2018年3月29日木曜日

Introduction of The End of Average by Todd Rose (2017)




Todd Rose (2017) The End of Average: How to Succeed in a World that Values Sameness. Penguin Booksは、平均(およびそれに準ずる数値)で人間を捉えようとする1840年代以降の知的枠組を根源的に批判した本です。著者は、Harvard Graduate School of Educationのthe Mind, Brain, & Education ProgramのdirectorであるTodd Rose氏です。





ここではいつものように私の理解を整理するための「お勉強ノート」を公開します。翻訳をした箇所には電子書籍の位置番号情報をつけましたたが、その他の箇所についてはそれを割愛しています。私の付随的な考えを挿入したところは、そのことが明らかになるように書いているつもりですが、それでも本書のまとめの中に私個人の考えが入ってしまっているところもあると思いますので、この本に興味をもった方は必ずご自身で原著をお読みください。

以下、章ごとにまとめの記事を作る予定です。本書は3部・9章で構成されていますが、できれば最初の2部6章まではまとめの記事を作りたいと思っています。

それではまずはIntroductionです。



Introduction


■ 「平均」は実在しないことを示す二つのエピソード

この本は二つの興味深いエピソードから始まります。

一つは1940年代のアメリカ空軍についてのエピソードです。その頃アメリカ空軍は、ジェット機を導入し始めたのですが、事故が相次ぎました。やがて空軍は、その原因は操縦席の設計にあるのではないかという仮説を検討し始めました。ジェット機の操縦は、それまでのプロペラ機の操縦に比べて非常に敏感ですから、操縦席の大きさなどのちょっとした違いがパイロットのパフォーマンスに影響を与えると考えられるからです。ジェット機の操縦席は1926年に調査した数百名のパイロットの身体のサイズの平均値に基づいて作られたものでした。ですが改めて、実際に空軍パイロット4063名以上の身長・胸囲・袖丈など、操縦にとってもっとも関連があると思われる10項目のサイズについて調査をしたところ意外なことがわかりました。

10項目でのサイズの中位30%以内に入ったパイロットを「平均的パイロット」(average pilot) として定義しても、10項目のうちの3項目でも「平均的パイロット」パイロットは全体の3.5%しかいませんでした。10項目すべてにおいて平均グループに入っていたパイロットは皆無でした。「平均的パイロット」は空軍に一人もいなかったわけです。操縦席は平均的なパイロットに合わせて作られましたが、それはどのパイロットにも合わない操縦席だったのです。

この調査から空軍は個々人に合わせた操縦席を作ることにしました。もちろんすべての操縦席をオーダーメイドで作ることはさすがに非現実的ですが、個々人に合わせた操縦席は、現在の車にもあるように、座席を前後させたり傾斜させたり、ハンドルの一を上下前後に調整したりといったさまざまな小さな工夫によって達成され、その結果、ジェット機による事故の確率もプロペラ機での確率程度に下げることができました。

もう一つのエピソードです。1945年にクリーブランドで、女性のさまざまなサイズの平均値を基にした女性の彫刻像が作られました。彫刻は「規範」 (Norma) と名付けられ、多くの人はその女性の姿こそが素晴らしい基準 (excellent standard) であり、若い女性はこのような外見を有するべきだ、これこそが理想の女性 (Ideal Girl) だと称賛しました。そしてこの女性像そっくりの女性を選ぶコンテストが行われました。しかしながら9の項目のサイズに基づいて作られたこの女性像にそっくりの女性は3864人の応募者の中に一人もいませんでした。9のうち5つの項目でこの女性像に合致している女性でさえも、40名しかいませんでした。

私たちは個々人 (individuals) を見る代わりに、平均 (the average) を前提としてものを考えてしまう癖をつけてしまっています。しかし、これら二つのエピソードは、平均的な人など実はいないことを示しています。私なりに例を補ってみますと、たとえば「世帯平均人数は2.47人」と言われても、そんな世帯はどこにも存在しませんから、このことは自明であるようにも思えます。しかし、平均を使用して人間について考えることは現在、社会の隅々にまで浸透しています。

しかし、個々人を測定するための基準として平均を使うという考え方は私たちの心に深く刻まれているので、私たちはその考え方について問い直すことをほとんどしない。時折、平均について文句を言うことはあっても、平均は人間に関する何らかの客観的実在を表しているのと思い込んでいる。
Yet the concept of average as a yardstick for measuring individuals has been so thoroughly ingrained in our minds that we rarely question it seriously. Despite our occasional discomfort with the average, we accept that it represents some kind of objective reality about people.
Rose, Todd. The End of Average: How to Succeed in a World That Values Sameness (Kindle の位置No.165-167). Penguin Books Ltd. Kindle

そういった私たちの思い込みに対して、この本は「平均的な人などいない」 (no one is average) ということを説いてゆきます。

もちろん平均の考え方が全く役に立たないというわけではありません。平均の考え方は集団 (group) を対象にした場合は有効です。例えばアメリカ空軍のパイロットと日本の航空自衛隊のパイロットを比べたならば、どちらの平均身長の方が高いかといった問いは出せるでしょうし、その答えに間違いはありません。しかし私達が集団ではなく個人を考える場合には、平均という考え方はかえって邪魔になります。このアメリカパイロットのパフォーマンスを上げるにはどうしたらいいのか、この生徒に教えるにはどうしたらいいか、この応募者を採用すべきか、といった場合には、その人たちの個人的な特徴・個性を見なければなりません

個人についての決定をしなければならない場合になれば、それがいかなる場合であれ、平均は役に立たなくなる。いや、実際のところは、役に立たないというより有害であるというべきであろう。なぜなら平均を知ることによって、私たちはその個人について何らかのことを知っているという幻想を抱いてしまうからである。しかし実際には、平均によってその個人について非常に重要なことがわからなくなってしまう。
the moment you need to make a decision about any individual—the average is useless. Worse than useless, in fact, because it creates the illusion of knowledge, when in fact the average disguises what is most important about an individual.
Rose, Todd. The End of Average: How to Succeed in a World That Values Sameness (Kindle の位置No.174-179). Penguin Books Ltd. Kindle


■ 大学入試の例で考える


ここで上の論点の重要性を示すため、架空の例を私なりに補ってみます。

たとえば、ある高校生がある大学のある学部のある講座に入学することを希望しているとしましょう(後の説明をわかりやすくするために、英語関係の講座ということにしておきます)。そういう場合、私たちがやるべきことは、その高校生が、どのような学びを大学に期待しているのか、どのような将来設計をもっているか、どのような知識をもっているか、どのような思考力をもっているか、どのような表現力をもっているか、どのような興味・関心をもっているか、そしてそういった特性は、編入希望の講座で活きるだろうか、といったことについて、書類や面接やテストなどのさまざまな方法で、詳しく具体的に検討することです。

しかし私たちはしばしば「センター試験と二次試験の合計点は何点ですか?それは学部・講座の平均点よりどのくらい上あるいは下ですか」といった平均の考え方に基づく一つの数値だけで、その高校生についてかなりのことが分かると思いこんでしまいます。

今、私は合計点を「平均の考え方に基づく一つの数値」といいましたが、それは、さまざまな項目の得点を足した合計点とは、さまざまな項目における点数の違いをいわば平均化した値であるからです。

センター試験と二次試験の合計点だけで合否を判断をしたがる人は、高校生が、センターの英語では何点取っていたか、二次試験の英語では何点だったか、センターと二次試験のそれぞれでの英語の長文問題の点数は何点だったか、一方、センターの国語や数学では何点だったのか、といったことすら考慮していません。とにかく合計点・平均点だけしか見ようとしません。

ここには「合計点・平均点こそは、もっとも有用なデータ」という前提・思い込みがあると考えられます。合計点・平均点こそは、もっとも妥当性が高く、公正なデータと思っている人は少なくないのではないでしょうか。

もちろん、受験生が多いのでじっくり検討する時間がないという現実的な理由もあります。しかし現在のコンピュータ技術からすれば、たとえば次のような選抜方法も不可能ではないはずです。(私は大学に勤めていますので、入試に関する内部事情をある程度は知っていますが、その知識はここでは使わずに、常識的な推論をします)。

(1) センター試験と二次試験の点数において、まず次の五つの条件をすべて充たしている受験者だけを選び出せ。
(1a) センターの英語(筆記)が○○点以上、
(1b)   センターの英語(リスニング)が□□点以上、
(1c)    二次試験の英語の第一問が△△点以上、
(1d) 二次試験の英語の第五番が◇◇点以上、
(1e) センターの国語が▽▽点以上。

(2) これらの条件をすべて充たしている者を、センター試験と二次試験のの合計点の順番で並べて、その上位X名を合格とせよ。

このやり方でしたら、(1a)以下の条件の項目設定と点数設定を工夫することによって、講座が求める受験生の個性を多少は見ることができます。年々、入学者の様子を観察し、工夫を重ねれば、講座が求める受験生を受け入れられる確率も上がってくるでしょう。

もちろんこのやり方でも、たとえばAO入試ほどには丁寧に受験生一人ひとりの個性を見ることはできません。しかし、それでも多少は、受験生の個人的特徴を尊重することができるでしょう。

しかしもし多くの人が、そんな選抜方法をわざわざ行う理由はないと考えているなら、そこには「平均は有用だ」、「合計点(各項目得点の平均化)は、各項目の得点分布状況よりも妥当なデータだ」、「平均・合計以上の、個人的特徴などをわざわざ調べる必要まではない」といった想定が根強くあるとは考えられませんでしょうか。

この本はそんな想定に挑戦します。

この本を読めば、平均的ボディサイズ、平均的才能、平均的知性、平均的性格といったものなどないということがわかるだろう。平均的な生徒も平均的な労働者も平均的な脳もない。こういった考え方に私たちは馴染んでいるが、これらはどれも科学的想像が誤って適用されてできた絵空事に過ぎない。
In this book, you will learn that just as there is no such thing as average body size, there is no such thing as average talent, average intelligence, or average character. Nor are there average students or average employees—or average brains, for that matter. Every one of these familiar notions is a figment of a misguided scientific imagination.
Rose, Todd. The End of Average: How to Succeed in a World That Values Sameness (Kindle の位置No.179-182). Penguin Books Ltd. Kindle

続く記事で私もこの本の章をまとめることにより、「個性は重要」 (individuality matters) というこの本の主張について考えてゆきたいと思います。







追記

今、ネットを検索しましたらこの本にはすでに翻訳書が出ていることがわかりました。今後参照したいと思います。(翻訳書が皆さんの手に入りますので、今後のお勉強ノートは一般的なまとめを少なくし、私なりに考えさせられた点を中心に作成してゆこうと思っています)。


 




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