

感受性、真理、決めつけないこと -- ボームの対話論から

ボームの対話論についての学生さんの感想


(8) 先行して警戒を解く

当事者研究の進行役などが、問題を抱えた当事者が自己開示をする前に、自分自身の弱さの情報公開を行う。専門家も専門知識をいったん捨ててしまって「丸腰で人に対して向き合っていくことが当事者研究の専門性」 (p.86) とも表現される。

ちなみに、これは昨年から今年の冬にかけて私が同僚の樫葉先生と、卒業直前の学部生に対して当事者研究を試みた時に、樫葉先生が直感的に行ったことでもある。樫葉先生によると、学生の様子を見るうちに、この学生さんたちに自らの弱みを見せることを要求する前に自分が弱みを見せないといけないのではないかと思い、自分自身の職業生活でもっとも苦しかった時代のことを話し始めた(これは授業予定にはないことであった)。その内容は、同僚の私でさえ初めて聞くことも含むもので、その自己開示は学生に大きな影響を与えた。



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このような当事者研究を、私は学校教師にとっても有用なものと考え、導入を試みていますが、この本には子どもによる当事者研究も提唱されています。(河野哲也「当事者研究と「教育学」」 pp.56-60)。河野氏はこう言います。

当事者研究は、いわゆる「障害」のある子どもたちに有効であるだけでなく、あらゆる子どもにとっても意義のあることに思われる。障害の有無は、くっきりと線が引けるものではなく、連続的で、誰もが何らかの度合いで障害を有しているという理由だけではない。子どもたちは、つねに勉強ができるかできないか、能力があるかないかという学校的な規準で自分が評価されることに怯えており、一定のレッテルを貼られた子どもたちは人生の始まりにおいてすでに諦めの気持ちさえもってしまう。勉強に関しても、現代の学校教育でもっとも深刻な問題とは、学ぶ意欲そのものが失われていることである。それは、なぜ学ばなければならないか、子どもたちはその意味や理由がわからないからである。(p.59)

実際、この本では狛江市立狛江第三小学校特別支援教室主任教諭の森村美和子氏による実践が「子どもの当事者研究」 8pp.133-136) として紹介されています。

またこの記事ではそれほど触れませんでしたが、熊谷晋一郎氏と国分功一郎氏による対談「きたるべき当事者研究  当事者研究の未来と中動態の世界」 (pp.12-34) は、世評に違わず、非常に充実したものでした。

当事者研究に興味をもつ人にとっての必読書がまた一冊増えたように思います。




 




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