2016年1月5日火曜日

オープンダイアローグにおける情動共鳴 (emotional attunement)



先日、ある優れた実践家(英語教師)のワークショップ(集中講義)を3日連続で受けるというかけがえのない経験をしました。そこで感じたのは、その実践においては、教師と学習者(児童・生徒・学生)の情動 (emotion) のあり方が、非常に重視されているということです。

そこで思い出したのが、オープンダイアローグにおける "(powerful) mutual emotional attunement"という概念です。斎藤先生の翻訳では「互いの感情の強い同調」(149ページ)、「相互的かつ協力な感情の同調」(157ページ)、「互いに感情を同調させ合う」(171ページ)となっていますが、私としては「豊かで相互的な情動共鳴」と訳してみました(注)。






「豊かで相互的な情動共鳴」、短く切り詰めて表現するなら「情動共鳴」は、Healing Elements of Therapeutic Conversation: Dialogue as an Embodiment of Loveの論文では3回登場しますが、どれも重要な箇所(少なくともとても印象的な箇所)での登場となっています。




Seikkula J and Trimble D. (2005)
Healing elements of therapeutic conversation: dialogue as an embodiment of love
Family Process, 44(4):461-75.





そこでこの「情動共鳴」 (emotional attunment) を実践理解のための重要概念とするために、ここではその用語が出ている箇所を私なりに翻訳してみることにします。ただ、以前の記事でも書きましたが、読みやすく信頼できる訳をお求めの方は、齋藤先生の本を参照してください(私の訳はかなりの意訳になっています)。

私としては1/9の小学校英語教育シンポジウムでもこの概念について言及するので、その準備も兼ねてこの翻訳を通じて概念理解を試みた次第です。(翻訳は、精読のための、唯一とは言わないものの、最善の方法の一つだと最近ますます思うようになりました。もっともこれは、山岡洋一先生が昔からおっしゃっていたことですが・・・)





それでは3箇所の翻訳です。



*****



(1)

Abstract
From our Bakhtinian perspective, understanding requires an active process of talking and listening. Dialogue is a precondition for positive change in any form of therapy. Using the perspectives of dialogism and neurobiological development, we analyze the basic elements of dialogue, seeking to understand why dialogue becomes a healing experience in a network meeting. From the perspective of therapist as dialogical partner, we examine actions that support dialogue in conversation, shared emotional experience, creation of community, and creation of new shared language. We describe how feelings of love, manifesting powerful mutual emotional attunement in the conversation, signal moments of therapeutic change. (p. 461)

要約
私たちが依拠するバフチン的視点からすれば、理解するためには、語り合い聴き合うという能動的な過程が必要です。望ましい変化をもたらすには、いかなる療法においても対話が前提条件となります。この論文では対話主義と神経生物学的発達の視点から、対話の基本的要素について分析を進めて当事者の集まりにおいてなぜ対話が癒やしの経験となるのかを理解することを試みます。療法家を対話の相手とみなす視点からは、会話の中の対話、情動的経験の共有、共同体の創出、新たな言語の共有を促進する行為について検討します。愛の感情は、会話における豊かで相互的な情動共鳴が現れる時に感じられるものですが、その愛の感情が感じられることが、いかに望ましい変化が起こる瞬間と重なっているかについても記述します。




(2)

We use our theoretical lenses to examine the activities that appear to be factors in healing: creation of new, shared language from multivoiced conversation, shared emotional experience, and creation of community, all of which, we believe, are supported by powerful mutual emotional attunement, an experience that most people would recognize as feelings of love. (p. 464)

私たちは理論的な観点を用いて、癒やしの要因になっていると思われる活動を検討します。それらは、多くの声が共存する会話から新たに共有できる言語を創出すること、情動的な経験を共有すること、共同体を創出することの三つです。私たちの見解では、これら三つを支えているのは、豊かで相互的な情動共鳴です。この共鳴こそは、たいていの人が愛の感情と呼んでいるものです。





(3)

Trevarthen's (1979a) careful observations of parents and infants demonstrate that the original human experience of dialogue emerges in the first few weeks of life, as parent and child engage in an exquisite dance of mutual emotional attunement by means of facial expression, hand gestures, and tones of vocalization. This is truly a dialogue; the child's actions influence the emotional states of the adult, and the adult, by engaging, stimulating, and soothing, influences the emotional states of the child. (p. 470)

Trevarthen (1979a) は親と乳児を丁寧に観察し、最初の人間的な対話の経験が、生まれてわずか数週間で生じることを明らかにしました。親と乳児は、顔の表情や手振りや声色を使って相互的情動共鳴という絶妙なダンスを踊っています。これはまさに対話です。乳児の行為が親の情動の状態に影響を与える一方で、親は、情動的共鳴をしたり、あやしたり、なだめたりして、乳児の情動の状態に影響を与えます。




*****



ちなみに上で使われる"love"(愛)という表現があまりに強烈で、抵抗を感じる人もいらっしゃるかもしれません(私も最初はそうでした)。しかし人間の実践を考える際には、照れたり斜に構えたりせず、この概念について考えるべきとも思えてきました。(せめて「友愛」と訳そうかとも考えましたが、敢えて直訳的に「愛」と訳しました)。

そもそも"love"はこの論文のタイトル(下記)にも使われているのですから、著者はこの概念を重視しているのは明らかでしょう。安っぽい言い方に迎合することなく、この概念についても丁寧に考えてゆくべきかと思います。



Healing Elements of Therapeutic Conversation:
Dialogue as an Embodiment of Love

療法的会話で癒やしをもたらす要素:
愛の身体化としての対話




(注)

"Attunement"を「同調」でなく「共鳴」と訳したのは、二人の人間がいくら気持ちを寄り添わせても、二人の気持ちがまったく同じになることはないと考えたからです。

もちろん「同調」にも「(3)外部から来る振動に共振するように,装置の固有振動数あるいは周波数を調節すること。特に,テレビ・ラジオで目的の周波数に合わせること」(三省堂 大辞林)といった「共振」「共鳴」とほぼ同じ意味もありますから、「同調」でも「共鳴」でもどちらでもいいのかもしれませんが、「共鳴」と訳しておくと、"mutual"を省いた"emotional attunement"でも「情動共鳴」となり、"mutual"の含意を表現できるので便利と考えました。

また、「共鳴」と「共振」では、人間が気持ちを寄り添わせた時に使う表現はどちらだろうと考えて「共鳴」としました。

"Emotional"を「感情」ではなく「情動」と訳したのは、神経科学のダマシオの用語法にしたがったからです。ダマシオによれば、"emotion"(情動)とは身体レベルで生じている基底的なものです。情動の一部を私たちは意識しますが、それが"feeling"(感情)と呼ばれるものです。

とはいえ、日常語では、情動も感情も同義語で使われることが多く、感情の方がより日常的な表現となっていますから、"emotion"を「感情」と訳すのは、むしろわかりやすい翻訳といえるかもしれません。しかし私としてはダマシオの区別を尊重したため「情動」と訳すことにしました。

ちなみに"emotion"(情動)と"feeling"感情を合わせて総称する場合、ダマシオは"affect"という表現を使っています。私はそれを「情感」と訳していますが、これは日常ではほとんど使わない語なので、私はしばしばこの意味を「気持ち」という日常語で表現しています。上でも"emotional attunement"を説明する際に「気持ちを寄り添わせる」という表現をしばしば使いましたが、それはこの理由からです。

"Powerful"を「豊か」と訳したのは、こういった気持ちの寄り添わせに対して、「強い」という語を使うと、異なる人間の一体感を強調しすぎてしまうように思えたからです。「同調」という訳語を使わない問題意識と同じものですが、大げさに言うと、アレントによる人間の複数性からするなら、人間の同一性や一体感をあまり強調するべきではないと言えるかもしれません。




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